第一話
「どうしてこんな事に……」
一人の青年がその場で膝をついていた。
その顔は悲しみに濡れていた。
目の前には、すっかり燃えてしまった一軒の小屋があった。
ここで何があったのか。
それは数時間前に遡る。
青年こと、エレンには幼馴染がいた。
彼女の名前はセリーヌ。
髪は秋に実る小麦より艶やかな金色で、いわゆる美女だった。
生まれたときから家が近くにあり、両親がそれぞれ農家と商人という間柄で元から知り合いだったのも大きかった。
物心ついた時から、二人は大体一緒だった。
近所の森へ遊びに行くときも。
お使いを頼まれた時も。
学校へ通う時も。
二人は常に二人だった。
そんな二人が12歳となってから同居するのも、自然な流れだった。
この世界において、成年は12歳。
互いに意識してはいなかったけど、他に一緒にいるような人もいなかった。
だから、二人は共に暮らそうと決めた。
二人にとって、互いが互いに必要だったからだ。
エレンにとって、セリーヌは親友だった。
セリーヌにとって、エレンは親友だった。
少なくとも、エレンはそう思っていた。
同居を始めてから一年。平和で単調な、素晴らしい日常が終わりを告げる。
それはエレンがいつものように仕事に出かけたいつもの朝だった。
○●○●○
「行ってきます、セリーヌ」
「行ってらっしゃい、エレン」
こうして挨拶するのは何回目だろう。
僕はいつものように木刀をもって出かけた。
僕の仕事は、はっきり言って仕事とは言えないと思う。僕は10歳の頃に親から紹介してもらった師匠の元で働く代わりに、剣を教えてもらって給料をもらっているのだけれど、どう考えても師匠が教えるだけで僕が働いた分の見返りは充分だ。
師匠にそのことを問いただしたら、
「なに水臭いこと言ってんだ。お前には剣の道が一番似合ってるんだよ」
そう言いながら笑っていた。
働く先がないのに、それを作ってくれた師匠には心から感謝している。
「エレン、早くいかないと師匠さんに怒られるよ」
「ああ、うん。行ってくる」
「……それ、さっき言ったでしょ」
少し怒ったような顔で、肩を叩いてきた。
「痛い痛い」
「いい?ちゃんと働いてこないと師匠さんに申し訳ないでしょ?そんなにボンヤリしてたら皆にボコボコにされるよ。ほら、昨日作ったアップルパイも忘れていきそうだし」
差し出されたバスケットを受け取る。
「分かってるって」
玄関の戸を開けてから、振り返る。
「そうそう、今日はどこか出かけたりする予定は?」
「ないわよ。一日家事でもしてるわ」
「了解」
今日も一日を繰り返して、一日を終えるだけだな。
この時はそう思いながら家を出た。
僕とセリーヌの家から出てしばらく歩くと、そこに大きな木造の建物がある。
壁も屋根も元の素材の色合いを生かしていて、森に溶け込んでいるような錯覚を抱いてしまう。
始めて僕がこの道場に行こうとした時も、見つけられなくて散々道に迷ってしまった。
正面の門を軽く三回叩いてから、叫ぶ。
「バラン・セガールが弟子、エレン・サードソード!道なき道を進むものに栄光あれ!」
前半は自分が何者であるか。後半は、まあ、師匠につけてもらった座右の銘でもあり一種の暗号だ。これを言い間違えると門は絶対に開かない。一度舌を噛んだときは大変だった。
すると、門がゆっくりと開いて稽古用の丸太が立ち並んだ庭が姿を現す。
それと同時に、僕は腰に差した稽古用の木刀を右手で引き抜いた。
黒い道着に身を包んだ同じ門下生たちが、次々に木刀を振ってくる。
「シュッ!」
鋭い息を吐きながら、一人目が斜め左下から切り上げてくる。
少し身を引いてそれを躱し、同時に右足で相手の足を引っかける。
同時に左から迫ってきた突きを木刀で逸らして、そのまま腰を捻りつつ横なぎに二人目の腰に木刀を叩き込む。
