後日談。やってもいいし、やらなくてもいいこと。
この物語を、大昔『このプロットはちょっと^^;』って言った奴に捧ぐ。
ぶった斬ってくれてマジでありがとう。
あれとアニ●ラディドゥーンゲス発言まとめがなかったら、この小説は存在しなかったと思う。
人に言われないと分からないってどういうことだよ。
「つまり……この五日ほど相沢さんとキャッキャウフフといちゃついてたわけか?」
「いちゃついてはいねーよ。ホント、色々と危なかったんだぜ?」
「………………」
「如月にも色々迷惑かけちまったな。本当にすまなかった」
「別に良いさ。僕が好きでやったことだ。正人や熊ちゃんには礼を言っておけよ? 僕なんかよりよっぽど働いてくれたんだから」
「あと……俺は、如月に謝らなきゃいかんことがたくさんある」
「それも別に良いさ。謝ったりとか面倒だし、ダチってのはそういうもんらしいからね。僕だって新田に謝らなきゃいけないことは腐るほどあるし、お互い様だよ」
「そうなのか?」
「正直に言えば、僕は新田に信用されていないと思っていたし、僕の忠告なんざ聞かずに相沢さんに手ェ出すと思ってた。僕もつくづく人を見る目がない。恥ずかしい限りだ」
「……半分くらいは当たってるぞ、それ」
「ま、それはいいや。で……いくつか確かめておきたいんだけどさ」
「なんだよ?」
「相沢さんに告白とかしないの?」
「ぶっ!? な……なんだいきなり、藪から棒に!」
「藪から棒でもないさ。さっきから新田の話を聞いた率直な感想だけど、惚気てるようにしか聞こえないよ。それともアレか? 相手から告白されたいとかそんな感じ?」
「……考えたこともねえよ。大体みやびは告白とかしなさそうだし」
「うん、そうだろうね。つまり、新田から動かないとどうにもならないんだよね」
「なんか勘違いしてるけど、俺とみやびはそういうのじゃねぇからな」
「友達になったことは相沢さんから聞いた。新田から強硬にプールに誘われていることもね。これはもう下心があると解釈していいと僕は思うんだけど、違うの?」
「ち、違うに決まってるじゃんか。泳げないって言うし、その前までずいぶんといぢめられていたもんだから、ついつい……」
「本音隠してんじゃねーぞクソが。イエスかノーで答えろ。それ以外のことを言ったら『新田が女の子とプールに行った』って石村に報告する」
「……俺だけ殺す気満々じゃねぇか。あるよ。ありますよ。下心あります」
「まぁ、女の子をプールに誘っておいてない方がおかしいよね。……でもさ、新田は相沢さんのこと『絶対にない』って言ってたよな? その評価が五日程度で覆るとは思えないんだけど、そんなに好感度が急上昇するイベントでもあったの?」
「イベントって言われてもな。……色々あり過ぎて一言じゃ言えねぇよ」
「はっはぁ……んじゃ、視点を変えよう。相沢さんのどこに欲情した?」
「っ!? よ、欲情って……いきなりなに言い出すんだ、お前」
「欲情しなかったんだ? そーだよね。相沢さんって髪の毛ワカメで胸ないし、見た目暗そうでチビでロリだもんね。欲情する方がどうかしてるよね。はっはっは」
「…………おい」
「そういうことを五日前の新田は言ってたんだよ。で、今言われてムカついてるってことは、少なからず以上に相沢さんに情を感じているし、欲情もしたってことだよな?」
「……ああ、したよ。しました。尻からの脚線美がすごかったです」
「素直でよろしい。新田が尻スキー星の人だとは思わなかったけどね。僕と同郷かと思ったんだけど、どうやら違ったようだ」
「如月はなに星人なんだよ?」
「おっぱい」
「はっきり言っちゃうからエロ河童とか女子に言われんだよ……」
「周囲の評価を自分に取り込んで、話してもいない女子をクソミソに貶すクソヘタレ馬鹿ヘタレアホヘタレ臆病鶏よりは、エロ河童の方が五百倍くらいましだよ」
「ヘタレ何回繰り返すんだよ。……如月と話してるとみやびが天使に思えてくる」
「欲情したかしないかって意外と重要だと思うんだよね。それこそ『好き』の理由になると思うんだ。多分原始時代から現代まで通じる、分かりやすい理由だと思うよ?」
「欲望に忠実すぎると引かれるだろ。現代じゃ絶対に通じねぇよ」
「そうかね? 相沢さんが負けを認めたのは『新田に欲情したから』じゃないの? 虫じゃねぇんだから、淫魔だって欲情する相手くらい選ぶだろ」
「………………」
「そういう感情は長続きしない。気の迷いだと言うけど……恋なんて気の迷い以外の何物でもないし、感情なんてそもそも長続きしない。喜怒哀楽どんなものを取っても一時のものに過ぎないさ。僕としちゃ『なぜその時プールに誘おうと思ったか?』をもうちょこっと考えてみるべきだと思うけどね。下心もあれば好意もある。それは男女で言う『好き』じゃないのかな? 相沢さんともうちょっと親しくなりたいっていう、分かりやすい男心はどこかになかったのかな?」
