学校に行くのじゃ!
「主よ、儂は学校という所に行ってみたいのじゃ! 」
居間で宿題をしている僕の後ろで、妹のパジャマを着たサヤ姫ちゃんはとんでもないことをほざく。戦国時代に生まれたサヤ姫ちゃんが学校に行く? 僕はそれを聞いただけで白眼を剥いてあやうく失神する所でした。
「儂は学校という所の主となり、そこから天下に武を示すのじゃ! 」
「サヤ姫ちゃん! 学校はお城じゃないよ! 」
「では主はなんのために学校へ行くのじゃ? 教えよ! 」
「勉強だよ。ほら、さっきからずっと宿題やってるでしょ」
僕は机の上の宿題を指差すと、サヤ姫ちゃんは僕の真横に座り宿題を覗き込むようにして見る。さっきお風呂から上がったサヤ姫ちゃんの髪は、とてもいい匂いで、僕は興奮する五秒前です。
僕だって男です。思春期真っ只中の男がかわいい女の子と同じ屋根の下で暮らすと、あんなことやこんなことをしたいと思います。僕は最近、その機会を密かに狙っていました。
ちなみにさっきサヤ姫ちゃんの入浴シーンを覗きましたが、バレた僕は水攻めに合い浴槽で溺れ死ぬところでした。
「主は明日から学校か?」
「そうだよ。僕も一応、高校生だし」
「儂も学校へ行きたいのじゃ! 」
「ダメだよ! ってか無理だよ! 」
確かに、外見こそ僕らと同い年ぐらいに見えますが、そういう問題ではありません。サヤ姫ちゃんが学校へ行くとトンデモないことが起きるのにちがいありません。
僕のハプニングまみれの生活はもう懲り懲りです。せめて学校だけは平和に過ごしたいです。
「どーすれば学校へ行けるのじゃ! 」
サヤ姫ちゃんは諦めませんでした。僕に顔を近づけて必死で納得させようとします。
しかし僕は、そんなことよりサヤ姫ちゃんの顔が近すぎることが気になってしょうがありませんでした。今僕が口を尖らせるとサヤ姫ちゃんと接吻してしまうぐらい顔が近いのです。
(してはだめだ……。してはだめだ……。してはだめだ……)
好きでない人と接吻など!
「お主……。儂と接吻したいと思っておるな」
「え!? いきなりなに言うのさ!? あは、あははは……」
図星を付かれ、僕は動揺します。サヤ姫ちゃんは眉をひそめ『じゃあそれはなんだ?』と言った感じで僕の手元の宿題を指差し、僕は宿題に目をやる。
──接吻してはだめだ……。してはだめだ……。してはだめだ……。
「ギャー! 無意識で宿題に文字化して……ハッ! 」
気がつくと、サヤ姫ちゃんは僕から離れ、軽蔑するような目で僕の事を見ているではありませんか。
「ちょっ、誤解だよ! 僕はサヤ姫ちゃんと接吻したいなんて思ってないよ! 」
そんな僕の必死の訴えにもサヤ姫ちゃんはピクリとも動かず、気持ち悪いぐらい無言の彼女を見て、僕の額から滝水のような汗が流れます。
「ねぇ! 聞いてるのサヤ姫ちゃん!? 無言はやめてよ! 色々怖いよ! 」
僕はサヤ姫ちゃんの両肩を掴んでグラグラと体を揺らしながら言いました。しかし、サヤ姫ちゃんの体はまるで屍のようにピクリとも動きません。
「サヤ姫ちゃん! なんでも言うこと聞くから動いてよー!!」
「そうか。なら、明日から学校に儂を連れて行ってくれるんじゃな? 」
さっきの軽蔑するような目が嘘みたいに、サヤ姫ちゃんは晴れやかないつもの顔に戻り、僕はしまった! と気付く頃にはもう遅い。
「え……いや、それとこれとは別で……」
「そうか……。儂と接吻を……」
「あああー! わかったから! もうそれ言うのやめてー!!」
──次の日の朝、僕はコソコソと忍者のように学校に行く準備をしていました。サヤ姫ちゃんは妹の部屋でスヤスヤと寝息を立てています。
部屋から出た僕はシュッと、廊下を滑るように移動します。そして居間に入った僕は壁にかけてある時計を見ます。
七時とバカみたいに早い時間です。ですが、このまま普通にサヤ姫ちゃんと学校へ行くわけにはいきません。いつもなら優雅にコーヒーを飲みながらテレビを見ますが、今日は我慢です。
さて、そろそろ行くかー。僕が居間から出ようとした時、
「……主よ。今日は早起きじゃの……」
ぼんやりと呆けた顔のサヤ姫ちゃんが起きてきたではありませんか!
