3日目。タイトル詐欺にも程がある。
閉鎖空間ってわりと普通の表現だと思うんだけど、某ハルヒさんの小説が出ちゃってからなんか使い辛い気がする。もちろん気のせいだ。
タイトル通り、メインタイトルで嘘を吐きました。
お買い物回になります。
何回でも繰り返すけど、下ネタが嫌いな人はブラウザバック推奨。
●●しているのは、どっち?
目が覚めたのは、朝の六時だった。
ようやく体が生活に慣れて、いつもの生活習慣に戻った気がする。
起きたらランニングを始める俊介であったが、今日は少々事情が違う。
「……段々キツくなってきたな」
青少年らしく、エロい夢を見たような気がする。
どんな夢を見たかは忘れてしまったが、エロいのは間違いないと確信できた。喉がやたら渇いていたし、息子さんはテントを建築して自己主張していたし、なんだか嫌な汗をかいて嫌な感じだった。
ゆっくりと、長く息を吐いて起き上がる。
「んんぅ……ぐぅ」
少し離れたベッドで眠っているみやびが、寝息を立てて眠っていた。
上下が赤いジャージ。色気もへったくれもない……はずなのだが、規則的に上下する胸元やら唇に目が行ってしまうのは、なぜなのか。
頭をがりがりと掻いて目を逸らし、俊介は口元を歪めた。
「……さすがに飢え過ぎだろ、俺」
思考がまとまらない。さっきから喉を鳴らしてばかりいる。
(本格的にマズくなってきたな……如月の奴の言うことがことごとく当たってやがる)
人生史上、最悪の戦い。
最初は大げさなと思っていたし、内心で少しだけ呆れてもいたのだが、閉鎖空間に閉じ込められているという状況と『襲ってはいけない女の子』が同じ部屋で寝泊まりするというのは、かなりのストレスを俊介に与えていた。
ストレスを運動で解消できるのは幸運なのだが、それでも根本が解決されたわけではないのだ。
(今日で三日か。……あと七日も持つか、これ?)
まだ半分にすら到達していないという事実が、少しばかり俊介を打ちのめす。
平常時なら七日くらいは……微妙だと思うがなんとかなるような気がする。
しかし、心のどこかで警鐘が鳴っている。心の奥深く……獣に近いなにかが、大声で警告しているような、そんな気分になってくる。
この部屋は、この状況は、理性を確実に削っている。
「例えば、この部屋だ」
なんの変哲もない寝室。寝る時になるといつも甘ったるい匂いが漂ってくる。
からみつくような甘い匂い。心の奥深くを刺激されるような、匂い。
最初は女の子特有のものだと思っていた。あるいは、消臭剤か香水のようなものだと思っていたが、ここまで『飢餓』を刺激する匂いを、俊介は知らない。
(キツい原因の一つがこの匂いだ……マジでなんなんだ、これ)
攫われた当初は全く気にならなかった。
徐々に少しずつ強くなってきた……ような気がする。
昨日は明らかに一日目より濃い匂いだった……と、思う。
もちろん確証はない。もしかしたら、ただの女の子の匂いで俊介の自意識過剰、あるいは飢え過ぎて頭がパーンとなってしまった可能性もある。
しかし……換気がされているはずの部屋で、ここまで香る『なにか』とは、一体何なんだろうか?
