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6/7

5日目。唐突に終わる。

ラブコメ濃度が高くなるにつれ、筆が進みやすくなるのはなぜだろう?

この小説はラブコメで恋愛小説です(個人的主観)。

 たった一つの、誰にも理解されない。

 クソみたいな理不尽。





 その日は夢は見なかった。

 見たのかもしれないが、思い出せないならそれは幸福なことだとみやびは思う。

 時間は午前の五時。自分にしては早起きだと溜息を吐いて、ベッドから降りた。

「今日は……まだ起きてないかな」

 ちらりと、俊介のベッドを見る。規則正しく寝息を立てて寝ているようだった。

 朝六時にドタバタと起き出し、なにやら苦悩しながら部屋を出て行く。人の気配に敏感なみやびは、目を覚ましてその一部始終を見ていた。

 見入ってしまい、うっかりトイレがぎりぎりだったこともあった。

「……基本的にお人好しなのよね」

 馬鹿でチャラ男で、見栄っ張りで臆病で、話していると楽しくて隙が多い。

 それが、みやびが新田俊介という男に下している評価の全てである。

 地味な友達がモテていることに大層なショックを受けて、誰彼構わず告白しようなんて思い立つ生粋の馬鹿ではあるが、決して悪い奴ではない。

 少なくとも、屋上に設置してあるタンクの影で、俊介が振られる様子を偶然デバガメしてしまった自分よりは悪い奴ではないだろうと、みやびは思っている。

 最初はざまぁみろと思った。船幽霊はそこそこ根に持っていた。

 今はちょっと気の毒だと思っている。根に持っていることは捨てられないが、それでもこうして五日ほど接してみると、情の一つや二つは湧いてくる。

 友達だと思っていいのかもしれない。そんな風に……少しだけ、思った。

「まぁ、今だけかもしれないけどね」

 みやびはストイックな少女だった。希望を持たず、決して楽観せずに生きてきた。

 仲の良かった友達に裏切られたこともある。漫画を描いているからという理由でいじめられたこともある。結果としてはどれもこれも丸く収まったので、その辺に関しては自分は幸運だと思っているが、それはあくまで『結果』だけだ。

 裏切られた傷は残るし絆は戻って来ない。

 自分をいじめた女子は鼻骨を骨折した。

『はっはっは。みやびん、オレ様は噂話は大好きだ。人のゴシップとか最高に心踊る。クソ下らない噂話で人が踊らされるのが好きだ。しかし……噂を信じて人を悪しき様に言うクソ女は大嫌いなんだ。胸糞悪いだろ。ヒーロー気分かおい。だから今回はこれで手打ちにしてください。謝ります。お金も払いますから、どうか……どうか平にご容赦を!』

 今もクラスメイトの噂が大好きな女子、石村未来は、そう言って頭を下げた。

 正直、彼女の隣で鼻血をダラダラ垂れ流して号泣している女子が悲痛な叫び声でごめんなさいと繰り返している絵面の方が、いじめられたことよりトラウマである。

 友情は脆いし、愛情は儚い。

 固い友情や永遠の愛を下らないとは思わないし……むしろ憧れているけれど、それは漫画やアニメよりはるかに崇高な、ファンタジーなのだ。

 本能は、容易く理性を食い破る。

「………………っ」

 規則正しく寝息を立てて眠っている俊介に、目が釘付けになる。

 意識が不明瞭になる。明瞭な一つの意志だけが、真っ黒い中から這い出てくる。

 ふらふらと、誘蛾灯に引き寄せられる蝶のように、俊介のベッドに近づいて行く。

 あるいは……巣にかかった蝶を捕食する、蜘蛛のように。

 俊介の寝顔は間抜けだった。別の表現をすれば可愛いとも言える。ぼんやりと彼の寝顔を見つめて、毛布からはみ出ていた俊介の手を取る。

(……おおきな、手)

 自分のものとは違う、誰かの手。

 手の甲に指を這わせる。自分とは違う肌の感触。自分とは違う匂い。求めるモノ。

 ごくりと喉が鳴る。忘れていた飢餓が沸き起こる。

(……●●●そう)

