騎兵戦線「一矢」
砦に籠もった兵は数百といったところだった。
寡兵であるが、攻め落とすためには、こちらも相応の犠牲を覚悟しなければならない。
「意気を挫く」
掲げられた旗を折る。
敵軍の象徴である旗は、砦の高みで風になびいていた。その旗を断ち切れば、精神的な支柱を失った籠城軍は降伏すると見られた。
「夜陰に乗じて侵入するのは難である」
昼夜を問わず、見張りに隙はなかった。夜の篝火も盛大に燃やされている状況である。士気は高く維持されていた。近いうちに、援軍が駆けつけてくると考えているのだろう。
「彼らは見捨てられた」
少数の兵を救出するために、軍を向ける国ではなかった。斥候からも援軍が出た報告はなかった。
あっさりと見限られたのである。その情報は砦には伝わっていない。籠城に隙がないのと同様に、こちらの攻囲もまた隙がなかった。彼らに真実を知る術はないのである。
「指揮官が優秀なだけに、哀れだ」
情報が途絶した状況下で、堅牢な姿勢を崩さないのは、指揮をする者の優秀さの表れだろう。
「救いたい」
無駄死にをさせるにはあまりに惜しかった。
女は頷いた。
激しく揺れる馬上で、彼は女の背にしがみついていた。
これが噂の騎兵か。
二人の人間を乗せてひた駆ける馬の実力もさることながら、たやすく操る女騎兵の技量も見惚れるほどだ。
速い。
口を開けば、歯と歯が打ち鳴らされるとわかる。女にしがみついていることが、恥ずかしかったが、そうしなければ瞬く間に振り落とされていたに違いない。
横に振られた。
矢が降り注いできた。砦からの牽制の攻撃だった。
勢いを緩めることさえせず、騎兵は前進した。弓の攻撃は進路をわずかに変える程度の役にしか立っていない。
砦から唸り声が聞こえた。一矢も報いることができずに、接近を許していた。自分たちの腕が騎兵の馬術に劣っていることが、現実として突きつけられていた。
劣っているわけじゃない。
彼はそう告げてやりたかった。
女騎兵が常人離れしているのだ。だから、気を落とすな。
同じ弓を扱う人間として、彼は手のひらを汗で湿らせていた。
「一騎か」
馬が鼻を震わせた。
砦の上から男が声を張り上げた。堂々とした態度は、指揮官であることを物語っていた。
女は黙って男を見上げた。
「降伏勧告というわけではなさそうだな」
返事はしない。
「我々が白旗をあげることはない。ここには、我が国の旗のみが掲げられる」
壮絶な覚悟だった。たとえ攻め込まれても、最後の一兵までも死を厭わない意思があった。
「任務だ」
女は初めて口を開いた。冷たく平坦な口調だった。
「はい」
彼は弓に矢をつがえた。
「俺を射殺すか」
指揮官は手を挙げた。
砦の上から矢が雨のように降ってきた。上方からの射撃は、勢いが強い。矢の襲来は豪雨であった。
「馬鹿な」
女騎兵は剣を振るい、高速で飛来する矢を叩き落とした。のみならず、馬を操り、矢雨を回避し続けた。
距離が近く、目標もひとつであるが故に、狙いは正確だった。だからこそ、避けるのも難しいことではなかった。とは言うものの、一歩間違えれば針鼠になりかねない。冷静に見極め、馬を操る技術が桁外れなのである。
「止まるか」
「このまま」
馬上の弓兵は揺れ動きながらも、弓を下げることはなかった。馬の動きに慣れるまで、耐える。一度や二度の失敗が命取りになる状況ではなかったが、矢を外すということは彼の矜持を傷つける。
「長くは持たぬ」
敵も意地になるだろう。今よりも弓の数が増えたら危うい。こちらの動きの先を読むことも覚える。
矢が腿を掠めた。頬を一筋の線が引かれた。だが、弓兵は鏃の向かう先に集中していた。
馬の前脚が地に着いた。
見えた。
上体をわずかによじり、弓懸け(ゆがけ)をはめた手で弦を弾いた。
一矢が強風を纏い、矢と矢の間を抜いた。風に巻かれた矢は軌道をずたずたにされた。
砦の上で、旗を支える竿が音を立てて砕かれた。風が旗を巻き上げ、砦の下へと連れ去っていった。
「旗が……」
誰かが言った。
矢の雨はやんでいた。
「大したものだ」
任務を達成した二人は帰路についていた。
「降伏してくれるでしょうか」
「わからぬ」
揺れはあまりなかった。気遣ってくれているのがわかった。弓兵は腿に刺さった矢尻に顔をしかめた。抜くのは自陣に帰ってからだ。
「お主、馬は好きか」
「は? もちろんです」
子供の頃から馬は友であり、兄弟として育った。
「ならばよい」
彼は女の声がかすかに弾んでいるのを感じた。
翌朝、白旗をあげた使者が陣を訪れた。負けを認めるとのことだった。
彼らが孤立していたことを伝えると、黙って頷いた。予想はしていたらしい。ただ、戦わずして開城することを潔しとしなかったのである。
「命を助けられた」
指揮官の男は、昨日の騎兵と弓兵に会いたいと申し出た。
「彼らが我らの虚栄の旗を折ってくれた」
その礼が言いたかった。
「君らか」
騎兵が女、弓兵が少年と知って、男は驚きを隠せなかった。
「僕は今日から弓騎兵ということになりました。まだ馬には乗れませんが」
松葉杖をついた少年は誇らしげに胸を張っていた。
「恨むな」
女は短く言ってすぐに立ち去った。素っ気ない態度だった。
「恨みか」
負けたことを言っているのか。あるいは、彼らを見捨てた故国を恨むなということなのか。
彼は後日、その言葉の意味を知ることになる。
優れた人材を最大限に用いる。それが、この国のあり方だった。
数多の戦場が彼を必要とした。
弓騎兵の少年もまた、傷が癒えるやいなや、原野を駆け回った。
「恨むな」
それは彼女の謝罪だったのかもしれない。