(……シャワーを浴びて、ランニングしよう)
気持ちを切り替えて、ベッドから起き上がる。
匂いの原因を突き止めようとは思わなかった。とにかく、十日逃げれば勝ちなのだ。
みやびは『私に負けを認めさせたら』と、言ったが、そんな方法など思い付かない。
「まぁ……役得……なのか?」
役得ってなんだよと、心の中でおざなりにツッコミを入れて、俊介は欠伸をした。
今日の息子さんは少々頑固で、歩きづらかった。
ランニングをし、汗を流し、用意されていたTシャツとGパンを着た。
サイズは測ったようにぴったりではあるが、突っ込む気力も起こらない。
午前の七時に支給された朝食は、ご飯、味噌汁、オクラ納豆、生たまご、味付け海苔というシンプルかつ美味しい和食である。
昨日とは違い、居間でみやびと一緒に朝食を摂ることになった。
「新田君って嫌いなものとかあるの?」
「あー……ピータンとかパクチーみたいな、匂いがキツいのは苦手だな」
「匂いフェチではないわけね」
「なんでフェティシズムの話になったんだよ。匂いにも好き嫌いがあるわ」
「今日はテンション低めね?」
「察しろ。……で、だ。昨日寝る前に思い付いたことがあるんだ。あんまり口には出したくないんだが、勝負だし曖昧な部分は除いていかんとな」
「……なによ? 改まって」
「俺が夢精したらこの勝負どうなんの?」
「ぶっ!?」
みやびは味噌汁を吹いた。盛大に吹いて、盛大に咳き込んだ。
なんとなくその反応は予測できていたので、台拭きで机を拭きつつ、みやびにティッシュを渡してやる。
「ごほっげふっごほっ……い、いきなりなにを言い出すのよ!?」
「飯時に悪いとは思うが、生理現象である以上避けては通れないだろ? 朝起きたら負けてましたとか、さすがにそれは理不尽過ぎる」
「そりゃ……そうだけども」
みやびはなぜか顔を赤らめて視線を逸らした。
本能が『女の子の照れ顔イェーイ!』と、ガッツポーズを決めると同時に、理性が『相手はみやびだぞクソが!』と本能の横っ面を引っぱたいた。
本日も俊介内評議会は与党の理性と野党の本能で一触即発の様子を見せている。
(……ちょっと落ちつこうか、俺)
乱闘寸前に陥る本能と理性の評議会を一声で押し留め、話を続けた。
「ちなみに、夢精には個人差がある。する奴もいればしない奴もいる。俺はする派だ」
「堂々とカミングアウトしないでよ……」
「俺だって言いたかねーわ。当たり前だが誰にもこんなことは言ったことはない。それだけ俺が勝負に真剣になっていると思ってもらおう。はっはっはっは」
「ぬぅ……分かったわ。その覚悟や良し!」
なぜか覚悟を認められた。実際には覚悟ではなく開き直りなのだが。
少しだけ考えて、みやびはにやりと笑った。
「仮に、もしもそうなったら、新田君の勝ちでいいわ。その代わり、ちゃんと睡眠中の出来事なのかどうか、カメラで判定するからね?」
「……うっわ、言わなきゃよかった。気まずいまま引き分けとかでよかった」
「大体、まだ三日目だし、大丈夫でしょ?」
「みやびにとっては三日目でも、俺にとっては七日目なんだよ」
「…………え」
「あ」
うっかり言ってはいけないことを口走ってしまい、奇妙な沈黙が落ちる。
納豆を練る音と、味噌汁を飲む音だけが、五分ほど響いていた。
不意に真顔になって、みやびはぼそっと呟いた。
「四日……いえ、攫われた日にするつもりだったのなら三日に一回か。エロそうな顔して意外とスパンが長めなのね……」
「冷静な顔で計算するなァ!」
「まぁ、有利になったんだから良かったじゃない?」
「良くねーよ! 試合には有利になったかも分からんが、勝負じゃどう考えても死んでるじゃねーか! 今ですら辛いのに、そろそろ拷問の域に突入するぞ!」
「味噌汁お代わりいる?」
「頼むから露骨に話を逸らすんじゃねぇ! お代わり!」
そろそろ、やけくそになりつつある俊介である。
味噌汁の入ったお椀を受け取って、味噌汁を飲む。少しだけ緊張がほぐれたところで、もう一つ言っておかなきゃいけないことを、思い出した。
