王国で最も貧しい公爵令嬢、牢に入れられる
その方は、一目で高い身分の方だとわかった。
私も貴族の端くれだ。地面に倒れていた男が身につけている服の生地や仕立ては、何度も繕った私の平服とは違い、とても上等なものであることはすぐにわかった。ただ、そのわりに宝飾品などは身につけていないようだった。
「野盗にやられたのかもしれませんね」
私より先に、護衛騎士のユリウス・エーレンベルクが口を開いた。
王都は商人主導の自由経済によって繁栄の中にあったが、同時に貧富の差が広がっていた。富める者が増える一方、困窮の末に野盗になる者も少なくなく、王都内での被害が急増していたのだ。
私の両親も、野盗に殺された。
半年前、夜会に出かけた両親が、家に帰って来ることはなかった。
「助けて差し上げましょう」
私は言った。
「……ですが、怪しい者かもしれません。エリーゼ様はまもなく成人してローゼンフェルト公爵家の爵位を継ぐ身です。慎重になられるべきかと……」
「ユリウス。私がお母様から教わった一番大事なことが何かわかる?」
「わかりませんが、決して自らを危険にさらすべきだとは仰っていなかったと思います」
「『自分が正しいと思ったことを迷わず行いなさい』ってことよ。ローゼンフェルト公爵家の者として、それを曲げることはできないわ。目の前に倒れた人がいて、その人が誰であれ、見なかったことにして去ることが正しいとは思えないわ」
ユリウスはため息をつきながらも、小さく笑みを浮かべた。
「わかりました。危険があれば、あなたを守るのが僕の役目ですしね」
ユリウスが男の背中に腕を回して上体を起こすと、男はうっすらと目を開けた。
「うぅ……」
私はその顔に見覚えがあった。
「……ディートリヒ殿下?」
何度もお会いしたことがあるわけではない。けれど、公爵家と王家は縁が深く、次期国王となる王太子ディートリヒ・ヴァルテンブルク殿下の顔を見間違えることはない。
「……あなたは……どなたですか?」
ディートリヒ殿下は息も絶え絶えになりながら、何とか言葉を発した。
「私はエリーゼ・ローゼンフェルトです」
「ローゼンフェルト……? ローゼンフェルト公爵家のご息女ですか?」
「はい、そうです。その……お体は大丈夫ですか?」
「ああ……。どうも背後から賊に襲われたようです。護衛とはぐれた隙を狙われたようで、後ろから頭を強く殴打されてしまっていたので……。ですが、ローゼンフェルト公爵家の方に見つけていただけたとは、運が良かった」
「王宮までお送りいたしましょう。ユリウス、いいですね」
ユリウスは頷いた。
「はい、もちろんです。エリーゼ様」
「それはありがたいのだが……まだ少し頭が痛むもので……少し休ませてはもらえないだろうか」
ディートリヒ殿下は、また少し苦しげな表情をしていた。
「それでしたら私の家はすぐそこですので、休んでいかれますか?」
私たちは公爵邸にディートリヒ殿下をお連れした。
公爵邸と言っても、小さな家ではあるのだけれど。
「ローゼンフェルト公爵家といえば、代々女性が当主を務める名家ですよね? そのような名家の方が、このような家に住まわれているのですか……。使用人もいらっしゃらないのですね」
粗末な椅子に座ったディートリヒ殿下が、そんなことを口にした。
立派な王宮に住んでいる殿下からすればもっともな感想だろう。
「ええ、母の代でずいぶんと財を失ってしまいまして……。それでも公爵家としての誇りは失っておりません」
「ご立派なことです」
ディートリヒ殿下が言った。
「これも助けていただいた縁だ。王宮の夜会に招待させてください」
「夜会……ですか? ですが、まだ成人前で夜会などには出たことがないので……」
「夜会とはいっても、親しい者たちとのただの集まりです。肩肘張る必要はありません。エリーゼ様は公爵家の当主になるのですよね? それでしたら王家のことも知ってほしいですし、他の貴族と親交を深めるのも損ではないでしょう」
「……そこまで仰るのでしたら……承知いたしました。ご招待ありがとうございます」
「良かった。では、私はこれで失礼いたします」
