異母妹の身代わりに嫁いだら、冷徹公爵様に溺愛されています
「わたし! 真実の愛を育んだのです!!」
父であるクロワゾン侯爵の執務室に呼び出された侯爵令嬢ジュリアは、部屋に入るなり妹の高らかな宣言を聞き、思わずぱちりと瞬きをした。
ふわふわとしたピンクブロンドの髪を伸ばしたベルタとブラウンの髪をまっすぐに伸ばした二人は瞳の色こそ同じ空色だが、あまり似ていない姉妹だ。
ベルタは父の後妻の娘――つまりジュリアにとって母の違う妹であるから当然でもあった。
先妻の娘であるジュリアとは二歳違い、今年十五歳になったと聞く。
ジュリアの十七歳の誕生日は祝いの言葉一つ誰からも声をかけられなかったが、ベルタの誕生日は盛大な夜会が開かれた。
使用人と一緒に準備に駆り出されたので、出席を許されなかったが夜会の概要は把握している。
後妻であるベルタの母を迎えてから、父親は一切ジュリアに関心を持たなくなった。
今では彼女は住み込みの使用人より質素な生活をしている。
今だって、華やかなドレスを身に纏っているベルタと違い、ジュリアが着ているのは使用人のお着せだ。
それだって、新しいものは与えられなかったので、お古である。
(真実の愛……)
ベルタがなにを言っているのかさっぱりわからなかったが、それが自身にとって良くないものだということはさすがに理解できた。
「……お前にはエティエバン公爵と結婚してもらう」
「え?」
間の抜けた声をあげてしまう。
なぜならマルセル・エティエバン公爵は異母妹であるベルタの婚約者で、結婚式を一か月後に控えているはずだからだ。
それがどうしてジュリアが結婚することになるのか。
戸惑う彼女の前で「そんなこともわからないの?」とベルタがジュリアを蔑む言葉を吐き出す。
「私は冷血公爵なんかと結婚しないわ! 真実の愛を見つけたのだもの!」
そういってお腹をさする姿に思わず目を見開く。
貴族の子女にとって結婚まで純潔を貫くのは当然の義務だ。だが、その姿はまるで。
「婚前交渉をしたの……?」
「人聞きの悪いことを言わないで!!」
父が再婚する十歳まで貴族教育を受けてきたジュリアが唖然と呟いた言葉に、ベルタが眉尻を吊り上げる。
大声を上げた直後に「胎教によくないわ」といったあたり、まだ薄い腹に子供が宿っていることが嫌でもわかってしまう。
「わたしはピエール様と真実の愛を育んだの! だから、マルセル様はお義姉様にあげるわ。馬鹿で愚図でのろまで行き遅れのお義姉様と、顔はいいけど冷血公爵と噂のおじさんはちょうどいいわね」
にまにまと人の悪い笑みを浮かべて吐き捨てられた言葉に目を見開く。
確かに十七歳になっても結婚どころか婚約者すらいないが、それは彼女の意思でどうにかなるものではなかった。
虐げられ貴族社会から遠ざけられて、どうやって婚姻を結べというのか。その上。
(あげるもなにも、マルセル様はものではないし、そもそも顔がいいからと婚約を迫ったと聞いているのに)
マルセルは二十五歳で確かに年上ではあるが、女性に比べて男性の婚期は遅い。
おじさんと呼ぶには早いと感じる。
戸惑いつつも口を開くことはなかった。余計なことを言えば殴られると今までの経験で知っている。
黙り込んだジュリアの前で、父親が重々しく口を開く。
「これは決定事項だ」
「……はい、お父様」
頭を下げる。勝ち誇ったように笑うベルタの顔が目に入ったけれど、ジュリアは少しだけ安堵していた。
(これで、この家から出られる)
たとえ相手が年上でも、冷血公爵でも、いまより酷い生活を送ることはそうそうないのではないか。
虐げられるのだとしても、そういう生活にも慣れている。
