6.
「………」
「………」
レアナは今日もいつもの変わらず、静かな朝食を過ごしていた。少し変わったこともあるが…
「………」
ん!これ美味しい!この前読んだ本に載ってたものね。わかってるわ。
と日頃の成果を感じつつ、お淑やかに口へと小さな感動を運ぶ。
ここでの生活や姉のような振る舞いにも少しずつ慣れ始め、とりあえず出されたものに罪はないと美味しい料理を楽しんでいた。
「今日も書庫へ行くのか?」
「ッ……はい」
思いもしなかったアルマンの問いに目を一瞬だけ見開き、かろうじてそう返事をする。
「本が…好きなのか?」
「………はい」
なぜか続く会話に冷静さを保ちながら頭の中だけをぐるぐると巡らせる。
まあ、実家にいた時からお気に入りの本だけはよく読んでいたから好きで間違いはないだろう。
量からすると昔の何十倍もこの数日だけで読んでいるが…
「そうか………なにか他に気に入った本があれば言ってくれ。すぐ取り寄せる」
「いえ、今読ませて頂いてるだけで十分です」
「………そうか」
アルマンはそれだけ言うとまた大きく口を開け食事を再開した。
レアナはそれに心の奥でホッとし、チラッと次は何を食べようか目線を動かした。
「何か他に…」
「ッ!………」
カシャン___
「失礼いたしました!申し訳ありません」
予想外にまた声をかけられレアナは遂に身体を小さく真上に飛ばし、持っていたフォークをお皿にぶつけてしまう。
「………別に、どうでもいい」
「すみません…」
そうよね、そんな私の一挙手一投足なんてどうでもいいわよね。
となぜか少しモヤッとしヤケになりながら次の一口にフォークを刺した。
「他に何か…欲しいものはないのか?」
「?………ありません」
「………したいことでもいいが」
「………」
したいことなら、ある。
海沿いの街へ行って美味しいものをたくさん食べてみたい。最近本を読みながらずっと思っていた。私の好物の本場の味を味わってみたいと。街に行くなんて今までだったらいくらでも馬に乗って抜け出せたのに、そんなことここでは絶対にできない。馬の乗り方も昔ベンジャミンからこっそりと教えてもらったものだし、それこそ乗馬を嗜むなんてお淑やかなものでもない。
「………特にはありません」
「………そうか。何かあればいつでも言ってくれ。ジルに…でもいい」
「ありがとうございます」
彼の大きな身体が心なしか縮こまったようにも見えたが結局膨らみを見せるわけでもなく短い会話は終わり、いつもの日々が始まった。
「さっき食べたのは確かこの本に載ってたわよね?」
復習もしつついつものように穏やかな一人の時間を書庫で過ごすレアナ。
旦那様はああ言ってくれたけど、今だって十分なくらいの生活をさせてもらえてるし、なにより眼福な旦那様と美味しい料理があればそれだけでもう言うことないわ。これ以上何かを願うなんて…
「きっと…バチが当たるわ」
上がっていた頬はストンと落ち、弱く震える呟きが本棚に吸い込まれていく。
むしろ想像していたような冷遇をされた方が良かったのかもしれないなんてレアナは考える。
「とりあえず、私にできることをしなくっちゃ!」
と抱えた椅子を本棚の前に置き、上の段の未開拓の棚を覗き込む。
レアナの身長で届く範囲は大体目を通してしまったので、今度は上の方をとさらに背伸びをして背表紙を読んでいく。
「でも大体同じようなものかしら?」
ガチャ___
と入り口のドアが開く音が聞こえ思わず後ろを振り向いた。
「ッ!…」
「危ないッ!」
レアナはその拍子にバランスを崩し、咄嗟に本棚を掴むとそれは体を支えるどころかレアナと一緒にスローモーションのように倒れていく。
落ちたって痛くはないけど降り注ぐ本とともに本棚が倒れて来たら痛いじゃ済まなそうね。あぁ、こんなことして迷惑をかけてしまうわ。
なんて思いながらレアナは後ろを気にせず前を両腕で庇いその衝撃を待った。
「ッ!………え?」
ふわっ___
しかしやって来たのは痛みとは正反対の暖かな感触で、レアナの身体は抱きかかえられ宙で止まった。
ドサドサ___
「ッ!だ、旦那様!?大丈夫ですか!」
本が崩れ落ちる音にハッとすると、抱きかかえられた何かとは旦那様であることに気がつく。