しかし、まだ完全に目が覚めたわけではないようなので、終わったわけではありません。
「サヤ姫ちゃん。まだ朝早いから寝てていいよ……」
サヤ姫ちゃんを刺激しないよう、小さな声で僕はいいました。
「うぬ……。もう一眠りするかの……」
よしっ! 僕は心の中でガッツポーズを決め、サヤ姫ちゃんがフラフラと妹の部屋に戻った所を見届けると、静かに家を出ました。
『サヤ姫ちゃんに気付かれる前に学校へ行こう! 』作戦は大成功です。僕は勝ち誇った顔で通学路を歩きました。
多分学校に行ってもまだ誰も来てないと思うけど、まあいいや。などと思いつつ歩いていると、校門が見えてきて、側に人影も見えました。
「あ、校長先生。おはようございます」
「おはようございます。早い登校ですね……」
校長先生は毎朝ここで生徒達にあいさつをしています。パッと見ると、背が曲がった普通のおじいさんに見えますが、立派な校長です。
「今日は君に話があるんです……」
「え? 僕に話が? 」
なんだろう? と、思いつつも僕はヨボヨボと歩く校長先生の後を付いて行きます。
「どうぞ。入って下さい」
着いた先は校長室で、僕は恐る恐る足を踏み入れ、キョロキョロと室内を見回します。壁には歴代の校長の写真がズラリと並んでおり、僕の知らない人達ばかりでした。
「ああ、どうぞ。楽にしてください」
僕はいかにも高そうな黒い革張りのソファに座り、校長先生は僕と向かい合いわせになるようにしてソファに身を沈めました。
「先日、君のおじいさまから転入届けが送られてきました」
そう言って校長先生は僕に1枚の封筒を見せてくれました。僕はテーブルに置かれた封筒を手に取り、中を見ると、目に入ってきたのはサヤ姫ちゃんの名前でした。
それを見た瞬間、僕は目を疑いました。なぜ、亡くなったおじいちゃんから転入届けが……、しかも転入するのはサヤ姫ちゃんです。衝撃的な展開に僕の頭は付いてこれません。
「……驚かれているようですね。確か君のおじいさまは先日、亡くなられたと耳にしました。それなのになぜ、転入届けが送られてきたのか……」
「僕は全く知りませんでした。親も知っているかどうか分かりません……」
「そうですか。色々と事情があるようですね……。ところで、このサヤ姫という方はどのような方なんですか?」
鞘から刀を抜いたら復活しましたとは言えないので、とりあえず僕の親戚だと言うことを伝えました。
「なるほど……、分かりました。これは異例中の異例ですが、彼女の転入を認めましょう」
「あ、はい。って! いいんですか!? 彼女は……」
戦国時代に生まれ、復活した元武士ですよ! と言いかけそうになりましたが、慌てて口を閉じます。そんな僕の動揺っぷりにも校長先生は全く動じず、おおらかな表情のままでした。
「君にも色々と事情があるようですが……。君のおじいさまからの頼みなら受けるしかありませんね」
「え? 先生、おじいちゃんのこと知っているんですか?」
「君のおじいさまとは昔からの付き合いでね……。よく2人でやんちゃをしたもんです」
昔の思い出をしみじみと懐かしそうに語る校長先生。この2人が知り合いだったことは初耳です。
「そういえば……。私と彼が最後に会ったとき、彼は不思議なことを言っていました……」
急に何かを思い出したかのように話を始める校長先生。
「確か……先祖代々伝わる刀には女の子が封印されているとかなんとか……」
「え!? 先生! それって……」
「おや、君も何か知っているようですね。ならこれ以上は口を慎みましょう」
「ちょっと待ってください! 詳しく聞かせて下さいよ! 」
「……」
校長先生は急に黙りこんでしまいました。僕は呼び掛けますが校長先生は石みたいに動きません。
「校長先生! 聞いてるんですか!?」
「グゥー。グゥー」
気づいたら校長先生は寝息を立てて、座ったまま寝ていました。意味深なことを言って寝てしまった校長先生を殴ろうかと一瞬、思いましたが、何とか抑えました。
僕は時計に目をやると、そろそろホームルームが始まりそうだったので校長室を後にしようとした時でした。
「たのもー! 大将はここか!?」
バンッ! と、勢いよく開いたドアが僕の鼻に直撃して、鼻を襲う激痛に僕は悶絶しました。
「おお! 主よ。鼻を押さえてどうしたのじゃ?」
「サヤ姫ちゃん! いつもドアを開けるときはって、なんでここにいるの!?」
驚きのあまり、鼻を襲う激痛はどこかへ行ってしまいました。僕は目の前にいるサヤ姫ちゃんの存在が信じられず、思わず二度見しました。
甲冑……ではなく、僕の高校の制服を着ています。太ももが見える短いスカート、靴も草鞋ではなくローファーにニーソックス。誰がどう見ても普通の高校生です。
思わず僕は死んだ魚のように口をパクパクしました。
「校長! 言われた通り参上したぞ! 」
「おやおや、元気ですね」
死んだ魚になった僕の前で校長先生にあいさつをするサヤ姫ちゃん。
「つか! 起きてたのかよ! 」
「校長! 早く学校の中を案内するのじゃ! 」
僕とサヤ姫ちゃんが校長先生に詰め寄り、おおらかな顔で校長先生は、
「決して交わることがなかった二人はこれからどうなるかの……」
意味深な言葉だけを言い残し、校長先生は再び夢の中へ旅立ちました。
その後、僕のクラスの担任が現れ、サヤ姫ちゃんは教室へと案内され、一人残された僕はイビキが聞こえる校長室で茫然と立ち尽くしました。
……今日からサヤ姫ちゃんが僕のクラスメイトになります。