 目が離せなくなる。頭が真っ白になる。押さえつけていた欲求だけが増大していく。

 と、その時だった。

「んっ……んぐぅ……」

「っ!?」

 俊介が寝ている人間特有の呻き声を上げたと同時に、みやびは我に返った。

 慌てて俊介の手を放し、数歩距離を取った。

 俊介が起きるようなことはなかった。起きる気配もなかった。

「…………はぁ」

 心臓が早鐘のように鳴っている。吐いた息は妙に熱い。

 頭を振りながら、早足でそれでも足音を立てないように寝室を出る。

「男の子の寝込みを襲うとか、本当にサイテーですね、みやびさん。露骨な人間アピールはそろそろやめたらいかがですか……ハハ」

 自嘲気味に、自分の行いを振り返って、重く深く溜息を吐く。

「……ホント……最低だわ」

 呟く言葉に力はなかった。

 それでも、自分の行為を肯定するかのように、胸の奥だけが真っ黒に燃えていた。



 五日目。俊介はわりと危機的状況に陥っていた。

 ぼんやりと朝食の玉子サンドを咀嚼して飲み込み、ゆっくりと息を吐く。

(なんだろうなこれ……気だるいというか、気分がエロい)

 いい加減性的な飢餓感にも慣れてよさそうなもんだったが、慣れる気配がなかった。

 がしがしと頭を掻いて、息を吐いてサンドイッチを口に運ぶ。

(あの匂い、香水や消臭剤で誤魔化せるようなもんじゃねぇってことかな……)

 換気をすれば多少はましになるのだが、それも気休め程度で、五日目にしてようやく確信に至ったが、日増しに匂いが濃くなっていることは間違いがない。

 かといって、一日中風呂に入るわけにもいかない。外に出ればきっと気分は壮快なのだろうが、毎日外に出ることはできないだろう。

(とにかく、じっとしてるとまずいことになる。なにかし続けてないと)

 サンドイッチを完食し終えて、俊介は隣で漫画を読んでいるみやびに声をかけた。

「みやび、退屈なんだけどなんか暇潰しになりそうなもんないか?」

「そっちの本棚にえっちな本があるから、自慰行為に勤しむといいと思うわよ?」

「おっとぉ……直球だな、みやびサン、勝ちに来るのはいいけど今はそういう場面じゃないから。なんていうか、みやびのオススメを聞きたいというか」

「…………んー」

 みやびはゆっくりと息を吐き、気だるげに髪をかき上げた。

 その仕草がやたら色っぽく見えて、俊介は少しだけ目を逸らした。

(なんか、初日に戻った気分になってきた……せっかくちょっと慣れてきたのに)

 そんな俊介の思いは知らず、みやびはぼんやりとしたまま口を開く。

「ある程度は面白いと思うわよ……私は面白いと思ったし」

「へ?」

「厳選はしてるけど、ここにある本やら小説やら、私が面白いと思ったものだし」

「……マジか。エロ本も?」

「人の裸体って意外と難しくてね、構図の勉強になるのよ。私自身を参考にしてもロリキャラにしかならないし」

 自虐的なことを言って、みやびは肩をすくめた。

 ズラリと並んだ娯楽品の数々。漫画から小説からアニメから最近流行になった映画から過去に流行った劇画まで揃っている。読書があまり得意じゃない俊介にとっては堅苦しくなくていいと思っていたのだが、それを全てみやびは観賞しているのだという。

