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透明人間

作者: 折鋸倫太郎
掲載日:2014/05/17

 達磨のようにふとった女が、夜道を歩いていると、つけられている気配が。

 振り返る――誰もいない。

 また進む――誰かに見られている気がする。

 足音はしない。

 「だれ?」

 突然、振り返る。

 誰もいない。

 それを幾度くりかえしても、まだ女は、家に辿りつけなかった。

 それでも何とか、自宅の前に来る。そして、

 「いるのはわかってるんだからね!」

 と最期、来た道に、人差し指を向けた。

 すると、声がした。

 「すいません」

 謝罪なのか、要求なのか、わからなかった。

 「何が目的なの?」

 声は、空を、木霊した。

 「あのですね、わたしは透明人間なのですが」

 もったいぶって言ったつもりだったが、

 「あっそう」

 と、効果はなかった。

 二人は互いに、拍子抜けしていた。

 「で、何か用?」と女が、つま先で、苛立ちを表わすと、

 「すいませんが、透明人間にならない薬がほしいのです」

 女は、薬学の研究者だった。

 「なんで?」と女。「透明になりたいっていう性犯罪者は大勢いるだろうに」

 「贅沢な悩みであることは分かっています――しかし、楽しいのは最初だけ。あとは他人に無視される苦しみだけしかありません。そしてそれに、耐えられないのです」

 「わたしは無視されたって平気」

 「わたしはそうじゃない」

 「生意気」

 「とにかく、わたしはもう、透明人間でいたくないのです。話は少し前にさかのぼります――」

 「昔話は結構です。ところで、透明人間になる薬の作り方は知ってるの?」

 「わたしは知りませんが、昔、わたしに薬をくれた博士のドキュメントがあります」

 「見せてみて」

 「古代ギリシャ語ですが」

 「日本語じゃなければ大丈夫」と女。「とにかく、持ってきて」


 次の日、チャイムが鳴ったから出ると、山積みになった書類が、宙に浮いていた。

 「じゃ、そこに置いといて」

 命令通りに、置かれた。

 そして女は、金になる本職に支障をきたさない程度に、ドキュメントを読んだ。

 ついに解・透明剤が完成した。


 「できた」と呟くと、

 「そうですか。ありがとうございます」

 と声が来た。

 女は、誰もいない研究室を見回した。

 どうもずっと、部屋に、はりついていたらしい。

 気味が悪い?――女は、そうは思わなかった。実際、実験中も気配は感じていた――のに、それを防ぐ手を何も講じなかったのだ。まぁ手などないし、見えないのだから、どうしようもないのだが。

 「これですか?」

 と声が続く。

 女は、錠剤を見、頷いた。

 そして、机に乗ったその薬が――宙に浮き――そして――消えた。

 とつぜん、部屋に閃光が走った。

 女は、目を掌で覆った――わくわくしていた。

 光は一瞬で――目が慣れた。

 「わたしが見えますか?」

 という声がする。

 瞬きをしてから、覆いを取り除いた。

 「ええ。見えるわ」

 「どうですか?」

 「どう――って」

 女の顔は、愁いを帯びていた。

 部屋には魔法の解けた王子様が――いなかった。

 そこには、世界で最も醜い顔をした男がいた。

 とびっきりの笑顔で。

 「良かったね――透明が解けて」と女。

 半分本心であり――自分の功績に対するプラウドを基盤としたそれに――戸惑っていた。

 透明人間だった男は、すぐに背を向けた。

 部屋の隅にある、鏡の中の自分を見るのに忙しいようだ。

 ひどく満足気だ。

 その背中を見た女は、安堵した――外見の批評を要求されなかったこと――「まぁまぁ」と嘘をつかずにすんだこと。しかし、口から洩れる安堵の隙間には、落胆が確実にあった。しかし、すぐに、これでいいか、と手を打とうとする打算が取って代わった。

 「本当にありがとうございました――それでは」とドアに向かう元・透明人間。

 「ちょっと待った」と謝礼を望む女。

 それに気づかず、

 「本当にありがとうございました」と感謝を与える男。「この恩は、一生忘れません。それでも、一生が終わる前に、一刻もはやく、女をつかまえなくては! それでは」

 そのままドアを抜ける――とき、男は振り返った。

 女は、部屋にいた――胸をときめかせながら。

 「あ、わたしの友達の分もよろしく」

 女が振り返ると、机の上に乗っていた錠剤の残りが、ひとつ、ふたつ、と宙に浮かぶ――と、忽然と消えた。


 酒場で、女が寄って――たかって――愚痴を言う。

 「どうして世の中には、いい男がいないの?」

 その傍には、透明人間がいる。

 元・研究者の女。


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