―開― 06:97の國 練習場
万朶の翠玉へと入る頃には、士官学校の生徒たちはそれなりに交流を持っていた。話し方や作法で貴族だとわかる者たちの中には露骨に貴族以外を蔑視するようにもなってきていた。その蔑視対象の最たる存在は、ハンドラーの士官学校のあるこの国の少年・ナナミであった。
馬鹿にされようがナナミは平然としていたし、生徒の中には腫物扱いされている二人組が他にもいたからである。
連合国テラスト出身のニアナとリシウスは実技で異常な数値を叩き出し続け、宿舎棟の最上階があてがわれている謎の生活をしていることもあり、士官生たちからは敬遠されがちだった。ナナミとエニフだけは二人を特に卑下や避けたりはしなかったが、貴族であるという理由だけでエニフにはほぼ士官生からは好意的な態度を向けられていた。
軍服の上着を脱いで腰に巻き付け、四人は運動場を走らされていた。原因はナナミにある。いつものようにリシウスとニアナの二人に鬱陶しく絡んでいたところ、リシウスが彼を攻撃しようとしたのをエニフが仲裁に入ったのである。反省として、体力づくりの一環もあり、四人は運動場の外周を走っていた。
「相変わらず曇ってんな~、空」
だらだらと走りながら相も変わらず喋っているナナミを無視し、ニアナの速度に合わせてのろのろとリシウスは走っている。
「空はいつも曇っているだろう、ナナミ」
はきはきと応えるエニフに「ちがうちがう」とナナミは首を横に振った。
「味気なさすぎだろ。朝も昼も夜もず~っとどんよりしてるし。たまにはパーっと晴れてさあ、お天道様とお月様とお星さまを拝みたいわけ」
「……太陽と月はわかるが、ほし? 熱でもあるのかい、ナナミ」
「ねーよ! こんな山だらけのなんにもない場所なんだから、せめて星空くらいは眺めて心を浄化したいってこと!」
「ほしぞら? ほしなんて、物語にしか出てこない架空の存在じゃないか」
しみじみと言われてナナミは「うー!」と大きく唸った。
「あるとかないとかじゃなくて、ロマンの話だっつーの!」
「ロマンか。君は軍人らしくないな」
「はあ? そりゃ、おれはそもそも」
言いかけてから、ナナミは後方のリシウスをうんざりした表情で見た。エニフも振り返ると、ニアナが荒い息を吐きながら立ち止まっている。汗が額から流れ落ちている姿から彼女は体力不足であると思われたが、静かに様子を窺っているリシウスは汗ひとつかいていないことに気づいた。
「ニアナってどう見てもほっせーし、男のおれらと同じメニューで走らせるのは問題あるだろうに」
やれやれという様子のナナミは足を止めない。それはエニフも同じだった。男女で差をつけない彼らではあっても、女性は骨格や筋肉のつき方からどうしても比較してしまうことはあるのだ。
確かに体格や、骨格、筋肉量でニアナは圧倒的に不利な立場ではある。だが士官生の中で最高値のスコアを出すハンドラー候補生であった。
「彼女はもう少し自信を持ったほうがいい」
「あん?」
「実技でもいつも落ち着きがないし、自信もない。トーが怒鳴るから余計に委縮してしまう。数値は初日からずっと最高値のままなのに」
「あー、まああのおどおどな感じだと、トーが腹立つのもわかるしなー。
しっかしあの二人、できてんのか~? いっつも一緒だよな~」
「恋人という意味合いかい?」
「そーそー」
ナナミも流れ落ちる汗を拭い、頷く。外周は長いがこのままだとニアナたちを追い越してしまうだろう。エニフがちらりと見ると、リシウスがニアナを背負って走り出している。さすがに目を剥いて驚いてしまう。
「うっそ」
横でナナミもその様子を見て驚いていた。暴れているニアナを平然としたままで背負っている彼はすごい速度でこちらに向けて迫ってきているではないか。
「マジかよ……あいつ超人すぎんだろ……やっべ、追いつかれる!」
「いや、あれは注意すべきだろう」
「ニアナを叱った教官をリシウスがボコボコにしたの忘れたのか!? あいつに常識は通用しねーよ!」
嫌がって暴れるニアナを黙らせるために速度をどんどんあげているのは明らかで、ナナミは「ばけもんじゃん」と青ざめて駆け出した。長距離をこなすには速度制限が必要ではあるが、ナナミは教官からあの二人に抜かれないようにとなぜか言われていた。授業を受ける態度や、度重なる喧嘩沙汰への処置だとエニフは思ったがナナミに合わせて速度をあげる。
「わー! めっちゃ速いじゃん! あれでっ、本気じゃねえだろ絶対さー!」
黙ったほうがいいのにナナミが愚痴を零しながら背後を気にし始めた。不安定な姿勢だというのに、リシウスがぐんぐんと距離を詰めてきているのは、さすがに冷汗ものだ。
リシウスに背負われているニアナは振り落とされないようにしがみついているのを見ても、明らかに恋人という雰囲気は感じない。リシウスが保護者というほうが合っているなとエニフは思ってしまうが、ナナミは風変わりな性格なせいか事実確認をしたくてたまらないらしい。
意地になったナナミがさらに加速するが、すぐに速度を落とす。限界なのだろう。エニフも呼吸音が荒く、状況がよくない。それなのに気がつけば、リシウスがあっという間に追い越してそのまま行ってしまった。
ゆっくりと速度を落とすナナミは、「はー」とため息をつく。
「やべー。おれ、怒られる……」
「彼らもよくない。オレが証言する、ナナミ」
「エニフはいいやつだよな~。早死にしそ~」
失礼だなとエニフが顔を少ししかめるが、ナナミが汗を拭いながら人懐っこく笑う。そんな笑顔を向けられたらエニフも呆れて笑い返すしかない。
結局ナナミとエニフは大差をつけられてリシウスが課題をこなしたのを教官に報告するしかなかった。座学担当の女性教官はさも不快と言わんばかりの表情を浮かべたが、諦めのほうが強かったようでリシウスはお咎めなしだった。ニアナは追加で課題を出されて落ち込んでいたが、リシウスがまた彼女を助けていたのをナシラが目撃したという。