「すげえな」

「すごくはないわよ。人が作ったモノを見て、面白いと思っただけ。面白いと思ったから自分も作ってみたくなっただけ。多分、新田君のサッカーと動機は同じだと思う」

「……そうかもな」

 面白かったから続けている。練習はキツいが、楽しかったから続けられる。

 不意に嫌なことを思い出して、俊介は少しだけ顔をしかめた。

「……なんか、嫌なこと言っちゃった?」

「っ!? ……えっと……そうじゃないんだ。そうじゃなくて……だな」

 俊介は動揺を押し隠し、言葉を探す。

 些細な表情から内心を読みとられたことに驚きながら、それを嫌だとは思わない自分に少しだけ驚きながら、俊介は言葉を続ける。

「ちょっと、嫌なことを思い出しただけなんだ。みやびの言葉で気分を害したとか、そういうのじゃないから……」

「嫌なこと? 部活で後輩にカツアゲでもされたの?」

「みやびの中で、俺はどんだけヘタレ扱いなのかすげぇ気になってきたなぁ!」

「じゃあ、今まで一緒に部活やってきた友達が人間関係で頓挫して辞めた、とか?」

「……みやびサン、エスパーかなんか?」

「よくあることじゃない」

 あっさりと、みやびは言った。当然のこととして受け入れている態度だった。

 苦笑を浮かべながら、みやびは肩をすくめる。

「まぁ……時間をかけて、少しずつ納得していくしかないわね」

「経緯とか、話した方がいいか?」

「どうせ、体育会系特有の胸糞悪い話でしょ? 経緯だけざっくりでいいわよ。サッカー部の部室が炎上する可能性を上げたいんだったら、詳細に話してちょうだい」

「……友達に彼女ができた。部活に出て来なくなった。ひと悶着あって辞めた」

「ごめん。その話、多分私知ってるわ」

「へ?」

「その彼女って、多分ウチのクラスの石村ちゃんよ。っていうか、監督がアホ過ぎてエースストライカーをレギュラーにしなかったのが一番の問題って聞いたわよ?」

「あいつの彼女って石村なの!? なにそれショック過ぎるんだけどっ!?」

 今まで知らなかった、衝撃的な事実だった。

 原因の方は薄々感づいていたものの、まさかその彼女というのが『クラスでも絶対に有り得ない』と評される、噂が好き過ぎる女の子こと、石村未来だとは思わなかった。

 未来とみやびの評価はどっこいどっこいだし、つい最近まで俊介の中の評価はどっちも最低辺だったのだが、現在みやびの方は底辺からかなりの上位に浮上していた。

 みやびは、苦々しく口元を緩めていた。

「で、新田君はなんで『自分には関係のないこと』で傷付いちゃってるの?」

「彼女ができたくらいでサッカー辞めるなんて、思わなかったんだよ。そいつ、滅茶苦茶上手くてさ、いつか追い抜いてやるって目標にしてた」

「目標に裏切られたような気分なわけね。でも、彼にとっては『彼女ができたくらい』じゃないのかもしれない。今まで心血を注いできたことを否定しなきゃいけないほど大きなことだったのかもしれない。……まぁ、事情はともかく、新田君の心の問題だからこれ以上はなにも言わないわ。時間をかけて、少しずつ納得していくしかないわね」

「あれ? その言葉つい最近聞いたような……」

「一番最初に言ったわよ」

「相談しただけ無駄というか、俺がアホだっただけか……」

「そんなことはないわ。失敗も成功も、時間をかけて学ばないと何の意味もないもの」

「……そういうもんか」

 納得はできなかったが、みやびの言葉には説得力があった。

 俊介は口を閉ざし、みやびは漫画に目を落とした。しばしの間、沈黙が落ちる。

(なんか、みやびにいつもの切れがねぇな)

 ちらりとみやびの様子を伺うが、軽く溜息を吐いて漫画を読み進めていた。

 その様子が妙に艶めかしいと感じるのは、俊介が色々と溜まっているせいか。

 と、そこで不意にみやびが口を開いた。

「新田君。午後から買い物行かない?」

「えっ……あ、うん。買い物な、買い物。そりゃ行くさ。外の空気が吸えるからな」

「なんでちょっと挙動不審なのよ……」

「そりゃ、いきなり買い物に行くとか言われたら挙動不審にもなるさ」

 俊介は慌てて誤魔化したが、みやびの顔を見てたら急に話しかけられてびっくりしたというのが本当の所である。

「買い物って、なに買うんだ?」

「夕飯の買い物。油っこいものばっかりで飽きたわ。野菜を買いに行きます」

「お、おう……目がマジ過ぎて怖いけど、外に出れるのは嬉しいな」

「んじゃ、お昼ご飯食べたら出発ってことで、それまではのんびりしましょう」

「ん、了解」

 俊介は笑いながら返事を返した。

 やっぱり昨日からついているのかもしれない。そんな風に呑気に考えていた。



 やっぱり今日はついていない。そんな風に思った。

 背筋に走る戦慄と共に、俊介はおっかなびっくりみやびと一緒に歩いている。

 先日と違う所は、首にチョーカーが付いていないことだろう。

 出かける直前に、みやびが『もうチョーカーを付ける必要はないわ』と言ったので、なにも付けないまま外に出た。

(……今なら逃げ放題だよなぁ)

 みやびの足では俊介には絶対に追いつけないだろう。

 逃げ出した瞬間に、色黒の筋肉質の男が足元にタックルを仕掛けてくるぐらいはしてきそうな気がしたが、そんな気配は微塵もないし誰かが尾けてくる気配もない。

 居心地の悪さを感じて、俊介は思わず口を開いた。

「なぁ……みやび」

「なに?」

「なんか企んでないか? いや、別に企んでてもいいんだけど、俺は逃げないからあんまり意味はないと思うぞ」

「…………そう」

 みやびは不意に口元を緩めた。なんだかとても嬉しそうだった。

 足を止めて、俊介の顔をじっと見つめて、口を開いた。

「なんで逃げないのか理解に苦しむわ。私は逃げてもいいと暗に言ってるんだけど?」

「いや、決着がつくまでは逃げないって」

「決着はついてるのよ」

「…………へ?」

「私の負け。やっぱり三次元様には勝てませんでした。ごめんなさい」

 あっさりと、当たり前のように、そんなことを言った。

 俊介が唖然としていると、みやびは苦笑を浮かべた。

「だから、新田君がここに留まる理由も、もうないの。家に帰ってもいいのよ? 録画した映像とかは全部消してもらうし……そもそも、録画されてるかどうかも怪しいもんだしね」

