―開― 05:97の國 宿舎棟食堂
宿舎棟へ向けて歩くニアナとリシウスの後ろをナナミがにやにやしながらついて来ていた。彼ら以外の生徒は医務室行きなので、当然ながら彼らはあてがわれた部屋に戻るしかない。
ちらっと背後のナナミを見てから、ニアナがおどおどしながらリシウスを見遣る。彼は視線だけニアナに向けるが特に何も言わなかった。
「なあなあ、ちょっとくらいお喋りしてくれたっていいじゃんケチ~」
「…………ね、ねえ、け、けち、ってどど、どういう意味? この国の独自の言葉?」
「古語では? 聞いたことがない」
「ウッソ! もしかして死語ってこと? つーか、おれも混ぜてよ。ダンゼン二人に興味津々だし」
「……し、シゴ、ってなに? 死んだ後の、こ、こと、ではないよね?」
「ニアナ、相手にしなくていいから。いちいち反応してあげなくていい」
でも、とばかりにニアナが見てくるので、ついナナミは片手を軽く振ってみせた。彼女はビクッと大仰に驚くと、本気で困ったように視線を彷徨わせる。
やや歩く速度を落とし、リシウスは彼女を窺ってから背後のナナミを肩越しに見た。
「消えろ」
「うっわ、つめた! いいじゃん、部屋に戻るまでお喋りにつき合ってくれても」
「消えろ」
「方向同じなんだし、いいじゃん」
じっと見てから、リシウスは視線をニアナに遣る。彼女はかなり混乱している様子だった。周囲にこれまでナナミのような性格の者はいなかったのかもしれない。
ひょいと突然彼女を横抱きにして、リシウスが駆け出す。あっという間にナナミからリシウスたちの姿が豆粒並みになった。その俊足に、残されたナナミはぽかんとしてしまう。
「え~やっぱハンドラー向きだって……。つーか、足はやっ」
***
宿舎棟には食堂があるが、不調から復帰した生徒たちのほとんどが夕飯に固形食ではないものを選んでいた。
お盆の上にうどんを乗せたまま、空いている席をエニフが探す。ちょうどハンドラー候補の女性の隣が空いているので、そこに向かった。
「ここ、いい?」
「っ」
声をかけると彼女は目を見開いたが遠慮がちに頷いてくれた。真向かいの位置にナナミが座っており、美味しそうに丼のご飯を頬張っている。
エニフは食堂が狭いなと感じていたが、まるでその心中を読んだかのようにナナミが明るく言ってきた。
「なんか今晩、せまい感じするじゃん? みんな同じ時間に来てるっぽいんだよな~」
「あ、そうか……。みんなアステリズムの調子が悪くなったから」
「なあなあ、その、あすてりずむ、ってのどういう感じ? おれ、なったことなくてよくわかんないだよな~」
ナナミの明るい声にエニフは小さく首を傾げた。
「なったことがない? 今まで体内のウラノメトリア濃度で不調になったことがないってことかい?」
「そーそー。てか、頭良くないし、うらのめとりあってのもよくわかってないし」
ナナミの発言に呆れたとばかりにエニフの横の少女が眉をひそめる。あからさまな動きにナナミは唇を尖らせた。
「あー、ひでー。
二人とも、さてはお貴族様だな?」
すぐににやりと笑って言われ、エニフと少女が顔を見合わせた。ここでは階級は関係ないことになっているのに、わざわざ言うのも気が引ける。
しかし気にした様子もなくナナミが器用に箸を使って、かちかち、と先端を鳴らした。
「まあおれは貴族じゃねーし、他にもそういうヤツいるとは思うけど気にしたことないしな~。
あ、おれ、ナナミ」
「エニフだ。よろしく」
片手を差し出すと、ナナミは「ほ~」と感心したように声を出して笑った。よく笑う少年だ。
「シェイクハンドってまだあるのか。握手あくしゅ~」
「しぇ……? 昨日から思っていたけれど、君、少し不思議な話し方をするね」
「あ~、なんかそーみたい。リシウスもそういう反応してた」
「リシウス?」
「あの薄茶っていうの? さらっさらの髪の美形のやつの名前。ほら、眼帯もしてて目立ってるじゃん」
あぁ、とエニフは納得した。眼帯をしている士官候補生は一人しかいない。
握手を解いてから、エニフは目の前のうどんを見遣った。
