羨ましい事
なんだかアスラーダさんの様子がおかしいなって思ったのは、私の妊娠が判明して、彼がグラムナードに戻って来て暫くしてからの事。
何がおかしいのかと聞かれると、答えに詰まるのだけれども、何かを言いかけては何故か顔を赤らめて口にするのを止めて……と言うのをやたらと繰り返すんだよね。
なんというか、こう……?
言いたい事があるのならはっきり言って欲しいんだけど、ソレをどう聞けばいいのか分からないのだ。
今が妊娠4カ月目だから……かれこれ2カ月位の間そんな状態で、私はとても困惑している。
☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆
「と言う訳で、なんだかずっと奥歯に物が挟まっている様な感じで気持ち悪いんですよね……。」
「あらあら。」
「アスラーダ様はどうなさったんでしょう??」
「お師匠様……。それは、新たなロマンスの匂いです!」
思い余って相談したのは、新薬研究チームメンバーである、セリスさん・エリザ・アルンの3人組。
アルンは、エルドランが雪に閉ざされる前にグラムナードへとやってきて、今ではすっかり元々ここに居ましたよと言わんばかりに他の2人と馴染んでいる。
それはそうと、勢い余って相談しておいてナンだけど、メンバー全員、恋人も配偶者も居ないと言うあたり、相談相手を間違ってしまった様な気がして仕方ない。
基本的に、こう言う時にいつも相談に乗ってくれていたのはラエルさんで、その次点がアスタールさん。
アトモスだったら相談相手には事欠かないんだけど、空間転移も禁止されている今の状態では相談に乗って貰いに行くのも微妙なんだよね……。
そして、最後のアルン。
ネタってなんだ……?
ネタって??
この上まだ私達をネタに何か書こうと言う気なのか???
もしもそうなら、流石に今度こそは異を唱えさせて貰いたいところだ。
前回は、手遅れ状態になってから知ったからどうしようもなかったけど、今度こそはなんとか思いとどまらせたいと思う。
結局、最初に相談した3人では埒が明かずに、そういえば……と、彼が仲良くしているレイさんに訊ねてみる事を思いつく。
個人的には親切なイイ人だと思うんだけど、彼の姉妹たちの中での評価がイマイチ良くないせいであんまり話す機会はないんだよね……。
曰く、女癖が悪い。
……と。
一番下の妹であるテミスちゃん曰く、『お姉ちゃん達の言いつけを守ってたらそうなっただけみたいですよ。』なんだそうだ。
その言葉に成程と納得はしたんだけど、そうでなくても外町の店舗を取り仕切ってくれている彼とお話しする機会は然程多くない。
お休みの前の日に、その週の報告を聞くのが唯一まともに話す機会で、明日がその日にあたるからその時に訊ねてみる事に決める。
その日も、アスラーダさんは何かを言いかけた後に、話題をお腹の子供の事へと切り替えた。
全く。
一体何なんだ?
翌日の夕飯の後、各部門の代表の報告会が終ると私はレイさんの事をこっそりと呼び寄せる。
「リエラちゃんが僕に相談だなんて、めずらしいね。」
アスタールさんの留守を預かる間、借り受けている執務室の長椅子を勧めると、彼は茶化す様にそう口にした。
その前の席に腰掛けると、アルンがお茶を置いてから私の後ろに控える。
親しい仲だからこそ、こう言う時に2人きりになるべきじゃないと言う彼女の主張によって同席する事になったんだけど、なんだか潜入取材されている気分になるのは何故だろう?