「いや……ちょっと待て。いきなりそんなこと言われても……一体全体どこで決着がついたんだよ? 俺は別になにもしてねぇぞ?」

「最初に言ったでしょ? 十日逃げ切るか、私に負けを認めさせたら勝ちってね」

「今までのどこに負けを認める所があったんだよ? なんの理由もなくいきなり『あなたの勝ち』とか言われても、納得できねえぞ」

「その辺は私の個人的な事情だからね。新田君にはあんまり関係ないことよ」

「ここまで巻き込んでおいて、今更関係ないはねぇだろ!」

 俊介は叫んでいた。なぜかはよく分からない。自分の勝ちで相手が負けを認めたのだから、今すぐここから立ち去るべきだと理性は語る。

 しかし……この場は本能が勝った。理性を殴り飛ばした。

 ここで引き下がるべきじゃないと魂が叫んでいたから、俊介はそれに従った。

「俺の勝ちなら、勝者権限で『負けを認めた理由』を喋ってもらう。どんな不条理な理由だろうがなんだろうが喋ってもらうからな。このまま引き下がれるか」

「……どうしてそこまでこだわるのよ」

「分からんか? 徹頭徹尾、最初から最後まで理由に心当たりがないか?」

「分からないわよ……新田君の勝ちなんだから良いでしょ!?」

「良いわけあるかぁ! そんな辛気臭い顔で『あなたの勝ち』とか言われても、嬉しくもねんともねえし、なにより心配で仕方ねえわ!」

「っ……な、なによそれっ!?」

「お前のことが心配だと言ったんだ! 友達のことを心配して何が悪い!?」

「…………っ」

 みやびは泣きそうな顔になった。泣いてしまうんじゃないかと俊介は思った。

 小さい拳を握り締めて、唇を噛んで、それから、ゆっくりと息を吐いた。

 そして、俊介を睨みつけるように見つめた。

「……そうね。私は散々新田君の弱味を握っているのに、新田君が私のことを何も知らないっていうのは……確かに、フェアじゃなかったと思うわ」

「ドSなことは知ってるけどな」

「誰がドSよ……分かったわ。分かりました。買い物が済んだら全部話すわ」

「いや……夕飯済んでからにしようぜ。女の子の手料理とか食ってみたいし」

「今確信したけど、新田君ってかなりのアホよね。……いいわ。アホの新田君に現実を教えてあげる。絶対に引かせてやるから、覚悟なさい」

「アレの頻度や夢精のありなしより引く話があるんなら、是非聞いてみたいもんだな」

 俊介が冗談交じりで言ったその一言に対し、みやびは露骨に目を逸らした。

「それと比べると……あんまり大したことないかもしれないわね。あれ? もしかして悩むだけ損だったかも?」

「おい!」

「まぁ、後のことは後で考えるとして、買い物に行きましょう。今日の夕飯はピザの配達が来るらしいから、サラダを作って飲み物の準備くらいはしておかないとね」

「みやびって料理できんの?」

「まぁ、大体は」

「前々から思ってたけど、みやびサンさりげなくスペック高くねぇ?」

「褒めても何も出ないわよ。……まぁ、ちょっと嬉しかったから、なにかおつまみくらいは付けてあげましょうか。敗者は勝者の言うことを聞くものだしね」

「………………」

 褒めたらおつまみが出てきた。

 俊介は案外この子ちょろいのかもしれないと一瞬だけ思ったが、扱い方を間違えると即座に俊介の心を切り刻むドSであることを思い出し、少しだけ身震いした。

 俊介の思惑を読んだかのように、みやびはにやりと笑った。

「それにしても……『友達を心配してなにが悪い』とは。漫画の主人公みたいな熱血ぶりじゃない?」

「うぐぉう……な、なんか思い出したらすごく恥ずかしくなってきた」

「ありがとう」

「……え」

「ちょっとだけ、格好良かった」

「………………」

 みやびはにっこりと、年頃の女の子と同じように、朗らかに笑った。

 俊介は少しだけ言葉を失った。ほんの少しだけ、その笑顔に見惚れた。

 話はそれで終わりのようで、みやびは少しだけ顔を赤らめて、それでも嬉しそうに笑いながら、照れ隠しのようにさっさと歩き出す。俊介もそれに続いた。

(ああ……うん。そうだな……やっぱり、俺は馬鹿だったんだな)