一抹の希望と圧倒的な諦観を抱きながら、ジュリアは執務室から退室したのだった。
▽▲▽▲▽
突然結婚相手が変わったことに、マルセルは何も言わなかったという。
七年ぶりに袖を通すドレスがウエディングドレスであることに違和感を覚えながら、公爵家らしい盛大な結婚式を挙げたジュリアは重たいドレスと生まれて初めての化粧、さらには招待客の相手でへとへとになっていた。
だが、これから初夜である。
風呂場でメイドたちの手によって全身を磨き上げられ、バラの香油を塗りこめられる。
十歳からずっと風呂など一週間に一度はいれれば御の字で、毎日ボロボロの濡れたタオルで肌を拭く生活をしてきたジュリアには未知の世界だった。
絹のネグリジェに袖を通し、緊張しすぎて吐きそうになりながらベッドに座って待っていると、ややおいて寝間着に身を包んだマルセルが姿を見せた。
結婚式でも誓いの言葉以外は口にしなかった彼が、ジュリアをどう思っているのか全く分からない。
不安を隠せずにいると、マルセルは自嘲的に口角を上げた。
「そんなに怯えるな。取って食ったりはしない」
そういって離れたソファに腰を下ろす。
ベッドに近寄る様子のないマルセルに戸惑っていると、彼はローテーブルの上に用意されていた果実水の入ったグラスを手に取って一気に煽った。
「お前の妹はずいぶんな性格をしているな」
吐き捨てるように告げられ、びくりと身をすくめる。
妹の性格に問題があるのはその通りなので、反論はないが怒りを向けられると怖くて仕方ない。
ジュリアからはあまり顔の見えないマルセルが、大きなため息を一つ吐き出して乱雑に髪をかき混ぜる。
「あちらから無理に婚姻を押し通しておいて、一か月前に王子の子を身ごもったなど……あまりに常識に欠ける」
「もうしわけ、ありません……!」
苛立っているのがよくわかる言葉に、ジュリアは謝罪の言葉を絞り出す。
彼がされた仕打ちは怒って当然だった。同時にベルタの腹の子の父親が王子であることに戦慄する。
この国には第一王子と第二王子がいるが、どちらの子なのか。
「クロワゾン侯爵には祖父の代に借りがあった。受けた恩は返さねばならないと、無理な婚姻を飲んだというのに……っ」
叩きつけるようにローテーブルにグラスをおいたマルセルに身体が震える。
どんな仕打ちをされても文句は言えない。
あらかじめ覚悟していたはずなのに、恐怖に身体がすくんで仕方なかった。
そんなジュリアに視線を向けることもなく、なぜかマルセルはソファで横になった。
そうなると背もたれに隠れて姿が完全に見えなくなる。
「俺はお前を抱くことはない。ベッドは使っていいが、俺に触れるな」
「……はい」
ソファで寝る、ということなのだろう。
ベッドを共にしないのは安心できたが、かといって公爵という立場の相手をソファで寝かせていいものか。
かといって余計な口を挟んで叱られるのも怖い。
おろおろとジュリアがソファとベッドの間で視線を往復させている間に、健やかな寝息が響きだした。
ずいぶん早い入眠に、疲れていたのだと悟る。
(せめて、シーツだけでも)
何かを身体にかけていた気配がなかった。
そっとベッドからシーツを持って降りたジュリアは足音を殺してソファに近づく。
寝ていても眉間に皺をよせている姿をみつつ、身体にシーツをかけた。
「……おやすみなさい」
小さく声をかけ、ベッドに戻る。彼が本当は狸寝入りで起きていたなんて、欠片も気づかなかった。
▽▲▽▲▽
マルセルにとって、妻となったジュリアはよくわからない少女だった。
本来婚姻を結ぶことになっていた彼女の妹のベルタは、王子の子を身ごもったと嘘か本当かわからない理由で身代わりに姉を差し出してきた。