「そういえば、髭剃りないか? そろそろ伸びてきたし剃りたいんだけどよ」
「あれ? 髭剃りは洗面所に置いてあったでしょ?」
「……いや、あるけどさ」
みやびの言っている品は、正確には髭剃りではない。
剃刀である。美容師なんかが髭剃りに使ったりするが、一般的なシェーバーや髭剃りなどとは一線を画するものだ。
「あれ、使い慣れてないからスパっといきそうで怖いんだよ」
「剃れないなら伸ばしてしまえばいいじゃない」
「二次元の無精髭は格好良いがリアルの無精髭は小汚いだけだ。俺は清潔感が欲しい」
「じゃあ、買いに行きましょうか?」
「…………は?」
「部屋の中にこもっててもストレス溜まるだけだしね。制限付きでいいなら、外に出て買い物するくらいは許可してあげる」
「制限……嫌な予感しかしねぇぞ」
「外に出る時はこれを付けてもらうわ」
みやびはテーブルの上に置いてあったものを、俊介に差し出した。
黒い皮状のチョーカーだった。輪の部分は施錠できるようになっているらしく、鍵穴がついていて、チョーカーの中央部分に鈴がぶら下がっていた。
「……爆弾?」
「漫画の読み過ぎよ。まぁ、私から一定距離離れると催涙剤が噴霧されるらしいけど」
「携帯の改造といい……なんか、みやびのやり口とは違う感じの、妙に性質悪い奴がこういうの作ってねぇか?」
「新田君には関係ないけど、私にも色々あるのよ」
みやびは肩をすくめたが、なんだか疲れた顔をしているような気がした。
それは少しだけ気になったが、俊介の関心は外に向いていた。
(条件付きとはいえ、外に出れるのはありがたい)
隙があれば、誰かと連絡が取れるかもしれない。
携帯電話の普及でかなりの数が減ってしまったとはいえ、駅前には公衆電話もあるはずだ。なりふり構わなければ、警察のご厄介になることもできるかもしれない。
(まぁ、警察は最後の手段だ。変なことして失敗したら元も子もないし……正直なところを言えば、みやびを警察に突き出してもなんの解決もしないような気がする)
三次元はケダモノだと、みやびは言う。
誰でも良かった。俊介でなくとも良かったとも、言う。
それは間違いなく彼女の本音だろう。しかし……それとはまた別に、なんらかの事情を抱えているんじゃないかと、俊介はなんとなく思っていた。
意地が悪いし、可愛くもないが、話しているとちょっとだけ楽しい。
この三日……たった三日程度でみやびに対する評価が『クラスメイトの絶対にない女子』から『友達』に、勝手にランクアップしているのは、なんとなく分かっていた。
俊介内評議会において理性と本能が、それに関しては意見を一致させている。
(まぁ、しゃーない)
人間関係は理屈じゃない。その程度には俊介は諦観していた。
溜息を吐いて、俊介はちらりと窓から外の風景を眺めた。
外に出れる。そう思うと少しだけわくわくする。
「それじゃあ、午後から出発ってことで。欲しいものがあったらまとめておいて」
「おう……って、そういえば持ち合わせがねえや。コンビニか銀行に寄らんと」
「そのくらいなら私が払うわよ」
「いや、それはさすがに……なんか気が引けるんだけど」
「別に遠慮しなくてもいいわ」
不意、だった。
みやびは俊介から目を逸らして、ゆっくりと息を吐いた。
「私のお金じゃないしね」
とても疲れたような顔。疲れていながらも、今の状況を諦めた、やさぐれた目。
友達にそっくりな、泥の底のような目だった。
用意されていた洋服を着て、アイマスクとチョーカーを装着させられて、なんやかんやで外に出た。
なんやかんやの間はよく分からない。みやびに手を引かれていたのは分かるが、その間は『手が小さいなぁ』みたいなことを考えていた。
(……この期に及んでエロか。情けなさ過ぎて涙が出そうだ)
そんな風に落ち込んでいると同時に、アイマスクを外された。
目を開ける。そこに広がっていたのは……。
「おお……外だ。ここがどこだかどこか分からんけど、外だ。やべぇテンション上がる。解放感がすごいな。このままどこままでも走っていけそうだ」
