魔王様の家庭教師
「血糊、ヒトノワに死活?」
うーんこれは分かってないだろうなぁ。
なんだか変な字があてはめられた上に間違った言葉を繰り返す少年に、お姉さんな私はもう一度リピートアフタミーをする。
「違います。地の利、人の和にしかず。つまり、いかに土地の形成が有利でも、皆でボコれば怖くないって事です」
ああ。アホの子って可愛いなぁ。
どうしよう。高鳴る胸に、はぁはぁしていたら、犯罪者として捕まっちゃうよねと、必死にその想いは隠す。特に目の前の少年相手はマズイ。超マズイ。
「なるほど。数が多いという事は有利ということだな」
「そういう事です。魔王様」
そう言って、子供子供した黒髪の魔王様に私は自分の知識を伝える。
そう。目の前の少年は、魔王様。魔とか、ちょっとアレな単語が頭についているが、王様には違いない。どれだけ、アホの子っぽい雰囲気を醸し出しても、ちびっこくてもだ。
「そして人間の勇者と名乗るものは、必ず数の利を使うため、1人ではなく複数で魔王の城にやってくるのが定説です」
定説というか、ゲームの設定上、仲間を集めた方が楽しいからだけどね。
剣士と魔法使い、聖職者に、アサシン。色んな職業のキャラを集めて戦う。これこそRPGのお決まりだ。普通に考えて、んなもん、軍隊動かして頑張れよ王様と思わなくもないけれど、それじゃ面白くない。
「凄いな。ユイは何でも知っているな!」
なんてつぶらな瞳で上目使いで見上げてくるんだろう。可愛すぎる。ふるふると震えそうになるのを止め、私は首を横に振る。
「いえ、私はそれほどのものではありません。しかし、貴方に雇っていただける限り、私の持っている知識を売らせていただきます」
私が魔王の家庭教師を始めたのは、少し前にさかのぼる。
というか、話すと長いというか、少しややこしいというか。とりあえず、まず私がいるこの世界は、私が元々住んでいた世界でゲームだった世界だ。いや、もしかしたら似ているだけかもしれない。だって、その時の魔王様は、美形の長身。脳みそもハイスペックで、こんなチンチクリンで大変可愛らしい姿はしていなかったのだから。
でも私はたぶん、あのゲームの世界のさらに過去という、なんだソレ意味分からんな世界に来てしまったのだと思う。何故そう思うかは、国名も魔王の名前も、すべてが同じだからだ。さすがに年号までは覚えていないけれど、色々な名前が、私の記憶と一致する。
ただそんなゲームの世界に私がいる理由は、さっぱりだ。気がついたらこの世界にいたと言っていい。勇者として召喚されたわけでも、新しい命を貰って転生したわけでもない。大体、このゲームの勇者は召喚タイプではないのだし。
とりあえず、気がついたら魔王領に転がっていた私は、わらしべ長者並みに何も持っておらず、あわやこのままじゃ体を売らなければという状態に陥っていた。しかし不幸中の幸いにも、私を拾った人が超いい人で、さらにカバンの中には色んな現代アイテムが入っていた。例えばこの世界にはインクを付けるタイプの羽ペンしかなかったりするので、インクをつけずに書けるボールペンは、超高額の値が付いた。
また書いても消せるシャーペンと消しゴム、寸分の狂いもない定規、ありえないぐらい色とりどりのカラーボールペン、全て超高額商品だ。カバンの中に、いつも色々詰めておいて本当に良かった。
その上私の現代知識もバカにはできないようで、それを切り売りするうちに、あれよあれよというままに私は賢者様と呼ばれるようになり、ついには魔王様の家庭教師に抜擢された次第だ。本当にわらしべ長者並みのラッキーさ。
異世界トリップに巻き込まれてしまう程度に運はなかったけれど、そこで生き抜ける基盤をつくれるだけの悪運はあったらしい。
もちろん私には魔族領での常識が抜けているので、厳密には数多くいる魔王の家庭教師の中の1人である。現魔王様は幼くして王の座につかれなくてはならず、その為勉強も人一倍しなければならないのだ。こんな小さな子に勉強ばかりを押し付け、子供の時間を奪うのは可哀想とも思う。しかし今は側近が国を動かしている状況。これが続くと、魔王様はただの傀儡となってしまうのだから仕方がない。
