緊急事態 :約5000文字
『もしもし、こちら――警察署生活安全課の鈴木と申します。――さんの携帯電話でよろしいですね』
「え、あ、はい」
夕方。部屋でぼんやりとテレビを見ていたところ、テーブルの上に置いていたスマートフォンが鳴り出した。
誰だろうと思いながら手に取り、通話ボタンを押してみると、なんだって……警察、警察だと!?
おれは慌ててその場に座り直した。
画面を確認すると、番号の末尾は『0110』。これは間違いない。何も悪いことをした覚えなどないが胸の奥が妙にざわつき、体が強張っていった。喉が張りつくように乾き、おれは唾を飲み込み、耳を澄ませた。
『いいですか。実は、あなたの名義が詐欺グループの口座に使われている疑いがあります』
「え、詐欺!」
思わず声が裏返り、おれは仰け反った。ちょうどそのとき、テレビの中でタレントが笑い声を上げ、観客の拍手が部屋に響いた。おれは眉をひそめながらリモコンを掴み、テレビの電源を切った。
詐欺グループ……まさか、そんなことが。数時間前に見た刑事ドラマの場面が脳裏をよぎった。画面の向こうの出来事だからこそ気楽に見ていられたのに、それが今、自分の身に降りかかっているのかと思うと背筋が寒くなってきた。
『はい。このままだと、あなたも犯罪への関与を疑われる可能性があります』
「い、いや、あの、わた、私はそんなことしてませんよ、ええ、本当に、何も……」
おれは慌てて否定した。何をどう言えばいいのかもわからなかったが、とにかく自分は無関係だということだけは伝えねばならないと思った。
相手の警察官は『ええ』と静かに応じただけだった。こちらの言い分を信じてくれているのか、それとも疑っているのか、抑揚に乏しい声からは判別がつかなかった。
『ですので至急、口座の状況を確認する必要があります。キャッシュカードは今、お手元にありますか?』
「え、ええ。それはまあ……でも、本当なんでしょうか。本当に私の口座が詐欺に……?」
『はい。県警に転送しますので、詳しい話はそちらでお伺いください。では、これからお繋ぎしますので、電話を切らずにそのままでお待ちください』
「は、はい……」
おれは背筋を伸ばし、スマートフォンを耳に強く押し当てた。
ほどなくして、電話口から場違いなほど明るい保留音が流れ始めた。おれはその軽快なメロディを聞きながら、どうにか落ち着こうと何度も深呼吸した。
しかし、詐欺グループ、犯罪、口座――先ほど聞いた不穏な言葉が頭の中で繰り返され、全身にずんとのしかかってきた。現実感がじわじわと押し寄せてきた。信じたくはなかったが、どうやら本当に起きてしまったらしい。おれはこれからどうなってしまうのだろうか……。
やがて保留音がぷつりと途切れた。
『お電話代わりました。――県警本部捜査二課の福本です』
「は、はい……」
今度の相手は先ほどよりも低く、渋みのある声だった。いかにも場数を踏んだベテラン刑事といった感じだ。どうも大事らしいぞ……。
おれはスマートフォンを耳に当てたまま、空いている手で頭を抱えた。
福本という男は淡々と事情を説明し始めた。それによると、どうやらおれの口座が犯罪に利用されている可能性があり、被害の拡大を防ぐには預金を別の安全な口座へ移す必要があるのだという。そのための手続きとして、キャッシュカードの暗証番号を確認したいらしい。
おれは机の引き出しからメモを取り出し、書き留めておいた四桁の数字を、一つずつ念入りに指で確認してから相手に告げた。
『では、キャッシュカードを封筒に入れて、――公園のベンチでお待ちください。担当の者が受け取りにまいります』
指定されたのは、うちからそう遠くない場所にある公園だった。
だが、その名前を聞いた途端、おれは顔をしかめた。あそこはろくに手入れされておらず、雑草が鬱蒼と茂っているし、虫も多くてあまり好きではないのだ。
まあ、田舎だから虫が多いのはどこも同じなのだが、あそこは以前、不審者が出たという話を聞いた覚えもある。夕方に出向くのは気が進まなかった。
「あの、家で待っているのは駄目でしょうか?」