「ナナミ、この麺はなんて言うんだい?」
「うどんのこと? あれ、そういえばなんか今日、どいつもこいつもうどん食べてないか? それ以外は具のない味噌汁?」
「消化にいいものにしているんだ。うどん、か」
「『97の國』じゃ庶民の食べ物だけど、口に合う?」
「ここでは階級は関係ない」
きっぱり言い放ったエニフに、ナナミはそうかなぁという表情を浮かべる。気にしないのは本当に一部の者だけのはずだ。
「フォーク使って食べるヤツをこんなに見ると、箸のほうがおかしい感じするじゃん」
「オレもここにいる間に使えるようにするよ。便利そうだ」
意欲的なエニフの笑みに、ナナミは「ほお」とまたも感心したような呟きを洩らした。
「さわやか……。リシウスは人間飛び越えてる美形だけど、おまえもモテそうじゃんか」
「もてる?」
困ったように訊き返すと、彼は肩をすくめてみせた。
「人気ってこと。はぁ~、マジかよ。モテるって言葉ももうないのか」
「古語かい?」
「あー、あいつも古語とか言ってた……」
唸っているナナミは「これもジェネレーションギャップか~」とぼやいている。エニフは思わず隣の少女と目を合わせ、二人で苦笑した。
「オレはエニフ。君は?」
「わ、私はナシラ」
握手を交わす二人を交互に見てから、ナナミは丼に乗っている天ぷらをもぐもぐと食べた。
「せっかくだし、ニアナ? と、リシウスもいればおもしれーのに」
「あの二人、宿舎棟の最上階の部屋ってことだったわ。でも、昨日も二階のここまで降りてきた様子がないみたい」
「えっ、マジ? おれでも四階なんだけど~」
「部屋割に関して聞いていないのかい、ナナミ」
「聞いてねーですよ。だっておれ、末端よ? 下っ端の木っ端だもん。お偉いさんたちがなにしてるかなんてのも、全然知らねーし」
ちらりとナシラがエニフを見遣った。明らかに国家機密までも口を滑らせそうな様子のナナミにはあえて知らされていないのかもしれない。
あっ、とナナミがエニフの手元を見る。
「うどんをぶつ切りにするなよ~」
「麺が太くて取りづらくて……」
ぶつ切りにしたうどんにフォークを突きさして口に運んでいるエニフにナナミは信じられないものを見たような表情をしてから、「は~」と長くて大きなため息をついた。
「柔らかくて食べやすい。消化にいい食事というのは本当みたいだ」
「おれはもっとコシがあるほうがいいんだけど……。ここのうどん、全体的に味がうっすいし」
「ナナミが食べているのはなんだい?」
「これは天丼」
「てんどん……」
「天ぷらの乗った丼飯だよ? 古語じゃないよな? な?」
「テンプラはわかる。箸の使い方を今度教えて欲しい、ナナミ。それ、オレも食べてみたい。君、とても美味しそうに食べるから気になってね」
エニフの毒気のない表情と言葉にナナミがきょとんとしてから、吹き出す。
「オーケー。じゃ、おれにもうらのめとりあとか、あすてりずむのこと、教えてくれよ」
「本当に知らないの、ナナミ?」
「知らね~。知らなくても生きていけるし」
貴族らしいナシラは本気で呆れているようだ。貴族としては当然の教養なのに、と思うところだろうがナナミは平民と思わせるほどに気安い口調だ。使う言葉のところどころがわからなくても、雰囲気でなんとなく伝わるのは彼の口調のせいもある。
「ウラノメトリアは、喪失技術で作られた兵器って言われてるわ」
「ソーシツギジュツ? ロストテクノロジーのことか……? 失われた技術ってことか? じゃあ今の時代では作ったりできねーの?」
「不可能よ。それに、ウラノメトリアはとても小さなマシンなの。視認が不可能なくらいに」
「顕微鏡とかでも無理ってこと?」
「そうみたい。この地上のありとあらゆるところにあって、私たちはそれと付き合ってきたわ。今はなくてはならない動力でもあるし」
「マシンが? マシンは動かす動力がなけりゃいけねーだろ? どうなってんだよ?」
「理屈はわからない。それも、もう失われた技法だから。でも、火薬みたいに危なくはないから、親切な隣人くらいにはありがたいものよ」