「今日はよく喋るな……如月は」
「五日もエロ人妻の酒の相手をさせられたんだぞ。ストレスで口数も多くなるさ。あと……正直に言えば、新田が早まったことをしないか心配でね。告白する気がないんだったらそれはそれでいいのさ。どうせこのままじゃ100%上手くいきっこないんだし」
「……なんでそう思うんだ?」
「相沢さんは面倒くさい女だ」
「そりゃ……まぁ、分かるけど……」
「自己否定が強過ぎる。そして、自分の性質を拒絶してる。褒められたり告白されても『自分は駄目だから』って理由で絶対に受け入れないし、新田はこういう経緯があったぶんなお『それは淫魔の特性で勘違いしてるだけ』と思われるだろうさ。……下手すると、徐々新田との縁を疎遠にする気かもしれないな。過去の綺麗な思い出として、枯れない綺麗な花として、胸に封じ込めてしまうつもりかも……しれないな」
「………………」
「ふあぁ」
「真剣に聞いてるのに欠伸をするんじゃねえよ!」
「うるせぇ、馬鹿。こっちは眠いんだよ。告白しねぇならどーでもいいだろ。もうそろそろ限界だ。ちょっと寝るから、駅に着いたら起こしてくれよ」
「寝るな起きろ! ……いいから、今教えてくれ。頼む!」
「じゃあ、なんでそんなに真剣になるかを今考えろ」
「…………え」
「僕は別になんでもいいんだよ。他人事だしな。ぶっちゃけ告白は成功しないってのは嘘だ。ただの脅し文句だ。友達感覚で好感度をコツコツ重ねていくのも重要だと思う。いつ告白するの? この気持ちが抑えられなくなったら……ってことでもいいと思うさ。二人の距離感だ。僕の知ったこっちゃねぇ。ただ、相沢みやびって女の子に対して、新田が真剣だってことは自覚しておけ。相沢さんを馬鹿にされたら黙っていられない程度に、告白したら振られるかもしれないと言われただけで僕程度の男に真剣に教えを乞う程度に、ものすごく真剣なんだってことはちゃんと肝に銘じておけ。格好付けで『そんなんじゃねぇから』なんて二度と口にするな。それがもしも、なんらかの拍子で相沢さんの耳に入ったら、新田自身がどんな気分になるか想像しろ」
「…………如月」
「じゃあ、僕は寝る。喋り過ぎた。ムカついたんなら起こすな。とにかく寝る」
「いや……ちゃんと起こす。すまん。ありがとう」
「謝らなくてもいい。あと、メールにも書いたろ? お前は一等格好良いから、格好付けなんてしなくても大丈夫なんだよ」
「あれマジだったのかよ……如月の好意はストレート過ぎて逆に分かり辛いぞ」
「よく言われる」
新田俊介と相沢みやびが休んだことは、特に話題にも上らなかった。
みやび自身は風邪をこじらせたことになっていたし、俊介は俊介で『ふらっと旅行に行ってきたんだよ』とか、テキトーに誤魔化していた。
俊介とみやびの距離が少しだけ縮んだこと以外は、なにもかもが元通りだった。
と……みやびは思いたかった。
「みやびん。新田と付き合ってるってマジかい?」
「ぶっ!?」
放課後の漫画部部室。PCでイラストを描いている最中、そんなことを言われた。
石村未来。ショートカットの髪の毛に猫のような丸い目が特徴の女子。背丈は高く、百六十二センチ。ぱっと見では『健康的な美人』に入る顔立ちなのだが、噂話が好き過ぎるせいで、男女共に忌避の対象となっている。
未来はパラパラと週刊誌をめくりながら、口元を緩めた。
「はっはっは。なるほど……とうとう、みやびんにも春が来たか」
「早合点しないで。そもそも、なんでいきなりそんな話が飛び出てきたのよ?」
「昨日、一緒に中庭で昼飯を食べていただろう?」
「それで付き合ってるって扱いにされちゃたまったもんじゃないわよ。あれは、勉強教えてあげたお礼に、購買のパンを奢ってもらっただけよ」
「新田が勉強を教えてもらうなら、如月か熊ちゃん、もしくはもっと可愛い系の女子に下心満載で教わりに行くと、オレ様は思う。なんでみやびんなのかな?」
「……さぁ? 近くにたまたまいたからじゃないの?」
すっとぼけながら、みやびは首を傾げる。
未来は週刊誌を閉じて、口元だけでにやりと笑った。
「でもでも、なんか以前より距離が縮んでる感じじゃん? チャンスだよ? 彼氏ゲットのチャンスかもよっ!? 今年の夏は彼氏と一緒にお祭りに繰り出せるかもよ!?」
「なんで石村ちゃんがテンション上げてんのよ……自分の時は完全にテンパってて、恋愛経験ゼロの私に泣きついてきたくせに」
「石村未来の恩返し。みやびんに彼氏を作ろう!」
「却下。いい加減にしないと彼氏さんに言い付けるわよ?」
