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三章 課せられた試練


「どうだった?」

 一階の受付に降りていくと、アレク、ルザさん、カーシュの三人が待っていた。

「会議は終わりました。今はデイシーさんと誠さんがレティさんに聞き取りをしています」

「議事の内容は?」

「はい。LWPに関する情報は七種それぞれで真偽を確かめた後、連合政府にデータを送る事になりました。で、その報告を調査する組織なんですが……」

「何か問題があるのか?」

「それが……」

 僕がLWP代表として入るのは満場一致で承認された。現在通訳できるのは僕と誠さんだけで常に空いているのは僕だけだ。他のメンバーは追々どこかから見つけて来ないといけない。

「組織の代表、要するに僕等のボスを誰がするかで揉めて」

 二人は「分かった分かった」と言う表情になった。アレクはそんな彼等を見て不思議そうに首を捻る。

「結局どういう事なんだ?」

「揉めているのはエルさんと誠さんです。どっちもやりたいと言って譲らなくて」

 正確にはどうしてもやりたいと言っているのは誠さんで、エルさんは療養し切っていないのに馬鹿な事を言うなさっさと戻って寝直してきたまえ仕事は僕がやっておくからと言う風な嗜め方をした。二人は旧来の友人らしく気遣っているのが目に見えるやりとりだった。

「じゃあどうするんだ?どっちか決まらないとクレオは調査できないんだろ?」

 トン、トン、トン。

「開けてもいいですか~?」

「デイシー?いいぜ」

 童顔の新聞記者は「失礼します~」と言いながら部屋に入って来た。

「あ~、ルザちゃんにカーシュ君。久し振りだね、元気にしてた~?」

「相変わらずねデイシー。取材御苦労様」

「えへへ、何と言っても二日連続だから嬉しさも一塩だよ~」

「そう。で、あなたの大お爺様とお父様の懸案はどうなったの?」

 デイシーさんは首を捻り、「私は何も聞いてないよ~。あ、そうだ。皆さん、今夜は空いていますか~?」唐突に尋ねた。僕等の予定は当然特に無い。ルザさんとカーシュもこの後は任務の報告書を作るだけだそうだ。

「じゃ~あ、今晩八時にボロネオの前に集まってもらえますか~?ボロネオって言うのは~、シャバム一の高級フルコース料理店なんです~。ルザちゃん達は場所知ってるね~。じゃあ~、クレオさんとアレクさんは七時半ぐらいに私が迎えに行きますね。あ~勿論、食事付きです」



 レティさんが誠さんに手を繋がれて屋敷に案内されてきたのはようやく空が暗くなり始めた六時頃。イムおじさんやヘレナさんには僕から話してあったので準備万端で彼女を迎えてお祝いのディナーを始めた。僕とアレクもおやつ程度にカナッペを摘みながら輪に加わる。

「クレオ君」

 誠さんが部屋用の黒い服を(さっきまで着ていたのも黒だけど)着て、ドアの側で僕を手招きした。

「済みません、楽しい所でしたのに」

「いえ」頭を下げられると申し訳ない気持ちになった。

 階段を上がり、誠さんの私室へと通してもらった。留守中もヘレナさんが掃除しているのか清潔で埃一つ無い。小さなテーブル越しに向かい合わされた椅子に座るよう勧められる。

「僕に何の用です?」

「……私はLWPの件に関与できないかもしれません。エルの言い分は尤もですし。ですからその前にレティさんの件でどうしてもお話しておきたい事があります」

 誠さんは一呼吸置いて、「何人かのLWPの方々は、エレミアに黒い怪物が襲ってきた……怪物の放つ炎で建物が燃えて崩れ落ちたと話してくれました。デイシーさんから伺いましたがクレオ君は見ていないそうですね」

「はい」

 ヘレナさんもそんな話をしていた。でも、それとレティさんとどんな関係が?

「レティさん……………彼女のご両親は」

 え………?

「その怪物に殺されたそうです」

 殺された?レティさんの両親って、あの優しい学者さんと奥さん?