「実はちょっと、アスラーダさんの事についてなんですけど……。」
「アスラーダ様の?」
「なんだか、こっちに戻って来てから少し様子が変なんですよ。」
「様子が?」
不思議そうに首を傾げ、彼は視線を上に向けて暫くの間考え込む。
それからふと、「そう言えば」と呟いて私に視線を戻す。
「リエラちゃんは、アスラーダ様の事はなんて呼んでいるのかな?」
「アスラーダさんはアスラーダさんですけど?」
「2人きりの時にも?」
「そうですけど……?」
アスラーダさんをどう呼んでいるかなんて、何か関係あるんだろうかと思いつつ首を傾げる。
「まぁ、たまにおふざけで『旦那様』とか言ったりはしますけど、基本は『アスラーダさん』ですね。」
「……ふざけて旦那様と呼ぶ事もある……と。」
「ちょっとアルン、何をメモしてるの?!」
「ああ!! 私の大事なネタ帳が!?」
思わず後ろを向いて声を張り上げてしまったのは、彼女が私の言葉を復唱しながらメモを取り始めたからだ。
慌てて取り上げると、彼女は泣きそうな顔で私の腰に縋りつく。
というか、そのメモ帳、一体どこに隠してたの?!
さっき、念の為身体検査したのに!
採り返されない様に、さっさと『しまう君』に入れてしまうと「ふぉおおおぅ」だか「うおぉぉぉん」だかよく分からない声を上げてくずおれた。
いや、そんなことしても今は返しません。
返却に関しては、私関連のネタの部分だけ削除させて頂いてからにさせて貰おう。
泣き崩れるアルンを無視してレイさんに向き直ると、彼は長椅子の背もたれにしがみつく様にして、静かに肩を震わせている。
ようやく彼が落ち着いた頃には、アルンも気を取り直して澄まし顔に戻っていたんだけど、それを見たレイさんは改めて口元を覆って俯く。
ちょっと、ウケ過ぎだと思う。
「えっと、それで……アスラーダさんの呼び方が何か?」
やっと笑いの発作が落ち着いた彼に訊ねると、思いもよらない返事が返ってきた。
☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆
「あのですねぇ……アスラーダさん?」
「うん?」
部屋に戻り、最近恒例となってきたお腹の子供との触れ合いタイムが終ったところで、レイさんに聞いた事を訊ねて見る。
お腹の子供との触れ合いタイムっていっても、アスラーダさんが私のお腹を撫でまわしながら話しかけるってだけ。
少しお腹の大きさも目立つようになってきていて、順調に成長してくれているらしいのがとても嬉しい。
そのお腹に向かって、いつも嬉しそうに話しかけてるアスラーダさんが滅茶苦茶可愛くて、私にとっても至福の時だったりする。
ソレが終ると、彼に膝抱っこされながらその日の事とか、どうでもいい事とかをお喋りしながら思う存分甘えさせて貰うんだけど……。
今日はソノ時間にちょっとご提案をしてみる事にしたのだ。
私の事を膝に載せて、後ろから抱きしめながらリラックスした様子で耳にハムっと齧りつく。
ちょっとくすぐったい。
「あのですねぇ……。」
「うん。どうした?」
「ちょっとしたご提案なんですけど……」
改まって言おうと思うと、なんだか恥ずかしくてちょっと口ごもる。
何の話かと気になっているのか、アスラーダさんの手がコショコショとお腹の辺りを擽り始める。
「ちょ、くすぐったいですよ~!」
「早く話さないから。……で?」
「んもぅ~! 意地悪しないで下さい!! ご提案は、2人きりの時位、互いの事を愛称で呼び合いませんかってお話です~!!!」
擽ってくる手から逃れようと身をよじりながらそう叫ぶと、ぴたりとその手が止まる。
「……愛称?」
返ってきた声は、平静を装ってはいるモノの、少し硬くて動揺しているのが丸分かりだ。
どうやら、レイさんの予想が当たっていたらしい。
付き合いの長さの為せる業か、それとも同性だからなのか?
私は昔、ラヴィーナさんに『ラディ』と愛称で呼ばれた時に彼がなんだかとても嫌そうな顔をしていたから、彼はそう言った略称で呼ばれるのが嫌いなのかと思っていたんだけれども、どうやらそれは違かったらしい。
「何で急に、そんなこと……。」
少し動揺しているのを感じさせる震え声で彼が訊ねるのに、私はレイさんとの遣り取りを話して聞かせる事にした。
☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆
「そういえば、アスタール様が旅に出る前に、リリン様に『アル』って愛称で呼ばれてる時、何だか羨ましそうにしている様に見えたんだけど……。リエラちゃんにも愛称で呼んで欲しいとかそういう事はないかな?」
少し前に、執務室でそう口にしたレイさんの視線は、何故か私ではなく、アルンに向いている。
その視線を追う様に、思わず彼女の方に目をやると、両頬に手を押し当て夢見る様な視線をどこか遠くに向けるアルンの姿があった。
ああ。
なんだか遠い世界に行ってしまってる……。
その姿に私は、泣きたい気分になる。
結局なにをどうしても、彼女の妄想小説のネタにされるのは避けられないのか……?