「走ってもいいけど、五メートル以上離れるとえらいことになるわよ?」
「分かってるよ。……あと、なんか空気が異様に美味い。外は最高だな!」
「アウトドア派の意見ねぇ」
みやびは肩をすくめていたが、空気が美味いのは恐らく別の意味もある。
外にはあの部屋のような『なにか』がない。そのなにかを言葉にすることは俊介にはできなかったが、とにかく良くないものがあるような気がする。
「ま、ちゃっちゃと買い物済ませて帰りましょ。あんまり外は得意じゃないの」
「インドア派の意見だ」
地理も道も分からないので、みやびに付いて行くしかないのだが。
せっかくの外出なのだが、みやびの服はパーカーにGパンとスニーカーと大きな帽子という地味極まりない、恐らくは誰の目にも止まらない服装だった。お洒落さなど欠片もなく、お洒落しようという気配すら感じられない。
サイズが大きめの服を、持て余し気味に着ていた。
「みやびは、お洒落とかしないのか?」
「外に出かけるならこれで十分だし、ブスがいくらお洒落してもブスなのよ」
「ああ……もしかして、コスプレとかしたりすんのか?」
「一切しないわ。ブスがいくらお洒落してもブスなのよ」
「……俺の姉貴はブスだからこそお洒落をするんだと言っていたが……」
「全くもって正論ね。ところで、お姉さんは天然パーマかしら? 胸が極端に薄かったりは? 背丈がフォロー不可能なほど低かったりしない?」
「いや……しないけど」
「お洒落の基本は『自己への確信』よ。自分はイケるんじゃないか、そんな錯覚と毎日のマメさが『綺麗』や『可愛い』の基本であり全てよ。それが欠落している私が化粧しようがお洒落しようが鏡に映るのは『駄目でブスな私が化粧してるだけ』なのよ」
「……そうかな」
「ちなみに、三ヶ月くらい前の新田君の髪型、似合ってないって評判だったわよ?」
「マジでっ!? お、俺、あの髪型、結構格好良いつもりだったんだけど……」
「もちろん嘘よ。よく似合ってたと思う」
「…………え」
「こんな風に自信の否定を何年も繰り返されるとね、私みたいな女になるのよ」
皮肉げに口元をつり上げて、みやびは笑った。
嘲笑うようにも見えた。笑われたのは俊介なのか、あるいは自分自身を笑ったのか。
頭を掻いて、心の中でだけ溜息を吐いた。
(いきなり地雷を踏んでどうする……アホか、俺は)
一気にテンションが急落した。みやびは見た目普通だが、内心は分からない。
少しだけ物憂げに見えないこともない。
「あー……みやび、今日はどの辺に買い物に行くんだ?」
「コンビニ」
「もうそこまで見えてるじゃねーか! 歩いて三分だぞ!? 犬の散歩でも、もうちょい歩いたりするだろ!」
「髭剃り買うだけでしょ?」
「待って! お願いだから待って、みやびサン! 俺はもうちょっと歩きたい! 買い物はともかくあっちこっち歩いて見て回りたいんだ! 気分転換、とても大事!」
「ああ……そういう期待があったんだ。私てっきり『監禁された人間ってコンビニ行く程度でこんなんなっちゃうんだ』って、軽く引いてたけど」
「引くなよ! 他の奴はともかく、お前は引くなよ!」
「えっと……じゃあ、DVDでも借りてく?」
「お、いいな。最近の映画でもないけど『復讐者たち』は前々から見たかったんだ」
「ウチにあるから借りる必要はなさそうね。あと、脚本はともかく吹き替えがクソよ」
「待て! 頼むから待ってくれ! じゃ……じゃあ、カラオケとかどうだ!?」
「私は自分の声が嫌い。だから却下」
「ゲーセン」
「家でゲームすりゃいいでしょ」
「み、みやびの好きそうな店ならどうだ!? アニメや漫画専門店とか!」
「通販で大体買っちゃうし、グッズとかは媚びてて嫌いなのよ」
「デパートで服とか見て回ったりとか……」
「自分に合うサイズがないもん見てなにが楽しいのよ?」
「家電量販店!」
「不必要なものは見ない。関わらない。触らない」
「買い食いとかどうだ!?」
「太る」
鎧袖一触だった。練っていたプランをことごとく粉砕されてしまった。
(くっそ……あとは……あとは、なにかないのか!?)