 勝手にみやびのことを『異性としては絶対にない』と決めつけていたことを自分のことを愚かだと、俊介は思った。

 錯覚でも、本能でも、勘違いでも構わない。

 別にこの時が初めてというわけじゃなかったけれど……相沢みやびのことを、心の底から可愛いと、思った。



「やっほー、みやび。お帰りー♪」

 買い物を終えて部屋に戻ると、そこには見知らぬ女性が我が物顔で居間でテレビを見ながらお茶を飲んで、洋館を頬張っていた。

 染めているであろう赤茶色の髪。蟲惑的な容貌。人を上から見下すようなつり目と、挑発的な口元。細い手足に大きな胸。服装は俊介やみやびが通っている高校の制服だったが、彼女が着ていると別物のように見えた。

 俊介の脳内で警報が鳴る。この女は……よく分からないが、ヤバい匂いがする。

 にこにこと人懐っこそうに笑って、彼女は言葉を続けた。

「結構良い部屋に住んでるのね? でも、たまには家に帰って来て欲しいなー。みやびの手料理は美味いからね。ママの産業廃棄物とは大違い」

「何しに来たのよ、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんという言葉に、俊介は唖然とした。

 みやびと目の前の女は、全くと言っていいほど似ていない。

「お姉ちゃんって……」

「姉貴よ。名前は相沢ひふみ。……父親は違うけどね」

「相変わらず冷めちゃってるわねー。事実は事実でいいけどさ、姉妹の絆くらいはあると信じてるんだけど、あたしは」

 にやにやと笑いながら、ひふみと呼ばれた少女はお茶を飲む。

 お茶を飲むひふみを睨みつけて、みやびは口を開いた。

「それより……何の用よ?」

「用事って程の用事じゃないのよね。家の洗濯物が限界だからそろそろ切り上げて帰って来て欲しいってのと、みやびの手料理が食べたくなったから帰って来て欲しいってのと、みやびが限界そうだから様子を見に来たって感じ?」

「洗濯くらい自分でして。はい、キャベツ。そろそろ限界だから明日帰るわ」

「ヒューッ! ウチの妹かっけぇ! 基本性格ブスなのにクール過ぎるゥ!」

「性格ブスはお姉ちゃんも似たり寄ったりでしょ。洗濯や料理くらい、彼氏という名のお財布連中になんとかしてもらったらいかがですかねェ?」

「あー……うん。ああいうのはやめたわ。今はちょっとね……気になる人がいるし」

「はァ? お姉ちゃんビ●チのくせに、なに乙女みたいなこと言ってんの?」

「●ッチじゃねーよ! 新品だよ! 未開通だよ! ビッ●っていうのは、ママみたいな頭のネジを母親のお腹に忘れてきた女のことを言うのよ!」

「男を財布代わりにするような女も●ッチって呼ぶのよ。それより帰ってくれない?」

「おやおや? クールな妹様はこちらの彼にご執心? 五日一緒にいただけで?」

「落ちついて話ができないから帰ってくれませんかねぇ……おねーさま」

 みやびの額に青筋が浮かんだが、俊介の方をちらりと見て、怒りを収めた。

 ゆっくりと息を吐いて、目を細め、みやびは口を開く。

「あと……ママに伝えておいて。『負けました。ごめんなさい』って」

「そう言われて、あのアホが納得すると思う? この際だからはっきり言っちゃうけど、あたしみたいにある程度開き直るか、彼氏でも作らないと納得してくれないよ?」

「……分かってる」

「ママを納得させないと、今回みたいな無理難題をまた押し付けてくるよ?」

「それも……分かってる」

「分かってないわ。例えば『そこの彼のお友達を捕まえたから、どっちか選びなさい』とか平気で言う女よ? そういうアホな環境で生きてきたんだから」

「ちょ……ちょっと待て!」

 俊介は思わず声を上げた。

 嫌な予感が背筋を這い上がる。その『友達』に心当たりがあった。

「友達って……如月のことかっ!?」

「うん。如月与一くん。拘束はしたし、今はとある所に軟禁してるけど手荒な真似はしてない……というより、できないから安心して。君より待遇は良いと思うよ」

「………………」

「信用できないって顔ね。そういう顔は嫌いじゃないけど、本当よ。私達の住む世界にはね『こいつに逆らったら後が怖い』っていう人間が少なからずいるの。そーゆー人の顔を立ててご機嫌伺いをしながら生きていかなきゃいけないの。もちろん君を攫ったのだって、行為的にはNGよ。NGだけど……今回はうっかりこうなってしまった。おおむねママとみやびが悪い。もちろん誰彼構わず告白しようと思い立った、君もね」