「やーめーろーよー。あの男はオレ様を狂わせる魔性の男なんだ。隙あらばエロいことしようとするんだ。この前なんて顎が筋肉痛になるくらいべろちゅーを……」
「黙れ。私の前で惚気るな。友達の色ボケた話なんて聞きたくないのよ」
「……相変わらず、みやびんはクールだなぁ」
未来は少しだけ呆れ顔になったものの、すぐにテンションを上げて口を開いた。
「でもさぁ、新田はわりと良いと思うよ? クラス内の評価はイマイチだけど、それはオレ様や如月が悪評を広めてるだけだし」
「……なんで無意味に悪評を広めてるのよ?」
「あいつはオレ様のことを『壊れかけたラジオ』とか言いやがったからな。人柄はともかく悪口は許さない。如月の方は好みの相手にはツン状態になるから仕方ないね」
「………………」
みやびは意外と的確なんじゃないかなぁと思ったが、ふと自分も船幽霊とか言われていたことを思い出した。
(自業自得って、こういうことをいうのかしら?)
それならば……俊介を拉致監禁した自分にも、相応の報いが来るのかもしれない。
そんなことを思って、みやびは口元を緩めた。
「じゃあ、ちょっとだけ真面目に相談してもいいかしら?」
「お、いいねいいね! オレ様は恋愛に関してはパーフェクト試合を成し遂げてるから、なんでも相談してくれちゃっていいんだぜ?」
「恋愛の好きと友達の好きって、なにがどう違うの?」
「さぁ?」
「あんだけハードル上げておきながら、普通に『さぁ?』って言ったわね!?」
「だって分からんもん。クラスのJK(女子高生の略)どもは、こいつだけはあるだのないだの色々言ってるし、第一印象が七割ってのは否定しない。見た目が良い格好良い男の子はオレ様も大好物だよ。……でもさ、格好良いっていうのも結局は『好きになるための理屈』に過ぎないと思うんだよね、オレ様は」
「……その話、長くなる?」
「じゃあ、少々略して言いたいことだけ言おう。たまには自分を信じてみたら? 猜疑心やら自己嫌悪やらが人一倍強いみやびんが『この人はいいなぁ』って思ったんなら、難しいことや理屈は置いて、まずは行動してみてもいいんじゃない?」
「ふむ……なかなか含蓄のあることを言うわね。確かに『自分の猜疑心や自己嫌悪の精度を信じる』という発想は、私の中にはなかったものだわ。……そうね、確かにその通りかもしれない。お礼に石村ちゃんをモデルにした凌辱系の薄い本を描くのをやめることを考慮に入れておくわ」
「やめようかなーって思っただけで、別にやめてくれるわけじゃないんだね?」
未来の責めるような視線は無視して、みやびは大きく溜息を吐く。
机に突っ伏して、ぼやくように言った。
「正直に言っちゃうとさ……多分、好きなんだと思う」
「ぶっちゃけたね。偉いぞ、みやびん」
「授業中についつい彼の姿を追ったり、話してて柄にもなくはしゃいだりして、気分が浮ついてるのは分かる。多分恋なのはなんとなく分かるの。でもね……『もしかしたら新田君は私のことを好いていてくれているのかもしれない』なんてことを考えている自分にものすごく腹が立つわ。気分が重苦しくなって仕方ない。そんなわけがないのに」
「………………」
「そんなわけがないのに、ついつい期待をする自分がたまらなく嫌。新田君に嫌われるのを怖がっている軟弱な自分が一番嫌い。私は……私が、世界で一番嫌いよ」
「……そうかい? オレ様は、自分のことを嫌っているみやびんは結構好きだぜ」
「私も石村ちゃんのことは好きよ」
好き嫌いを平気な顔で言い合える友達がここにいる。
それが最上級の幸運であることを、みやびは知っていた。石村未来は確かに馬鹿で噂好きの変わり者だが……好き嫌いをはっきりと口にする変わり者だが、だからこそ彼女に好きだと言われると、少しだけ救われたような気がする。
みやびは自分のことを嫌っているが、未来はそんなみやびのことが好きだと言う。
ゆっくりと息を吐く。決意は昨日の夜くらいに固めていた。
「今週末に告白するわ」
「………………マジ?」
「マジよ。私が泳げないって言ったら、お人好しにもプールで泳ぎ方を教えてくれるんですって。その帰りにでも告白するわ。……どうせふられるだろうけどね」
「ふぅん……っていうか、みやびんと新田っていつ親しくなったのさ?」
「この前風邪で休んだと言ったわね? あれは嘘よ。……ま、色々あったのよ」
「………………」
未来は少しだけ考える素振りを見せたが、不意に肩をすくめた。
悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「水着くらいは買いに行くんだろ? 可愛いの選ぼうぜ。オレ様が選んでやるよ」