「そんな―――本当なんですか……?」

「どうやら間違いなさそうです。レティさんを保護された操縦士の方にもお話を伺ったのですが……発見した当初は相当錯乱していたそうです。先程診せて頂いたのですが、幼い彼女には心が壊れてしまう程ショックだったのでしょう。氣も大分弱いですし、とても……苦しいようです。一応氣の循環を良くするのと、フラッシュバックが起こらないようにする奇跡を施しましたが……身体の衰弱も激しいので一週間の通院措置を取りました。病院にはヘレナさんに付き添って頂けるよう頼んであります」

 おじさんに縋り付いていた少女の泣き顔が脳裏に浮かぶ。「大丈夫なんですか?」

「分かりません……精神症状が酷いようなら夢療法士の方にお願いして記憶を一時的に封印する処置をしてもらう事になるかもしれません」

「どうして、その話を僕に?」

「……あなたはこれから他の人達より多くのLWPの方々に接触する可能性があります。嫌でもエレミアで起きた事を多く知る事になるでしょう。辛いでしょうがその中からエレミアへ帰る手掛かりが得られるかもしれません。ただ……家族が死んでいるかもしれないとLWPの方々に悪戯に恐怖を植え付けたくはありません。レティさんの件はクレオ君の胸の内だけに留めて置いて下さい。イムさんやヘレナさんには突然異世界に飛ばされて精神的不安定に陥っていると説明しておきましたので」

 皆が死んでいるかもしれない……僕は慌てて頭の中から不安を追い出した。

「皆さんのお話を伺う限り、その黒い怪物はこの世界の悪魔と酷似しているようです」

「悪魔って宇宙船にいたあの化物ですか?」

「ええ……」誠さんは沈鬱な表情で遠くに視線をやった。「ですが、宇宙空間に悪魔が出現したのは今回が初めてです。どこにでも出現するとなると、一体どのような対策を講じればいいのか」

「あの、誠さん。あの悪魔、僕にはレティさんを狙っていたように見えたんです」

 悪魔と戦っていた時の状況をできる限り詳しく話した。

「僕の思い込みかもしれませんけど」

「いえ、レティさんがいる部屋に偶々悪魔が出現した、と言うのは何らかの作為が働いているような気がします。しかし、何故?彼女に特別悪魔を呼び寄せやすい兆候があるとは思えませんが」

 しばらく黙考した後、誠さんは顔を上げた。

「あ、済みません。クレオ君まで不安にさせてしまって。大丈夫、シャバムは政府員や不死族の人達がいつも見回りをしています。この街にいれば安全ですよ」

 彼に微笑まれると何でも無条件で信じてしまいそうになる。それも氣の力なんだろうか。

「どうすればこの世界からエレミアへ帰れるのでしょうか?」

「クレオ君は光に包まれてこちらに来たのですよね?その力が何か分かれば逆にこちらから送り返せるかもしれません」

 誠さんは俯いて小声で「……それに、もしかしたらあの人を」と呟いて、慌てて首を横に振った。「な、何でもありません。クレオ君はそう言った力、ご存知ありませんか?」

「いえ、僕には何の事だかさっぱり」

 ルウさんは火を出したりできたけど、流石に人を飛ばす光は使えないだろう。

「そうですか……政府の方では転移魔術の一種と位置付け、研究所の方で既に色々と実験しているようです。ただ、エレミアは異世界。どうやって誰も行った事の無い場所を把握すればよいのか。クレオ君には是非ともその手掛かりを探して欲しいです」