ディートリヒ殿下が立ち上がった。すっかり体調も良くなったように見えた。
「お待ちください、殿下。お忘れ物ですよ」
ユリウスが手にしていたのは、紋章が刻まれ、その周囲に宝石が散りばめられた指輪だった。
「これは失礼……。ですが、公爵家がこのような暮らしぶりでは心苦しいのです。助けていただいたお礼として、それは受け取っていただけませんか」
ディートリヒ殿下が申し訳なさそうに言った。
「お気遣いはありがたいのですが、何とかやっていますのでご心配なさらないでください。それに、人を助けたことで、見返りを求めても受け取ってもいけない、というのも母の強い教えなので、どうしても受け取ることはできません。どうかお持ち帰りください」
私は丁重にお断りしたが、ディートリヒ殿下は「それでは私の気が済まない」と頑として受け取らず、そのまま去ってしまった。
※
夜会というものに出席したことがない私は、少し不安に思いながら、王宮にやってきた。
普段着ている平服ではなく、お母様が着ていたドレスを着てきた。そのドレスも繕ったところがいくつかあったのだけれど、それでも大人になった気分で高揚していた。それに、お母様が守ってくださる気がした。
私のドレス姿を見たユリウスも、「とてもすてきです、エリーゼ様」と言って涙を流していた。そこまで感激するほどではないでしょう、と思いながら、ユリウスには別の用事を任せて、私は王宮の敷地内に入った。
受付の方に奇異なものを見るような目をされたけれど、私はれっきとした招待客だ。
私は堂々として、夜会の会場の広間へと進んだ。
豪華なシャンデリアや装飾、華やかに着飾ったたくさんの貴族の方々が目に飛び込んできた。
私は気後れしながらも、ディートリヒ殿下を目で探した。
「平民が紛れ込んでいるわよ! 衛兵は何をしているのか?」
突然そんな声が上がったので振り返ると、ひとりの貴族令嬢が私を指さしていた。
「……私は、公爵家のエリーゼ・ローゼンフェルトと申します」
私は招かれざる客ではないということを主張したかった。
「は? 公爵家ですって!? 嘘をつくならせめて男爵家くらいにしておきなさいよ。どこの公爵家の方がそんなみすぼらしい雑巾のようなドレスを着るって言うの?」
貴族令嬢は、私に向かってまくし立ててきた。
「これは……亡くなった母のドレスなのです」
「まあ! 王宮の夜会にそんな古着を着てきたというの?」
「待て、ヴィオラ」
後ろから、別の男性の声がした。聞き覚えのある声だった。
ヴィオラと呼ばれた女性が、私の背後に向けて頭を下げた。
「これは……ディートリヒ殿下」
振り向くと、そこにディートリヒ殿下が立っていた。
「エリーゼ・ローゼンフェルト、よく来たな」
ディートリヒ殿下は、うっすらと笑みを浮かべて私を見ていた。
「このたびはお招きいただいてありがとうございます」
私も殿下に頭を下げた。
そして、顔を上げて見た殿下に、何か違和感を覚えた。
「それにしても……ヴィオラの言うとおりだ。そのみすぼらしいドレスは何なのだ? 王宮の夜会をバカにしているのか?」
私は耳を疑った。
決して私を歓迎するような言葉ではない。
先日、公爵邸にいらっしゃったディートリヒ殿下は、そのような言葉を人に向けるような方ではなかったはずだ。
お母様のドレスを侮辱されたことにも、胸を抉られるような気持ちになった。
「まさか本当に来るとはな。食うに困って、夜会で出される食事だけを目当てに来たのか?」
「殿下、なぜこのような者を招待したのですか?」
ヴィオラと呼ばれた貴族令嬢が殿下に尋ねた。
「少し事情があってな。先日、この女のボロ屋のあたりを歩いていたときに急に後ろから頭を殴られて、気を失ってな。俺は護衛とはぐれてしまってひとりだったところを狙われたのだ……」
「まあ……そんなことが……。殿下は王国にとって大事な方なのです。お気をつけください」
ヴィオラが心配げな表情で言った。