「中学校の時に使ったのがあるから、それで十分よ。着れたし」
「着れたしって……発想が『大昔魔王と戦った勇者』のそれだよ。魔物の襲来に昔の装備品を引っ張り出して、命を賭けて戦う感じじゃんか。装備の新調くらいしようよ……」
「そうね。正論だと思うわ。でも、私は遊びに行くわけじゃないの。死にに行くのよ」
「なにその無駄な男前……惚れたらどーしてくれるんだ、おい」
「骨は拾ってね? 多分、十年くらいはネチネチ凹んでるだろうから」
「あー……うん。それは大丈夫だけどさ……もしも、上手くいったらどーすんの?」
「上手くいくわけないでしょ」
「……みやびん」
「なに?」
「頑張れ。オレ様は絶対に上手くいくと勝手に思っているし、超応援するぜ」
「……ありがと」
それは、未来が告白を受ける直前に、みやびが送った言葉だった。
そんな言葉を送ってくれる友達を、とてもとても、心強く感じた。
(うん……やっぱり私はこれでいいや)
自分のことは相変わらず大嫌いだし、クズだと思うし、最低だと思うけど。
これで良かったんだと、みやびはようやく思うことができた気がした。
可愛いは作れるという言葉を知っているかな?
可愛いの基本は自己への確信と毎日の積み重ねだ。そこに『造作のバランス』という人にはどうしようもない要素が付加される。まぁ、これは整形手術で強引に整えることもできるけど、現実的じゃないと僕は思う。
理不尽なことだけど、人は持っているモノで戦わなければならない。
ないものは、ない。相沢さんはそれを熟知している。知り尽くしている。
馬鹿にされてきた経験則が告げるんだよ。『自分は絶対に可愛くない』んだ、とね。
が、熟知してても知り得ないことがある。
当たり前のことだけど、他人がどう思うかまでは知り得るはずがない。
だから、僕としては水着を一緒に買いに行けよと忠告しておく。相沢さんにはセンスがない。ここでちゃんと水着を買っておかないと、新田にとってドストレートにクる水着でやって来ると思うぜ? どんな水着も事前に分かっていれば大したことないもんだしね。
(さすがにそこまではできねぇよ!)
俊介は、友人のアドバイスを思い出しつつ、内心で溜息を吐いた。
待ち合わせの場所に来たみやびの服装は、動きやすい上着にホットパンツとニーソックスという組み合わせだった。以前買い物に行った時よりは無難でお洒落だった。
入場料を支払い、更衣室で着替え、プールでみやびを待った。
「お待たせ」
「お、来たな。んじゃあ……」
言葉が途切れる。思わず目が泳ぐ。徐々に目を逸らす。
他人の視線にはわりと無頓着。そんな友人の言葉が頭の中に響き渡った。
体の線が出る、水色の競泳水着だった。中学校の水泳大会で見たことがあるものだ。
(おかしいな……体型は中学のガキと同じ仕様なのに、妙にエロい気がする)
もちろん、今となっては別に溜まってもいないのだが、妙にドキドキする。
ゆっくりと深呼吸をして、呼吸を整えた。
「とりあえず、準備運動かな?」
「更衣室から出た所で済ませてきたわ。まぁ……やるだけはやったけど、水中で足とかつったら、中止も止む無しってところよね?」
「俺も手伝うから一緒に準備運動しようぜ、みやびサン」
「……チッ」
露骨に舌打ちされて、俊介は少しだけ傷付いた。
準備運動はわりと入念に行って、ようやく二人はプールに入った。もちろんみやびの足が着くプールである。
「みやびは泳げないって言ってたけど、どこまでできる?」
「ビート板ありでバタ足ができるくらいまでよ」
「リアルな所で止まってるな……んじゃ、おさらいってことでそれをやってみようぜ」
「バタ足は習ったけど、前に進まないのよね。なんか水に浮かないし」
「浮かないのはともかく、前に進まないのはフォームが悪いからかもな」
一旦プールから上がって貸し出されているビート板を手に取り、みやびに手渡す。
みやびは不承不承という感じで受け取った。
「ビート板に触るのは数年ぶりだわ。できれば二度とお目にかかりたくなかったけど」
「んじゃ、それでバタ足してみてくれ」
「はいはい」
みやびはビート板につかまりながら、足をばたつかせてみた。
適度な飛沫と共に、みやびの体はすいすいと前に進んでいく。
「あれ? なんか普通にバタ足できてるじゃん」
「膝じゃなくて腿で水をかく感じなんだっけ? これでいいのかしら?」
「ああ、問題ないよ。むしろ完璧。意外と素質あるんじゃないか?」
「小学校の体育の教師とは逆のことを言うのね。膝を曲げるなだのなんだの、あんまりにもうるさいから絶対に従わないわよクソがって、ずっと思ってたけど」
「多分、泳げなかったのってそれが原因だよな……んじゃ、さくさくと次のステップに行こう。とりあえず次はビート板なしで」
