4.初めてのディナー
「…………はぁ〜」
しばらくしてやって来た侍女と共に着替えを済ませ、あとは髪を整えるだけ、というところでレアナは大きなため息をついた。
「………お、奥様…?本当にお綺麗です!」
「この髪だけは、ね…」
顔を上げると目の前の鏡にはキラキラと着飾られた自分の姿がぼやっと映し出される。
ここへ来た時に着ていた物はこれ以上ないほど豪華だと思っていたが、上には上があるものだ。それもただ夕飯を食べるだけ、なのに…
でも夫婦となって初めて共にする食事だから皆気合いが入ってるのかしら?
なんてレアナはぼやっと考える。
「髪だけだなんて、そんなことありません!ドレスもとてもお似合いですし、全てがお綺麗です!」
「………この素敵なドレスに見合うようアナタが頑張ってくれたおかげよ。ありがとう…」
鼻から抜けそうになる自傷気味の笑みをなんとか堪え、ベアトリスのようにそうお淑やかに答える。
ダメよ、姉様はそんな笑い方なんて絶対にしないわ。私は姉様になりきるのだから…姉様ならどう答えるか、どう振る舞うかを考えないと…
なんて姉の面影を思い出せば思い出すほど胸が詰まりだす。
「ッ…………ふぅ〜〜〜…」
そして目の奥に込み上げるものを微かに震える細長い息と一緒になんとか逃す。
「あの…奥様?」
「なあに?」
「旦那様は…そんなに怖いお方ではありませんよ?」
「え…?」
下がっていた目線をまた前に向けると、眉を下げながらもグッと頬を上げる侍女が見えた。
「怖い噂ばかりが流れているようですが、旦那様はこの国を守るため、最前線で危険も顧みず戦っていました。ただ、ただそれだけなのです。少し不器用な方ではありますが…」
「あ、ごめんなさい。さっきのため息は違うの…親が決めた結婚ではあるけれど、私は自ら望んでここに来たの。私はこの地に、旦那様に"全てを捧げるわ"…」
元々は姉様へ来た縁談だけどね…
でもレアナは父の部屋へ走っている時そうしようと、それしかないと思っていた。
自身に出来ることはなんでもすると。姉のためにもその使命を全うしようと…
レアナはベアトリスのように優しく微笑むとふっと侍女の顔から力が抜ける。
「いかがでしょう…」
「まあ…」
「とってもお綺麗です!」
ドレスもメイクもヘアセットも何もかも全て、今までしていた物とは全く違っていて、目の前にいるのにこれは果たして自分なのか?とレアナは疑ってしまう。
「素晴らしい腕前ね」
「違います!"奥様が"お綺麗なんです!」
確かにこうしてみると少し姉様に似ている気がしなくもない。今まで見た目はどうでもいいと適当にしていたが、やっぱり姉妹であったということだろうか。
「…………っ」
「奥様?どうされました?」
とうとう堪えきれずレアナの頬を、スッと涙が一筋流れる。
「………大丈夫ですか?なにかお気に召さないものでも」
「大丈夫。アナタの腕は完璧よ、ありがとう。まだ時間あるかしら?少しだけ…一人にしてもらえる?」
「ええ、もちろんです。レディの支度には時間が必要ですから。旦那様の方はジルさんに任せておけば大丈夫です」
心配そうに、でも優しくそう声をかけてくれる侍女にレアナは濡れて引きつる頬を持ち上げた。
「そんなに時間は取らせないわ。そうね、5分経ったら戻って来てくれる?」
「かしこまりました!」
元気よくそう返事をして出ていく背中を見守り、扉が閉まった途端にレアナは机の上にいつの間にかおいてあったハンカチを目に優しく当て、メイクが崩れないよう声を殺して泣いた。
「うっ…っ…お姉ちゃんっ…私、上手くやれるかな…?」
そして長い5分が過ぎた頃聞こえた控えめなノックに、レアナは明るく返事をしたのだった。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
急いでメイクを直し終えたレアナは、大きなテーブルの前でそう頭を下げる。
「いや、別に気にしていない…」
頭上から降る冷たい声にサアッと血の気が引き顔を恐る恐る上げるが…
「………」
黒と赤で統一された正装に身を包むアルマンの凛々しさに、レアナはまた違った意味で息をのむ。
「ん"んっ!…お気になさらないでください。奥様こちらへどうぞ」
「ッ!あ、はい…」