「なっ……なんでそれを……っ」

「みやびに聞いたのよ。男の子だし、そーゆーこともあるのはしゃーないし、数撃ちゃ当たるのは事実だけど、当たっちゃいけない弾丸もあるのだよ、少年」

「……むぅ」

 納得しかできなかった。むしろ身を以て思い知っている。

 しかし、今回のことは『当たらない方がいい』とは思えなかったが。

「じゃあ……如月は無事だし、ちゃんと帰してもらえるんだな?」

「君と同じく本日帰宅予定。彼のことは本当に心配要らないわ。むしろ、問題なのは君の方なんだよね、少年」

「へ? 俺?」

「まぁ、なにがどう問題なのかは、二人で話し合って決めてちょうだい。あたしはちょっくら様子を見に来ただけだから、この辺でお暇させてもらうわ」

 そう言い放って、ひふみは席を立った。

 そして、みやびの方を向き、口元を緩めて笑った。

「避妊はしろよ? 妹」

「アホか! さっさと帰れ、馬鹿姉貴!」

「ヒューッ! 妹が怒ったー♪」

 楽しそうにゲラゲラと笑いながら、まるで争乱のように厄介事だけ撒き散らし、ひふみは部屋から出て行った。

 部屋の中を沈黙が支配する。頬を掻きながら、俊介は口元を緩めた。

「なんつーか……ユニークな人だな」

「ユニークという表現は大抵の場合褒めてないけど、的は得ているわね。あの変な姉が私の数少ない味方なんだけど、いざって時以外は頼りにならないのがたまにきずね」

「色々聞きたいことはあるけど……まぁ、夕飯時でいいか?」

「なんか、えらく呑気ね」

「本音を言えば、先延ばしにしたい。内心は超びびってる」

「そんなに心配しなくても、新田君にとっては大した話じゃないわよ」

「そう言ってくれるとありがたいけどさ……それよりも、如月に迷惑がかかってるのが超怖い。あいつ怒ると滅茶苦茶怖いんだぜ?」

「ゲームでもする? 気分転換というか、気を紛らわすためにだけど」

「するする」

 俊介はあっさりと頷いた。この際気分転換ができればなんでもよかった。

 そして、数時間後。日が暮れて夕食が届いた頃に、完全に心が折れていた。

「あの、みやびサン。このゲーム、クソゲーじゃないの? 死にまくって先に進むことすらできないんだけど……っていうか、気分転換どころか気分が陰鬱になったんだけど」

「私は死んで再挑戦しまくるゲームが大好き」

「ドSだと思ったけど、ドMだったのかよ……」

「んじゃ、食べながら話しましょうか」

「ん……分かった。とりあえず、いただきます」

「いただきます」

 食卓に置かれているのは宅配ピザと、みやび作のサラダとプレーンオムレツ、そして学生が飲むのに相応しいオレンジジュースだった。

 俊介はプレーンオムレツを皿に取り、一口食べる。

「おお……美味いな、これ」

「中をふわふわにするコツは、腐るほど卵を使うことよ。オムレツ専門店とかのオムレツとかと同じ個数を使ってるの。たんまりとたんぱく質を取るといいわ」

「まぁ、卵はスポーツやってる奴にとっちゃありがたい食品だけどよ」

「私にとっては敵だけどね」

 たんまりとチーズが満載したピザを頬張りながら、みやびは口元を緩める。

 自嘲気味に、あるいは、自虐気味に。

「んじゃ、今から話すけど……結論から言っちゃうとね、相沢家は代々淫魔の家系なの」

「淫魔?」

「サキュバスとか聞いたことない? 異性の精を糧にする悪魔。ウチの御先祖様がそういうモノだったらしくて、子孫の私達も『そういう風』になってるってわけ」

「いや、えっと……設定……とかじゃなくて?」

「設定だったらいいんだけどね。新田君も実感してるはずよ。だって『匂い』は外に出ると拡散しちゃってよく分からなくなるものだから」

「………………っ」

 俊介は喉を鳴らした。みやびが言いたいことは、身を以て痛感している。

 この部屋に漂う『匂い』の正体は……。

「分かりやすくフェロモンよね。私は淫魔の性質が薄いからいいけど、お姉ちゃんやママはそりゃもう酷いもんよ。男の人が嗅ぐと理性が吹っ飛ぶくらいのものだから」

「……そりゃひでぇな。電車とか絶対に乗れねえだろ」

