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1話

寂れた古いダンジョン。


その奥に一匹のミミックがいた。


いつからそこにいたのか、ミミック自身ですら覚えていない。

しかし、棺ほどの大きさに成長したその体が、彼の生きてきた長い年月を物語っていた。


ダンジョンには、もはや探索者の姿はない。

石壁に刻まれた傷や、崩れかけた床が、かつて人の往来があったことを示しているだけだった。宝を求めて訪れた者たちの足音も、剣の擦れる音も、今ではすべて失われている。


良く言えば平穏。

悪く言えば退屈。

そんな毎日だった。


ミミックには日課があった。

ダンジョンの奥から入口へ、決まった順路を辿り、配置された宝箱を一つずつ確認して回ることだ。


石床に並ぶ宝箱は、どれも古い。

装飾は剥げ、金具はくすみ、開けられた痕跡も長いこと見ていない。ミミックはそれらの前で立ち止まり、内部に残るものがないかを調べていく。


もちろん中身は空っぽ。


かつては違った。

金貨の重なり合う音、宝石の放つ鈍い輝き、武具に宿る微かな力。価値あるものを見つけるたび、ミミックはそれらを自らの内へと収めてきた。外界に晒されるより、箱の中にある方が、宝は長く形を保つ。それがミミックの本能だった。


今では、保管する役目を終えた箱ばかりが残っている。


それでも、軟体の足で体を引きずりながら巡回は続けられた。


その日もいつもと同じように、最後の区画へ向かったときだった。


ダンジョンの入り口から一番近い宝箱の前で、ミミックは立ち止まった。

人間が来れば真っ先に空になる、期待できない宝箱。


しかし、今回は少し様子が違った。

蓋が、わずかに開いている。

金具には新しい歪みがあり、石床には最近ついた擦過痕が残っていた。


内部を確認する。


金貨はない。

宝石も、武具も、力を帯びた物品も存在しない。


代わりに、布に包まれた小さな塊が横たわっていた。


その塊は規則的に腹の部分が小さく上下し、呼吸をしていた。


体表に毛は少ない。

四肢は未発達。

角はない。

牙もない。

鱗、外殻、粘膜質の被覆も確認されない。


思い当たる生物は一つ。


人間。


成体と比べれば著しく小さい。

だが、骨格の配置、関節の数、呼吸の仕方は一致している。


ミミックは考えていた。


人間は宝ではない。

輝きもなければ、力の流れも感じない。


かといって襲ってこない人間を捕食する気にもならない。


そのとき、通路の奥から湿った息遣いが近づいてきた。

低く、荒い呼吸音。鼻を鳴らしながら、石床を踏みしめる音が続いている。


ゴブリンだ。


空気を吸い込み、吐き出しながら、何かを探している。


ゴブリンは宝箱の前で立ち止まった。

鼻先を寄せ、蓋の隙間を嗅ぐ。

内部の匂いを確かめるように、何度か大きく息を吸った。


涎を垂らしながら宝箱を開ける。

しかし、その中はすでに空だった。


首をかしげながら舌打ちのような音を喉の奥で鳴らし、再び空気を吸い込む。

鼻孔がひくりと動き、微かな温もりの残り香を捉えた。


……近い。


ゴブリンは石床に鼻を擦りつけるようにしながら、匂いを辿っていく。

通路の脇。

壁際。

そして、不自然な位置で立ち止まった。


そこにあったのは、大きな宝箱だった。


他の箱よりも一回り大きく、

装飾はほとんど剥げ落ち、

古びているはずなのに、なぜか安定して立っている。


匂いはそこに繋がっていた。


ゴブリンは笑った。

歯をむき出しにし、金具に手をかける。


目一杯力を込める。


動かない。


両手で掴み、体重をかける。

蓋はびくともしなかった。


ゴブリンは唸り声を上げ、蹴りを入れる。

鈍い音が石床に響くだけで、宝箱は揺れすらしない。


金具を噛み、爪で引っかき、

隙間に指を突っ込もうとするが、どこにも引っかかりがない。


開かない。


何度も鼻を鳴らし、混乱したように箱の周囲を回った。

匂いは確かにここにある。

それなのに、開けるどころか、壊せもしない。


やがてゴブリンは苛立ち、箱を殴りつけると、

意味のない怒声を上げて通路の奥へと去っていく。


ゴブリンの足音が完全に消え、

ダンジョンに再び静寂が戻る。


しばらくの間、宝箱は動かなかった。

外殻は固く閉じられ、

金具は最初からそうであったかのように噛み合ったままだ。


内部で、小さな塊がわずかに身じろぎした。


それだけだった。

泣き声も、助けを求める仕草もない。


外殻の内側を流れる感覚が、微かにざわめく。

これまでに無数の宝を収めてきたときと、同じ兆候だった。

長い年月で磨かれた、本能の動き。


人間は宝ではない。

何度考えても、その結論は変わらない。


それでも。

外界に置けば失われる。

このダンジョンは、人にとって安全な場所ではない。

魔物、罠、崩落、飢え。

いずれか一つでも致命的だ。


ミミックは知っている。

宝を失う悲しみを。

その瞬間を、何度も見てきたからだ。


守らなければならない。


その思考は、意識せずとも形を取りはじめた。

外殻がわずかに厚みを増し、

継ぎ目がさらに噛み合い、

魔力の巡りが内部へと集束していく。


外から開けることは、より困難になる。

匂いは遮断され、

音も最小限に抑えられた。


内部では、柔らかな部分だけが配置を変え、

小さな体を包み込む空間が作られていく。

圧迫しない。

冷やさない。

揺らさない。


それは今までの保管とは少し違う。


ミミックはその違いを明確に理解してはいなかった。

ただ、自分の中にあるものを、外に晒してはならないと感じている。


宝箱は、宝を守るために存在する。


ならば今、

この中にあるものは、守るべき対象なのだ。


ダンジョンの入口近くで、一つの宝箱が静かに決意を固めていた。



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