7.海の街
「わぁー…」
馬車を降りたレアナは思わず目を輝かせた。
彼女の身体に入り込んできたのは、木造の街並みの奥に広がるキラキラと輝くターコイズブルーの海と、吹き抜ける爽やかな潮風。
街は活気に溢れ、ワンピースにエプロンを腰に巻いた女性たちが店に忙しなく出入りし、漁師であろう屈強な男性たちの怒鳴り声のような会話が色々なところで飛び交っている。
「気に入ったか?うるさいが、いい街だ」
「あ……はい、とても素敵な街ですね」
隣にスッと現れた黒く大きな影に、急いで目と口に力を入れ前のめりだった背筋を縦に伸ばした。
こんな素敵な街は他にはない!レストランだけじゃなくて洋服屋さんや雑貨屋さん、もう全てが可愛らしくて一つ一つ周りたい!今日一日ではとてもじゃないけど足りないわね…
なんてレアナは無数にぶら下がるお店の看板を目だけキョロキョロ動かしてチェックし、表に出さないが心の中でひとりウキウキと感情が溢れ出す。
「ここは多くの店が長く続いた戦争で閉め切っていたんだ。やっとここまで復活した…」
「そう…なんですね」
その一言で一瞬にしてレアナの立場が変わり、自分は観光客の一人なんかではなく、この隣に立つ領主の妻なんだと改めて自覚する。
そうだ、ここら辺はまさに戦争の最前線で、1番激しかった場所なのよね…
と思いながら見返すとさっきまでは見えなかった建物の傷や修復した跡がどこからも目に飛び込んでくる。
幼かったのもあるが、戦争中であるとは思えないくらい穏やかな日々をこの地から遠いところで呑気に暮らしていたレアナは、それが戦争によるものだと考えるだけで少しゾクッとした。
そして幸せそうな街の人々の笑顔を見ていると、隣に並ぶ凛々しいアルマンの横顔を見ていると、なんだかレアナの胸がじんと熱くなった。
そう、浮かれていてはダメよ。ここの領地がどうなっているのか、本だけでは学べないことを知るために今日があるのよ。一瞬一瞬を大事にしないと…
レアナはさらに身をキュッと引き締めた。
「まあ今日は…この街を楽しんでいくといい…」
「はい…お忙しいのに連れて来ていただいてありがとうございます」
「街を見て回るのも俺の仕事だ」
そうね、それも立派なお仕事だわ。この街を見て領主の妻としてしっかり学びなさいと言うことね。邪魔にはならないよう気をつけないと…
レアナは喉が詰まったような緊張感に包まれながら大股で歩き出す彼の後ろを必死に追いかけた。
「ここの港は漁船が多いがそれ以外にも様々な物を積んでくる輸送船も多く出入りする。その中には…」
「はい…」
話しながらスタスタと歩くアルマンの後ろを頭と足を一生懸命に動かすレアナ。
今まで読んできた本の内容と照らし合わせるとそれなりにスッと頭には入ってくるが、その速さにそろそろ全身が追いつかなくなってくる。
「昼に行くのはここで1番古い代表的な店だが、他に見たい店があれば…」
「はい…はい…」
「あら、領主様!こんにちは!ってその子大丈夫かい?」
「ん?あ…すまない」
「はぁっ………っ大丈夫…です」
頭に入れなくてはと思えば思うほど単語が吹きこぼれ、酸素の足りない足も重たくなりもつれてくる。
「領主様…こんな小さくて可愛らしい子をいじめたらダメですよ!」
「いや!いじめたわけでは…」
「すみません!私が遅いだけなので…」
「そんなこともない…私が君のことを何も考えてなかったからだ。すまない…」
「いえ!そんな…」
アルマンのまさかの素直な謝罪にレアナは目を見開いて固まり言葉が出なくなる。目上の男性にこんな風に扱われたことがないからだ。今までレアナの周りにいた目上の男性といえば父親しかいない。
レアナの父は暴力を振るうことはなかったが、いつも自分が絶対で、自分より下だと思っている者に謝るなんてことはしなかったし、相手のことを考えるなんてことは微塵も頭にないような人だった。
実家にいた時は心の中で、あるいは姉の前ではそれに散々悪態をついてきたレアナだが、ここに来てから姉のように姉のようにと過ごしているレアナにとって、自分より上である男性、旦那様がそんな風に頭を下げるだなんて思いもしなかったのだ。
「で、そこのお嬢さんは?」
とさっきから話しかけてくる街に溶け込んだ威勢のいい女性がレアナのことをアルマンに問う。
「………私の妻だ」
「えぇ!?それは失礼致しました!領主様…こんな可愛らしい子を嫁にだなんて…」
「な、なんだ…」
驚き固まる女性の顔が段々と緩みニヤけていく。
そしてそれに合わせてアルマンの顔には徐々に深いシワが増えていく。
「これはお祝いじゃないですか!みんな〜領主様が結婚ですって〜!」
「お、おい!」
そう叫び町中へ向かって行く背中を、レアナは頬を微かに持ち上げながらなんとも言えない気持ちのまま見送った。
「はぁ〜だから嫌だったんだ…」
「す、すみません…」
これは彼から誘われたことではあるが、元々この街に来てみたいと思っていたらレアナは、その重いため息に反射的に謝罪しチラッと隣を確認した。
「いや…とりあえず食事にしよう。できるかわからないが…」
「?…はい」
が、言葉ほど迷惑そうにしているわけではなく、レアナは小さく詰まっていた息を吐き出しながら少し肩を下げ、ゆっくりと歩くアルマンの横をついて行った。