社交界で全く見かけなかったので、その時初めてマルセルはジュリアの存在を知ったのだ。
思えば、ずいぶんと昔に一度だけ見かけた気もしたが、それ以来全く姿をみせなかったので存在を忘れていた。
エティエバン公爵家は祖父の代で多大な貸しをクロワゾン侯爵家に作っていたという。
すでに当主を退き、領地に引っ込んで余生を楽しんでいる父からクロワゾン侯爵家の頼みだけは一度だけはなんでも聞くようにと厳命されていた。
だから、マルセルは好みとは正反対の、むしろ嫌悪さえ抱くようなベルタを妻に向かえなければならなくなったのだ。
これでもかと甘い香りをふりまき、ねこなで声で話しかけてくるベルタが本当に嫌いだった。
マルセルの顔に一目ぼれしたという彼女には、公爵夫人という地位もずいぶんと魅力的だったのだろう。
それが結婚式の一か月前になって、結婚相手を姉のジュリアと入れ替えたいなどと言われた。
当然問いただすとクロワゾン侯爵は苦々しい顔で「殿下の子を身ごもっているのです」などという。
婚前交渉を、それも他の男としたという事実に愕然とし、笑いが止まらなくなった。
そんな女、こちらから願い下げだ。
代わりに婚約者がいないベルタの姉を、といわれても本当は娶りたくなかった。
だが、王子と縁戚関係になるクロワゾン侯爵家の動向に目を光らせる必要があった。
諸々の打算の末に渋々ジュリアを妻としたのだ。
ベルタの我儘に散々振りま割れてきたマルセルは、どうせ姉のジュリアも同類だと思っていた。
一度は義理を果たしているのだから、すげなく扱っても問題はないと判断していたのだが、ジュリアはなんというか変わった令嬢だった。
朝はマルセルより早く起き、部屋のカーテンを開ける。
日の光で目覚めを促されたマルセルが驚き、メイドの仕事だからやらなくていいというとなぜかジュリアのほうが目を丸くして驚いていた。
他にも、使用人に交じって屋敷の掃除をしようとしたり、料理の下ごしらえを手伝おうとしたり。
メイドたちが慌てて止めるので実現はしていないようだが、執事から報告を受けて頭を抱えた。
侯爵令嬢が一体どんな教育を受ければ、そんなことをするのか皆目見当がつかなかったのだ。
その上、実家からドレスの一着も持参しなかったのでドレスと宝飾品を最低限与えれば、困ったように眉を寄せて「いただけません」などという。
高価な品を湯水のように強請ったベルタとの差に戸惑うしかなかった。
さらには食事の度にマルセルに感謝の言葉を伝えてくる。
恐らく、今まで食事すらまともに与えられてこなかったのだろう。
ベルタは豊満な身体をしているが、半分は同じ血のジュリアは年の割に細くて小さいのだ。
ジュリアに理由を問いただしてもよかったが、なんとなく憚られて秘密裏に探った。
その調査結果に、これまた愕然としたものだ。
彼女はクロワゾン侯爵が後妻を迎えた十歳から、貴族としての教育を受けていない。
辛うじて身に着いているテーブルマナーは幼少期に教え込まれたもので、貴族の義務の一つである王立貴族学院にも通った形跡は見つからなかった。
(使用人以下の扱い、か)
ジュリアに関する調査報告書を前に、眉間に皺がよる。
ため息を吐きだしてテーブルに書類を放り、マルセルは逃避するように窓の外に視線を向けた。
二階の窓からは庭園がよく見える。庭師に話しかけている様子のジュリアの姿を眺めながら、もう一度息を吐く。
置かれた環境からか、彼女は使用人にも分け隔てなく接する。
一方で貴族としての自覚が壊滅的なまでに欠けていた。
すでに家庭教師を手配しているが、報告によると教えたものは真綿が水を吸うように全てを覚えるという。
環境が与えられなかっただけで、優秀だと告げられた。
