声-こえ-
ひどい声を持った少女がいた。
村人だった少女は不気味な声だと人々から虐げられながらも、懸命に暮らしていた。
少女は自分の声を嫌い、そのまま自分自身すらも嫌って、フードをかぶり姿を隠しながら生活していた。
そんなある日。
冬の村では春に向けて、雪まつりを行うことになる。
毎年恒例のイベントだが、少女はいつも自身の家にこもっていた。
家族はすでに亡くなり、少女には誰も傍にいなかった。
そんな雪まつりの一ヶ月前、初雪が降ってきた日。
少女はいつもと同じようにフードをかぶり、働きに出かけた。
自給自足の生活は少女の新しい出会いを与えた。
「……?」
森の湖の近くに何かがあった。
何か、というより____誰か、だ。
誰か、倒れている。
「っ!」
少女は慌ててその人に駆け寄った。
~~~~~
とても綺麗な顔の青年はぐったりと意識を失っていた。
少女は迷ったものの、青年を支えながら家に帰り、青年を介抱した。
幸い、青年に大きな怪我や病気はなさそうで、少女はパンと温かいスープを用意をした。
「……ん…」
わずかなうめき声を漏らしながら青年は目を覚ました。
ゆっくりと身を起こすと、少女の存在に気づいたようで目を瞠った。
「ここは…あなたの家ですか?」
こくり。
青年の問いに少女は小さく頷いた。
「あなたの名前は?」
手に持ったパンとスープをサイドテーブルに置き、彼の手を取り、指で文字を書く。
「……ミィア?」
こくり。
また一つ頷いた。
そしてサイドテーブルのパンとスープを手で促す。
『食べて』とわかるように。
「……いいんですか?」
惚れ惚れするような低い声だ。
少女は思う。
自分のひどい声とは大違いだ、と。
けれどおくびにも出さずまた頷く。
青年は少し躊躇った後、スープから手をつけ始めた。
会話はなかったがそこには確かに穏やかな空気が流れていた。
~~~~~
「ミィア、何か手伝いましょうか?」
「……(いいです)」
「でも大変ですよね?」
「……(いいです)」
「……そうですか…」
「……(……じゃあ、お願いします)」
蔵から持ち出した野菜の入ったカゴを青年に持ってもらい、ミィアはこっそりため息をついた。
青年と出会ってもうすぐ一ヶ月、雪まつりまであと三日だ。
ミィアは今、青年と暮らしていた。
なぜだかはわからないが青年が押し切ったのだ。
「泊めてくれませんか?」と。
初雪の中、放り出すのも悪いかとミィアは了承したが、一ヶ月近くも滞在するとは思わなかった。
そうしている間に家の近くに着いた。
「おい!おいいるのはわかってるんだっ!!出てこい!」
そう叫びながらミィアの家の玄関を叩くのは村長の男だ。
ミィアは青年にその場で待つように示し、家に急ぐ。
「…出かけていたのか。それならそうとわかるようにしろ」
「………」
「最近、この辺りに若い顔の良い男がうろついているようだ。おまえのところに来ていないのか」
「………」
ミィアは少しあって首を横に振った。
以前、青年から「俺のことは秘密にしてくれませんか?」と言われていたのだ。
村長はフン、と鼻を鳴らす。
「元から期待などしておらんわ。おまえなんぞのところに来る奴の気がしれん。娘が言うから来たが、とんだ無駄足だった」
「………」
「おまえみたいなのに誰が近寄るか。考えるのもおぞましい」
ぐっと唇を噛んだ。
何度言われても悲しいし、苦しい。
けれど言い返すには大嫌いな声を出さなければいけない。
「____謝ってください」
「なんだと?誰に向かってその口を………なっ!!」
村に戻ろうと背を向けた村長が青年の姿を見た途端、驚愕する。
今まで見たことがないほど整った顔の男性が目の前にいるのだから。
「彼女に謝ってください。自分がどれだけひどいことを言ったかわかっているのですか?彼女が一体何をしたんです」
「な、な……」
「ミィア、早く帰りますよ。あなたのところに来る人の気はしれないようですから、もういいでしょう?」
青年に手を引かれ、ミィアは村長を残し家に入った。
青年は窓も扉も鍵をかけ、ミィアをぎゅっと抱きしめた。
「!?」
「……あなたは優しいひとです。普通の、思いやりを持ったひとです。少なくとも俺は、あなたが好きです」
「………」
ミィアは青年の鼓動を聞きながらひそかに涙をこぼした。
優しいのは彼の方だ。
一言も喋らない人間に対して詮索せず一緒にいてくれるひとはごくわずかなはずだ。