「僕でよければ喜んでやらせてもらいます!」

「良いお返事ありがとうございます。調査部の方は私とエルのどちらになるかまだ分かりませんが、どちらになってもあなたを精一杯サポートします」



 約束より少し早めに迎えに来たデイシーさんと一緒に僕等四人はボロネオに向かった。

「あれ、今日は閉店?」

 入り口のドアのノブにはシンプルな「CLOSE」の木札が掛かっている。誠さんが「誰かいませんか?」とドアをノックしかけた。

「いらっしゃいませ」

 店内から金髪のボーイさん、いや格好から言えばホテルの支配人だろうか、が出てきて優雅に一礼した。

「あ、ジュリトさん。ここはあなたのお店だったんですね。今晩は」

「ほんのマネージメントだけです。坊ちゃまはお休みして少し元気になられたようですね。専属医師として喜ばしい事です。ようこそボロネオへお越し下さいました」

「ええ。予約を入れているはずなのですが」

「伺っております。どうぞお入り下さい」

 店内は全面白いピカピカの石の壁で、テーブルも椅子も天井のランプも見ただけで一流品と分かった。壁に掛けられた上品な風景画。テーブルには慎ましくも綺麗な花が一輪挿された硝子の花瓶。

「一体幾らぐらいするんだ、この店……」アレクが溜息混じりに呟く。「ヤバいぜ、庶民の来る店じゃねえよ」

「ああ、大丈夫ですよアレク君。夕食代なら私が」

「お代は結構ですよ、坊ちゃま。私からのサービスと言う事にしておいて下さい」

「え、いいんですか?全員で二十万ぐらいはするのでは」

 アレクが「げ」と囁く声が聞こえた。

「ええ。その代わり、これからも時々ご利用頂けますと嬉しいのですが」

「あ、はい。分かりましたジュリトさん」

 ボーイはちら、と僕等を見た。一瞬瞳の中に鋭い物が見えたのは気のせいだろうか。

「こちらになります」

 個室には八人分の席。内、既に二つは埋まっている。

「よう」

「お父様」

 ルザさんが自分の隣の席に誠さんを案内する。テーブルには食器が整然と並び、まだ料理は来ていなかった。僕等もめいめいに席に着く。

「皆さんを集めて、エルは何をしようと言うのでしょうか……」

 不安げに目を伏せる誠さんの肩をカーシュが優しく叩いた。

「大丈夫ですって。別に取って喰われる訳じゃないんですし」

「そうですよお父様。エル小父様の事ですもの、どうせつまらない用です」

 その時、バタン、とドアが開いた。

「遅くなったね」

 エルさんはパンパンに張った大きなショルダーバッグを担いでいた。それを空いている席にドンッ!と置く。重そうなそれに嫌でも皆の好奇の視線が集中する。

「大お爺様、それは~?」

「まあまあ慌てずともゆっくり食事した後で話すよ。つまらない用を、ね」

 ルザさんが反論しようと口を開きかけた時、タイミング良く一皿目が運ばれてくる。僕等は全員バッグを気にしつつフルコースを食べ始める事になった。



 デザートのタピオカココナッツを食べ終わり、エルさんはとうとうその話をし始めた。因みに料理は最高だった。

「誠。LWP調査の件、君に譲ってもいいよ。僕の条件が飲めたらね」

「ホント?何をすればいいの?」

 身を乗り出さんばかりの誠さんに、「まあまあ」と言う。バッグの前へ歩いていき、詰め過ぎで固いチャックを開けだした。隙間から白い物が見えた。

「テーブル片付けて。物は全部向こうの端に寄せるんだ」

 ルザさんが空の皿を纏める間に引っ張り出した薄い物をテーブルの上に置く。それは大量の書類だった。

「え?………これってもしかして」

 誠さんが真っ青になって一枚の書類を摘んで見ている。

「そ。君のデスクから運んできた」

 広げるとテーブルが白く覆われた。

「条件は一つだけ。この総数二百六十八枚の案件を一週間後の午後五時までに半分にする事。それが出来たらLWPの調査団代表は君に任せる。但し出来なかった場合は……」


「君は向こう一年間の謹慎だ」


「なっ……ちょっとエル様、それはあんまりだわ!?」

「別にやらなくてもいいんだよ。でも調査は僕がする。君はどうする、クレオ?」