「断る。体が水に浮かないのに、彼を手放すなんて冗談じゃないわ!」
「……そいつに頼り切ってると次に進まんから。さっさと手放してね」
「なんか素っ気なくない? 今のは突っ込み所だと思うんだけど?」
まさかビート板にちょっと嫉妬したとは言えず、俊介は思わず目を逸らした。
ビート板はプールサイドに置いて、次のステップに移ることにした。
「とりあえず、次はビート板なしで水に浮く練習をしよう。俺もよく分からんが、重要なのは体の力を抜くことと、水に逆らわないことだな」
「それが難しいんじゃないのよ……バタ足すると頭が沈むし、頭に意識を向けると足が沈んで前に進まなくなるし」
「うん、だから無理に泳ぐのはやめようか」
「へ?」
「俺が頭を支えておくから、仰向けでぷかぷか水に浮いてみよう。ビート板なしで泳ぐんだったら、ビート板に頼らずに水に浮く所から始めるべきだと俺は思う」
「……分かったわ。その代わり、急に頭から手を離したりしたら殺すわよ?」
「んじゃ、行くぞー」
「うひゃっ!?」
このままだと埒が開かないと思った俊介は、手っ取り早い方法を取ることにした。
不意に潜水して足を持ち上げ、お姫様抱っこの要領で抱きかかえた後、頭だけはしっかり腕を回して固定し、足を掴んでいた手を離した。
「い、いきなりなにすんのよ! 河童の祟りかと思ったでしょっ!?」
「河童に恨みを買うことをしたのかよ……こらこら暴れるな。沈む沈む。とりあえず手足の力を抜いてみてくれ。沈みそうになっても俺が支えておくから」
「……後で覚えてなさいよ……」
さりげなく怖いことを言いながら、みやびは渋々俊介の指示に従った。
当たり前の話ではあるが、人体には脂肪が少なからずついているので水に浮く。みやびもその例に漏れることはなく、力を抜くと同時に水に浮いた。
「じゃあ、しばらくはこんな風にぷかぷか浮いてる感じで」
「悔しいけど……わりと快適だわ」
「そりゃ良かった。泳ぐのが嫌なら今日はずっとこうしててもいいし、風呂もあるらしいから体が冷えたらそっちにも行ってみようぜ」
「……小学校の水泳の授業も、こんな感じなら良かったのに」
「さっきから気にはなってたんだが、どんな感じだったんだ?」
「相沢泳げねぇのー? ほら手伝ってやるよグェッフガブォ! 相沢なんで休んでるんだよー。せーりがうつるぞーあははー! って感じだったわね。ちなみにその男子は帰りの会で吊るしあげを食らって、当時の担任の先生に二時間ほどお説教を食らったのよね」
「えっと……生々しいエピソードだけど、グェッフガブォっていうのは……」
「私が溺れた時の音を忠実に表現しました」
「そりゃ、プールが苦手にもなるわな……」
子供の頃にはよくあることだが、無理矢理水に引きずり込まれたり、本人にはどうしようもないことをからかわれたりした方は、たまったものじゃない。
俊介はどちらかというとからかう側の人間だったので、心がかなり痛かった。
みやびの体を誘導しながらゆっくり歩きつつ、俊介は悪戯っぽく口元を緩めた。
「その男子、みやびのこと好きだったんじゃねぇの?」
「ないわねー。私なら復讐でパンツまでずり下げてくる女とか願い下げだわ」
「……みやびサン、当時も今も結構アグレッシブだよね」
「私は弱いから敵に容赦がないだけよ。悪い傾向だわ」
「そうなると、俺も敵か?」
「……前々から思ってたけど、新田君って鈍感なの? それとも言わせたいだけ?」
「いや、だって容赦ないじゃん」
「容赦じゃなくて、遠慮がないのよ。……私は多分、新田君に甘えてるのよ」
「………………」
「なんで照れるのよ?」
「いや、どう考えても照れるだろ、これは……っ」
内心では『敵だから容赦なく攻撃してもいいやとか思われてたらどうしよう』とびくびくしてた所に、この切り返しである。必殺の上に即死であった。
俊介の内心を知ってか知らずか、苦笑を浮かべながら、みやびは言葉を続けた。
「まぁ……あれだけ言ったんだからこれくらい言っても大丈夫だろうっていう、妙な安心感があるのよね。最近は少し優しくするようには、心がけてるわ」
「さっき舌打ちされたんだけど……」
「プールには嫌な思い出しかないからね。本当はもっと楽しかった思い出もあると思うんだけど、思い出せるのは嫌なことだけ……でも、今日はとても楽しいと思う」
「そっか。そりゃ良かった」
「言い忘れてたけど、誘ってくれてありがとう。本当に嬉しかった」
俊介の腕に頭を預けながら、みやびは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見つめて、俊介も笑った。
結局、補助なしで少しだけ水に浮けるようになったところでみやびは力尽きた。
