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10話

天井から落ちる砂が、はらはらと降り注ぐ。

空中を漂っていた胞子も、ゆっくりと軌道を描きながら舞い落ちる。


それらは、宝箱から流れ出た黒い血だまりへと沈む。


苔の広場は、音を失ったように静まり返っていた。


その沈黙を破るように――


「だぁっ!」


甲高い声が、石壁に反響する。


赤ん坊は、ひび割れた殻に向かって手を伸ばす。


「……だぁっ!」


もう一度。


さらにもう一度、声を張り上げる。

だが、ミミックは動かない。


蓋は閉じたまま。

亀裂の奥は、深い闇。


黒い体液だけが、ゆっくりと広がり続ける。


赤ん坊は両手をぺたり、と苔に押しつけ、そのまま、まっすぐに進みだす。


黒い血だまりへ。

動かない宝箱へ。


だが、その進路の先には――


一度地に伏せたはずの鎧が、なおも立っている。


母魔獣は、赤ん坊の胴を咥え上げる。

鎧の目標は赤ん坊。近づけば確実に殺される。


巨大な体を翻し、

自らの背後へと赤ん坊を運ぼうとする。


その巨躯で隠すために。

己が盾になるために。


次の瞬間。


――軽い。


口内の重みが、消える。


はっとして振り向く。


赤ん坊は、地面にいる。


さきほどより、わずかに前。


鎧へと、近づいた位置に。


ぺたり。


ぺたり。


何事もなかったかのように、進んでいる。


母魔獣は急いで再び咥え上げる。


今度こそ確実に。

確かに運ぶ。


だが。


視界の先。


赤ん坊は、やはり前にいる。


鎧との距離が、さらに縮んでいる。


何度やっても結果は同じ、咥えたと思っても、赤ん坊は先にいる。

赤ん坊が瞬間移動しているのか、そもそも咥えることができていないのか――


鎧が一歩踏み出す。


赤ん坊は鎧を見ていない。見えていない。

見えているのは壊れたミミックだけ。


錆びた剣に一層強く青い光が纏う。


そしてゆっくりと……しかし、力強く構える。


鎧の首から溢れていた淡い光は、炎のように立ち上り、関節からも溢れる。


肩の隙間から。

肘の継ぎ目から。

胸の裂け目から。


青い焔が噴き出す。


それは揺らめきながらも、確かな形を持っていた。


全身全霊の一撃。

終わらせるための一振り。


母魔獣が地面を蹴るが、間に合わない。


振り下ろされる。


青い焔を尾のように引きながら、鎧の全霊を乗せた刃が線を落とす、空気そのものを焦がすように赤ん坊の頭上へと迫る。


だが――その刃は、届かない。


ぎん、と耳を裂くような金属音が響き、青光を纏った剣先は赤ん坊の額からわずか数寸の空間でぴたりと止まり、まるで目に見えない壁に叩きつけているように刃が進まない。


鎧の内部で光が激しく脈打ち、関節という関節から更に青い焔が噴き上がる。


押し込む。


さらに、力任せに押し込み、衝撃が広場全体を揺らす。

それでも、剣は一寸たりとも落ちない。


やがて、ぱき、と乾いた亀裂音が響く。


青光に満ちた刀身の中央に、蜘蛛の巣のような細いヒビが走り、それが一瞬で全体へと広がったかと思うと、次の瞬間には根元から砕け散り、光の破片となって宙へと弾け飛ぶ。


鎧は、数歩後ろに下がった。

何が起こったのか分からない、といった様子。


そして。


ぐん、と空気が沈む。


砕けてしまった剣を握ったままの鎧の腕が、目に見えて下がる。


見えない何かが、上から鎧を押し潰そうとしている。


鎧は踏みとどまろうと両足を広げるが、その足元の苔が円状に沈み込み、半径数歩分の地面が均一に、ぐん、と凹んでいく。


関節の隙間から噴き出す光が、抗う意志のように荒れ狂う。


押し返そうとする。


だが――


みし。


金属が悲鳴を上げる。


どん、と鈍い音。


片膝が苔に触れ、その衝撃が広場に重く広がる。


さらに、圧が増す。


肩が落ちる。


腰が折れる。


ついに両膝が地へ着き、鎧は四つん這いの姿勢で押さえつけられる。


首の空洞から噴き出していた青い焔が、大きく揺らぐ。

それでも、完全には消えない。


地に縫い付けられたまま、なお燃え続ける。


その目前で。


赤ん坊は、平然と鎧の真横をすり抜けるように進んでいく。


地に縫い付けられた鎧の青い焔が、かすかに揺れた。


だが、赤ん坊は見向きもしない。


視線の先にあるのは、ひび割れた宝箱だけ。


ぺたり。


ぺたり。


黒い血だまりの縁に手をつき、ぬるりとした体液を気にも留めず、赤ん坊は宝箱のすぐ傍まで辿り着く。


小さな手が、ひび割れた殻に触れる。


ぺし。


軽く叩く。


反応はない。


ぺし、ぺし。


もう一度。


さらに何度も、力の加減も分からぬまま、ただ無邪気に、しかし必死に叩き続ける。


早く起きろ。と、

私を抱き上げろ。と、


両手をかけ、体重を預けるようにして、ぐらぐらと揺らす。


蓋は、動かない。


亀裂の奥は、変わらず深い闇。


黒い体液だけが、静かに広がり続ける。


「……んぁ……」


喉が震える。


もう一度、殻を叩く。


ぺし。


ぺし。


返事はない。


小さな胸が上下する。


そして――


「だぁぁああぁぁっ!」


甲高い泣き声が、広場に響き渡った。


張り裂けるような、混じり気のない涙声。


その泣き声に反応するかのように、

黒い血だまりが、ぴくり、と震えた。


広がっていたはずの体液が止まり――


ゆっくりと、引き返し始める。


地面を這っていた黒が、まるで時間を逆再生するかのように、するすると宝箱の裂け目へと吸い込まれていく。


苔に染み込んでいた分まで、逆流する。


吸い寄せられる。


亀裂の内側へ。


ひび割れた殻が、かすかに軋む。


ぱき、と鳴る。


だがそれは、崩れる音ではない。


繋がる音。


裂け目の縁が、内側から押し戻されるように持ち上がり、砕けた破片が、あるべき位置へと吸い寄せられていく。


割れていたはずの部分が、じわり、と閉じる。


黒い筋が走っていた表面が、ゆっくりと滑らかに戻っていく。


赤ん坊は泣き続けている。


涙をこぼし、殻を叩きながら。


「だぁっ、だぁぁっ!」


その声に呼応するように、再生は加速する。


深く、確かな鼓動が宝箱の内側から響く。


赤ん坊の泣き声が、ぴたりと止まる。


小さな手が、持ち上がった蓋の縁に触れる。


ぺしっ、ぺしっ。


いつもの合図。


蓋が、ゆっくりと大きく開く。


深い闇が姿を現すが、それは空虚ではない。


満ちている。


力で。


鼓動で。


そして、意志で。


温かく、柔らかい触腕が静かに伸び、確かな動きで赤ん坊の身体を抱き上げる。


優しく。

いつも通り。


赤ん坊はもう泣かない。


触腕を掴み、小さく笑った。

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