おれはおそるおそる訊ねた。
『……いえ、今すぐ家を出てください。詐欺グループがあなたを狙っている可能性が高いです』
少しの間を置いて、刑事は声を潜めるようにしてそう言った。おれはひゅっと息を呑み、窓際に駆け寄って外へ視線を走らせた。
道路には人影一つ見当たらず、いつもと変わらない夕方の景色が広がっている。それなのに、誰かに見られているような気がして、おれは一歩後ずさった。
「そ、それなら、そちらで保護してもらうわけにはいかないのでしょうか……?」
おれは震え声で訊ねた。
『申し訳ありませんが、それは難しいですね。今、人手が足りておりませんので』
「人手が……足りない?」
おれは少しむっとした。それが善良な市民に対する態度か。こっちは自分の口座を犯罪に利用されたうえに、詐欺グループに身を狙われているというのに、人手不足だから保護できないだと。そんなの職務怠慢ではないのか。
「あのねえ、こっちは毎年きっちり税金を払っているんですよ。ちゃんと仕事をしてもらわないと困る」
『そうおっしゃられましてもねえ、あなたが詐欺グループと繋がっている可能性もゼロではありませんので』
「……じゃあ、なおさら直接来て調べればいいじゃないか。なんだ、県警って。そういえば、この前も不祥事を起こしたな」
『あー、では今から警視庁へ転送いたしますので、そのままお待ちください』
「け、警視庁!?」
おれはその場で跳び上がった。まさか警視庁が出てくるほど、事は重大なのか。
保留に切り替わってからほどなくして、別の男の声が聞こえてきた。
『どうも、警視庁捜査第二課特殊詐欺緊急対策本部本部長の沖永です』
「ぶ、部長さん……こ、これはこれはどうも……」
おれはさっと正座し直し、ぺこぺこと頭を下げた。さっき県警に文句を言ったことが伝わってやしないかと、背中に冷や汗が滲んだ。
『どうも。実は……あなたを重要参考人として緊急逮捕しようという動きがあるのです』
「た、逮捕!? そ、それは困ります。近所の目もありますし……」
『ええ、その点も承知しています。ですので、先ほど指定した公園でお待ちください。至急、部下を向かわせますから心配はいりません。大丈夫、ここから先は私に任せてください』
「は、はい!」
おれは勢いよく立ち上がると、キャッシュカードを近くにあったチラシで包み、サンダルをつっかけて家を飛び出した。
ひいひいと息を切らしながら、ひび割れた舗装の坂道を上がっていく。日はすでに落ちかけ、頭上の紫がかった空には星がいくつか瞬いていた。辺りに人影はなく、カラスが甲高く鳴きながら西の方角へ飛び去っていった。
公園はこの坂を上がった先にある。さっき念のため確認した地図では平らな道だったのにと、おれは唇を噛んだ。
その途中で、ふいに「あっ」と声を漏らした。
しまった。通話を繋いだままにしておくよう言われていたのに切ってしまったんじゃないか。
立ち止まってスマートフォンを取り出すと、やはりだ。画面に通話中の表示はない。どうしたものか。こちらからかけ直すべきか。しかし、同じ相手に繋がるとも限らないし、また面倒だぞ……。
もう一度かかってこないかと、おれはスマートフォンの画面をじっと見つめた。
そのときだった。
スマートフォンが震え、おれは慌てて通話ボタンを押した。
「は、はい……!」
『あの、どうか落ち着いて聞いてください。こちらは国家緊急対策本部です』
「こ、国家緊急……?」
『ええ、あなたは今、きわめて重大な局面に立たされています。ですから、まずは落ち着いて、こちらの指示に――』
『おい、それより先に状況確認を!』
『早く現場に人を――』
電話の向こうから別の男たちの声が聞こえてきた。どうやら、かなり慌てているらしい。書類の束を床に落としたような音や、ばたばたと人が行き交う気配が伝わってきた。
おれはふっと息をついた。焦っている人間を前にすると、逆にこちらが落ち着くものだ。それに、向こうからかけ直してくれて助かった。できれば、さっきの本部長殿に代わってくれるとありがたいのだが。
……いや、待て。国家緊急対策本部だと?