暖かな笑顔で椅子の後ろへ立つジルに向け急ぐ気持ちを抑え、お淑やかに進み席へと座る。
「冷める前に食べなさい」
「あ…は、はい…」
テーブルの上にはかなりの量の美味しそうな色とりどりの食事が並んでいた。
アルマンはすぐにひとり食べ始め、レアナもサッとフォークを握るがすぐにまた姉との違いを悔やみ動きを緩める。
そして今までの1/4くらいに切り分けた小さなお肉を口へと運ぶ。
「美味しい………ッ!」
その美味しさに自然と顔が上がり見えた光景に、レアナは思わず固まってしまう。
「ん?どうした?嫌いなものでもあるのか?」
「あ、いや…」
所作は美しいのだが、アルマンの口へ次々と運ばれていく大きな一口にレアナは驚きを隠せない。
「はあぁ〜…旦那様、一口は小さくとあれほど言ってるではありませんか!」
「そんな風に食べたら美味い料理が冷めてしまうだろ」
「はぁ〜…ほら奥様が呆れておられます。すみません、旦那様は戦場に出ていた時間が長かったもので…」
「戦場では生きるために食べるのだ。俺にはナイフだっていらないくらいだ」
「旦那様!…」
「ふ…ッ……」
レアナは口から出そうになる笑いを誤魔化すよう、急いで目の前にあったものを口にパクっと放り込んだ。
「ッ!…これはなんですか?すごく美味しいです」
と口に入れてから食べた物をマジマジと見つめる。
「ん?これを知らないのか?」
「こちらは近海で獲れた魚を使ったここの名物料理です。生のまま身と旬の野菜をソースで和えてあります」
「それは存じ上げず申し訳ありません!」
自分の無知を晒してしまいレアナはまた悔やみながら勢いよく頭を下げる。
なぜ姉様のように出来ると思っていたのだろう…
所作はなんとかなっても中身はとてもじゃないが姉には追いつかないと、もっと普段からちゃんとやっておけば、とレアナはぎゅっと顔に力を入れた。
「そんな何度も頭を下げなくてもいい…」
「あ…はい!すみません…」
そう声をかけられ今度はバッと頭を上げる。
「これが気に入ったか?」
「あの………はい」
「そうか…」
低く重い声色ほどアルマンの表情は険しくなく、吸い込まれるような黄金の瞳にはどことなく暖かさも感じられる。
スッとジルに向け手を上げるとレアナのテーブルにいくつかの料理が集められていく。
「ここら辺で獲れる魚はどれも美味いんだ。気に入ったのならいろいろ食べてみると良い…」
と目線を外したまま言うとアルマンはまた大きな口を開けテーブルの上のものをどんどんと平らげていく。
「あ…ありがとうございます」
「それとここに並ぶ肉料理で使われているものは全て、昨日旦那様が自ら獲ってきた物なんですよ」
「旦那様が?これを全て…」
「はい。私たち使用人にも振る舞ってくれるのです」
「狩をした時だけだ…」
侍女の言う通りそんなに怖い人ではないのかも、なんて思いながらレアナは自身の周りに並べられた料理を少しずつ口に運んでいった。
「ん!…どれも本当に美味しいです!」
「ふっ…そうか」
「ッ!………はい」
その美味しさにまた顔を上げるとアルマンの微笑みが一瞬見え、レアナの頬も自然と上がった。
そしてレアナはいつの間にか演技することも忘れ、料理と彼との時間を静かに楽しんでいたのだった。
「はあぁ〜…」
レアナは支度も済ませふかふかなベッドにひとり潜り込む。
無事…ではないかもしれないが、初日を終えられたことに安堵し硬くなっていた体の力が一気に抜けていく。
この国では貴族は皆結婚してから一年後に婚姻の儀を行うことになっている。
それを終えると晴れて夫婦となり本来の生活が始まるのだ。
最近ではそれを省略する者もいるが、階級が上になればなるほどそれは厳しく存在する。
それだけ準備にいろいろと時間がかかるというのもあるのだろう。
予定ではその期間に逃亡を図ろうとしていたのだ。
「旦那様…もうカッコ良すぎじゃない?」
とレアナは赤くなる頬に両手を当て見慣れない天井を眺める。
「あぁでも本来なら…」
そしてまた姉のことを思い出すと赤みはどんどんと青白くなっていく。
本来ならここにいるのは姉であったのかと思うとぎゅっと胸が締め付けられ、広いベッドの上で小さなその体をさらに小さく丸めた。
浮かれてはいけない…と自分にまた言い聞かせ、レアナは自分のすべきことを考えながらそっと目を閉じたのだった。