私は、のろのろとレイさんの方に向き直ると、脱力感に見舞われ肩を落としながらもなんとか返事を返す。
「前に、ラヴィーナさんに『ラディ』って愛称っぽい名前で呼ばれた時に凄く嫌そうな顔をしていたんで、そう言うのはお好きじゃないのかと思ってたんですけど……。」
「ラヴィーナ叔母様って、アスラーダ様にとって母親に近い人でしょう?」
「まぁ、そうですねぇ。」
「なら、好きな子の前で子供扱いされた気分になっただけじゃないかな。」
そう言いながら彼は、『僕もやられたら嫌だから、気持ちはわからないでもないなぁ。』と呟いて柔らかく微笑んだ。
☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆
「うわぁ…………」
話している間に、段々と遠ざかっていったアスラーダさんが、部屋の隅っこの少し暗くなった場所で丸くなりながら苦悩に満ちた声を上げるのを見て、『えらい事をやってしまった』と言う事に気が付く。
ああ。
うん。
1人で悩んでおくべきでした……。
私がうかつな相談をして回ったが為に、ひどい心理的ダメージを受けてしまっているアスラーダさんを見ながら、おろおろしていると、10分程して立ち直った(?)彼が私の元に戻ってくる。
「……決めるか。愛称。」
「え? ああ、はい。」
ポツリとそう呟く様に宣言する彼に、私は壊れた首振り人形のようにがくがくと頷き返す。
こわい。
めっちゃこわい。
目の辺りが滅茶苦茶暗くなってて、物凄く怖い!
いつものアスラーダさん、戻ってきてー!!!!!!
「ええっと~『ディー』はウサギに使っちゃったし……」
「……え?」
あ、戻った。
いつものアスラーダさんが帰ってきたよ!
「『ディー』って……」
「アスラーダさんが、愛称で呼ばれるのは嫌なのかと思ってウサギさんにつけちゃいました……。」
「……。」
私の言葉に、視線を逸らしつつ口元を隠すのは……照れてるのか?
ちょっぴり耳の先が赤くなって、ピコピョコしてる。
照れてるのか。
かわいいなぁ……。
「俺も……」
「え?」
「俺のウサギも、『エル』ってお前の愛称を考えてた時に……」
視線を逸らしたまま、ボソボソとそう語る彼の目元がほんのりと染まる。
そんな恥ずかしげな様子を見ていたら、なんだか私も物凄く照れ臭くなってきた。
ほっぺが熱く感じるから、きっと私の頬も赤くなってるのに違いない。
「そう、ですか……。」
「うん……。」
「お揃いですねぇ。」
「お揃いだな。」
そう口にして、彼の方を窺うとバッチリ目が合ってしまい、2~3秒の間視線を交わしあう。
笑いだしたのはほぼ同時だ。
「それじゃ、他のを考えるか。」
「そうですねぇ……。アスラーダさんの場合、弟妹と被らないの考えないといけないというのがちょっと難しいんですよねぇ。」
「ああ……。『アス』の部分が被るからな……。」
あーでもない、こーでもないと言いながら2人で候補を上げていくうちにどんどんと夜は更けていく。
いつもの就寝時間を大幅に過ぎてしまっているのに気が付いたのは、互いの愛称がようやく決まった後の事だった。
「それじゃ、この呼び方は2人きりの時だけで。」
「はい。2人きりのヒミツですね。……ラディ。」
「おやすみ、……リル。」
なんだか照れるねと2人で笑いあって、額をそぉっとコツンと合わせて布団の中で抱きしめあう。
なんか、今日はひどくやらかしちゃったけど、それでもやっぱり今日も幸せ。
明日もいい日になりますように。