「倒れた俺をボロ屋敷に運んだのが、この女とその護衛騎士だったのだ。意識を取り戻した俺はすぐに王家の指輪がなくなっていることに気づいた。助けたふりをして、没落した公爵家のこの女と護衛騎士が、生活に困って大事な指輪を盗んだのだとすぐにわかった。しかし、俺には護衛もおらず、分が悪いと思ってその場は退いたのだ。だが、この女はひょっとして俺が気づいていないものと思って、夜会に招待すれば、のこのことやってくるのではと思って罠にかけたのだ。まさか王太子と婚約して貧しさから抜け出せるとでも期待したか?」
「指輪は殿下が助けたお礼にと無理やり置いていったのではないですか!」
私は思わず抗弁した。
「王家の大事な指輪をこの俺が? そんなわけがあるか。……それよりも、おまえは今、指輪を持っていることを認めたな?」
殿下はまたうっすらと笑みを浮かべた。それは悪意とともに浮かべるような笑みだった。
「いえ、それは……」
「王家の財宝は王国にとって無二の物です。それを盗んだということは、王権の侵害とも取れます。場合によっては死罪もありえますね」
私の言葉を遮るように別の貴族令息が割って入ってきた。
「オスヴァルト、おまえは王国法に詳しかったな。では、この女は投獄すべきだな?」
「はい、殿下。直ちに拘束して、裁定にかけるべきです」
殿下の問いにオスヴァルトと呼ばれた貴族令息が答えた。
「まったく……両親は野盗に殺され、その娘は王家の財宝を盗んで死罪とは……。名家と言われたローゼンフェルト公爵家が……惨めな末路だな」
「お母様とお父様を侮辱しないでください!」
「ふん。惨めな家だからこそ、盗みなど働くのだろう? 侮辱などではなく、事実を言ったまでだ」
「さっさとその小汚い女を外に出して! 怖いわ……」
また別の令嬢が叫んだ。
「そうだな、セシリア。すまなかった。せっかくの夜会にいつまでも重罪人がいては皆に申し訳ないな」
殿下が広間の入り口付近で待機していた衛兵たちに合図をすると、衛兵たちは私のほうに向かってきた。
私は衛兵に腕を強く掴まれ、引きずられた。
なぜディートリヒ殿下がこのような仕打ちをするのか、私にはまったく心当たりがなく、ただ混乱するばかりだった。
「殿下! 私は何も盗んでおりませんし助けた見返りを求めてもおりません!」
「自分で襲っておいて『助けた』だと? 図々しいにもほどがあるな」
ディートリヒ殿下はただ冷たい視線を投げかけてくるだけだった。
「何かの間違いです。話を聞いてください!」
私の呼びかけにもう殿下は応じず、夜会に戻っていって、ヴィオラたちと談笑を始めた。
衛兵たちは表情も変えず、私を牢に引き立てるだけだった。
※
王宮の牢に入れられた私は、ひどく惨めで心細かった。
ドレスは汚れ、裾が破れてしまっていた。お母様に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ユリウスも私が戻らないことを心配するだろう。このまま私が死罪になれば、護衛騎士としての役割を果たせなかったと強く悔いてしまうだろう。私のせいでこんなことになってしまって、ユリウスにも申し訳なかった。
「うぅ……」
私の前の牢から女性の小さなうめき声が聞こえた。見ると、牢の中の女性は苦しそうにうずくまっている。
「どうされました?」
私は思わず声をかけた。
「ちょっと具合が悪くて……」
「お医者様を呼びましょう。ここは王宮です。宮廷医師がいるはず。誰か! ご病気の方がいらっしゃいます! お医者様をお願いします!」
私は力いっぱい叫んだ。
けれど、何の反応もなかった。
「誰か!」
「……もういいです。誰も来やしませんよ。ふふふ。面白いお嬢様ですね。笑ったら少し具合がよくなりました。……あなたも牢に入れられるような方ではなさそうですね」
女性は少し笑っていた。少しでも気が紛れたのならよかった。
「具合がよくなったなら良いですけれど……。あなたも、というのはどういうことですか?」
女性の言葉が気になって、私は尋ねた。
「あなたもディートリヒ殿下に冤罪で牢に入れられたのでしょう?」
「はい。殿下に無理やり王家の指輪を押し付けられて、後から盗んだと言われました」
「やっぱり……。私は王宮の侍女だったのですけれど、ディートリヒ殿下が、ある伯爵家に盗品を運ぶよう命令しているところを目撃してしまって……口封じのために牢に入れられたのです」