うずくまった相手の背中を踏み台にして、背後から迫っていた三人目の一閃を避けて、着地してから回し蹴りを入れる。
頭突きで四人目。突きで五人目。六人目と七人目を相打ちにして、八人目の頭に木刀で一撃。
住んでのところで八人全員倒すと、玄関から師匠が出てきた。
「相変わらず上手いな、エレン。今日は出てこないと思っていたのではないか?」
「師匠がおっしゃったでしょう?『油断という言葉は剣士にいらぬ』と」
「そうだな。よく騙されなかったなあ」
倒した八人は全員、同じ三段を取っている僕の兄弟弟子だ。
ここでは階級が四級から始まって、一級になれば次は一段から始まり、三段で終わる。
三段ともなれば稽古内容が互いに互いを倒し合うような感じになり、あとは師匠を超えれば免許皆伝。自分の道場をもつ事が出来る。
「エレン、ところで左手のそれは何だ?」
「これは、ウチのセリーヌからの差し入れですよ」
「おお!ではアップルパイか」
喜びながらひったくって中を覗く師匠。
しかし、その顔はすぐに失望の色に染まる。
「エレンや、これ、ぐしゃぐしゃじゃないか」
「あ」
戦っているとき、アップルパイを庇っていなかったのを後悔した。
~・~・~
師匠はあの後、怒って僕に夕食の用意の手伝いもするように言いつけられてしまった。
セリーヌも多分怒るだろうなあと考えながら、道場で雑巾を絞っていると後ろから声をかけられた。
「よお、エレン。調子はどうだい?」
振り返ると、そこにはニコニコ顔のコリンがいた。
「やあコリン。こんなところでどうしたの?」
この時間は、まだ丸太に打ち込む稽古をしている筈だ。
「いや~、こっそり抜けてきちゃってね~」
「……師匠に怒られるぞ」
「いいんだよ別に~。お前と話せればさ~」
ふと見れば、右手に見覚えのあるバスケットを抱えている。
さては、台所から盗んできたな。
そう思いはしたけど、友人のよしみで黙っておくことにした。
「そういえばさ~、お前って同居してる相手いるだろ~?」
「ああ、セリーヌの事か?」
「おう。お前ってセリーヌさんとさ、その、夫婦なんだよな?」
「いや、夫婦じゃないな」
「え~」
大げさにコリンがのけぞった。
「何で同居してんのに夫婦じゃないの?普通はもう夫婦でしょ~」
「いやね。あいつは幼馴染だしな」
同居してから一年。あいつに異性として好きだと思った事はない。
そのことを話すと、コリンがさらにのけぞった。
「え?エレンってひょっとして~、え、女性に興味ないとか?」
「い、いや違うよ!」
慌てて否定しておく。
「セリーヌはさ、僕にとってはその、生まれた時から幼馴染なんだしさ……。え~っと、親友とか?兄妹とか?」
「そうなのか~。え、じゃあ浮気する気とかあるの?」
「な、なんで結婚してないのに浮気なんだよ!別に、好きな人はいないしな」
そういえば、僕はセリーヌと一緒に日々を過ごしている中で、何を得ているのだろう。
セリーヌといるだけじゃ、進歩は無いのかも知れない……。
不意に僕が黙り込んでしまった直後、コリンが急に飛び跳ねた。
「やべえ、ばれた!」
慌てて立ち上がり、逃げていった。
天井裏から聞こえる微かな音が、コリンの後を追っていった。
「せいぜい頑張って逃げろよ、コリン」
僕はそう独り言をつぶやいて、絞り終わった雑巾を軽く振り余分な水分を飛ばしてから床板に押し付けた。
師匠はアップルパイが大好物なのである。
~・~・~
夜。
すっかり暗くなった午後七時。
夕飯を作って別のお手伝いさんに仕事を引き継いで今日の仕事兼修行を終えた。
「エレン三段、お疲れ様です」
「お疲れさま、ウォルト一段」
ここでは、名前に敬称の代わりとして相手の階級を付ける習わしになっている。