男子力の低さが露呈してしまった瞬間である。男子力とは引き出しの多さのことであり、ボキャブラリーであり、相手をエスコートする力のことである。
家に帰りたがる女子を引き止めるなにか……ラブホに連れて行くために必死に食い下がる馬鹿男の発想にも似ているが、俊介は気分転換のために必死だった。
そんな俊介を見つめて、みやびは口元を緩めた。
「ま、冗談なんだけどね。今日は新田君の行きたい場所に行きましょう」
「……へ?」
「ケチ付けるだけ付けて、代案は出さないってのは嫌いなのよ。私は行きたい場所とかはとくにないけど、新田君はどこに行きたいのかしら?」
「えっと……とりあえず、テキトーに剃っても肌が切れないタイプの髭剃りが欲しいから、薬局とか大型デパートとか」
「それじゃあ、その後は歩きながら考えましょうか?」
軽く微笑んで、みやびはさっさと歩き出した。
「…………おう」
胸になにかもやもやしたものを抱えながら、俊介はみやびの後に続いた。
結局、欲しい物もやりたいことも大型デパートで事足りた。
髭剃りを購入し、それからあれやこれやとデパート内のスポーツ用品店やら洋服店やら色々なものを覗いているうちに、みやびの方が音を上げた。
「この辺でお茶にしましょう」
「お茶って……まだそんなに時間も経ってないぞ?」
「歩くの疲れたからお茶にしてくださいお願いします」
「………………」
敬語だった。切実に疲れていたらしい。
訴えかけるような上目遣いに、結局俊介は折れた。
(というか……アレはずるいだろ。アレに勝てる男はいないだろ)
つい最近までみやびのことを『あれはない』とか言っていた男の思考ではないが、そのことは完全に棚上げして、フードコートで休憩することにした。
「お金はあるから、ちょっとお高めのコーヒー専門店でも良かったのよ?」
「貧乏性なんでな。あとなんかコーヒーより甘い物が飲みたい気分だ」
「意見が合ったわね。じゃあ、コーラフロートよろしく。はい、これお金」
「……傍から見ると、今の俺はかなりサイテーなんじゃないだろーか」
女の子に飲み物のお金をたかる最低の男という絵面に少々絶望しながら、コーラフロートとクリームソーダを注文する。
店員から飲み物を受け取って、席に戻り、コーラフロートをみやびに手渡した。
「ほらよ」
「ありがと。……んーっ、美味しい!」
コーラフロートを飲んだみやびは、満足そうに笑った。
「やっぱり、疲れた時は甘いものに限るわね」
「太るぞ」
「うわ、超失礼ね。新田君の1.5倍は歩いてるから大丈夫よ。歩幅的な意味で」
「ああ……うん」
だからお尻と足がすごく良い形なんだな。最高だな。
そんな言葉が頭を掠めるが、当然言葉に出すことはなく自己嫌悪だけが増大した。
(このままだと俺は自己嫌悪で死ねるな)
クリームソーダのアイスを食べながら、俊介は自分のエロさに絶望する。
その絶望は脇に置いて、息を吐いて周囲を見回す。
「しかしアレだな……平日なのに学生をちらほら見るよな。まだ授業中じゃねーの?」
「学校サボってデートでもしてるんでしょ。爆ぜろ死ね」
「同意見だ。……おっ、あっちのカップルの仲がちょっと険悪だ。是非別れろ」
「これが小説や漫画なら、あっちのカップルが顔見知りで色々誤解されるパターンね」
「顔見知りだったりするのか?」
「もちろん、知らない人よ。助けは来ない。現実は非情なもんよ」
「だよなぁ……」
クリームソーダを飲みながら、俊介は口元を緩めていた。
みやびも同じように口元を緩めながら、口を開いた。
「この後はどうするの? まだ寄りたい所とかあるんでしょ?」
「んー……まだ色々あるっちゃあるけど、歩き回るのはみやびが疲れるだろ。このデパート三階に映画館あったし、映画でも見るか?」
「………………」
「ん?」
「いやいや、なんでもないわよ? うん……まぁね、私が貧弱なのが悪いわけだし」
「いや、この場合は歩くペースとか考えなかった俺が悪いな」
「……新田君は、なにか見たい映画とかある?」
「スカッとできるのがいいな。ホラーとかラブロマンス系は駄目だ」
「ほほぅ?」
みやびの目が不敵に光る。なんとなく嫌な予感がしたが、とりあえず無視した。