「どうしてそんなことを……?」
「わかりません。なんでもその伯爵家がローゼンフェルト公爵家に協力的だとかいうことで……。狙われているのはローゼンフェルト公爵家のようなのですが」
「そんな……」
私は驚いて何を言ったらいいのかわからなかった。
なぜディートリヒ殿下はそこまでローゼンフェルト公爵家を目の敵にするのだろう。その周囲の貴族の方々まで巻き込んで……。
「この王宮の牢に入れられている人はほとんどそんな冤罪の人たちなんです」
「皆さん、冤罪で牢に入れられているということですか?」
「ええ。そうです。私はリーゼル・ハルトマンと申します。あなたは?」
「私はエリーゼ・ローゼンフェルトと言います」
「ローゼンフェルト公爵家のご令嬢なのですか!?」
リーゼルが驚いたような声を上げた。
「貴族の方だとは思ったのですが……まさかローゼンフェルト公爵家の方とは……」
「貴族とはいっても貧しいもので、そんな大したものではございません」
今度は、私の右斜め前の牢の年配の男性が口を挟んできた。
「ずいぶんお若いご令嬢がいらしたものだと思ったら、まさかローゼンフェルト公爵家のご令嬢だとは……」
私はその男性のほうを向いた。
「ローゼンフェルト公爵家をご存じですか?」
「もちろんです。ローゼンフェルト公爵家といえば、王国にとって、なくてはならないとても重要な家ではないですか」
「はあ……。まだ正式に当主にはなっていないもので……」
「……私がもう少ししっかりしていれば、ローゼンフェルト公爵家の財務状況も今のようにひどいことになっていなかったと思います」
「……どういうことですか?」
「私はオットー・ヴァイスと言います。王宮の財務官だったのですが……。あるとき、ディートリヒ殿下が、ローゼンフェルト公爵家への俸給を止めると言い出したのです。それは少なくない額でしたが、ローゼンフェルト公爵家はそれもほとんど困窮した国民のために使っていたはずです。それを停止すると言い出したので、それは王国法に反する行為だと諌めたのですが……」
「それを罪に問われたのですか?」
「ええ。反逆罪に問われました。私がもっとしっかり止めていれば、公爵家が困窮することはなかったでしょう。申し訳ございません」
「いえ、オットーさんが謝られることでは……」
「あなたのお母様、マルガレーテ・ローゼンフェルト女公爵といえば、立派なお方で、私も何度も助けられました。どうしても恩をお返ししたかったのですが。牢に入れられることになってしまいました……」
「お母様のことをご存じなのですね」
「はい。エリーゼ様は心配することはございません。ローゼンフェルト公爵家の方であればすぐに解放されるはずです」
王宮の地下牢といえば、凶悪な重罪人ばかりを収容していると思っていたのだけれど、どうもそうではなさそうだった。
「皆さん、そんなにいろいろと私に話してしまっては、ディートリヒ殿下に睨まれてしまうのではないですか?」
私の懸念に、オットーは首を振った。
「大丈夫です。牢に入れた時点で、殿下にとって私たちは『終わった人間』です。牢に入るような罪人の言葉など誰も信じないと思っていらっしゃるので」
そしてもうひとり、私の牢からは少し離れたところから、口を開いた者がいた。
「エリーゼ様。私は近衛騎士団のコンラート・シュタインと言います。私も、どうしてもエリーゼ様のお耳に入れておきたいことがございます。エリーゼ様にとって、大変お辛い話になるかもしれませんが、ご両親のことについて……」
「私のお母様とお父様のことですか……?」
頷いてコンラートは話を始めた。
「私は……ディートリヒ殿下に、マルガレーテ・ローゼンフェルト女公爵と、夫のアーデルベルト・ローゼンフェルトの暗殺を命じられました。夜会の帰りの夜道で、暗がりの中で襲って、強盗されたように見せかけろと」
「嘘……」
「もちろん、私は断りました。断っただけではありません。殿下に思い止まるよう、必死に説得しました。ですが、力及ばず、私はこのとおりです。それからずっと牢の中におりましたので、その後どうなったかは存じ上げないのですが、お二人はご無事でしょうか……?」
