第6話:偽造された聖域
第6話:偽造された聖域
春。美咲は誰にも知られず、デザイン学校の卒業制作を終えた。彼女が提出した課題は「閉鎖空間における精神的支配」という、不穏なテーマの空間デザインだった。
彼女はもう、学生ではない。若き、そして狂った建築デザイナーが、高田邸というキャンバスを手にに入れたのだ。
「健一、卒業したよ。学校にはもう行かなくていい。これからは24時間、この家を『美しく』することに専念できるわ」
地下室でそう告げた美咲の瞳には、以前のような怯えはなかった。彼女は、健一が指示した「隠密」の枠を超え、自らの美学を地上へと滲み出させ始めていた。
美咲の変容は、極めて微細な変化から始まった。
彼女は「豊の家庭教師」という立場を利用し、家のあちこちに手を加え始める。
まずは、リビングの重厚なカーテンの裏地を、光を吸い込むような特殊な黒い布に張り替えた。外から見れば何も変わらないが、夜になると室内灯の反射がわずかに歪み、住人の遠近感を狂わせる。
次に、廊下の巾木に、目立たない反射鏡を仕込んだ。それは、特定の角度からしか見えない「死角」を作り出し、佐藤家の人間が移動する際の姿を完全に消し去るためのものだった。
「先生、なんだか最近……この家、少し広くなった気がしない?」
豊が首を傾げる。美咲は優しく微笑み、彼の頭を撫でた。
「それは豊君が成長したからよ。……それとも、この家が私たちを『歓迎』し始めたのかしらね」
3. 壁の中の「臓器」
美咲の工作は、ついには壁の内部へと及んだ。
雷斗が出張で不在の夜、彼女は電動工具を手に、地下室と一階を繋ぐ通気口を拡張した。そこには、彼女が設計した「秘密の配膳昇降機」が設置された。
これで、母・よし江が作った料理を、誰にも見られずに地下からキッチンへ、あるいはキッチンから地下へと運ぶことができる。
それはもはや寄生ではなく、家そのものに新しい**「消化器官」**を埋め込む作業だった。
さらに、美咲は雷斗の書斎にある本棚を、ミリ単位で前へ出した。その裏には、佐藤家専用の「立ち入り禁止区域」へと続く薄い隙間が作られた。雷斗は、自分の背後に「他人の生活」が息づいていることなど、夢にも思わない。
健一は、姉の暴走を止めるどころか、自分の「記憶」を共有することで彼女を加速させた。
「姉ちゃん、雷斗さんは毎朝、この鏡の右隅を3秒間見る。そこに少しだけ角度をつけた偏光フィルムを貼ってくれ。彼が『自分は老いた』と思い込むように」
「いいわね。かよ夫人の寝室の照明も変えましょう。彼女が鏡を見るたびに、肌がくすんで見えるように。そうすれば、彼女はもっと外に出たがらなくなる。……家の中の『佐藤さん』への依存度が上がるわ」
弟が精神を削り、姉が空間を削る。
二人の協力によって、高田邸は少しずつ、住人の精神を蝕む「佐藤家のための迷宮」へと作り替えられていった。
ある夜、美咲がリビングの壁紙の裏に小さな盗聴器(兼、美咲専用のスピーカー)を仕込んでいると、背後にるかが立っていた。
「……先生、それ何? 模様替え?」
美咲は動じず、ゆっくりと振り返った。
「るかちゃん。もっと面白い部屋にしてあげようか? パパやママには見えない、あなただけの『逃げ道』」
るかは美咲の手にある工具を見つめ、不敵に笑った。
「いいよ。その代わり、私の部屋のクローゼット、パパの書斎に繋げて。パパが隠してる『鍵付きの引き出し』、中身が見たいんだよね」
美咲とるかの視線が重なる。
その瞬間、この家を侵食しているのは佐藤家だけではなく、内側から腐敗を望んでいた高田家の娘もまた、その「毒」を求めていることを確信した。