「それじゃあ、私の趣味に付き合ってもらいましょうか」
「……アニメでも見る気か?」
「食わず嫌いは良くないわよ。……そうだ、新田君が面白いと思ったら、帰りにたこ焼きを奢ってもらいましょう」
「つまんなかったらみやびが奢れよ」
「はいはい、それじゃあ行きましょうか」
にやにやと、みやびは楽しそうに笑いながら、席を立つ。
クリームソーダを飲み干して、俊介はその後に続いた。
部屋に辿り着いた時には、夜七時を過ぎていた。
戻って来た時と同じようにアイマスクを装着させられて、みやびに手を引っ張ってもらって部屋まで戻って来たのだが、到着した瞬間になんとなくげんなりした。
居間のテーブルの上には、鍋とコンロが置かれている。
「これ……夕飯か? 鶏肉……いや、違うか。なんだこりゃ?」
「スッポンだって」
「………………」
「私が選んだわけじゃないからそんな目で見られても……あ、チョーカー外さなきゃね。ちょっと屈んで」
「ん」
俊介が屈み、みやびが俊介の首に手を伸ばす。
みやびの顔がよく見える位置だった。少し距離を縮めればキスができる程度の距離。
(……待て待て。落ちつけ。考えるな。あんまり直視も良くない)
チョーカーを外されている間、じゅげむじゅげむを頭の中で唱え、色々な妄想を追い払う。
結局、買い物の間に誰かに連絡を取ることはできなかった。残念ながらデパート内には公衆電話のようなものはなかった。
携帯電話の普及が悔やまれてならないが、考えても仕方がない。
(外に出れただけでもラッキーだったな。新鮮な空気を吸えたおかげで、だいぶ頭の方もすっきりしたぜ)
そして、はっきりしたことが一つある。
やっぱり、この部屋の独特の香気は、理性を削っている。
それならそれでいい。みやびがそのことを知ってようが知ってまいが、こまめに換気をすれば済むことだと、俊介は考える。
閉塞感さえなければ、ストレスが軽減すればなんとでもなる。そう思っていた。
「みやび、本当にたこ焼き要らなかったのか?」
「思った以上に長丁場だったしね。冷めちゃっても良くないでしょ」
「むぅ……でもまぁ、思った以上に面白かった。ハリウッド映画の外れみたいな中だるみもなかったし、登場人物が多過ぎる気がしたが、面白かった」
「全員集合モノだからね。本当は原作ありきで見るものだけど、初見の人が見ても楽しめるような作りになってるって聞いてたから」
「まぁ……入る時はかなり恥ずかしかったが。小さい女の子ばっかりじゃねーか」
「小さい子用のアニメだもの」
見てしまったものは仕方がないと、俊介は溜息混じりに開き直った。
小さい女の子向けのアニメを『面白い』と感じてしまった自分はまだまだガキなのかもしれないなぁと思い、わりと凹んだ。
「せっかく用意されてるんだし、夕飯にしましょうか」
「……そーだな」
釈然としない気分ではあったが、それはそれとして二人で鍋を囲む。
初めて食べたスッポンの味は……わりと旨かった。
「亀って旨いんだな」
「これなら鶏肉でいいんじゃない?」
「ミもフタもねーな」
「まぁ……『美味しい物』より『珍しい物』を食べてるっていうのが良いのかもしれないわね。私が今食べた『亀の頭丸ごと』ってのは、ちょっとトラウマになるわよ」
「………………」
俊介は、思わず亀の頭という言葉に反応した。
妄想は自動的である。その度に与党理性は野党本能をぶっ飛ばすのだ。
なにも考えないように鍋をつつき、鍋に付属していた生血酒をクソまずいと罵りながら二人で少しだけ飲み、シメに雑炊にして夕飯は終了した。
土鍋とコンロは用意してあった段ボール箱に押し込み、入口に置いておくと回収されるのだが、回収される所は見たことがない。
食べたばかりで動くのは辛いので、適当にテレビを点ける。みやびはいつも通りにPCを起動して、ペンタブレットで絵を描いていた。
「ねぇ、新田君」
「んー?」
「なんで逃げなかったの?」
「なんでって……そりゃ、五メートル以上離れると催涙剤出るって言ってたじゃん。公衆電話がないか探したんだけど、さすがにこのご時世じゃねぇわ」
「……お人好しなのね。大騒ぎになれば逃げられるのに」
「騒ぎを大きくしてまで逃げるってのはちょっとな……」