 突然話を振られ、ビクッ、となる。

「君はどちらの下で働きたい?」

 今ここでエルシェンカさんを選べば誠さんは謹慎しなくて済む。でも……。

「ぼ、僕は、LWPの調査には誠さんが必要だと思います。色々な面で」

「だってさ誠。頑張りなよ」

 厳しい試験を課したとは思えない程優しい笑顔を向けて、誠さんの肩をぽんぽんと叩いた。

「じゃあ皆。お休み」

 バタン。

「……ど、どうしましょう……半分と言うと、百三十四枚ですね」

「普通だとどれぐらい掛かるんだ?」

「じょ、冗談じゃねえ!最短でも二ヶ月は掛かる量だぞ、何考えてるんだあの人は!?」

「お父様!今からでも止めましょう?一年も謹慎なんて」

 どうしてエルシェンカさんはあんな笑顔を……そうか。

「誠さん」「お兄様」声が重なった。

「あ、デイシーさんお先にどうぞ」

「あはは~、大丈夫ですよクレオさん~。多分言いたい事は一緒ですから~」

「そうですか?じゃあ誠さん。手前の書類を一枚ずつ説明してもらえますか?」

「?ええ。これは……あ、新しいLWPの方が見つかったそうです!その人の護送と手続きの案件ですね」

「それは僕がします。貸して下さい」

「え……でも」

「僕も誠さんの下で働きたいですから協力させて下さい。知人なら僕の方が話が早いです」

「分かりました。よろしくお願いします」

 次の書類は一年前の殺人事件の資料集め、そこまで言った瞬間に隣で手が挙がった。「私がやります~」

「ちょ、ちょっとデイシー!?あなた手伝っていいの?」

「いいんじゃないかなあ~?ここへは大お爺様が呼んだんだし~。駄目ならうーんと、社会貢献の取材って事にしとけば~、有休使わなくてもいいかな~」書類を眺め「これなら新聞社に行って記事をコピーすればOKそうですね~」

「頼みます。次は……生活意識調査?ああ、宇宙船についてのアンケートみたいです。モニターは二千人、集計結果を表に纏める仕事ですね」

「あ、俺やります」今度はカーシュが手を挙げる。

「いいのですか?地味に大変そうですが」

「アルバイトでやった事ありますから平気です。コツさえ掴めば速いんですよ、それ」

「そうですか?なら、お願いしますね」

 遺跡の発掘資料。アレクの専売特許、当然真っ先に手を挙げた。

「これなら協会ですぐ調べてもらえますよ、持って行きます。他にこういうのありませんか?纏めてやる方が時間節約できますよ」

「ええ、探してみましょう」

 回復魔術の文献探し。本当多種多彩な案件があるものだ。……と言うより、これをいつもは誠さん一人でやっているのか?働き過ぎて倒れるのも当たり前だ。

「これやります、お父様」

「ルザ、ごめんね」

「いいえ、お父様の首が懸かっているのですもの。図書館で直ぐに借りて来ます」

 三十分もする頃には皆手の中に多くの書類。

「ええと……一人十五枚ずつ持っているから、五人で七十五枚。残り五十九枚、半分以下ですね」

「うーむ、でもこれでも誠さん一人で出来る量じゃないぞ?」

「もっとよく探してみようぜ。こんな大仰な書類になってるが雑用がそこそこ混じってるんだ」

 僕とアレクとカーシュでテーブルの書類を引っ掻き回す。そこへさっきのボーイさんが入ってきた。

「何をなさっているんですか?」

「ジュリト、あなたも手伝って。このままじゃお父様が連合政府を追い出されるわ、不死族の威信に関わる問題よ」

「ルザ、そんな大袈裟な……」

「この書類の山を無くせばよろしいのですね?」

 おもむろに一枚掴む。

「街の店舗調査、これは私が引き受けましょう。一族の何人かで分担すれば二日ほどで報告できるかと」

「助かります」

「王を助けるのは不死族として当然の事ですよ。他の仕事も貰えますか?」

 ぱっ、ぱっと彼は選別して取っていく。

「僭越ながら坊ちゃま。しばらくは出張もありませんし、坊ちゃまはデスクワークを片付けるのに専念されてはいかがでしょう?皆さんの書類には最終的に坊ちゃまの判が必要です。その手続きで時間を空費するのは得策ではないかと」