冷えてしまった体はジャグジーで温め、その時に『帰りになにか食べていこう』という話になった。
なにを食べるかは特に考えていない。
(一緒に食べるかどうかも……正直微妙よね)
更衣室で髪をタオルで拭きながら、みやびは息を吐いた。
言わなければ進まない。進まなくてもいいんじゃないかとも思う。
泳げるようになるまでもう少しかかるだろう。俊介は付き合ってくれと言われれば、多分付き合ってくれる男だろうということは、みやびにも分かっていた。
(……弱気になるな、相沢みやび。こんなのは一度通った道でしょう!)
相沢みやびは女の子だ。初恋をしたことがある。
告白をしたことがある。
気持ち悪いと言われた。
(同じことを繰り返すだけよ。何回も繰り返すだけ。どうせなにやったって駄目なのはとっくの昔に分かり切ってる。私が好かれないのも、嫌われるのも……分かってる)
今日は楽しかった。本当に楽しかった。嬉しかったし心地良かった。
恐らく、二十年は引きずるだろうことは確実だ。それくらいにみやびは今日という日を楽しいと思った。
それで終わりだ。今日で縁は切れるし……ぎくしゃくするだろう。
今言わなければまだ友達でいられることは分かっていた。それでも、今言わなければもやもやし過ぎで、心の方が根元からぼっきり逝く。
「……この戦いが終わったら、焼肉食べ放題を一人で行ってやるのよ……」
わざと死亡フラグを立てて両頬を叩く。
着替え終わり、ドライヤーで髪も乾かし、みやびは更衣室を出た。
俊介は畳の敷かれた休憩所で、携帯をいじりながらサイダーを飲んでいた。
「お、意外と早かったな。みやびの分も買ってあるけど、飲むか?」
「うん……もらうわ」
「バスの時間まで結構あるからな。まぁ、のんびりしようぜ」
「……うん」
サイダーを受け取って、蓋を開けて一口飲む。甘く刺激的な炭酸が乾いた喉と体に心地良く染み渡っていく。
二口目、三口目と口に含み、ゆっくりと息を吐いた。
今がチャンスだ。みやびはそう思った。
みやびが口を開こうとした瞬間、不意に俊介は顔を上げた。
「あ、そうだ。ついでに本屋も寄っていこうぜ。欲しい本があるんだよ」
「えっ……あー……うん。そうね。本屋寄りましょう……あはは……」
完全にタイミングを失って、意気地がどこかに消え去ってしまう。
折れた心を蘇らせるために、みやびは若干引きつった笑顔のまま会話を続ける。
「何の本買うの? スポーツ系の雑誌とか?」
「いやいや、参考書でも買おうかと思ってさ。俺、理数系がアホみたいに苦手だし」
「……ん? 今参考書って言った?」
「似合わないのは自覚してるよ。でもまぁ、やりたいことができたから今のうちに勉強しておかないとさ。今までは部活を理由にして勉強サボり過ぎたしな」
「……………え」
会話の流れがおかしいというか、俊介らしくない。みやびはそう感じた。
少し辛そうな俊介の表情も、気がかりだった。
思い当たることはあまりない。ただ、今までの会話から推測はできた。
「部活でなにかあったの?」
「辞めた」
「……え?」
「サッカーは辞めないけどな。趣味としては続けるし。でもまぁ……高校でサッカーを続けるのはもういいかなって。そう思ったんだ」
「もういいかなって、そんな軽い感じにやめられるものじゃないでしょ?」
「いや、正直前々から考えてたんだ。サッカーってのは十一人でプレイするもんだけど、十二人目のプレイヤーがクソだとなにやってもクソみたいになるってのは、分かった」
「あのクソ監督の靴に水を吸うと引くほど膨らむ夜店のオモチャを詰めてくるわ」
「どんな発想だよ! いや……本当にいいんだ。潮時だとも思ってたしな」
俊介はあくまで呑気だった。怒ってもいないし、悲しんでもいない。
みやびは内心の苛立ちを抑えながら、口を開く。
「潮時ってどういうことよ?」
「監督が嫌いで、先輩が嫌いで、そんなチームじゃ勝っても嬉しくない」
「まぁ……新田君が納得してるんならいいけどさ。新田君が抜けてもチームに影響なんか出ないでしょうし」
「さりげなく毒を吐かんでくれ。……まぁ、でもその通りだな。俺が抜けてもあいつらは特に変化はないし、俺は今こうして辞めて清々してる。サッカー嫌いになる前で良かったと心底思うよ。一発だけ殴っとけば良かったとは、今でも思うけどな」
「………………」
爽やかに笑う俊介を見て、みやびは内心で溜息を吐いた。
どうもこう、告白という空気ではなくなってしまった。
タイミングが悪い。それはもう仕方がないことかもしれない。今言えなくても来週がある。来週が悪くてもその次がある。その次その次と見逃して……結局言えなくなる。
いつやるの? 今でしょ!