「エレン三段。今日も素晴らしい剣捌きでした」
「いえ、それほどでもありませんよ。師匠には遠く及びません」
「私の見たところ、師匠には申し訳ありませんがエレン三段のほうが速いと思いますが」
「強さが全て速さではないさ。もっと考えすに行動しないと、いざという時に速さなんて役に立たないのだから」
ちょっと笑ってから、今朝の事を思い出す。
「それに、アップルパイがちゃんと守れなかったからね。師匠に怒られちゃあ、世話ないさ」
そういってから師匠にも会って、しばらく雑談した後にようやく家へ帰れることになった。
森の小道を歩きながら、僕は考え事をしていた。
自分は、果たしてセリーヌの事をどう思っているのだろう。
セリーヌは幼馴染だ。生まれた時から一緒で、喧嘩もしたことがない。
兄弟姉妹のような感じか?でも、それは違う気がする。
幼馴染が一番しっくりくる気がするのに、何か……それを否定したくなる気持ちがある。
何だろう、これは。
恋心、なのだろうか。
でも、何かそこまでの感情を抱けていないような……。
もやもやしながら歩いていると、いつの間にか日がすっかり落ちて、あたりは真っ暗になっていた。
早く帰らないと、さすがにセリーヌに怒られてしまう。
僕は少し早足になった。
嘘だ。
気づいたとき、愕然となった。
何かが焼ける匂いがして、始めはまた親父が藁でも焼いているのかと思った。
でも、違う。
匂いが違うし、今は藁を焼く時期には早すぎる。
そして、日はもう落ちているのに松明には明るすぎる光が、僕の、家から。
「セリーーーヌ!」
セリーヌは無事なのか。
叫びながら家へ走る。
周囲にはすでに親父と母がいて、必死に近くの川から汲んだ水をかけていた。
親父が僕に気づき、振り返る。
「おお、エレンか!セリーヌは、どうした!」
「それはこっちが聞きたいよ!セリーヌは、セリーヌは!」
「俺は知らん……少なくとも今日は見ていない」
そういって、手近なバケツを渡して
「お前も協力してくれ、セリーヌは恐らく逃げているんだろう。今は火消しが先決だ」
そういって黙々と火消しの作業を再開した。
僕も黙ってその作業に付き合いながら、セリーヌが生きていますようにと祈っていた。
一時間もしただろうか。
ようやく火の勢いが弱まった。
僕は親父に止められるのも振り切って、必死になって家の残骸を探した。
セリーヌは出かける前、確か「今日は一日家にいる」と言っていた。
もしかしたら……でも、そんなのは嫌だ!
残骸を掘り返していたら、僕は、見つけてしまった。
彼女の、遺体を
「あああああああああっ!」
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
違う。
これはセリーヌじゃないんだ。
セリーヌは違う。あいつは、きっとどこかに逃げている筈なんだ。
こんな……こんな……こんなことはあり得ない…………。
「あああああああああっ!」
でも、
それから一週間たってもセリーヌは帰らず、
家にあった遺体は状況からみてセリーヌのもので間違いが無かった。
~・~・~
夜。
家に近くにある丘。
その頂上には十字架が立ってる。
「ごめん、セリーヌ」
僕はその前で膝をついていた。
「僕は、実は君の事が好きだったんだ。情けないよな。君が死んだ後で自覚するなんて」
誰よりも失いたくない、大切な人。
いつも隣にいてほしい人。
君だけがいるだけで、それだけで生きていけるような人。
「僕らの家が燃えた後で、残った手紙を見たよ……。君は、初めからそうだったんだね」
その手紙は木製の、綺麗な細工が施してある箱に納められていた。
何通もの、未来の僕にあてられた手紙。
その全てが、初めから僕がセリーヌに愛されていたことを物語っていた。
