ep.17 未遂
数日のブランクを置いても、お社の奥に揺らめく異界への入り口は、まだそこにあった。
「ここにあるのが、もう当たり前みたいな感覚になってるけど……この出入り口って、いつまであるんだろうね」
樹は、そんなことを呟きながら、縁の下の隠し場所から冒険道具一式が入ったリュックを引きずり出す。数日置きっぱなしであったため、虫やネズミにかじられていないか、非常食用のお菓子が腐っていないかを確認する。
「確かにそうだよな。ゲームなら、ラスボスとか倒したら消えるとかあるもんだけど。それか、期間限定・夏休みキャンペーン中! とか?」
湊の発想に、樹は思わず「ふふ」と笑みを漏らした。
「湊が言った通り、ラスボスみたいに何か達成してほしい『条件』が存在する線はあるかもね」
「達成してほしい条件?」
「うん。なんで急に僕たちに変な能力が現れたのか。なんでこの世界への入り口が、僕たちだけにしか見えないのか。それって、僕たちに達成してほしい何かがあるのか、それとも僕たちだからこそ出来ることがあるから、なんじゃないかな」
「『こいつら、夏休みで暇人そーだな』って神様あたりに思われた、とか?」
湊はバットケースから取り出したバットで、その場で素振りを始める。
「それなら、僕たちじゃなくてもいいわけでしょ」
「まぁな~。仮に俺たちが選ばれたんだとして、じゃあ、誰が? 何が? 俺たちに用があるんだろうな」
湊の言葉は、なかなかに核心をついていた。樹は「うーん」と唸りながら、これまでに読んだ本の知識をもとに、自分のノートに書いた仮説を思い出しながら語る。
「SFファンタジーなら、あの灰色の異界そのものが意思を持っていて、病気になった世界を治すために、僕たちが抗体みたいに選ばれた、とかね。怪談話だと、現世の強い未練や後悔の念が集まった倉庫みたいな場所で、僕たちは、その想いを成仏させるために呼ばれた、みたいな……だから、これまでの『落とし物』の時間軸がバラバラなのは説明できる」
「理屈は分かるけど、どれも実感湧かないよな。どっちにしろ、俺たちが選ばれた理由がよくわかんねぇし」
湊は、物語を聞いているような感覚で、樹の推論に相槌を打つ。
「ま、異世界転生した主人公だって、あんま細かいこと考えないだろ? 目の前に困ってる人がいたり、やれることがあればやる、それだけ、みたいな」
湊の答えは、いつでも明快で、ゲーム感覚だ。
「考え続けるよりは、『落とし物』めっちゃ拾って人助けしてたら、いつの間にかクエストノルマ達成してて、何か起こるかもしんねーし!」
樹が小さなリュックを、湊がいつものバットケースを担いで、二人は久しぶりに彩のない灰色の世界へと降り立った。
目に映る景色も、肌で感じる空気も、以前と何一つ変わらない。重苦しい静寂が支配する世界が、そこにあり続けている。
その瞬間、湊が「あ」と短く声を漏らした。
「なんか、すごく心配して、必死に探してる感じがする……」
切迫した感情に導かれるように、湊が走り出す。
二人が向かったのは、町の中心部から外れた、山裾を流れる川のほとりだった。水が涸れた川は、ごつごつとした岩が転がる殺風景な河原と化している。その岩の一つに、子供用の小さなサンダルが片方だけ、淡い光を放って置かれていた。
樹がそのサンダルに視線を落とした途端、脳裏に暴力的なビジョンが流れ込んでくる。
――ぎゃっ
潰れたような、子どもの声。
荒々しく茂る夏草が踏み躙られる臭い。
何者かに腕を掴まれ、山の中へと引き摺り込まれていくビジョン。
「……っ!」
樹は、息を呑んだ。
これは、ただの迷子じゃない。
「湊、戻ろう! 今すぐ!」
夏の世界へ帰還した二人が、同じ場所へと走る。
そこは、町の家族連れに人気の、水遊びができるスポットだった。
