6話
人間の赤ん坊というのは、成長がかなり遅い。
同じようにミルクを飲んで育っている魔獣の子は、すでに自分の足で歩き回っている。
それに比べて人間の赤ん坊がする移動といえば、せいぜい寝返りを打ち、体を転がして横へずれる程度だった。
だが、最初のうちはそれすらも出来なかった。
遅くはあるものの、確実に、少しずつ成長している。
ある時から赤ん坊は、手足をばたつかせるようになった。
その度にミミックは、息苦しいんじゃないかと蓋を開ける。赤ん坊を抱き上げて状態を確認する。
自分が何か行動すると、世話をしてくれるこの存在が抱き上げてくれる。
赤ん坊は、それが面白かったのか、楽しかったのか、とにかくその行動を気に入っていた。
抱き上げないと泣いてしまうから、ミミックは少し困っていた。
やがて、その動きにも変化があった。
ばたばたと足や腕を動かすのではなく、下に押す感覚。
気づけば、赤ん坊はうつ伏せで顔を上げられるようになっていた。
最初の数回は、ほんの一瞬。
腕が震え、すぐに崩れる。
だが何度も繰り返すうちに、
支えていられる時間が少しずつ長くなっていく。
ミミックが移動するたび、わずかに開いた箱の隙間。
そこからのぞく外の景色を見るために、顔を上げていた。
いつしか、ミミックが動くときには、
傾いた側面にうつ伏せになり、隙間の向こうをじっと眺めることが多くなっていった。
そんな赤ん坊が、外の世界へ飛び出そうとするのは当然のことだった。
ぺし、ぺし。
箱の内側が叩かれ、ミミックはいつも通り抱き上げる。
「あぅ、あぅ、」
それでも赤ん坊は落ち着かない。
短い腕を必死に振り、早く地面へ下ろせと訴えてくる。
本来なら、危険なダンジョンの地に赤ん坊を置くなどありえない。
だが、この苔むした広場だけは別だ。ここは安全だと分かっている。
――少しくらい、問題はないだろう。
そう判断して、ミミックは赤ん坊の体を苔へそっと近づけた。
触れた瞬間、思っていた感触と違ったのか、赤ん坊はびくりと体を震わせた。
下に伸ばしていた手も足もピンと突っ張り、空を飛ぶヒーローのようなポーズをして苔から距離をとる。
さっきまであんなに触りたがっていたのに、おかしな奴だ。
ぽふっ。
赤ん坊の小さな抵抗もむなしく、そのまま地面へ下ろされる。
最初こそ「早く助けてくれ!」と言わんばかりの顔でミミックを見上げていたが、その表情も長くは続かなかった。
数分もすればすっかり忘れたように、手のひらで撫でたり、叩いたりして無邪気にはしゃいでいる。
ふと、赤ん坊が苔をぎゅっと握り、ぐいと引っ張った。
ぷちぷちっ、と表面がちぎれ、小さな手の上に残る。
「……あむっ」
むしり取った苔を、そのまま口へ運んだ。
ついにミルク以外のものを口にするようになったか――
ミミックは、赤ん坊の成長をぼんやりと感じていた。
だが。
「……べぇ」
すぐに口の中から掻き出し、べちょりとしたそれを地面へ投げ捨てる。
どうやら苔の味が気に入らなかったらしい。
赤ん坊はあからさまにへそを曲げ、不機嫌そうに顔をしかめた。
その様子を見て、ミミックは静かに赤ん坊を抱き上げ、
そっと自分の内側へ帰した。
慣れ親しんだ空間に戻った安心と、外に漂う胞子の影響もあったのだろう。
赤ん坊はほどなくして、すとんと眠りに落ちた。
ミルク離れはまだまだ先になりそうだ。
その日を境に、苔の広場への興味は少し落ち着いたが、その代わりに、広場の外への関心は大きくなっていった。
しかし、広場の外には危険が多すぎるため、赤ん坊を自由にさせるわけにはいかない。
外に出たいのに、それを許してくれないミミックに腹を立てて、泣き出すことも少なくなかった。
そこで、ミミックは赤ん坊に、これまで蓄えた宝を与えようと考えた。
殻の奥にしまってあるものの中で、角の尖ったものや、重すぎるもの、小さくて赤ん坊が飲み込んでしまいそうなものは除外する。
代わりに選んだのは、人間の拳ほどの大きさがある宝石や、
振ると中で小さく何かが転がる、空洞の装飾具。
触れるとわずかに温度の変わる、不思議な結晶。
光を受けるたび、色をゆっくり変える透明な石。
そのほかにもいろいろ。
ミミックはそれらを、赤ん坊の手が届く場所に並べる。
赤ん坊はその見慣れないものたちに一瞬で釘付けになった。
最初は、近くにあった宝石に手を伸ばした。
指先でつつき、持ち上げ、落とし、手の届かないところまで転がってしまい、泣きそうになる。
次は空洞の装飾具。
中で何かが転がる音を不思議そうに聞いている。自分が振れば音が鳴ることを理解し、何度も何度も繰り返し振った。
それに飽きれば、次は結晶。触れては、手を引っ込め、また触る。
温度が変わるたび、面白そうに笑い、温かくなった結晶にかぶりつく。
口で感触を確かめているのか、それが安心するのかはわからない。
どれも面白い。
どれも新しい。
中でも気に入ったのは、少し離れたところでくしゃっとなっていた黒い布。
身体をよじり、懸命に手を伸ばす。何度も指を滑らせながら、ようやくそれを手繰り寄せた。
上質な布で仕立てられた、大きなローブだった。
他の宝のように輝くわけでもなく、音を鳴らすわけでもない。
それでも赤ん坊の目には、なぜかとても魅力的に映っていた。
「んぅ……」
小さく声を漏らし、そのまま顔を押しつける。
ミミックの内側では感じたことのない、新たなぬくもり。
頬をすり寄せるようにしていたかと思うと、
そのまま仰向けになり――
気づけば、赤ん坊はもう夢の中だった。