「うん。ママとお姉ちゃんは国から乗車禁止されてるわね。私は満員時不可。月一で報告義務もあるし、生活する上で補助金も出てたりするの」

「国っ!? 国が関与してんのっ!?」

「電波な話でしょう? 高校進学前にこの話聞かされた時は『あ、やべぇ。私のママはお脳が別の世界にイっちゃったわ』って思ったもん」

「なんかものすごく不安になってきたんだが……俺が聞いてもいい類の話なのか?」

「問題ないわ。喋っちゃ悪いって規定もないし、新田君以外誰も信じないもの。淫魔なんて嘘っぱちで、本当は私には無意味に虚言を吐く悪癖があるだけかもしれない。……嘘でも本当でもどっちでもいいのよ。新田君が信じようが信じまいが、私たちがこうなっていることは変えようがない」

「………………」

 新田君には関係がない。確かに最初にそう言われた。

 そう言われたことが悔しくて話を聞いている。それに後悔は微塵もない。

 だから、俊介は信じることにした。

「で……淫魔なのは分かったけど、なんでそれでみやびが負けちゃうんだよ? フェロモンにしろなんにしろ、俺が不利になるだけだろ?」

「淫魔のフェロモンが濃い理由は異性を引き付けやすくするため。では、なぜ引き付けやすくする必要があるのでしょうか?」

「異性の精を糧にするとか、さっき言ってたよな?」

「そう、それが正解。淫魔の性質が強い人ほどそれが顕著です。ママもお姉ちゃんも滅茶苦茶もてるし、性には奔放です。淫魔にとって異性は『ごちそう』なのよね」

「えっと……つまり?」

「そんなに言わせたい? 私が我慢できそうにないから負けっつってんのよ」

 みやびは半ギレだった。無理もないかもしれない。

 俊介が思わず涙目になるほどの殺気を放ちながら、みやびは口元を歪めた。

「はいはい、どーせ私はエロいですよ。むっつりドスケベで悪ぅございましたねぇ?」

「……みやびサン、滅茶苦茶怖いんだけど……」

「今だからぶっちゃけるけど、何回か新田君を押し倒しそうになったわ」

「いや、さすがにみやびの細腕には押し倒されねぇよ?」

「と、思うじゃん?」

 にっこりと笑いながら、みやびは俊介の手を握る。

 わぁ、やっぱりみやびサン指細いとか俊介が思う前に、激痛が襲った。

「あだだだだだっ! ちょ……なにこの力っ!? びくともしねぇんだけど!?」

「相沢家はエロい代わりに力持ちなの。そもそも、捕食者が捕えた獲物に逃げられちゃ仕方ないでしょ? フェロモンで麻酔はするけど、行為に至る時は腕力なのよ。いっそこれも設定で、私が毎日筋肉トレーニングしてますってことでもいいけど」

「分かった! 分かったから離してぇ!」

 その言葉は悲鳴に近かった。むしろ悲鳴だったかもしれない。

 俊介はサッカー部ではあったが、鍛えた肉体には少しだけ自信があった。腕力にもそこそこの自信があったが、今こうしてあっさりと自信は瓦解した。

 みやびはわりとあっさり手を離し、深々と溜息を吐いた。

「とまぁ、こんな感じで、明日になってたら色々と酷いことになってたわ。漫画風の表現にすると、私が頬をつやつやにして煙草吸ってて、新田君が顔を手で覆って啜り泣いてるか、目から光が失われてる感じかしらね。……本当に限界だったわ」

「そんなにキツいもんなのか?」

「理性が飛ぶくらいキツいわよ。でなきゃ、負けなんか認めないってば」

「……そりゃそうか」

 俊介は深々と頷いた。ようやく納得した。腑に落ちた。

 みやびにしてはあっさり負けを認めると思ったが、あっさりでもなんでもなかった。

 彼女なりに考えた結果なのだろう。考えに考えて、俊介との仲を慮った結果負けを認めたことは、さすがの俊介も分かった。

 みやびはジュースを口に含んで喉を潤し、話を続けた。

「そもそもね、……今回のことは、私が独り暮らししたいって言ったのが原因なのよ」

「独り暮らしすんの?」

「いつかはしてみたいかなって感じだったんだけど、ママが本気にしちゃってね。『男の子一人落とせないみやびちゃんには無理よぅ。うふふ』とか、笑ってない目で言い出したもんだから、私も男の一人くらい落としてやるわよってムキになっちゃって……ママがこんな舞台を用意してくれやがりましたとさ」