(優秀だからこそ、排斥されたのだろうな)
ベルタはお世辞にも頭がいいとは言えなかった。劣等感を感じたベルタ自身が訴えたのか、後妻となったクロワゾン夫人の意思か、あるいは侯爵になんらかの意図があるのかは知らないが、ただただ不憫だった。
庭師と話しながら笑うその姿に、胸が締め付けられる。ジュリアはあんな屈託のない笑顔をマルセルには向けてくれない。
初夜のときに投げかけた言葉を考えれば当然ではあるのだが、彼はすでにそれを後悔していた。
マルセルはジュリアが嫁いできて一か月の間、ずっとソファで寝続けていた。
身体は休まらないが、そうするのには理由があるのだ。
彼がソファで寝たふりを始めると、必ずジュリアはベッドからシーツを持ってきてかけてくれる。
最初は恐る恐るだったが、最近では頭を撫でてくれるようになって、それがたまらなく心地よかった。
「……いい娘だ」
口から賞賛の言葉が零れ落ちる。
ジュリアは歪んだ環境で育ったことが信じられないほど、聡明で根が素直だ。
公爵家の跡取りとして厳しく躾けられ、周囲から常に値踏みされる人生を送ってきたマルセルにとっ
て、寝たふりをしているときに差し出される無償の優しさはすでに手放しがたいものになっている。
「……一つ、勝負に出るか」
ずっと考えていたことがあった。執務机の引き出しに放り込んでいた一通の手紙を取り出して、返事を書く。
それは王子とベルタからの夜会への招待状だった。
▽▲▽▲▽
ジュリアにとって、マルセルは救世主と呼んでよかった。
過不足なく衣食住を与えられるだけでも嬉しかったのに、夜は必ずベッドで寝かせてくれるし、彼女が貴族学院に通っていなかったと知ると「公爵夫人として最低限の教養は身につけてくれ」といって家庭教師を招いてくれた。
侯爵家にいた頃のような仕事をしようとすれば、メイドや執事たちが慌てて止めに入ってくる。
どうしてと問えば「奥様は公爵夫人であらせられます」と言われて首を傾げてしまった。
長年エティエバン公爵家に仕えているという執事に「奥様が雑用をしては、仕事をとられて失職する者がでてしまいます。奥様のお仕事は、旦那様を支えることにございます」といわれれば、無理は言えない。
支えるとはどういうことなのか、と恐る恐る問えば、執事は目元を柔らかくして「いまは勉学に励まれてください」と言われたのだ。
エティエバン公爵家の使用人たちはみなよく躾けられている。
誰一人、ジュリアを見下すことはなく、彼女が公爵夫人として可笑しな行動をとれば、窘めはするものの蔑まれることはなかった。
少しずつ心に余裕が生まれた。期待に応えようと勉強を頑張れば家庭教師に褒められて嬉しかった。
なにより知らないことをどんどん覚えるのは楽しかった。
最近では食事の席で少しだけだけれどマルセルと会話が成り立つようになっていた。
嫁いできた最初の頃はお互いに喋ることもなく、居心地の悪い沈黙だけが横たわっていたというのに。
多分、最初のきっかけはジュリアだった。
食事を終える度に、マルセルに「お食事、美味しかったです。ありがとうございます」と伝えていた。
彼は最初は眉間に皺を寄せていたが、徐々にそれもなくなって、ある日「そうか」と頷いたのだ。
それがジュリアには嬉しかった。
そうして少しずつ公爵家での生活に慣れ始めた頃、マルセルに呼び出された。
「夜会、ですか?」
「ああ。ピエール殿下とベルタ嬢の婚約のお披露目だ」
マルセルの言葉に目をしばたたかせる。ピエールと言えば第一王子の名前だ。
どうやらベルタは彼との間に子を孕んだらしい。
「……私がいっていいのでしょうか?」