ナナミは一度黙りこくり、もぐもぐと天ぷらを咀嚼してから飲み込み、「続きどーぞ」と促した。理解しているのか二人にはわからない。
「この部屋の明かりだって、ウラノメトリアの力を使っているの」
「エッ、電気じゃねーの?」
「電気? 主流ではないけど……」
「え、あー……おれの故郷では、それ使ってたっつーか」
「原始的なのねナナミの生まれたところって」
「原始……マジかよ……」
さすがに衝撃が大きいのか、ナナミが項垂れてしまう。
「すべての動力がウラノメトリアによって成り立っているの。マギナだって、ウラノメトリアを含んだ鉱石を使っているし」
「……つーまり、あのロボもどきが動くのはそのウラノメトリアがあるからってこと?」
「ええ。それに私たちの体内のウラノメトリアと共鳴させて動かすのよ? あなた、乗ってたじゃない」
絶句しているナナミは視線を伏せた。
「うーわ。適当にやってたんだけど、そーゆー仕組みなのかよ……。
アンタらゼーハー言ってたけど、ヤバいことなんじゃないの、ウラノメトリア使うってのはさぁ」
「? そもそも生きてるだけでウラノメトリアはどんどん蓄積していくのだから、あまり変わらないわ」
「んん? 待っていま、話が嚙み合わなかった気ぃする。生きてるだけで蓄積?」
「こうして肺呼吸しているのだから当然でしょう? 空気中のウラノメトリアをいつも吸い込んでいるのだから」
そこで、ひくり、とナナミの頬が引きつった。本当に彼は知らなかったようで今になって視線が泳いでいる。幼い子どもでも知っているような常識が、ナナミには備わっていないようだ。もしやこの島国は平民にあまり教育をしないのかもしれない。
「ソレって、毒を毎分毎秒、体内に取り込んでるってことじゃん」
「まあ、簡単に表現するとそうね」
「え? マジで言ってんの? アンタら頭おかしーだろ」
やや呆然としたようにエニフとナシラの顔を交互に見るナナミは、頭痛でも堪えるように片手を頭に遣った。
「あー……でも、そっか。資源がウラノメトリアだから、半永久的に使えるってことか……最低限の利用法……どこにでもあるから……」
「ナナミ、食べないのかい?」
「食べる。
はー、なるほどね。おれらの身体にちっさいマシンがあるからそれも利用してマギナ動かすってことね」
再び食事を開始したナナミに、すでに食べ終わったエニフが微笑む。清々しい笑みに、ナシラが少し頬を赤らめていた。
「普通の武器では空気中のウラノメトリアが拒否反応を起こしてしまうから、マギナは兵器として適してるからね」
「あんだって? 拒否反応? え、おれたちの身体にもあるのに?」
「? だからオレたちもアステリズムを乱さないようにしているんじゃないか」
「はあ?」
心底理解できないナナミに、ナシラが諭すように言った。
「当然でしょう? 火薬が常用されていた時代に人体発火が多かったのは子どもでも知っているわ」
「なにさらっと言ってんだよ! 一大事だっつーの。なにそれこっわ。ありえん」
「だからアステリズムが大事になるのよ」
同じく食事を終えているナシラが話を続けるので、エニフはうんうんと頷いた。行儀がいいのは彼も貴族だからだろう。
「体内のウラノメトリアが乱されると、アステリズムを計測しなければいけないから」
「血圧みたいなもん?」
「厳密に言うと違うけれど、ウラノメトリアでの体調不良を、アステリズムの不調って表現するのよ」
「…………だめだー。わけわからん。おれには無理」
お手上げだと言わんばかりにナナミは丼を持ち上げて、豪快に食べ始めた。
(これほどに知識がないのに、彼はマギナに乗れる……)
エニフがそう思うのも無理もない。あの溺れるような気分の悪さをナナミは経験していない。それに、言動からこれまでアステリズムを計測したことも、不調になったこともないようだった。97の國がどういう方針なのかはわからないが、もしかしたら平民はまともな健康診断も受けていないのかもしれない。
「ごちそうさま! やっぱ丼ものは腹にたまるし好きだわ~」
ゴチソウサマとはなんだろうかというエニフの視線に、ナシラも同意の目をしていた。