このキーワードを流行らせた奴を未来永劫恨み続けることを、みやびは決めた。
「しかしまぁ……いつ聞いても胸糞悪くなるわね、そういう話は」
「俺としては結構さっぱりしてるんだけどな」
「はいはい。んじゃ、さっぱりついでに夕飯も付き合ってもらおうかしら。焼肉食べ放題とかでいいわね。この怒りを食欲に変えないとサッカー部の部室に火を放ちそうだわ」
「いや、やめてくれ。理解のある良い先輩も、いるにはいるんだから」
「そう言うと思ったけどね……ま、いいわ。新田君が納得してるんなら、それでいい」
「で、みやびサンに相談があるんだけどさ」
「なに? 勉強くらいならいつでも見てあげ」
「好きだ」
「……………へ」
理解した音が認識できず、頭の中で響き渡り、意識を空っぽにした。
俊介は顔を真っ赤に染めながら、それでもきっぱりと言い切った。
「みやびのことが好きだ。俺と付き合って欲しい」
他の誰かなら、ムードもへったくれもないとか、色々と駄目出しをするのだろう。
しかし、みやびは『他の誰か』ではなかった。相沢みやびだった。
意識が真っ白になった。気絶はしなかった。気絶するかと思ったが、しなかった。
「……ま、待って。ちょっと待って……待って、ください」
「うん」
カチカチと歯が鳴っていた。腹の奥が震えていた。今にも泣きそうだった。
頭が真っ白になる中で感じていたのは恐怖と歓喜だった。『こんなに良いことが自分に起こるわけない』という確信が、自分の中で暴れ回っていた。
全力で叫びたくなる自分を抑えつけて、みやびは口を開いた。
「……なんっ……っ……なん、で?」
「可愛いから。いつ頃からか分からないけど、そうとしか思えなくなった」
「それは……ちゃんと説明したじゃない。私はそういうモノで……」
「ちゃんと聞いた。でも、解放されてからみやびと毎日昼飯食ってたけど、結局可愛いとしか思えなかったし、塩素の匂いが充満してるプールでも可愛いとしか思えなかった。……いや、もう色香に迷ったとかでもいいんだ。俺はみやびが好きだと、本気で思ってる」
「…………う」
「振られた直後に告白してる感じだし、みやびにやったことを考えれば冗談抜きで最低だと思う。それでも……それでも、最低でも言わなきゃ後悔するって思った。ふられてもいいから、言わなきゃ駄目だって思ったのは、本当に初めてだったから」
「……っ……うぅっ……」
手が真っ白になるほど拳を握り締める。暴れ出しそうになる感情を抑えつける。
涙が出そうになったが、目元を拭って無理矢理抑えつけた。
俊介からは泣いているように見えたかもしれないけど、構わないと思えた。
「あ、あの……あのね。にっ……新田、君」
「うん」
「わたっ……私ねっ……わたっ……私は……」
私は、どうしようもない最低のクズで。
馬鹿でアホで漫画しかなくて、自分が大嫌いで、ブスで性格ブスでちびで胸がぺったんで運動音痴で、思い込みが激しく毒舌で、そのくせ見栄っ張りで肝心な時にチキンで。あなたにいっぱい酷いことをして、あなたにいっぱい酷いことを言って、何日も部屋に閉じ込めて滅茶苦茶に追いつめて……そのくせ頭の中はピンク色の妄想でいっぱいで。
新田君の手首に萌えてました。
新田君が慌てる様がとても愛らしいと思ってました。
新田君が笑ったり困ったりするのが、とても好きです。
他にも腹筋すげぇとか、なにかを飲んだ時の喉の動きがセクシーだとか、そんなことばっかり考えてました。ショッキングピンクなのは私の部屋じゃなくて、私の頭の方でした。
本当に最低です。ふしだらです。新田君に寄り添う資格なんてないんです。
自己否定を幾度となく繰返しながら、自己嫌悪を十重二十重と繰り返しながら、それでもみやびにはもう分かっていた。
告白なんて、してもいいし、しなくてもいい。
してもしなくてもいいのに……それでも、自分で決めたこと。
振られると分かっていて、勝手に自分で決め付けてでも、やらなきゃいけないこと。
「…………すっ……き、です」
歓喜を、恐怖を、涙を、暴れ暴走する感情をそれでも無理矢理抑えつけ。