彼がちゃんと魔王として君臨するには、残酷な話かもしれないが、彼の子供である時間を奪っても、早く一人前になるしかないのだ。
「もちろん。ユイの勉強は面白い!特にカガクとか俺は好きだ!ずっと、そばにいろ!」
「貴方に教えられる事がある限りは」
私は科学者ではないので、いつしか彼に教えられることもなくなるだろう。もしくは、彼が大人になり、学ぶ事の中で、これはいらないと切り捨てられるのが先か。どちらにしろ、私の家庭教師としての寿命は短い。
しかしその短い教師人生の中でも、私にはやるべきことがあった。
「そしてできれば人族とよい関係を築けるよう、私の知識を使って下さい。よろしくお願いします」
「ユイはいつもそれだ。昔は人族と喧嘩もしていたが、今は穏やかだろ?」
「私は弱い人間ですので、争いが起こったら、真っ先に死ぬ自信があります。いいですか。とにかくもしも人族と喧嘩になり勇者が派遣された場合は、必ず勇者の心を射止めて、戦いを終わらせて下さいね」
現在日本に帰る手立てが見つからない私は、このまま魔族領で骨を埋める可能性がある。まあ、それも致し方がない。無理なものは無理だし、こっちの世界でもちゃんと友人はできたのだから。
でも戦争に巻き込まれて死ぬのだけはごめんだ。何が悲しくて、魔法で吹き飛ばされたり、剣で切られたり、斧で頭をかち割られたり、弓矢に刺されたりしなければいけないのか。畳はないので畳の上とは言わないが、せめてベッドの上で死にたい。
しかしこの世界が私が思っている通りのゲーム世界だとすると、この魔王様が青年になった頃には人族と再び険悪な中となり、戦争が始まってしまうのだ。その原因がなんだったかまで描かれていなかったので知らないが、共存エンドを迎えるには、魔王と勇者が恋人同士になる必要があった。
勇者が主人公でスタートする恋愛シュミレーションゲーム。何人ものイケメンがいる中で、見事勇者の心を魔王が射止めなければ、私のハッピーエンドで終われない。
「でも、ユイがいう勇者は男だろう?」
「はい。男です。でもいい男ですよ。きっと顔は魔王様の好みだと思います」
「なんでそんな事がわかるんだ?」
「勇者というものは、そういうものなんですよ。顔良し、性格良し、ルックス良し。かつてこの国を平和に導いた魔王様も、勇者と契を交わしたのでしょう?」
ある意味、ゲームの都合上といいますか。
ゲームはゲームでも、この世界は、BLの恋愛シュミレーションゲーム。BLゲームは、必ずといって皆顔がいい。まあ、顔が良くなきゃ売れないからなのだけど。そして何故か皆、女の子に興味がない。笑えるぐらい、興味がない。世間的にどうのとかいう、悶々とする場面は描かれたりするが、誰も女の子に興味を示さないのだからある意味すごい。周りに野郎しかいないからとかいうが、それでもちょっとおかしいだろうというレベルで、男にドキッとするのだ。
そのおかげで私が、自分の貞操に心配する必要もなくてありがたくもある世界なんだけど。
まあ、そんな世界だから、魔王も必ず勇者に興味を持つはずなのだ。実際ゲーム上でも、最初は顔が好みだ云々から入っていた気がする。逆にそれは勇者も同じ。
魔王は知的でクール。非情で残酷だけど、優しい。そんなキャラだった。そして勇者は幼くして魔王につかなければならなかった魔王の心の闇に寄り添うという形で魔王エンドを迎え、戦いが集結するという話だった。普通に考えたらそんなんで平和になるかよけっという感じだが、勇者が魔族領との戦争がおかしいと訴え、この世界の歪さに挑んで云々でとにかく平和になったはずだ。大雑把にしか覚えていないけどね。
とにかくこのストーリーを超マッハで引き起こすには、最初から2人に好意を持ってもらうしかない。そう、最初から2人が相手に好意を持っていれば、魔王エンドは確実だし、2人が早々にくっつけば戦争の終結が1秒でも早く終わる。戦争が起こらないのが1番だけど、世の中を私一人の力で変えられるとは思えない。でも可能性の高い未来なら、そちらへ近づけるための手伝いはできるはずだ。
後は、勇者が魔王を選ぶように勇者が誰かを確認しなければ。
