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「遅いですわね……」


 腰のベルトに挿していた鞭――風を操る魔物の中でも最強と目される暴風翼竜(タイフーンドラゴン)の髭で造られたそれを右手に握り、先端で左手をペシペシと叩きながら、シャルロットがぼやいた。

 ぼやきの回数が十回を超えたあたりから、アムドラは数えるのも反応するのもやめていたが、アムドラ自身も少々焦れてきていた。人間の様子を見てくると言ったきり、一時間ほど経ってもバンが戻って来ないのだ。

 まさか、自分を見限って逃げてしまったのか。

 それが一番辛いが、アムドラはできるだけそういう方向には考えないようにしていた。

 襲われて戦いになったのなら、それがわからないほど離れた距離ではない。なす術もなく捕らえられ、連れ去られてしまったのなら話は別だが、バン程の使い手を相手にそこまでできる人間などそうはいまい。だがもちろん、いないとも言い切れない。中央の戦火を逃れて疎開する人間の王族たちが大勢いて、それを護衛する強者と共に各地に潜伏していると聞いたことがある。そのような手練れに偶然出会ってしまうこともあるだろう。いや、しかし――

 アムドラはネガティブな思考を追い出すかのように、激しく頭を左右に振った。拳を握りしめ、追放の憂き目に遭っても黙ってついて来てくれたバンを信じようと思った。







 アムドラ様の様子がおかしい。

 シャルロットは鞭を弄ぶ手を止め、魔王子の挙動を観察した。

 木の幹にもたれかかっていたかと思えば、背中を離して歩き回ったり、突然ハッとした表情になったと思ったら、今度は悲壮感を漂わせて項垂れる。それで終わるかと思いきや、イヤイヤをするように激しく頭を左右に振り、ぐっと拳を握りしめて涙ぐむ。そして、またもや頭をブンブンと振り、また腕を組んで歩き回る――

 幼い頃からアムドラを知り、狡猾な魔貴族たちの中を生き抜いてきたシャルロットは、アムドラの心が手に取るようにわかる――少なくともそう自負はしていた。しかし今、眼前でオロオロと歩き回っている魔王子の感情を読むことができず、彼女は困惑していた。

 アムドラは、生来争いを好まない子であった。それで力がないというなら城で守られていればよかったのだが、魔王の血はアムドラに絶大な魔力をもたらしていた。それは、王位継承権第一位の兄を遥かに凌ぐほどのものだった。

 ほぼ無尽蔵の魔力をもって戦う。

 これは魔物であれば誰もが夢見る話だ。魔力は魔物の体内を流れる生体電気のようなもので様々に利用できるが、多くの兵はそれを肉体の強化にしか使えない。体外に放出して使うには量が少なすぎるのだ。それでも人間の雑兵とは比較にならない膂力を発揮し、ただの鉄を鍛えて造った刃を通さないだけの硬い外殻を得ることができる。体内に溢れる魔力をもつものは、肉体の強化は言うに及ばず。風を呼び、炎を吐き――別に吐かなくてもよいのだが――氷の刃を降らせることも大地を揺らして割り砕くことも可能だ。アムドラに教養を教えていたシャルロットは、幼い魔王の子が持つ力の強大さと気性の釣り合わなさに気づいていた。

 アムドラは、魔力を操る才能がなかったわけではない。むしろ優れていたのだ。幼い頃は花火の様に魔力を散らして、魔王を始め宮中のものを楽しませていたものだ。しかし、敵対する神々の加護をもって戦う勇者たちにアムドラの兄が討たれてから状況は一変した。魔王はアムドラを王位継承者と定め、度々戦場へ伴うようになったのだ。

 第一王子を失った魔王の怒りは激しく、その戦いぶりは苛烈を極めた。徹底的に、一片の慈悲もなく、人の目には神々しく、魔物の目には禍々しく妖しい光を纏う戦士達を殲滅する魔王の姿にアムドラは恐怖していたのだが、父は子にも同じ怒りが宿っているものと信じて疑わなかった。

 世話係として共に戦場へと赴いたシャルロットは、アムドラに戦いを促した。

 簡単なことですわ、アム様。少し力を込めて、雑兵を薙ぎ払えばよろしいのです。

 魔力を破壊に用いるのにもっとも簡易なやり方は力の放出だ。刃のように鋭く生成する必要も、火や風に変換することもない。どれほど鎧っていても、濃密な魔力の塊の前では、人間の体など紙人形のようなものだ。