澄んだ浅瀬ではしゃぐ子供たちの声、川岸でバーベキューの準備をする親たちの笑い声が、夏の午後の光景を彩っている。
その中に、樹は見知った姿を発見した。母親と、五歳になる弟の陽だ。
そういえば、ママ友に誘われて川遊びに行くと言っていたっけ。
樹は、血の気が引くのを感じながら、母親の元へ駆け寄った。
「お母さん! 誰か、いなくなった子はいない!?」
「樹? どうしたの、そんなに慌てて……」
「いいから!」
樹のただならぬ様子に、母親は周囲の母親たちと顔を見合わせ、子供たちの数を数え始めた。
「えーっと……あら? イズミちゃんがいないわ」
一人の母親の顔が、さっと青ざめる。
「さっきまで、そこで石を拾ってたはずなのに……」
目を離していたのは、ほんの数分のことだった。
樹と湊は、樹が見たビジョンの記憶に従って、川の流れを遡るように走り出した。
「イズミちゃん!」
声を張り上げながら、大きな岩の向こうを覗き込む。
いた。
小さな女の子が、一人で水際にしゃがみ込み、綺麗な石を探すのに夢中になっている。
そして、そのすぐそばに、別のしゃがんだ人影。
手にした網で、何かを掬う素振りをしている男。
二人の気配に気づき、男がゆっくりと立ち上がった。
「やあ。この子のお兄ちゃんたちかい?」
にこりと、人の良さそうな笑みを浮かべている。
「すみません! はぐれちゃって!」
湊が、軽い身のこなしで岩から岩へ跳んで、イズミのもとに辿り着く。
「そっか。川は危ないから、気をつけなよ」
男はそう言うと、興味を失ったように、ひらりと手を振り、岩の向こうへとそそくさと消えていった。
イズミを母親の元へ送り届けた後も、樹と湊の胸には、鉛のような重い不安が居座っていた。
未遂に終わった以上、さっきの男が犯人だという証拠はないが、そうではない確証もない。他にも本当の犯人がいて、川岸のどこかに潜んで機会を窺っているかもしれない。
遊び場に潜む見えない脅威を一度実感してしまうと、もう、その場を離れるのが怖かった。
「湊……念のため、もう少しここにいよう」
樹が小声で提案すると、湊も、硬い表情でこくりと頷いた。
その時だった。
「樹~!」
背後から、母親の声がした。振り返ると、弟の陽の手を引いた母が柔らかな笑顔でこちらを見ている。その視線は、樹の隣に立つ湊へと注がれていた。
「もしかして、あなたが瀬戸口湊くん?」
「あ、はい! どうも!」
湊は、慌ててぺこりと深く頭を下げた。
「まあ、ご丁寧に。樹と仲良くしてくれて、本当にありがとうね。この子、家で湊くんの話ばっかりしてるのよ」
「えっ、ちょ、お母さん!」
樹が顔を真っ赤にして抗議するが、母親は楽しそうに続けた。
「この子、小中学生の頃は身体が弱くてね。ちょっと走っただけですぐ息切れして、喘息の発作を起こしたりして。東京からこっちに来てからは、だいぶ健康になったみたいだけど、地元の友達もいなかったから、心配してたの。だから、湊くんみたいなお友達ができて、本当に嬉しいわ」
「お母さん、もうやめてってば……っ」
樹は耳まで赤くして、母親をママ友たちの方へ押し戻そうとする。
一方の湊の眼差しは、真剣だった。
「いえ。俺の方こそ、樹に助けられてばっかりです。この間の、うちのばあちゃんのことだって、樹がいなかったら、どうなってたか……」
「おばあちゃまのこと、樹がお役にたてて良かったわ」
母親は湊へ和らいだ笑顔を見せると、「そうだ」と手を叩いた。
「これからバーベキューのお肉を焼くところなの。二人とも、食べて行ってちょうだい!」
その申し出を、断る理由はなかった。
結局その日、二人は、樹の弟の陽たちと水遊びをするふりをしながら、夕方までずっと、周囲への警戒を解かなかった。
それが幸いしてかその後は何も起こらず、子供たちの記憶にはただの「楽しい夏休みの一日」として刻まれたのであった。