おれは首をかしげた。
『ええ、あの、まず確認させてください。今、周囲に何が見えていますか?』
「は?」
『周囲に何か変わったものはありませんか?』
「変わったものと言われても……山に林に、畑と、あとは雑草くらいですかね……」
おれは周囲を見回しながら答えた。まあ、見るまでもなく、この辺りに目ぼしいものなど何もない。道の先に古びた街灯が一本立っているだけで、片側には畑、もう片側には薄暗い林が広がっていた。風が吹くたびに枝葉がこすれ合い、ざわざわと音を立てている。
『他に何か変わったものはありませんか? よく見てください』
『おい、すぐに遠ざけろ!』
電話の向こうから怒声が飛び込んできて、おれは眉をひそめた。遠ざけろとはなんだ。なんだかおれが邪魔者みたいじゃないか。そもそも、家を出るよう指示したのはそちらだろうが。何か予定に変更があったのか知らんが、質問ばかりでまったく事情を説明しないし、仕事が杜撰すぎる。
おれは次第に腹が立ってきた。
「あのー、さっきから人に質問ばかりして、おたくらなんなんですか?」
おれは訝しげに訊ねてやった。県警から警視庁、さらには国家緊急なんたらと来たもんだ。だんだん話が読めてきたぞ。
『そ、その、実はですね。今、衛星を使ってあなたの位置を確認し、電話番号を調べてお電話したのですが……』
『おい、いいから一般人はすぐに下がらせろ!』
『もうすぐ現場に到着します!』
『私が話します。代わりなさい』
「ほーう、衛星で私を。わざわざねえ」
『い、いえ、あなた個人ではなく、その場所に――あっ』
『どうも、お電話代わりました』
今度は年配の女の声が聞こえてきた。先ほどまでの男とは違い、鼻につくほど落ち着いた響きだった。
『わたくし、内閣総理大臣でございます』
「は?」
『お気持ちはよく分かります。突然のことで大変驚かれたでしょう。ですが、どうか落ち着いてお聞きください。この回線は、アメリカ大統領にも繋がっております』
「はあ?」
『いいですか。今、あなたは人類にとって極めて重要な局面に――』
「あっ」
おれは思わず声を漏らした。
次の瞬間、カシャンと乾いた音が足元で響いた。目を落とすと、スマートフォンが画面を白く光らせたまま路面に転がっていた。手から滑り落ちたのだ。しかし今、そんなことはどうでもいい。
あらためて林のほうへ目を向ける――そこにいたのは……。
「プラルオマスノム」
薄闇の中に、ぼうっと浮かぶ銀色の身体。異様に大きな頭部に、これまた大きな黒い目。ひょろりと長い手足。どこからどう見ても人間ではない。その姿は、宇宙人としか言いようがなかった。
それも二人いる。宇宙人たちは意味不明な言葉を発しながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
そしておれの目の前で立ち止まると、二人は顔を見合わせ、それからゆっくりと手を差し出してきた。
おれも手を伸ばした。そして――。
「このペテン師が!」
その顔面を思いっきり引っぱたいてやった。
「人をバカにしやがって! 全部、詐欺なんだろう! 県警だの警視庁だの、国家なんたらだの、挙句の果てには総理大臣だと! な、舐めやがって! こ、殺してやる!」
おれは足元に落ちていた石を引っ掴み、連中めがけて投げつけた。
石は一人の頭に命中し、鈍い音がした。連中は甲高い声を上げると、慌てて身を翻し、林の奥へと走り去っていた。
なおも怒りが収まらず、おれは肩で息をしながら林の奥を睨みつけた。それからポケットに手を突っ込み、チラシに包んだキャッシュカードをぐっと握りしめた。
その直後、足元の地面が低く唸るように震え始めた。最初は車の振動かと思ったが、揺れは次第に強くなり、やがて林の奥から凄まじい風が吹きつけてきた。
木々が一斉に大きくしなり、枝葉が激しく揺れる。枯れ葉や折れた小枝が渦を巻いて舞い上がった。
おれはよろめきながら両腕で顔を覆った――そのときだった。
林の奥に、カッと目を焼くような光の球が現れた。周囲が真昼のように照らし出されたかと思うと、球は音もなく上昇し、瞬く間に夜空の彼方へ消えていった。
足元のスマートフォンの向こうでは、詐欺師どもがまだごちゃごちゃと何か言っているようだった。