だから、ミィアも誠意を示さなければならない。
「…あなたの名前を教えてください」
「え…?」
青年を見上げ、声を出した。
彼の目が大きく見開かれる。
それがこの声を聞いたからか、初めてミィアが声を出したからかはわからない。
「ミィア…ですか?」
「はい。………あなたの名前はなんですか?」
フードを取り、顔も見せる。
その瞬間、青年の目元に朱が走った。
「………綺麗です…」
見惚れるように、青年が呟いた。
柔らかく波打つ髪と、ぱっちりとした大きな目。内側から光るような白い肌にぷっくりと奪われるのを待つような唇。
天使のような美貌を持った美少女だ。
「キレイ…さん?」
「違います!!あなたが綺麗だって言ったんです!それに……すごく綺麗な声ですね」
「………え?」
青年の言う通り、ミィアはよく通った美声の持ち主だ。
甲高くもなく、耳に心地いい音と柔らかい雰囲気が彼女に合っていた。
けれどミィア自身、今まで自分の声がひどい声だと思っていたので、ひどく慌てる。
「え、あ、あの……っ」
「俺はシャーロック。あなたが声と姿を隠していた理由を教えてくれませんか?……ミィア」
青年____シャーロックはミィアの手を取り、真摯に訊ねた。
~~~~~
ミィアはもともと、この村の人間ではない。
家族で旅をして暮らしていた時、両親が流行り病に冒され、この村に住み着いた。
そして村長に挨拶に行った次の日から、ひそひそと話す村人たちの声を聞いた。
「気持ち悪い声」
「人間じゃないみたい」
「関わりたくない」
「耳を塞ぎたくなる」
今までそんなことを言われたことがなかったミィアは三日間寝込み、その間に両親は亡くなっていた。
それからミィアはフードをかぶり、喋らず、独りで生きてきた。
ひっそりと村のはずれで暮らしていくにつれ、村人たちはミィアの姿は忘れたが、悪意だけは消えなかった。
「あんたなんて消えちゃえばいいのに」
そう言ったのは村長の娘だった。
両親から溺愛され、わがまま放題。村人にも無理難題を突きつけ、思い通りにならなければ暮らしていけないように動かす。
けれど村長の娘という立場が、彼女に刃向かう術を奪う。
「かわいいのはあたしだけでいいもの。外から来たあんたなんかいらないわ」
こっそりとミィアの家に来て、娘はぞんざいに言う。
そこには愛らしさや可愛らしさなど微塵もなかった。
~~~~~
「…それは、すべて村長の娘のせいではないのですか。あなたが独りになったのも、姿を隠すようになったのも、村長の娘のせいですよ。れっきとした罪です!あなたは」
「シャーロックさん。いいんですよ?」
彼ほど綺麗な容姿を持っているなら村長の家も歓迎して婿入りを勧めるだろう。
誰も咎めたりしない。
ここを出て行くほうがいいのだ。
「私は気にしていません。それにこの村を出る選択肢だってあります。別にあなたが気にすることは」
「じゃあ、出ましょう」
「…え?」
あまりに真剣な声だったから、ミィアはシャーロックをまじまじと見つめた。
けれど彼は声と同じく真剣で、ミィアを引っ張って外に出ようとする。
「ま、まって!待って待って待って!待ってくださいっ!」
「どうしてです?村を出るって言ったじゃないですか」
「選択肢があるって言っただけです!村を出るにしても準備がいるでしょう!?」
「あぁ、なるほど」
パッと。
シャーロックは納得したようでミィアの手を離した。
とりあえずほっと一息つこうとした瞬間、次は中に引っ張られる。
「なら早く準備をしましょう。ここはあなたに良くない」
シャーロックは思った以上に憤っているようだ。
怒ってほしくないけれど、なぜか胸がキュンとして、ミィアは戸惑った。
~~~~~
どうにか三日間の猶予をもらい、ミィアは旅の支度をした。
村を出ることは決定らしく、シャーロックはそれだけは譲らなかった。
「シャーロックさん、準備ができました」
「わかりました。ではすぐに出ましょう」
三日目の夜、覚悟を決めたミィアにシャーロックは答える。
そしてぎゅっとミィアの手を握った。
決して離さないとでも言うような力加減にミィアは嬉しくなる。
「…?広場が明るいですね」
「あ、今日、雪まつりだから……」
村を出るには広場を通っていかなければならない。
または、シャーロックの時のように森の中を彷徨うか。
「すっかり忘れてました……」
「大丈夫です。人々が騒いでいますから、その隙に出ましょう」