振り返った時入口に立っていたのを思い出し顔を上げると彼は自身と本棚との間に立っていたのだ。
「大丈夫か?」
「は、はい私は…それよりも旦那様が!すみませんこんなことに…」
棚を倒してしまったことや旦那様が背中でその棚を支えていることに焦り、急いで腕から離れ棚を押し返すがそれはビクともしない。
「このくらい大したことではない」
彼がスッと片手を着くと棚は簡単に戻り、あっという間のことにレアナは立ち尽くす。
「せ、背中は大丈夫ですか?きっと酷いアザに…」
「大丈夫だ。かすり傷ひとつもないだろう」
「そんな訳ありません!背中を見せてください!」
「え?いや大丈夫だと…」
「いいから早く!」
「ん!?」
私のせいで旦那様の体に傷をつけるなどあってはならないと気が動転し過ぎたレアナはアルマンの背後に周り服をグイグイと上へ上げた。
「あぁ、よかった。大丈夫そうです…って申し訳ありません!!!」
ペタペタと背中を触りホッと安堵した途端、自分がしていることに全身の血が沸騰し今度は勢いよく服と頭を下げた。
「ふっ…だから大丈夫だと言っただろ」
「ひゅっ…」
いつもより柔らかな声が聞こえ顔を上げると、目を細め微笑んでいるアルマンがいて…
「ここもずっと放っておいたが、改装が必要だな」
「………はい………え?改装?」
「もっと綺麗にして使いやすいようにな。今まで気づかなくてすまなかった。こんな埃っぽいところに毎日いたら身体に悪い」
彼の笑みに思わず見惚れそのままに相槌を打つと、急に現れた話の展開と笑みの消えたいつもの表情にギュンとレアナの頭は現実に戻される。
「いやそんな!改装だなんて…」
「いいんだ、とりあえず部屋を出よう。埃が舞って空気が悪い」
「でも本を片付けないと…」
「他のものにやらせれば良い」
「いやでも…ッ!」
「なら担いで行くか?」
グッと近づいて来たアルマンはレアナの小さな手を取り反対の腕を腰に回し、あの黄金の瞳でじっと見つめながらそうつぶやいた。
「ひゅっ……だ、大丈夫です…出ましょう!すぐに出ましょう!」
「はは…」
息を飲んだレアナは急いでそれを吐き出し、大きな身体を揺らして笑う眩しいアルマンの手を引っ張るように部屋を出た。
「いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした…」
「そんな気にしなくていい。ケガがなくてよかった」
部屋まで送ると言うアルマンにレアナは素直に頷き、その少し後ろを歩く。
なぜか…もっと彼と一緒にいたいと、もっと話をしたいと思ってしまった。
目の前を歩く大きな背中を、ここぞとばかりにじっと見つめるレアナ。
「………ずっと屋敷にいてもつまらないだろう」
「そんなことありません。面白い本ばかりで1日があっという間です…」
「そうか………だが、しばらく本も読めなくなるだろうし、今度街にでも行ってみるか?」
「え……行ってもよろしいのですか?」
「好きにしていいと言っただろ?」
「行きたいです!」
さっきのこともあっていつもよりふわふわと高揚していたレアナは食い気味にそう返事をすると、アルマンはスッと後ろを振り向いた。
「ふっ…では行こう」
「はい!…え、旦那様も一緒に行かれるのですか?」
「…俺が一緒では嫌か?」
「いえ!嬉しいです!」
「ッ!…」
お淑やかさなんてすっかり忘れていたレアナは高まった想いのまま、素直にそう頷き頬をなんの抵抗もなく持ち上げた。
「あ、でもお忙しいんじゃ…」
「大丈夫だ、急ぎの仕事も今はない…」
「…あ、あの…旦那様?」
アルマンはじっとレアナを見つめなぜかゆっくりと近づいてくるが、レアナはまた彼の瞳に見惚れ戸惑いながらも離れることなくその距離を受け止める。
そしてさっき助けられた時と同じくらいの近さになり、レアナは必死に息を止めるとその鼓動は反比例しどんどんと速くなっていく。
「あ、あの…」
「なにか…香水でもつけているのか?」
「え?香水?…いえ、何も…」
「………そうか」
そうつぶやくとアルマンは後ろへ下がり、また背を向けて歩き出した。
「………ふぅ〜」
彼が何をしたかったのかよくわからないが、息が保たなかったレアナにとっては大変ありがたく、乱れる鼓動を落ち着かせながら小走りでその後を追いかけた。