コンラートは私に哀願するように尋ねた。
私は首を横に振った。
「お母様も、お父様も、夜会から帰ってくることはありませんでした。私は、両親が野盗に殺されたと伝えられました。剣の切り傷や刺し傷が無数にあって、無惨な死体でした」
「そんな……」
コンラートは絶句した。
私もコンラートの話にひどく動揺し、悲痛な思いを抑えられなかった。
「エリーゼ様も……そのお若さで……そんな過酷な目に遭われるとは……。私の力が及ばず、本当に申し訳ございません……」
屈強な戦士のようなコンラートが涙を流していた。
私の目からも自然と涙が溢れて息が詰まり、声が出せなかった。ただ「あなたのせいではない」と伝えたくて、首を懸命に横に振った。
やがて、壮年の男性がやってきて、私の牢の前で立ち止まった。男性に続いて、ディートリヒ殿下も姿を現した。
「エリーゼ・ローゼンフェルトだな?」
その方は、国王フリードリヒ陛下だった。
「はい……」
まさか国王陛下自ら私の死罪を告げに来たのだろうか、と考えた私の予想に反して、陛下は私に頭を下げた。
「大変申し訳ない。愚息がローゼンフェルト公爵家のご令嬢を牢に入れるなどという狼藉をしてしまい……。このようなことが二度と起きぬよう、ディートリヒにはきつく言い、監視もつけよう。ほら、ディートリヒ、謝罪をせよ」
すると、ディートリヒ殿下は今にも泣き出しそうな顔で、私に頭を下げた。
「エリーゼ様、大変申し訳ございませんでした。私の勘違いでこのようなことになってしまい、本当に申し訳ございません」
それは、公爵邸にいらしたときのディートリヒ殿下と同じ人格のように見え、夜会のときの豹変ぶりが嘘のように思えた。
「なぜ……今になって勘違いだとお認めになるのですか?」
「エリーゼ様の護衛騎士の方が、私が公爵邸に忘れた指輪を届けに来てくださっていて……。私がうっかりしただけなのに、盗っ人のように扱ってしまって本当に申し訳ございません。ご容赦ください」
私は、その話の中の嘘に引っかかった。殿下は、私に指輪を「押し付けた」のであって、殿下は指輪を「忘れた」のではない。
私はディートリヒ殿下という人物の本性を垣間見た気がした。
「そうですか……」
「これは本来は勘違い以前の問題なのだ。エリーゼ嬢はまだ正式に当主にはなってないようなので、詳細は知らないかもしれないが、ローゼンフェルト公爵家は初代王妃の血統で、当主の女公爵が国王と王家の不正を監視する重要な役目を担うことになっている。それは、初代国王と王妃が、王国が王家のものではなく国民のものだと永遠に忘れないよう結んだ契約に基づいているのだ」
フリードリヒ陛下はディートリヒ殿下をきつく睨んだ。
「そのローゼンフェルト公爵家の者を、ろくに調査もせず不当に投獄するなど、それこそ王権の濫用と見なされても文句は言えまい。それを王太子の分際で……」
「父上、それは……」
「黙れ、ディートリヒ!」
陛下は叱咤した後で、また私のほうに向き直った。
「本来は廃嫡も免れないところだが、今回だけは過失として処理してもらえないだろうか。本当に申し訳ない」
——王家の不正の監察……。
それが、ローゼンフェルト公爵家の役目。
当主になるための教育は受けてきて、ローゼンフェルト公爵家の役割は認識しているはずだった。けれど、ローゼンフェルト公爵家の権限や役目が、フリードリヒ陛下が仰るほど重いものだという認識はまだなかった。
「承知いたしました。謝罪は受け取りました。……私はまもなくローゼンフェルト公爵家の当主になります。私は当主として、私の正しいと思うことをするだけです」
表面上は反省の色を見せるディートリヒ殿下が、私を威嚇するように睨んでいた。
私は思わずドレスの裾を握った。
汚れて破れていたけれど、それでもお母様が私を守ってくれている気がした。
※
「母が亡くなり、ローゼンフェルト公爵家の当主不在の間、大変ご迷惑をおかけいたしました」
私は国王フリードリヒ陛下に謁見していた。洗濯し、繕ったお母様のドレスを着て。