 しかしアムドラは首を横に振った。父王のように恐ろしい魔物にはなりたくないと。シャルロットが、当時まだ自分の臍のあたりの背丈だったアムドラを説得しようと屈み込んだときにはもう遅かった。


「魔王の子がなんたる様か」


 押し殺した怒号の主は、光の戦士達の返り血を浴びてどす黒く染まった外套に身を包んだ魔王だった。その背後に迫る人間の雑兵たちが地面を踏み鳴らす轟音よりも、魔王の低い声は二体を震え上がらせた。肉を切り裂いた手の残滓を拭うこともせず、魔王の腕がアムドラに伸びた。恐怖に震えるアムドラの目が助けを求めてシャルロットを見たが、彼女は頭を垂れたまま地面を見つめていた。

 魔王はアムドラの頭を鷲掴みにすると、光の戦士を失って尚立ち向かう人間の兵たちの群れに向き直った。

 シャルロットは止めに入ろうと思った。だが足がすくんで動けなかった。それほどに、魔王の放つ怒気は凄まじいものであった。彼女が心の中でアムドラに詫びた直後、魔王子の悲鳴が戦場にこだました。

 その日、人間の群れの只中に叩きこまれて狂乱状態になったアムドラは、一万を超える兵士を半日で惨殺した。

 アムドラはそれほどに恐ろしい力を秘めている。

 シャルロットはさらに、何故自分がアムドラの従者として選ばれたのかを考えた。魔王子がどこに追放されようと、勇者を失った人間などいくら湧いて出たところで敵ではない。魔王子と共謀した咎もあり、共に追放されることが決まったバンとイコはともかく、自分には何の落ち度もない。魔王が突然、供回りに自分を指定してきただけのことだった。

 親人間派どころか婚約者一族を勇者に殺されたシャルロットは、将来夫となるはずだった竜の髭で造られた鞭を撫でてため息をついた。

 どのような過去があろうと、魔王城において魔王に逆らう魔物はいない。泣く泣くついて来てみれば、アムドラとバンは魔王の目がないのをいいことに、人間と縁を結ぶなどとほざき出す始末。シャルロットは大いに憤慨していた。

 魔王様はなぜ、わたくしを……

 憤慨したのち、彼女の心に去来したのは大きな無力感だった。

 アムドラはもとよりバンにしても、理性的な性格で力も強く、護衛として充分な戦力をもつ。イコと同様に人に近い見た目をしている。人間と縁を結ぶどうこうは別にしても、様々な場面で活躍できるだろう。

 それに比べて自分はどうだ。

 シャルロットは無意識のうちにピンと張りつめていた尻尾を振り返った。

 明らかに魔物の姿をしている上に、アムドラは成長し、世話係などが必要な年齢ではなくなっている。さらにシャルロットの家は代々暗殺稼業で名を馳せた名家だった。アムドラの世話係となったのも、戦争の最中にあってよからぬ計画を立てる輩を排斥するためだった。しかし魔王城を追放された今となっては、魔王子を暗殺しようと目論むものもいない。

 自分はなんのためにここにいるのか。

 今のシャルロットにできることと言えば、イコの躾くらいのものだ。魔王子が人間との融和を進めると宣言した以上、その方針には従わざるを得ない。

 あの牢屋番がいけないのですわ。

 アムドラ様は、晩餐の席で融和政策を訴えたとき、決死の覚悟で臨まれたはず。少々おいたわしいとは思いますが、せっかく魔王様が心をポッキリとへし折ってくださったのに。あの牢屋番が余計なことを吹き込むから――よりにもよって勇者が好きなどと。よくもわたくしの前でそのような世迷言を――

 ギリギリと奥歯を噛みしめ、シャルロットは鞭の柄を握る手に力を込めた。そして、接近してくる何かに気がつき、その姿を認めてはたと気がついた。


 そうですわ。

 雑草をかき分けて現れたのは、長大な槍を抱えたイコだった。


「アムドラとシャルロット! バンが呼んでる!」

「おお、イコ! バンは無事か!?」


 アムドラが右往左往する足を止めて振り返った。その直前、パッと顔が華やいだのをシャルロットの視覚ははっきりと捉えていた。


「? アムドラは馬鹿だなー。バンがけがするわけないだろ?」

「うむ、そうだったな。で、どこに行けばよいのだ? おいシャルロット、参るぞ」


 バン――あの魔物が邪魔なのですわ。

 踵を返して森へ駆けて行くイコを追うアムドラの背に、シャルロットは黙って従った。彼女は、魔王が自分を遣わした理由を見出した気がしていた。




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