「君は公爵夫人だ。私のパートナーなのだから、一緒に行ってくれなければ困る」
眉を寄せて告げられて、ジュリアは当惑してしまう。
貴族としての勉強は日々しているが、まだ完全に身に着いているわけではない。
マルセルに恥をかかせてしまわないか心配だった。
ジュリアの表情から彼女の懸念に気づいた様子のマルセルが、柔らかく笑う。
いつからか見せてくれるようになった笑みに心臓が不自然に跳ねた。
「大丈夫だ。俺がサポートする。君は俺の隣で笑っているだけでいい」
安心させるように微笑まれると、また心臓がうるさくなる。
可笑しな反応をする心臓を抑えて、誤魔化すように笑った。
「わかりました。頑張ります」
「ああ。助かるよ」
ドレスなどの細かい話をした後、頭を下げ執務室を後にする。
頬が熱い。心臓が早鐘を売っている。
いままで抱いたことのない感情が胸を支配していて、脳裏からマルセルの笑みが離れない。
「……私、可笑しくなっちゃった……」
与えられている自室に足早に向かいながら、迷子の子供のように途方に暮れた言葉が零れ落ちた。
王子主催の夜会に出席することになり、慌ただしくドレスや宝飾品などを用意することになった。
朝からメイドたちによって全身を磨かれ、香油を塗りこみ、コルセットを内蔵が出そうなほどにしめてドレスに袖を通した。
普段は薄めの化粧も今日ばかりはしっかりと施される。
新しく与えられたドレスはオレンジ色のふんわりとしたものだ。
マルセルの瞳の色である宝石を使ったアクセサリーを身に着け鏡を見ると、そこには虐げられていたみずぼらしい使用人もどきではなく、きちんとした公爵夫人がいるのだから不思議で仕方ない。
「準備は出来たか?」
「はい、マルセル様」
扉がノックされ、マルセルが姿を見せる。
振り返ったジュリアが微笑むと、彼は珍しく目を見開いた。
「おかしい、でしょうか?」
「……いいや、よく似合っている」
そう言って笑み崩れた姿に、また心臓が可笑しな音を立てている。
思わず胸を抑えた彼女へ、手が差し出された。
「では、行こう」
「はい」
そっとその手にオペラグローブに包まれた手を乗せる。
優しくエスコートをされると、まるで愛されているかのような錯覚を抱きそうになってしまい、必死にジュリアは心の中で否定する。
(マルセル様は誰にでも優しいだけ。勘違いをしてはいけないわ)
愛してもらっている、などと。
傲慢な考えを抱けば追い出されるのではないかと不安で仕方ないのだ。
慣れない高いヒールで歩きながら、浅く吐息を吐き出した。
初めて足を踏み入れた王宮はとにかく煌びやかだった。
大広間にはこれまでの人生でみたこともないような巨大なシャンデリアがつるされ、会場を昼間のように明るく照らしている。
磨き抜かれた大理石がシャンデリアの明かりできらきらと輝いていて、いたるところに飾られた彫刻やツボ、活けられた花々が目を楽しませてくれる。
周囲を見回したいのをぐっとこらえる。ここできょろきょろしてはマルセルに恥をかかせてしまう。
しずしずと彼の隣を歩きながら、許される範囲で周囲を見ていく。
(人がたくさんいるわ)
いままで閉鎖的な空間に身を置いてきたジュリアはこれほどたくさんの人がいる場所を知らない。
デビュタントのときには人が大勢いた気がするが、ずいぶん昔のことなので記憶が曖昧だ。
そっと隣を歩くマルセルを伺うと、端正な表情で今日も美しい。
顔が整っていて年齢を感じさせない彼を「おじさん」などと言い放ったベルタは目が可笑しいのではないかと思う。
「やあ、エティエバン公爵。久しぶりだね」
「これはディアガナ公爵。お久しぶりです」
壮年の男性が話しかけてくる。