私の隣には、公爵護衛騎士となったユリウスもいた。
国王との謁見は、私が成人し、正式にローゼンフェルト公爵家の当主に就任した挨拶のためだった。この挨拶は儀式でもあり、国王以外にも多くの貴族が謁見の間に集まっていた。それは私にあの日の夜会を思わせた。
当主就任にあたり、諸侯から改めてローゼンフェルト公爵家の役目について薫陶を受けた。
その諸侯は、ローゼンフェルト公爵家当主不在の間も精力的に動いてくれていた。そして、私が牢の中で聞いた事案についても、調査に協力してくれた。
「エリーゼ・ローゼンフェルト公爵殿。よく来てくれた。今後は、王家とともに、この王国を盛り立ててほしい」
陛下が歓迎するようにお言葉をくださった。
ディートリヒ殿下も、フリードリヒ陛下の横に立って、笑顔で私を迎えた。
「先日は騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。これからは王家と公爵家で協力していきましょう」
「はい。私もそのつもりです」
その言葉に嘘はない。けれど、ここからの私の報告を、お二人は手放しで歓迎してはくれないだろう。
「さっそくですが、公爵としての公務を始めておりますので、この場をお借りして、いくつかご報告させてください」
フリードリヒ陛下は少し驚き、警戒するような表情を見せた。
「ずいぶんと仕事が早いのだな」
「はい。当主不在の間、いろいろとあったようでして……。まるでその不在を狙ったかのように」
「まるで王家が、ローゼンフェルト公爵不在をいいことに、王権を濫用していたような言い方だが……」
訝しげにするフリードリヒ陛下に構わず、私は報告を始めた。
「まず、ヴァルデック伯爵家から、王宮で盗まれた宝飾品が見つかった事件です。伯爵家が罪に問われましたが、王宮の侍従が持ち出しているところを目撃されています。これは冤罪でした」
「侍従が盗んだというのか? それを伯爵家に預けたと?」
ディートリヒ殿下が尋ねてくる。
「とぼける必要はありません、ディートリヒ殿下。殿下が指示したところも目撃されています。つまり、殿下が王権を濫用して捏造した冤罪です。なお、目撃した侍女リーゼル・ハルトマンも、正式な罪状も示されず口封じのため投獄されております。これも王権の濫用と認めます」
「何を一方的に……」
「私はこの場では監察の結果を報告するだけです。証拠はすべて提示しますので、裁定で申開きください。ただ、証拠は盤石だということだけお伝えしていきましょう」
「……謝罪を受け入れたと言っていたではないか? どういうつもりだ?」
ディートリヒ殿下の口調が崩れていた。本性が出つつあるようだ。
「謝罪は私自身を投獄したことに対するものだと認識しています。謝罪だけで許されるほど、王国法は甘くないこともご認識ください」
「何だと……」
「次に、ローゼンフェルト公爵家への俸給の停止です。建国契約で決められた俸給の停止も王国法の違反となります。そしてそれを諌めたオットー・ヴァイス財務官も反逆罪として投獄されました。王国法を守ろうとした人物を反逆罪ですか? 冗談にもなりません」
「領地も持たないローゼンフェルト公爵家になぜ俸給などやらねばならんのだ? 国庫の無駄遣いだ!」
「それは王太子にすぎないあなたが判断することではありません」
喚くディートリヒ殿下に、私はそれだけ答えた。
「ローゼンフェルト公爵は王家が見もしない困窮した貴族領の支援に俸給を使っていたのです。それを無駄遣いとは言わせません」
「ご自身のドレスも新調せずに、その費用を私の領民のために使ってくださったのだ。それを夜会で雑巾のようなドレスだなどと罵っていたのを聞いたぞ」
貴族たちから声が上がった。お母様が困っている人たちに限界まで支援をしていたことを知っている。そのため公爵家はいつも貧しく、お母様がいつまでも古いドレスを着ていたことも。
私はそれが公爵家として当然の振る舞いだったと思っているし、誇りにも思う。けれど、今は公爵家の名誉のためではなく、王家の不正を正すために報告を続けなければならない。