「男と同棲する前提なのが恐ろしいな……」

「強い淫魔ほど、他人からの精に依存して生きてるから仕方ないんだけどね。ママは愛人を何人も囲ってるし、お姉ちゃんはお財布みたいな彼氏がたくさんいる……いたし。でもそれは強いからであって、弱い私は一人でもわりと大丈夫なのよ」

「で、なんで『落とす異性』に俺が選ばれたんだ?」

「最低な男子なら、最悪顔面凹ますような事態になっても心は痛まないと思ったのよ」

「……バイオレンスな発想だ」

 実際、欲望に負けてみやびに襲いかかったらそういうことになっていたかもしれないことを思い、俊介は顔を引きつらせた。

 みやびは肩をすくめて、口元を緩める。

「これに関しては新田君も悪いわよ。振られた直後に私に告白するなんて『相沢ならちょろいだろ』とか思ってたんでしょ?」

「……信じてくれとは言えんが、断じて思ってない。もっと最低だ。あいうえお順だったんだ。あの時の俺は……本格的にどうかしていた。今思い出しても死にたく……」

 と、そこでようやく俊介は肝心なことに気づいた。

「ちょっと待て。……そもそも、なんでみやびは俺が振られたことを知ってるんだ?」

「私もあの場にいたから。今度は屋上にあるタンクの裏も確認なさいな」

「……死にたい」

「生きて恥を晒すことね」

 その言葉は優しさなのか、あるいは残酷なだけなのか……いや、恐らくは優しさだろうと俊介は思った。なんだかんだで、みやびは情に脆い。

 俊介は心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた。

「なんか……ごめんな」

「謝りたいのはこっちも同じよ。変なことに巻き込んで、ごめんなさい」

「今度はこういう変なの抜きで、普通に遊びに行ったりしようぜ?」

「そうね。……そう言いながら徐々に疎遠になったりするものだけど」

「しないしない。そうだ、勝ち負け関係なく、来週くらいに温水プール行こうぜ」

「私の方から疎遠にしたい気分で胸がいっぱいになってきたわ」

「あ、そういえば携帯の番号とメルアド交換しようか。……それと、俺の携帯の制約だのなんだの、早々に解除してくれると嬉しい」

「明日の朝には解除されるって、パパが言ってたわ。パパっていってもエロい意味でとかじゃなくて、私の遺伝的な意味での実の父親なんだけど。父親が多過ぎて訳が分からなくなるわ、ホント」

「聞けば聞くほどすげーな……」

 呆れながら、赤外線で電話番号とメールアドレスを交換する。

 受け取った携帯番号を登録しながら、みやびはふと気付いた。

「そういえば、同年代の男の子で番号交換したのはこれが初めてね」

「………………」

「お? なによその神妙な顔。確かに私はドSでドMで弩級のむっつりスケベだけど、電話番等聞けるほど親しい男の子とかいなかったのよ。文句があるなら腕力で決着付けてあげましょうか?」

「いや……俺も初めてだから」

「……は? い……いや、そんなことないでしょ? クラスの子とは親しげに話してるじゃない。サッカー部にだって女子マネージャーとかいるんでしょ?」

「なんか聞きそびれちゃってさ……如月か水無月に聞けば、大体の女子と連絡付くし」

「恥ずかしがってる間に聞くタイミングを失ったってこと? 中学生か」

「直球で言わんでくれ。心が折れる」

「いつ聞くの? 今でしょ? っていう言葉が最近流行ってるじゃない?」

「だから今、勇気を出して聞いたんじゃねーか……」

「………………っ」

 その言葉で、なぜかみやびの頬が赤く染まる。

 ごほんと一つ咳払いをして、みやびは口を開いた。

「ま、番号も交換したし、夕飯食べちゃいましょうよ。もうちょっとで如月君がこっちに来るってさっきお姉ちゃんから連絡があったから、一緒に帰ればいいんじゃない?」

「そうするよ。……んじゃ、また学校でな」

「……うん」

 みやびは、はにかむように笑い、俊介もつられて笑った。

 こうして……よく分からない妙な監禁事件は、あっさりとなんの進展もなく。

 二人の間で勝手に完結して、終わりを告げたのだった。



 ○ヤらない。理性で本能はコントロールできる。

 ○ヤる。本能の前では理性などクソ同然である。


 かくて、本当の戦いはこれから始まる。

そういうわけで、次回で最終回になります。

後日談って言ってるけど、大抵の物語は後日談が本番だ。

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