がたがたと震えながら、みやびは口を開いた。
「わたっ……私も、新田君の、ことが……すっ……好き、です」
それをしないと、一歩も前に進めなかったから。
想いを伝えないと、辛くて悲しくて苦しくて、なんにもできなかったから。
みっともなくても、噛んでも、格好良くなくても、それでも伝えたかったから。
新田俊介のことがとても好きだったから。大好きだったから。
相沢みやびは、告白した。
蛇足。
今回のことで、僕こと如月与一が得たものは深い満足感。
失ったものはいつでも遊びに誘える友達。
まぁ、意外と悪くない気分だった。かなり寂しい気分だったけど。
分かり切った結果に少々以上の興味はあるものの、さすがにデバガメをするのは悪趣味なので、僕はいつも通り要らないお節介を焼いていた。
漫画部部室で機材を前に、にやにやしていたのは石村未来だった。
問答無用で、コンセントを引っこ抜いた。
「うおおおぉぉぉっ!? な、なにしやがるですか如月!?」
「盗聴とかデバガメは良くないと思って」
「デバガメくらいいいだろ! 親友に彼氏ができるんだぜ? そりゃ盗聴するよ!」
「ねーよ」
持参したバールのようなものをチラつかせ、僕は席に着いた。
これ以上変なことをしたら機材を破壊する。その程度の覚悟はある。
石村はむっつりとした表情を浮かべていたが、やがて凶悪そうににやりと笑った。
「お節介焼きだね、如月」
「新田の恋路だからな。応援くらいするさ」
「オレ様はその後の復讐まで考えているのさ。みやびんを振ったら社会的に殺す」
「ねーよ」
「なんでそう思うのさ? 恋愛なんて水モノだぜ? 生モノだぜ?」
「毎日一緒に、二人きりで昼飯食ってるような男女が付き合わないわけないだろ」
「……オレ様としては、どうしてそうなったのかすげぇ気になるんだけど」
「口外はしない。盗聴もしない。友達は思いやる。曖昧な部分は妄想で補完するっていう条件付きでなら、僕が口を滑らさないこともないんだけど、どうかな?」
「……むぅ……い、いいだろう。噂は好きだが、ここだけの話も結構好きだしな」
結構色々条件を付けたのだが、わりとあっさり石村は乗って来た。
口元を緩めて笑いながら、僕は言った。
「好感度0の男女を閉鎖空間に閉じ込めました。どうなるでしょうか?」
沈黙が落ちた。
石村は僕から目を逸らし、少しだけ考える素振りを見せて、大きく息を吐いた。
「それは、ヤるかヤらないかという問題かな?」
「そんなわけはないね。二択で解決できるんなら誰もがそうしているし、悩む必要なんてどこにもないんだ。新田も相沢さんも、欲情するだのしないだの、心底下らないかもしれないけど必死に悩んだからこそ今がある。僕はその『必死さ』こそが大事だと、そう思っている」
「んじゃ……答えは簡単だな。恋愛においてパーフェクト試合を達成しているこの石村未来が、洒落の利いたパーフェクトな最適解を見せてやるよ」
「パーフェクトか? むしろ負けっぱなしってどこかで聞いた記憶が……」
「黙れ、レイプ目根暗」
「さりげなく暴言を吐くなぁ……」
僕は口元を緩めながら、石村の回答を待った。
誰もが首を傾げて、誰もが納得できず、僕だけが納得できる回答を、待った。
○ヤらない。理性で本能はコントロールできる。
○ヤる。本能の前では理性などクソ同然である。
●理性と本能を捨てず必死に足掻いた者だけが、最後に真の全てを得る。
これは、一組のバカップルが誕生したというだけの、それだけの話である。
そういうわけでこれにて終幕。なんだかんだで楽しく描けた気がします。
本当は読み切りの予定だったんですが、想像以上に文字数が多くなったので七分割。アホとしか言い様がありません。
PCでゴリゴリ打ち込んでいる関係上、携帯の方が非常に読みにくくなったかもしれません。ただ……この文字数なら携帯でもまぁまぁ読む気力が起こる的な文字数がよく分からんのですよねw
では、ここまで読了してくれた方々に感謝を込めて、この辺で〆ましょう。
ありがとうございました。