シャーロックの大きな手が握るだけでなく、指と指を絡めてくる。
ミィアは念のためフードをかぶった後、手に力を入れ、大きな手を握り返した。
「……あら、あんたが出てくるなんて珍しいわね」
突然後ろから聞こえた声に体温が一気に下がった。
後ろを見なくてもわかる。
彼女はあの、村長の娘だ。
「………」
「相変わらず辛気臭いフード。自分が醜いからってそんなもので隠すしかできないなんてかわいそうに」
「………」
「あんたなんて出てこないでよ。せっかくの雪まつりなんだから」
「………」
彼女にあったのは数年ぶりのはずだが、言っていることは何も変わらない。
けれどミィアは変わった。
シャーロックがミィアのことを、ミィアの声を綺麗だと言ってくれた。
それだけで、少しは力が出る。
「残念ですが、私はもうこの村を出ますので。もう二度とあなたに会いません」
「っ!?なによ!?そんなひどい声のくせに!!」
「ひどくなんかないです!綺麗って言ってくれるひとがいます!!」
フードを取り、ぐっと彼女を睨む。
もう自分の声や姿に卑屈にならない。
この三日間で心の準備もつけた。
「私は、ただの人間です!普通に生きて、普通の生活をしている普通の人間です!鏡を見て、自分の醜さに絶句すればいい!あなたは傲慢なだけです!自分の手に入らないものを妬んでいるだけです!私はそんな人間にはならない!!」
何年振りだろう、こんなに声を張り上げたのは。
冬の冷えた空気が喉に通って身体が冷える。
そして気づいた。
ミィアを見つめるたくさんの目に。
「そこまでだ」
雪の中、響いたのは___威圧的な声。
けれど聞き覚えのある声にミィアは驚く。
ミィアを背に庇い、前に出たのは_____シャーロックだった。
「この村の全員が彼女に暴言を吐いていたことは聞いている。しかもそそのかしたのが村長の娘とは……哀しいな」
「しゃ、シャーロックさん…?」
「村長、おまえはその地位を降りるのは決定だ。覚悟しておけ」
「そんなことは知りません!それに娘がそそのかすなど…。そこの売女に騙されているだけです!」
「……自分で自分の首を締めるのか。愚かだな」
シャーロックの呟きに村長がハッと息を呑む。
じろりと周りを見回してから、シャーロックは村長の娘に視線を定めた。
「なにか、言いたいことは?」
「………ぁ」
「なにもないようで良かった。時間は無駄にしたくない」
シャーロックはそう言い捨て、ミィアを連れて広場を抜け、村を出た。
村の入り口には馬車があり、シャーロックは当然のようにミィアと一緒に馬車に乗り込む。
「シャーロック、さん…?」
「……ん?どうかしましたか?ミィア」
「…あなたは誰なんですか?」
ミィアは俯いたまま、震える声で訊ねる。
あんな声、聞いたことがなかった。柔らかかったいつもの低い声が豹変していた。
「…怯えさせてすみません。俺はシャーロック・アンバー。この地域の領主です」
「り、領主様……?」
「はい。あとから追い追い俺のことは教えていきます。でも、その前にミィアにお願いがあります」
シャーロックがミィアに向き合う。
その姿勢が村での時と同じで、ミィアは自然と肩の力を抜いた。
「ミィア、俺の花嫁になってくれませんか?」
~~~~~
シャーロックには放浪癖があったらしい。
とてもそうは思えなかったが執着するものがなくなるとふらふらと屋敷を出てしまうそうだ。
そして今回その放浪癖が発揮したのか、シャーロックが執着したのが___ミィア。
姿と声を隠していた頃から好意を持っていたらしいが、フードを取った後の姿と、村長の娘に対して叫んだ強い声にさらに惹かれたと彼は言っていた。
「ねぇミィア。あなた似の女の子がいいですね?」
「私はシャーロックさん似の子がいいです。きっと綺麗な顔の子ですよ」
「あなた似の方が可愛いです」
シャーロックがミィアの腹部に耳をすませ、柔らかく笑う。
ミィアはこの冬、シャーロックとの子どもを授かった。
あの雪まつりの冬から二年が経っている。
あの頃は独りで卑屈だったが、今は新しい家族が増えようとしている。
こんなに幸せなことはない。
「シャーロックさん、愛してます」
「俺も、あなたを愛してます。ミィア」
声は気持ちを伝える。
言葉を紡いでいく。
決して隠してはいけないものだ。
ミィアはお腹の子どもに向かって願う。
「……優しい声の子になりますように」
fin.