「それから、マルガレーテ・ローゼンフェルト公爵とその夫アーデルベルト・ローゼンフェルトの殺害です。これもディートリヒ殿下が指示し、強盗に襲われて殺されたように偽装されました」
謁見の間がどよめいた。
私はお母様とお父様の殺害について、努めて冷静な報告とした。
「そんなバカげた話があるか! これこそ王権に対する侮辱だ。ローゼンフェルト公爵家が地に落ちた証拠だ!」
ディートリヒ殿下が堪えきれずに怒鳴った。
私はドレスの裾を掴み、ただ淡々と続ける。
「実行犯の近衛騎士はすでに特定できています。証言者の近衛騎士のコンラート・シュタインはこれを止めようとして、やはり反逆罪として投獄されました。ローゼンフェルト公爵の殺害こそ反逆罪に等しいにもかかわらず、それを止めようとした人物が罪に問われたのです」
「いい加減な話をするなと言っているのだ!」
「ですから、申し開きは裁定の場で行ってください。事実を示すいくつもの証拠と証言を前にした上で、ですが」
「そんな証拠など……」
「そして、その後、当主に就く前のエリーゼ・ローゼンフェルト公爵令嬢、つまり私に冤罪を着せ、排除しようとしたのです。ローゼンフェルト公爵が不在となる状況を作り出し、その間に、ローゼンフェルト公爵家の断絶を謀ったかのようです」
「父上! エリーゼ・ローゼンフェルトは王家を監察する立場を利用し、王太子である私を陥れようとしているのです」
ディートリヒ殿下は追及を行う私にではなく、フリードリヒ陛下に向けて声を上げた。
「監察権を利用して冤罪を捏造しているというのか?」
「そのとおりです!」
冤罪を主張するディートリヒ殿下を横目に、私は書類をフリードリヒ陛下に渡した。
書類に目を通した陛下が顔をしかめる。
「そんな書類が何だというのです! ローゼンフェルト公爵家の横暴です。この家があるから、王家は自由になれないのです! 今こそ王家は邪魔者を排除すべきです」
ディートリヒ殿下の主張に、謁見の間が静まり返った。
その場にいたほとんどの貴族が、冷ややかな目でディートリヒ殿下を見ていた。
それは、フリードリヒ陛下も同様だった。
「これはおまえの署名が入った殺害の命令書だぞ」
「それは……ありえない……」
フリードリヒ陛下の言葉に、ディートリヒ殿下が狼狽えた。
「命令書は回収して破棄したつもりだったか? 実行犯がおまえに切り捨てられるときに備え保管したのだ。おまえには偽の命令書を返却したのだろう。おまえは王宮の騎士にすら信用されていないのだ」
「そんな……」
「ディートリヒよ……。おまえのいう王家の自由とは、何のための自由だ?」
フリードリヒ陛下が、ディートリヒ殿下に問いかけた。
「それは……王家が自由に国政を行うための……」
「過去の王国の歴史上、ローゼンフェルト公爵家を目の敵にし、『王家の自由』を謳う国王は私利私欲に溺れていた。一方で、国民のために善政を行った国王は公爵家と手を取っていた。例外はない。だからこそ、王家とローゼンフェルト公爵家の関係は今までずっと維持されてきたのだ。おまえにもじゅうぶん教育してきたつもりだったが、まさかローゼンフェルト公爵家を王家の足枷のように理解するとは……」
「私は……その歴史を変えてみせます」
「愚か者が! ここまでの横暴を行って誰がおまえを支える? おまえが国王になどなれば、王家は途絶えるわ! その上……ローゼンフェルト公爵家の当主を殺害するとは……。国王を殺したに等しい重罪だぞ。我が息子とはいえ、温情を挟む余地もない……」
「父上、まさか……私を廃嫡するおつもりですか……。それだけは許してください……。申し訳ございません。発言は撤回いたします。これからは心を入れ替えて……」
フリードリヒ陛下の叱責に、ディートリヒ殿下はあっという間に態度を変えた。
「廃嫡だけで済むわけがなかろう……」
陛下は冷たく言い放った。
「ど……どういうことですか?」
ディートリヒ殿下の声が震えていた。
わからない王家の者に教えるのも、ローゼンフェルト公爵家の務めでしょう。
「どういうことでしょうね……。私はまだ王国法を勉強中のところで詳しくないのですが、どなたか……」