「そうよお父様。座り仕事ならお加減もそう悪くはならないでしょうし」

「オリオールに明日から坊ちゃまの小間使いをするよう言っておきましょう。資料を探したり他の方の判を頂戴するだけでも骨が折れますからね」

 二つに分けた書類の端を綺麗に揃えて、片方を誠さんに手渡す。

「取り合えず明日からはこれを処理して下さい」

 もう一つの書類を片手に抱え、「では失礼します」と個室を後にした。



 翌朝。僕は朝六時発の船に飛び乗って、LWPの待つ“赤の星”へ向かった。

「ええと……あ、ここ間違ってる」

 赤ペンで魔術科学研究所体験入所案内のゲラを直しながら、船着場で買ったサンドイッチを食べ、砂糖入りのコーヒーを流し込む。他人から見れば行儀の悪い事この上無しだが、幸いこの客室には誰もいない。

(時間が無いからなあ……)何しろヘレナさんとイムおじさんの美味しい朝食を食べる暇無く飛び出してくるぐらいだ。

 僕の主な割り当てはLWP関連と書類の校正作業。あ、夏祭り用のポスターも僕が描かないといけないんだ。うーん、行き帰りだけで片付くかなあ?

「ほう、クレオ殿はそのような事も出来るのか」

「っ!??」

 危うくコーヒーを零しそうになった。前のドリンクスタンドに置き、後ろを振り返る。

「シルクさん!?な、何でこんな朝早く」

「ああ、驚かせてしまったな。済まない。と……もう朝なのか?」

 シルクさんは顎に手をやり、「何分昨夜からずっと船の中で分からぬのだ」と言った。前とは違い白いシャツと黒いズボンの制服を着ている。

「えっ?また仕事でですか?」

「一昨日、また例の連中が定期船を襲ったからな。取調べではまだ仲間がいると供述しているそうだ。そこで市民の安全が最重要事項の防衛団はこうしてしばらくの間大型の定期船を秘密裏に護衛する事になった。……感謝している、クレオ殿」