「ユイはやっぱり物知りだな!」
「いいえ。貴方は私よりずっと賢く強くなれます。ですから、一日でも早く立派な魔王になれますよう、協力させていただきますね」
こんなちんまりして、アホの子っぽく、可愛いのは今だけだ。すぐに大きくなって、賢くなって、私はいらなくなる。
うん。その前に、しっかり金稼いで魔王の中の勇者を好印象にしておいて、それが終わったら勇者を探さないとだよね。そして見つけたら勇者のパーティーに潜り込んで、魔王の情報吹き込んで、最初から魔王に惚れさせてやるぜ。ふふふ。待ってろ勇者。
私は生き残ってやる。BLゲーマスターの力を思い知れ。
「あ、賢者様、こちらに見えましたか!」
「あれ?どうしたんですか?」
素晴らしい未来を思い浮かべて、少しだけにやけた頬を押さえて、魔王の側近の方に真面目にみえるように返事を返した。駄目ダメ。さすがにこんなこと考えてるのがバレたら、家庭教師を辞めさせられてしまう。
「実はこの間賢者様に教えていただいたトイレの件で、業者が色々聞きたいと」
「ああ。アレね」
実はこの世界、トイレ事情が日本よりかなり悪いのだ。和式だ洋式だののレベルじゃない。ぶっちゃけおまるだろうという感じのものがトイレである。
しかも、町に至っては、排せつ物を道に捨てるという恐ろしい処理方法。昔ヨーロッパがそうだったと聞いた事はあったけれど、目の当たりにすると、ぶっ倒れそうになる。
まあそんな状態なので、私が家庭教師になった時におつきのものをつけて排泄をいつでもできるようにしますねと親切顔で言われた瞬間キレたのだ。そんな人前で排泄なんてできるかと。
そして衛生観念が色々マズイので、もうくどくどと、この状態のままだと、間違いなく病気が流行ると訴えた。実際、衛生がまずいかなぁという思いはあったようで、貴族は病気にならないよう小高い場所に住んでいるのだけど、世の中貴族だけでできているわけではない。病気が流行れば、一気に治安も悪くなる。
というわけで、上下水道の整備などを訴えてみた。その他、日本のトイレに対するあくなき研究の結果を伝えたり、紙をもっと大量生産できるようにして、トイレットペーパーの開発に励んでほしいと頼み込んだのだ。
人族領がどれぐらい発達しているか知らないけれど、もしも日本並みにトイレが発達していたら、絶対勇者がカルチャーショックで寝込む。そして、折角の魔王様への好意も、トイレの前にチリとかすかもしれない。トイレを笑うものはトイレに泣くことになるのだ。
とにかく清潔感というものは、好印象になるための重要なポイントである。私はゲーム成就の為に、トイレ事情の改善に乗り出していた。
「あと賢者様が言われた、トイレットペーパーができまして。たぶん、コストもかなり押えられたかと」
「本当ですか?!」
ああ、愛しのトイレットペーパー。この世界での布ぶき使いまわしは、涙が出るほど辛かった。水で洗うといっても、その水もきれいかどうか怪しかったし。葉っぱを使うという習慣の地域もあるらしいけれど、それはそれで痛そうだし、かぶれたら泣くどころじゃない。
「ユイは清潔好きだな」
「汚いより、綺麗が好きなのは当然です。このままでは、必ず病気が流行りますよ。私が昔住んでいた場所では、昔ネズミなどの小動物を介して伝染病が蔓延したと聞いた事があります」
勿論日本で流行るのは、インフルエンザや胃腸風とかで、今はそういう伝染病が蔓延することはない。でも過去、確かにそういう事があったし、それは衛生を良くすれば事前に予防できる。
「それに綺麗に保たないと、食中毒の原因にもなりますしね。食中毒は甘く見ると死にますから」
ちなみにノロウイルスに私も感染したことがあるが、あれはマジで死ぬかと思った。色々乙女としては汚すぎる話だけど、上も下も出続け、点滴という医術がなければ今頃脱水で死んでたと思う。あれだけトイレをきれいに保つ日本でさえ、さらに次亜塩素酸ナトリウムでトイレを消毒しろと煩くしないと蔓延するのだ。
トイレを制す者は世界を制す!とにかくトイレ革命は必須項目だ。魔王領に来た勇者が、食中毒で倒れましたとか、お願いだからやめて欲しい。でもトイレ一つで世界の運命が変わる可能性は十分ある。