私は周囲を見回して、夜会にいたひとりの貴族令息を見つけた。
「オスヴァルトさんと仰いましたか?」
私はその貴族令息に呼びかけた。
「はい……」
その貴族令息、オスヴァルトはおずおずと前に出てきた。
「あなたは私が王家の指輪を盗んだと問い詰められたとき、王権の侵害は死罪と仰っていましたね?」
「は、はい……」
「ではお伺いしたいのですが……ローゼンフェルト公爵家の監察権を侵害し、公爵の殺害まで実行した場合、どのような罪に問われるでしょうか?」
「王権の侵害と同等の罪になり……場合によっては死罪もありえます。特に殺害まで実行したとなると……重罪です」
オスヴァルトの声も、ディートリヒ殿下と同じように震えていた。
「なるほど……。ついでにお伺いいたしますが、王家の監察者であるローゼンフェルト公爵家に、虚偽とわかりながら罪を着せ、その権限の行使を妨害した者はどうでしょう? 例えば……あなた方のように」
「か、監察権侵害の幇助になり……。き、貴族の場合は爵位の継承権の剥奪と幽閉が科される場合があります」
「あなた方はただの侮辱のつもりだったのでしょうけれど……そんな重い罪になるのですね……」
「監察者への侮辱はただの侮辱ではない。不正をよしとする者とみなされるのだ」
フリードリヒ陛下が補足するように言った。
そして、改めてディートリヒ殿下に向き直った。
「ディートリヒよ。わかったな? 今この時点で、おまえを王太子の地位から解く」
「ち、父上!」
「その上で、すべての容疑について正式な裁定を受けるまで、牢で待つがよい」
フリードリヒ陛下が衛兵に合図した。
そのとき、ディートリヒ殿下が私に向かって拳を振り上げて襲いかかってきた。
ユリウスが立ちはだかり、その腕を掴んだ。
「エリーゼ様、お下がりください!」
そこに、やってきた衛兵がディートリヒ殿下を後ろから羽交締めにした。
「ローゼンフェルトめ!」
ディートリヒ殿下が衛兵に引きずられながら、私に向かって叫んだ。
「殿下が私を牢に入れなければ、殿下が陥れた人たちの声を聞くこともなかったのです。そうであったなら、殿下が牢に入ることもなかったかもしれません。……まだ牢にいる方たちは、殿下を見てどう思うのでしょう」
※
裁定の結果、ディートリヒ殿下の極刑が決まった。
私はそれがお母様とお父様の殺害に対する復讐だとは思わない。私は、ただ自分が正しいと思うことをしただけだ。
オスヴァルトを始め、私への虚偽の告発に関わっていた者たちも、それぞれ罪に問われるようだ。そこまでのことかとも思ったが、それが王国法だった。
リーゼル、オットー、コンラートらは無実が認められ、すぐに牢から解放された。さらに、監察に協力した功績を認められ、褒賞を受けることにもなった。
「お見事でした。エリーゼ様」
ユリウスが言った。「ボロ屋」と言われた公爵邸で、私たちは二人、ようやく息をついたところだった。
「皆のおかげよ。ユリウスも指輪のこと、ありがとうね」
ユリウスが首を振る。
「あのままエリーゼ様を守れず失っていたら、僕は一生自分を許せなかったでしょう」
「やめてよ……。お互い無事だったのだから」
「この公爵邸にはエリーゼ様と僕しかいないのです。エリーゼ様はただひとりの大事な……家族……ではありませんか」
「そうね……。……うん? どういう意味?」
ユリウスがなぜか顔を赤くした。
「いえ……深い意味はありません……。家族は言い過ぎました。主君と護衛騎士ですので……」
私はユリウスに微笑みかける。
「あら。私はあなたのことを家族だと思っているわよ」
これから、ローゼンフェルト女公爵として、私はしっかりと「正しいこと」をしていかなければならない。
「頼りにしているわよ、ユリウス」
そう言ってユリウスの手を取ると、彼はいつもの騎士らしい凛々しさとは違って、恥ずかしそうに頷いた。
ローゼンフェルト家は王国で最も貧しい公爵家とも言われるけれど、私はなぜだか少しも貧しいとは思わなかった。
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