それは、俊介の本音だった。
大したことじゃない。そりゃ、拉致監禁は間違いなく犯罪だが、大したことはない。
少なくとも、みやびは約束を破るような女じゃないと、俊介は思っていた。
「まぁ、なんだ。俺が勝てばいいだけの話だしな」
「………………」
「みやび?」
「ごめん……意味ありげに話振っておいてなんだけど、今日は寝るわ。久しぶりに外に出て歩きまわったせいか、ものすごく……眠い。なんだろ……これ」
「今の話題って意味ありげだったのか? いや、まぁいいけど……大丈夫か?」
「…………くぅ」
「ちょ……みやび?」
テレビから目を離し、みやびに近づいて顔の前で手をひらひらさせてみる。
全く反応がない。完全に寝入っていた。
「おーい……みやび? みやびサン? みやびちゃーん?」
「……んんぅ」
「もしかして、さっきの酒か?」
みやびの顔が真っ赤だった。度数は高いがさほど量は飲んでいなかったので大丈夫だと勝手に思っていたが、どうやらみやびはアルコールに弱かったらしい。
ちなみに、俊介はかなり強い方だ。
「俺が酔い潰したみたいな感じになっちゃってんじゃねーか……どーすんだヲイ」
みやびが座っているのは事務作業用の椅子だ。座り心地は良いだろうが、寝るには向かない。ぺしぺしとみやびの頬を少し強めに叩いてみたが、身悶えするだけで反応が薄い。むしろ椅子からずり落ちて、地面に仰向けに転がってしまった。
(……余計なことするんじゃなかった)
最悪、椅子に座ったままうつ伏せで眠らせて、毛布だけかければ良かったのだが些細な行動が選択の幅を奪っていた。。
さすがの俊介も、地面に寝転がった女の子を放置することはできなかった。
(落ちつけ……パニくるな。起きる気配はないが、細心の注意を払え)
頭を落とすわけにはいかない。しっかりと首に腕を回す。
足を引っ掛けるわけにはいかない。しっかりと腕で足を支える。
いわゆる『お姫様抱っこ』である。
「よっこい……しょっ!?」
思った以上に軽さに、内心で驚愕する。
(軽っ!?)
最初の感想は『なに食ってんだこいつ』だった。鍋も自分と同じ量は食べていたと思うのだが。
歓喜のクラッカーを用意していた本能が、あまりの軽さにビビッて委縮していた。
「いや……むしろ、体が小さいから代謝が良いみたいな感じか」
そこまで考えたところで、思考を打ち消した。
意識してはいけないと思ってはいたが『感触』という妄想を凌駕するリアルな手触りは容赦なく俊介の脳髄を侵食していく。
小さい。細い。柔らかい。まつ毛が長い。なんか可愛い気がしてきた。
(っ……気の迷いにも程があるだろ!)
心の中で絶叫する。心の評議会は大混乱だった。今回は本能があの手この手で理性派閥を懐柔しにかかってきた。理性も一枚岩ではない。悪魔の囁きに耳を貸すかもしれない連中もいるのだ。賄賂を掴まされ裏切った奴もいた。誘惑や賄賂でも懐柔されない理性には『家族を殺すぞ』と脅迫してきた。
寝室の前に到着。本能の連中がトンファーを持って会場に雪崩れ込んできた。
ドアを開ける。みやびのベッドに到着。起こさないように下ろして毛布をかけ、髪の毛が邪魔にならないように少しだけ払ってやる。。
この間に何度挫けそうになったことだろう。何度膝を折りそうになったことか。
寝室のドアを閉め、大きく息を吐いてその場に蹲った。
「……疲れた。なんか異様に疲れた」
疲れはしたが満足感があった。
俊介は勝った。勝ったのだ。相手のトンファーを奪い一気呵成の大逆転。理性による最後のトンファーキックが炸裂。それは奇跡的な勝利だった。
ゆっくりと立ち上がる。大きく息を吸って、吐き、歩き出した。
「よし……風呂だ。風呂に入って、今日は寝ちまおう」
話し相手がいない中で、独り寂しく夜を過ごすのはキツ過ぎる。
そう思いながら、俊介は風呂場に向かったのだった。
冷水でもかぶれば、手の平に残った柔らかい感触を誤魔化せるだろうと思いながら。
○ヤらない。理性で本能はコントロールできる。
○ヤる。本能の前では理性などクソ同然である。
ここが、分水嶺である。
でも、下ネタで恥ずかしがるより笑い飛ばした方が人生楽しいらしい。
次回に続くでござる。