白髪交じりの髪を後ろに撫でつけた彼は、マルセルに挨拶をするとジュリアへと視線を移した。
「こちらが噂の奥様かな?」
「失礼いたしました。ジュリア・エティエバンと申します」
マルセルの腕から手を離し、家庭教師に特に徹底的に仕込まれたカーテシーを披露する。
彼女のどうさに、ディアガナ公爵は感心したように頷いた。
「深窓の令嬢だと聞いていたが、これはこれは。美しい奥様を貰いましたな」
「ありがたいことです」
手放しの誉め言葉に頬が赤くなる。そっと視線伏せ、話に興じる二人の傍で佇む。
やがて去っていたエティエバン公爵を見送ると、階級順にマルセルへの挨拶をしたい人々が二人を囲った。
前もって教えられていたので、心の準備は出来ている。
視線を上げ、合格が出るまで練習した淑やかな笑顔を張り付ける。一通りの挨拶が終わると、華やかな音楽が流れだした。
音楽隊が奏でる音色は素晴らしいの一言に尽きる。ほうっと息を吐いたジュリアの隣でマルセルが微笑む。
「こういう音楽が好きなのか?」
「はい。心が落ち着きます」
「では今度、君が茶会の主催をすることがあれば呼ぶといい」
かけられた言葉に驚いて軽く目を見開くと、甘い視線を鉢合わせる。
気まずくなって目線を逸らしたジュリアの瞳に、すっかり縁遠くなっていたベルタが移りこんだ。
「……ぁ」
小さな声を漏らしたのが聞こえたわけではないのだろうが、金髪碧眼の青年にエスコートされたベルタがジュリアに気づいてにぃっと笑う。
ぞわりと背筋を悪寒が駆け抜けたが、逃げるわけにはいかない。
近づいてくる姿にマルセルも気づいたのだろう。僅かに雰囲気が鋭くとがる。
「大丈夫だ」
「……はい」
小声で落とされた言葉に頷く。凛と背筋を伸ばすと、ベルタたちを避けるように人々が道を作る。
エスコートしているのは恐らく第一王子ピエールなのだから、当然だ。
「あら、お義姉様。お久しぶりですわ」
「お久しぶりです」
声音が固くなったのは許されたい。
それでも綺麗なカーテシーをみせたジュリアに、ベルタが不愉快そうに眉を寄せた。
「どこでそんなものを覚えたの?」
暗に教えられていないはずだ、と告げられる。
頭を上げたジュリアは叩き込まれた淑女の笑みでふんわりと笑う。
「家庭教師の先生に師事したのです」
「ふぅん。ま、どうでもいいわ。ピエール様、あちら、わたしのお義姉様。前にお話ししましたでしょう?」
「ああ、引きこもりの愚図で愚鈍な女か」
鼻で笑っていい放たれたあまりな言いざまに周囲が静まり返る。覚悟していたが傷つく心は隠せない。
そっと視線を伏せたジュリアの視界に守るように彼女を一歩前に出たマルセルが移りこむ。
「私の妻の愚弄は許しません」
「許さない? お前に何ができる」
鼻で笑うピエールに悪感情が募る。どうみたって正当性はマルセルにあるというのに。
だが、周囲は相手が王子だから何も言えずにいる。
「ああ、そういえば。真実の愛を見つけられて四か月がたつようですが。それにしては平べったいようですね」
わざとらしく話題を変えたマルセルの言葉に、ベルタが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
そっぽを向いたベルタの肩を抱いて、ピエールがマルセルを睨んだ。
「子は流れた。天に帰ったのだ」
思わず目を見開く。だが、ジュリアの隣のマルセルは驚いた様子はない。知っていたのだろう。
「流した、の間違いでは。誰の血を引くわからぬ子供を生むわけにはいかなかったのでしょうから」
「なんてことをいうの!!」
激高するベルタにも気後れせず、凛とマルセルは言い放つ。
「貴女に堕胎役を処方したと、医師が証言しています」