 屈託の無い笑顔に、僕のエンジンはまたオーバーヒートしそうだ。

「えっと、それは」

「我々に代わって市民を守り抜いた礼と、ラプラスの礼だ」

 僕が行った時は留守のようだったので目立つよう郵便受けの上に置いて帰った。

「そ、そんなお礼なんて……でもどうして花を届けたのが僕と分かったのですか?」

「二階からリサが見ていた」

「あ……留守ではなかったんですね。中に入れば良かったな」

「いや。昨日は具合が悪くてずっとベッドに臥せっていたのだ。帰って吃驚したよ。リサの枕元に真っ赤なラプラスが咲いていて」

 くすっ、と笑う。

「昨日のあの子のはしゃぎようと言ったら……今頃はお気に入りのクレオ殿のために何か作っているかもしれないな」

「喜んでもらえて僕も嬉しいです」

 シルクさんのこんな表情が見られただけで僕は満足だ。

「ところでクレオ殿こそ何故このような早くに出掛けているのだ?アレク殿は?」

「それが……内緒なんですけど」

 僕は勝負の事も含めて包み隠さず話した。終わると、シルクさんは一言「ほう」と呟いた。

「ではクレオ殿がここにいるのは、聖者様を謹慎させぬためなのだな」

「はい。それにLWPなら知人の可能性があります。迎えに行くなら僕が適役だと」

 あ、そうだ。

「ちょっといいですか?……これがエレミアです」

 時間が無くて素描だが我ながら短時間でよく出来ていると思う。

 霧に浮かぶ島、整然と並んだ四角い住居、遠くに見える屋敷。

 シルクさんは無言で絵をじっ、と見つめている。余りに真剣な目で、スケッチブックを持っている僕が圧倒されてしまいそうだ。

「……ここに人が住んでいるのだな」

 絵を凝視したまま、言葉を続ける。

「とても綺麗な街だ。しかしそう……どこか寂しい感じがする。生命の温かみが伝わらないとでも言うのだろうか」


「―――滅びを待つ街、なんです。エレミアは」


 シルクさんがはっ、と顔を上げた。

「僕がこうやって動き始めるずっと前から、エレミアの滅ぶ日は決まっていたんです。僕が飛ばされた日に明日が来た瞬間、エレミアは消える」

「……滅んだら、街の住人は消えてしまうのか?」

 不安定な声。

「答えてくれクレオ殿。死んでしまうのか?クレオ殿達はそれを納得して、生きていたのか?」

―――新しい王が明日を……―――

 あの人の言葉を僕は信じている。帰ったらきっと新しい王と皆と、あの人が……え?

「違う―――レティさんの両親は」

 エレミアが滅ぶ前に殺された。黒い物とは、この世界の悪魔みたいな物だと言っていた。どうしてエレミアは襲われたんだ?滅びが多少前倒しで起こったにしても何と惨い。それに一番の謎は何故僕らが明日ではなくこの世界に飛ばされてきたかだ。

「クレオ殿……?」

 考えから戻るとシルクさんは沈鬱な表情をしていた。

「シルクさん?」

「済まない……よく知りもしないでずけずけと言ってしまった。ただ、住人達の事を考えると居た堪れなくなってしまって」

「……僕はそんなに怖くなかったですよ。再生がある、あの人がそう教えてくれましたから」

「再生……そうか。それならばまだ救いがある……」

 父は魂を流転させ、例えクレオ・ランバートとしてではなくても新しい世界で復活させてくれる。

 売店でチョコパンとブラックコーヒーを買ってきたシルクさんは、僕のゲラ直しをまじまじと観察しながらパンを食べている。

「ふぅ……あと三つ」

「こちらに来て一週間も経っていないのに、本当にクレオ殿の順応性は凄まじい」

「計算は苦手ですよ。僕は元々右脳系のインプットアウトプットに特化したタイプなんです。そういう面ではこちらのコンピューターの方がよっぽど凄いです」

「しかし異界の言語だと言うのによく熟知している」

「先生が良かっただけです。アレク、教師に向いてると思います」

 最後のサンドイッチ、チキンカツ入りを頬張る。

「この世界の食事はどれも美味しくて吃驚します。この数日で食べた物、全部好きです」

「エレミアは其れ程ではないのか?」

「はい。神様の創り出す食料が三日おきに配られるんです。でも僕もディーさんも料理できなくて、適当にソースで味付けて食べたりとかしてました。あ、ディーさんは僕と同居していた……恩人です。あの人は塩味のお握りがあればもう満足しちゃうんで、味に拘り無くて」

「……そんな大事な者と離れ離れとは、辛いのではないか?」

 僕は頭を横に振る。

「他の人達は言葉も通じなくて、しかも家族を失っているのです。僕なんてどうって事ありません。それに信じてますから、ディーさんも他の……」

 頭の中のICがががが……と厭な音を立てた。

「え……出て、来ない……?」

「クレオ殿!?大丈夫か?」

 思い出そうとするが、読み込み機能がうまく動作しない。顔と出来事はある程度分かるのに、名前が一向にロードされてこない。

「壊、れた……?まさか、飛ばされた時に……」

 記憶を探すのを中断すると音はピタリと止んだ。

「一体どうしたのだ?」シルクさんが尋ねた。

「飛ばされた時に故障していたみたいです」

「それは大変だ!シャバムに戻ってリサに診てもらわないと」

「いえ。故障しているのは僕の記憶が入った媒体なんです。バックアップ用の予備も同じようにやられているみたいで……あ、でも友達の名前が出て来ないだけなので支障はありません。ちょっと驚いてうろたえてしまいました、済みません」