「僕は、君に何もすることが出来なかった……。何もしてあげられなかった……」
涙が頬を伝い、地面に滴り落ちる。
あの家が燃えてから、既に一ヶ月が過ぎていた。
僕は周囲の人間に気づかれないように、普段通り過ごすように努めた。
そして、セリーヌがいない事への喪失感を紛らわせるため、剣の腕をひたすら磨いた。
朝に出てくる同門の八人を出来うる限り速く倒すことを心掛け、毎日師匠に相手を務めてもらった。
そして、一日の終わりには師匠と勝負していた。
木刀を用いて、相手を「参った」と言わせた方が勝ち。
毎回に渡り師匠にはせこい手を使われたが、僕はその全てを体で覚え、段々事前に察知できるようになっていった。
師匠は僕が何か目的をもって地獄のような修行をしていると分かっていたようで、勝負は場所を変えて何度も行われた。
ある時は歩いて往復二時間かかるような、遠くの険しい岩山で。
またある時は歩いて渡れるような、底の浅い湖の中で。
いつ、いかなる時にどのような手段を使われてもそこから抜け出し、有利に立てるような訓練と言えた。
「なあ、セリーヌ」
僕は十字架に話しかける。
「僕はつい昨日、やっと師匠に『参った』と言わせることが出来たんだ……。凄いだろう?お陰で師匠に道場を立てるように勧められたし、そのための資金も準備してくれたんだけどさ」
ちょっと間をおいて、白状する。
「僕は、少し旅に出ようと思うんだよ」
昔、ある旅人に聞いた話だ。
この世とあの世には境目が存在して、そこには川が流れている。
その川は本来、死者しか立ち入ることが出来ないが、王都には生者が入ることのできる、あの世への入り口があるのだという。
「僕は勿論、死ぬ気はない。でも僕は君にどうしても伝えたいことが出来てしまった……。だから、僕は直接君に会いに行くよ」
そのために道場へ通う反面、必死に働いて旅の資金を稼いだんだ。
色々な人に話を聞いて、どうやら《あの世への入り口》の話も本当らしいと確認できた。
師匠はそのことを知っていて、道場の設立を拒否した僕に「王都へ行く前に剣がいるだろう」と言って、師匠の持つ三本の名剣の内、一本を授けてくれた。
~・~・~
「いいか、この剣の名は『音無』。まあ、名前の方はセンス悪いと思うんだが」
苦笑しながら、剣の性能を話してくれた。
「いいか、この近所にはいなかったが、稀に《魔法》の力を持つものがいるのは知っているな?恐らく、その力を持つ者は王都へ近づくほど増えるだろう。中には悪人もいるだろうしな。その魔法の力に抵抗するため作られた、退魔の力を持つ剣のうちの一本がこの『音無』だ」
剣の腹をコツコツと叩いた。
「この剣は南の方で採れる希少な金属で出来ている。故に魔法を防ぎ、切り、慣れればそっくり相手に力を返すことが出来る。まあ実際にやってみれば分かるだろう。その力を身に着けるためにも、まず王都への道すがらに魔法師レインへ会いに行け」
「え、魔法師レインとは、あの?」
「そうだ。あのレインだ」
昔からこのラジアン王国一の魔法師と呼び声高い人物だ。
「あいつとは昔からの知り合いでな。バランの弟子と言えば色々教えてくれるはずだ」
「はあ」
何だかんだ、師匠は凄い人なんだなと感心した。
~・~・~
僕はセリーヌに言いたい事がたくさんあるけど、まず伝えなければならないのは、この事だろう。
「セリーヌ、僕は君の事が好きだった。今までは分からなかったけど、今なら分かる」
ずっとずっと好きだったんだ。
「だから君に会いに行く。待っていてくれ」
やっぱりこの言葉を伝えるには、目の前に本人がいないと駄目だ。
僕は『音無』を腰に差して、旅の荷物を背負って、ぺこりと十字架にお辞儀した。
そして、丘の小道を駆け下りる。
後ろはもう、振り返らなかった。