「なに?!」
声色を変えたのはピエールのほうだ。目を見開いた彼に、マルセルが笑う。
獲物を前にした獰猛な肉食獣の笑み。
「ベルタ嬢は随分と性に奔放であられる。我が公爵家は独自にそれを調べ、縁談をお断りしたのです」
「なんだと!!」
「嘘です!! マルセル様は嘘をついています!!」
ベルタとマルセルの間の縁談がなかったことになっているのは周知の事実だ。
だからこそ信ぴょう性が増す。険しい眼差しでベルタをみるピエールに彼女は慌てて弁明している。
「わたしは殿下しか知りません! 真実の愛を育んだのは殿下だけです!!」
「――ああ、そういえば」
ふと思い出したようにマルセルが口を開いた。そして世間話でもするかのように、爆弾を通す。
「私に媚薬を盛ったこともありましたね。執事が気づいて破棄しましたが、貴女からの贈り物には常になにかが仕込まれていた。殿下、お心当たりはないのですか?」
「っ!」
ピエールの顔色が変わる。心当たりしかないのだろう。
貞淑を美とする国で、婚前交渉に及ぶだけでも十分な醜聞だというのに、元々庶子であったベルタはそのあたりの感覚が薄いようだった。
ピエールは責任を取っただけなのだろう。実際に行為に及んだ事実があり、子を身ごもったと訴えるから婚約者に据えた。
ベルタが弁明するより早く、さらにマルセルが畳みかける。
「ガット子爵、ダリア伯爵、メイビン伯爵令息は貴女と関係を持ったと証言しています。さて、流れたのは誰の子ですか?」
「~~っ!! どこにそんな証拠があるのよ!!」
追い詰められたベルタがヒステリックに叫ぶ。
顔色一つ書かないまま、マルセルは懐から書状を三つ取り出す。
「貴女に脅されていた、助けてほしい。三家からの訴えが綴られています」
「寄越しなさい!!」
掴みかかったベルタをひらりと交わして、マルセルはひたりとピエールを見据える。
怒涛の展開に置いていかれている王子へ、容赦のない言葉を発した。
「エティエバン公爵家は第二王子を支持します。これは私だけではなく、四大公爵家の総意です」
「!!」
四大公爵家とは、王家に次ぐ力を持つ家々のことだ。
時に王家から王女を降嫁させることで縁戚関係にある四つの公爵家の発言力は絶大で、王位に上がるには四家のうち三家からの支援が必要だ。
一家だけならばまだしも、四大公爵家全てを敵に回せば、王位は望めない。
(と、いうことを先生が仰っていたけれど)
家庭教師から教えられた国の仕組みを思い出し、ジュリアはピエールとベルタに視線を注ぐ。
ベルタは呆然と立ちすくんだ後、その場にぺたりと座り込んだ。
次期王妃だと浮かれていたと噂に聞いたので、相当なショックをを受けているのだろう。
さらには今にも倒れそうなほど青い顔をしているピエールを特に感慨もなく眺めていると、マルセルに肩を抱かれた。
「私は妻を愚弄されて気分が悪い。これで失礼する」
「ま、まて!!」
「待つ理由がありません」
追いすがるピエールを一顧だにせず、そのままマルセルは背を翻した。
彼に促され、ジュリアもまたざわつく会場を後にした。
馬車に揺られ公爵家に戻ると、マルセルに促され庭に出た。
夜空の月と星の明かり、さらには魔道具のランプに照らされた庭園は幻想的な美しさを醸し出している。
「……ジュリア」
「はい、マルセル様」
初めて名前を呼ばれた気がする。
僅かに目を見張りつつもマルセルを見上げると、彼はへなにゃりと眉を寄せていた。どこか情けない表情に驚きが募る。
「少しは気分は晴れただろうか」
「……え?」
「君はずいぶんとあの愚妹に振り回されてきたのだろう。最近ではよくない噂も振りまかれていたと聞く」