 シルクさんはなおもマジマジと僕の顔を見ている。

「本当に平気なのか?」

「本当ですよ。壊れた訳では無いようですし、調子が良ければすんなり出て来ると思います」

「そういう物なのか?」

「ええ。機械ってそんな物です。人間の度忘れと変わりませんよ」

 そう答えるとシルクさんの口からフフフ、耐えられないように笑い声が漏れた。

「実に面白いなあクレオ殿は。会う度に新鮮だ」

 シルクさんに面白いなんて言われるとどう返していいか分からない。あ、胸がどきどきしてきた。

「そうだ、一つ提案してもいいか?」

「はい。何でしょう?」

「丁度クレオ殿が降りる“赤の星”で警備を交代するのだが、一緒にLWPを迎えに行ってもいいだろうか?」

「嬉しいですけど、夜勤明けで疲れてませんか?」

「どうと言う事はない。私も少しはLWPの人々の力になりたいのだ。言葉は通じなくとも荷物持ちぐらいはできるだろう。さて、見回りの時間だ。降りる前には戻ってくる」

「お気を付けて」

「はは、余り根を詰め過ぎないようにな」

 シルクさんが客室を出て行くのにずっと見惚れていた。何て格好いい歩き方をするんだろう。身体を鍛えてるからなのかな、機械でなかったら腕立て伏せとかスクワットとかして少しでもシルクさんに追いつけるのに。

「マズいや。これだけでも仕上げとかなきゃ!」

 最後のコーヒーを口に入れ、原稿に向き合った。



 天井の照明が“赤の星”の昼を告げている。

「待ち合わせ場所は連合政府の支部だな。こっちだ」

 シルクさんの案内でアスファルトの道を進む。

 降りる前にこの星が有人星で最も太陽に近く、星の周囲を厚さ一キロに及ぶ断熱材で覆われていると解説してもらった。断熱材は天然の物で宇宙が生まれた時には既に星を包んでいたらしい。この宇宙の神様は凄い。

 太陽側でない方から機械仕掛けで開いた入口に船ごと進入すると、人工照明に照らされた箱庭にはコンクリートの建物が密集していた。

 星の総面積は“碧の星”の約十分の一。なので宇宙船の発着場は首都のオルテカだけだ。僕等もそこで降りる。

「何だかどこを見ても灰色ですね」

「そうだな。人工の光では植物も元気に成長しないとも聞く」

 だから民家と思しき玄関先にプランターが置かれていたのは心が和んだ。小さな花が溢れんばかりに咲いている。……そう言えばディーさんは花が好きだったな。玄関にいつも一杯植えていたし。

「クレオ殿、このビルだ」

「高いですね、ええと……七階建てのようです」首を反らして目を凝らす。

 硝子のドアの前にシルクさんが立つとサッと左右に開いた。

「え!?」

「エレミアにはこういった自動ドアは無かったのか?ほら入ろう」

 僕等がドアを潜ると今度は触れていないのに勝手に閉まった。一体どんな仕組みなんだろう?