「ユイ。俺の勉強は後でいいから、一度確認をしてこい」
「えっ、しかし――」
「勉強は逃げないし、俺には他にも学ぶことがあるからな。皆が、ユイを頼りにしているのだ。終わったら、また教えてくれないだろうか?」
魔王様が小首を傾げて、琥珀色の瞳で私を見上げる。うぅ。なんて可愛いんだろう。
「もちろん、私でよろしければ、授業を何度でもやらせていただきます」
キュンキュンしながらも私は神妙に頷いた。これは、早く打ち合わせを終えて戻って来なければ。魔王様が、一生懸命勉強している姿は可愛いすぎるので、それを見ているだけで幸せになれるし。
「では、ユイ。待ってるぞ」
そう笑う魔王様をみて、私はトイレ革命の為に急いで部屋の外へ出た。
◇◆◇◆◇◆
「やっぱり、ユイは凄いな」
ユイが出ていった後、俺はどかりと椅子に座りなおした。
「そうですね。彼女は何処であの知識を身につけてきたのでしょう?人族領でも彼女の話ほど発達した地域はないと聞いていますが」
側近からジュースを受け取り飲みながら、ユイの不思議を思い返す。というか不思議の塊でできているような女だ。
まず最初に現れた時持っていた荷物がすでに、この国のものとは全く違った。あまりに違いすぎた為に、その情報はすぐに貴族の間を流れ、俺の元まで来た。その為、俺は彼女が売り払ったそれらはすべて俺のところへ運ぶように命じた。一応、殺傷能力があるものは存在しなかったが、あの技術で何か武器をつくられたらとぞっとする。
なので、俺はユイを監視するように命じた。
確認できたユイの知識は想像以上だ。ただどういう国で生きて来たのか、警戒心は恐ろしいほどないに等しい。まるで赤子レベルで、むしろ俺が逆に心配してしまったぐらいだ。あの様子だと危害をこちら側に加える事はないだろうと判断できたところで、俺は彼女を家庭教師として呼び寄せた。
さらに彼女の能力を皆が理解できるよう、ああやって彼女が知識を使う事を許している。
「俺が言った通り、彼女は手放すべきではないだろう?」
「……この件に関しては、魔王様の方が正しかったようですね。ユイは人族に肩入れをしますが、我々に対しても同様の事を思っているようですし、危険はありません。むしろ、厨房革命に始まる様々な革命を起こされて、利益が上回ります」
「そうだろ?」
側近の言葉に俺は大きく頷く。
ユイと話すようになって、俺はユイを手放すべきではないと感じた。だから俺はユイが逃げ出せないようにする。どうやら、ユイはまだ起こってもいない戦争に怯え、俺が大きくなった暁には、戦争を止められるよう今度は人族側の勇者の下へ行くつもりらしい。
誰がそんなことをさせるものか。
ユイの雰囲気や知識、色々な話からすると、もしかしたらユイは未来からやってきたか、未来を知っているのかもしれない。ユイの知っている未来ではきっと、魔族と人族が戦争を起こしていたのだろう。
ならばユイがそんな心配をしなくてもいいように、心砕こう。戦争が起こらぬよう、力を均衡させ、外交を行おう。
そうすれば、ユイが勇者の元なんかに行く必要なんてないのだから。ユイは俺が勇者を好きになると言っているが、そんな会ったこともない勇者なんかより、ユイの方がいいに決まっている。
俺が幼い外見をしている為か、ユイは自分がそういう目で見られるとは思ってもいないようだ。もちろんこのままでいいとは思わないが、これは好都合でもある。ユイはどうやら俺の幼い姿を気に入っているようでもあるし、ユイが逃げ出せない状況がこの城の中で築き上げられるまでは、この関係で油断をさせておこう。
そして逃げれなくなってから、ゆっくりと口説きにかかるのが一番だ。
「あの娘も運がないですよね」
「そうか?俺に気に入られるなんて、相当な幸運だろ」
何を見て運の良し悪しを決めるのか知らないが、俺に嫌われなかったのは不幸中の幸いというものだ。好かれるのが幸いとまでは言えないけどな。自由がない代わりに、殺される心配もない。
「早く帰ってこないかな」
俺はユイの始める授業を楽しみに、ユイが好きな子供らしい動きで、ぶらぶらと足を揺らした。