(社交界のことは正直よくわからないのだけれど)
ベルタが吹聴したという噂を払しょくするために連れ出し、ついでに制裁を与えたのだろうか。
確かに、王家にどこの人間のものかわからない血が混じるのは避けなければならないとジュリアにもわかる。
「……どうしてベルタはあんなことをしたのでしょう」
純粋に疑問だった。
ピエールと良い仲であったのならば、それ以外の人間に手を出さなければ今回のような騒動には発展しなかった。
「生まれに劣等感を持っているんだろう。寂しさもあったのだろうが、それを男で埋めたのは悪手だったな」
「……」
劣等感。言われてみれば、ベルタの母の身分は低い。子爵令嬢だったと聞いたことがあった。
対して、ジュリアの母は伯爵令嬢だ。たった一つの階級の差が、貴族社会では大きなハンデになる。
「あとは、そうだな。確実に子を身ごもりたかったのだろう。一度夜を共にした程度では、子は身ごもれるかわからないからな」
「……そうですね」
その説明が一番しっくりきた。
他の男の子供でも、一度でも事実があったのならば貴方の子だと言い張れる。ベルタは実際そうしてピエールに婚約を迫ったのだろう。
「申し訳ありません、ベルタが迷惑をおかけしてしまい……」
「君が謝ることではない」
頬に手が添えられる。伏せた視線を上げるように促され、マルセルを見上げると、彼は甘く微笑む。
「最初はふざけるなと思った結婚だったが、今では君を――ジュリアを、愛している」
「……どうして、ですか?」
心臓が跳ねる。うるさいくらい鼓動が早い。
それでも問うてしまったのは、疑問しかなかったからだ。
迷惑はたくさんかけたけれど、特段好かれることなどしていない。
純粋に不思議だったが故の問いかけに、マルセルは表情を和らげる。
「冷血公爵と渾名され、人々から遠巻きにされていた俺に、君だけが裏表なく接してくれた。毎日ソファで据わる俺にシーツをかけてくれた優しさに、心が救われた気がしたんだ」
「起きてらっしゃったんですか……!」
「ああ」
目を見開いたジュリアの眼前にマルセルの顔が迫る。
近づいた距離に反射的に目を閉じると、額に触れるだけの口づけが落とされた。
そのまま離れたマルセルに、心のどこかが寂しいと叫ぶ。感じたことのない感情に戸惑うジュリアの前で、マルセルが膝をついた。
彼女の手を取って、騎士のごとく。手の甲に口づけを落とす。それは、この国での正式な求婚の方法だった。
「俺は、君の愛がほしい」
「っ」
愛を乞う言葉に頬に一気に熱が昇る。頭が茹って倒れそうだったけれど、必死に耐える。
そうすると今度は目に涙が溢れた。
「あ、あれ?」
ぽろぽろと零れる涙をそのままに、真摯に見上げてくる瞳を見返して、ジュリアは返事をしなければ、と気持ちが急く。
だが、彼女がなにか言う前に、マルセルが言葉を重ねた。
「無理はしなくていい。返事は今すぐではなくとも構わない」
「あ、ちが、その!」
声を荒げる。驚いたように目を見開いたマルセルの前で呼吸を整えて、やっぱり涙が止まらないまま、ジュリアは笑み崩れた。
「私も、愛しています」
「!」
「マルセル様が、大好きです」
「本当か!」
立ち上がったマルセルが勢いのままに腕の中にジュリアを閉じ込める。
たくましい背中に背を回すと、彼は嬉しそうに弾んが声をあげた。
「もう一生離さないからな」
「はい」
抱擁が解かれる。少しだけ距離が出来て、近づいてきた端整な面立ちに、目を閉じると今度はちゃんと唇同士が重なった。
その日、二人は本当の意味で夫婦になったのだ。
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