「確かクレオ殿と同じ機械だと聞いたぞ。最もまだ試用段階で設置されているのは数ヶ所だが」

「こんにちは」

 奥で座っていた女性が微笑みながら歩いてくる。

「こんにちは」

「失礼ですが、連合政府のクレオ・ランバート様でしょうか?」

「ええ。どうして僕の名前を?」

「エルシェンカ様より午前中に伺うとのお電話を頂きましたので。政府支部はそちらのエレベーターで四階です」僕等から向かって左側の黒いドアを手で示す。

「少々お待ち下さい」ドアの横の△マークを押す。

「ほらクレオ殿。上に七までの数字が並んでいるだろう?今六が光って、五、四……あれがエレベーターの今の位置だ」

 チィン。ガラッ。

「足元にお気を付け下さい」中の四のボタンを押しながら女性が僕に言う。

「もしかしてこれで四階まで行くんですか?」

「はい。多少揺れるかもしれませんが、階段を昇るよりずっと早いですよ」

 中は一・五メートル四方の部屋だった。綺麗な白い壁に桜の絵が飾ってある。

 足を踏み入れると軽く部屋が縦に振動した。

「わっ!」吃驚して足を引っ込みかける。

「はは、だから揺れると説明してくれたではないか」

「ふふふ」

 改めて二人で乗り込む。シルクさんがボタンを押すとドアが独りでに閉まった。


 ブゥン……。


「エルさんが連絡してくれてるなんて意外でした。僕を手助けしたら誠さんを休ませられないのでは」

「あの方は聖者様よりずっと昔から政府を取り仕切っているそうだ。常に互いの時間と労力を念頭に置いている故、恐ろしく煩雑な業務を可能としている」

 相手の時間と労力か……うん、どうせなら僕もそれを考えてやってみよう。

「しかし、そもそもエルシェンカ様は本当に謹慎させたいのだろうか?」

「ええ。誠さんは全然本調子ではないし、友達なら嫌でも休ませたいと思うのが自然です」

「さて、だがそれならばもっと手っ取り早い方法があるだろう。例えばそう、聖者様の医者に嘘の診断を出させるとか」

「医者って、レストランのマネージャーの?」

「マネージャーであり医師であり神父でもある。数百年来診続けてきた彼が絶対安静を言い渡せばいかな聖者様とて従わぬ訳にはいかぬはずだ」

 シルクさんは言葉を区切る。

「課した課題は難しいとは言え不可能ではない。クレオ殿達がアシスタントを務めるのは許可済み。いや……ひょっとすると、エルシェンカ様の目的は…………そうか、そう言えば聖者様は……」

「何です?僕にも教えて下さい」

 彼女は首を横に振った。

「確証の無い事を無闇に言う訳にはいかない。ただ、クレオ殿の頑張りが聖者様のためとなり、またエルシェンカ様の目的にも沿う結果となる。恐らくは」

「??」


 チィン。ガチャッ。


 開いたドアの先には整然と並んだデスクが見えた。カジュアルな格好の人達が書類を片手に忙しく歩き回っている。

 エレベーターを出ると、眼鏡を掛けた三十歳ぐらいの男の人が僕等に近寄って来た。

「あれ、もしかして君がランバート君?おや、タイナー君。防衛団の仕事は今無いはずだが」

「御無沙汰しています支部長殿。いえ、今日は非番で個人的興味から彼に付いてきただけです」

「ああ、ボクサーの護送だね。あ、でも」

 支部長さんは女性の職員の人と二、三言話して戻ってきた。

「済まない。他の職員と聞き込み調査に駆り出されていて今席を外しているそうだ。少し待っていてくれ」

 懐から四角い箱を出し、親指で小さなボタンを数回押した。耳を箱に押し当てる。

「シルクさん、あれも機械ですか?」

「携帯電話、電話の小型版だな」

「ああ、ボクサー。今ランバート君が来ているんだが、急いで戻って来られるか?……ん、そうか。それなら仕方ない。待っててもらうから早く帰って来るんだぞ」

 ピッ。

「申し訳ない。隣街まで聞き込みに行っていて、車を飛ばしても三十分以上は掛かるそうだ。警察から今朝急に事件の応援を要請されて実働部隊は全員駆り出されてしまったんだ。立ち話も何だ。こちらへどうぞ」

 仕事をしている部屋の奥の小さな部屋に通された。革張りのソファに重厚なテーブル。窓辺には緑を茂らせた観葉植物。

「あの、ボクサーさんって赤毛の短髪の?」書類には二十代の男性としか書かれていなかった。

「ああ、彼もランバート君の事は知っていたよ。エレミアでは近所同士だそうだね」

「はい。……あ、ボクサーさんもこの宇宙の言葉が?」電話越しに普通に話していた。

「彼は一年前にこの星の片田舎に飛ばされてきて、しばらく拾ってもらった一家の手伝いをしながら言葉を覚えたんだ。LWPと判明してからも中々シャバム行きを承諾してくれなかったが、ランバート君が来ると聞いてようやく決心を固めてくれたようだ」

 一年間も一人で?僕ならとても耐えられない。

「ここで働いているんですか?」

「彼自らバイトに応募してきた。若い割に気転が利くし、飲み込みも早い。正直辞められると辛いが、きっと本部で活躍してくれるだろう」




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