3.
ベアトリスの結婚が告げられてから3日経ち…
「あぁ、女神様…頂いた祝福をこんな風に使うことを、どうかお許しください…」
レアナは教会で頭を下げ床に両膝をつき、ギュッと固く握りしめた両手を美しい女神像へと向け祈っていた。
「ふぅ…あとはやるだけよ。帰りもよろしくね?」
ブルルン___
早く終わって欲しいような過ぎて欲しくないような祈りを終え教会から出ると、屋敷に戻るためレアナは乗ってきた馬に近寄り撫でる。
「ん?…レアナ嬢?」
声をかけられ振り返るとそこには見覚えのある馬車が。
窓から覗き声をかけるのは、少しクセのある栗色の髪を風に揺らす青年だった。
「あら、ベンジャミンじゃない!お父様に会いに来たのね」
「ええ、向かう途中に姿が見えたので。まさかその馬に乗って行くなんて言わないでくださいよ?」
「もちろん乗って行くわ。でないと帰れないもの」
「はぁ〜…私の馬車に乗ってください」
「そんないいわ別に」
「ダメです!御令嬢が一人で町を出歩くのもかなりの問題なのに、馬に乗るなんて…」
「もう……わかったわ」
少しお節介なこの青年は、商人の息子として幼い頃から男爵家によく出入りし、姉妹にとっては幼馴染でもあるベンジャミン・スミスだ。だが、彼は昔から立場をわきまえて接し、男といえば誰もが鼻の下を伸ばす姉にも、普通に接する珍しい男性の一人でもある。
「………」
レアナは馬車に揺られながら細く流れの悪い喉でゴクッと何度も空気を飲み込む。
こんなに緊張するのは生まれて初めてだ。デビュタントでもここまでではなかったはず。
「レアナ嬢…?」
「ん?」
「ベアトリス嬢の結婚が決まったそうですね…」
「………ええ」
ただ決まっただけよ。あんなところへ姉様を行かせるもんですか!とレアナは心の中で叫ぶ。
今日姉様は自由になるのよ。そしてそのうち私も…
「それは、おめでとうございます…」
「………」
「次は、レアナ嬢…ですかね」
「もう私しかいないんだからそうなるわね…」
私は馬にだって乗れるしいつでも辺境伯のお屋敷なんて抜け出せるわ。
それに私にはこの"贈り物"があるもの…
「もしなにかあればいつでも仰ってくださいね。必ず力になりますから…」
「心強いわ。ありがとう…」
大丈夫。きっとすべて上手く行くわ。
ガチャ___
「おかえりなさいませ。レアナお嬢様。」
「………ええ」
ベンジャミンが屋敷の扉を開け、レアナはゆっくりと中へ入る。
中にはズラリと並ぶ使用人。でもそのどれもがレアナの顔馴染みではない。
今日はこうやってベンジャミンや他の商人も来るから集められた者ばかりで、普段の屋敷の中には最低限の人数しかいないのだ。
姉妹の食事やドレスなんかも必要最低限。
侍女なんて本の中でしか知らない。特にレアナはそんな存在忘れているだろう。
まだ姉妹の母親がいた頃は良かったが、戦争中の流行病で亡くなってから体裁第一の父親はさらに仕事に没頭し、家の中は簡素化されていった。
最低限でもあるだけいいと、姉妹は常に励まし合い、笑い合いここまで生きてきたのだ。
「レアナ…また町へ出ていたの?」
「帰りはベンジャミンと一緒に来たわ」
「もう…今日は"大事な日"よ?」
そしてそれも今日で終わる。それが二人にとってもっと良くなるのか、悪くなるのか…
「姉様、本当に大丈夫なの?ベルアニームまで一人で行けるの?」
「大丈夫よ。レアナがくれたこの贈り物を無駄にはしないわ」
目撃者が多く居る今日、ついに姉様は屋敷の窓から大空へと飛ぶのだ。辺境伯の元へは行けないと、これが最初で最後のワガママと…
「私はそれよりレアナ…アナタのことが心配よ」
「私は大丈夫よ!辺境伯の所へ行けばベルアニームなんてすぐそばよ?馬に乗って逃げるなり、いざとなれば"私も飛び降りて姿を消せば"いいんだもの」
レアナに祝福がないと勘違いされているように、ベアトリスの贈り物もまた、誤解されていた。
彼女の贈り物はその美貌ではなく…
「ほら姉様飛んでみて?」
ピョンとベアトリスが小さく飛ぶと、その身体は薄らと床から距離を空け止まった。
「よし!大丈夫ね!」
「ちょっと緊張しちゃうわね」
「大丈夫よ!いつもやってたみたいにすればいいだけよ」
ベアトリスの真の贈り物は、他者の能力を自在に操れること。どんな能力でもとはいかないみたいだが、一度目にすればその日は何度でも使えるようになる。
「私たち二人の自由を自分で掴み取るのよ!」
「そうね…」
二人が考えた計画はこうだ。
ベアトリスはレアナの贈り物を利用し、裏山へと身を投げたように見せかけ、そのまま森を通って隣国ベルアニームまで逃げる。いつ手配したのかレアナは知らないが、隣国にツテがあるらしい。
そして代わりに身軽なレアナが辺境伯へと嫁ぎ、早々に脱走して姉と合流する…という流れである。
「でも私、やっぱりアナタが心配よ…私の代わりに嫁ぐだなんて…」
「もうお姉ちゃん!ここまで何度も話し合ったでしょ?私は大丈夫だから!嫁いだらひょひょいとすぐにお姉ちゃんの所へ行くから大丈夫よ!今日しかないのよ!」
不安そうにするベアトリスにレアナは軽く笑顔を見せる。そう、これで全部上手くいく。大丈夫…
「………ふぅ〜」
「お姉ちゃん…大丈夫!頑張って!」
姉妹は自室の窓辺でぎゅっとお互いを抱きしめ合い、窓枠に手をかける姉に笑顔を送り背を向けた。
「レアナ…またね」
「うん…必ずすぐ私も行くわ」
レアナはスッと大きく息を吸い…
バンッ!___
「きゃあーーーー!姉様が飛び降りたわ!誰か!誰かー!」
レアナはそう叫びながらなるべく人を連れ屋敷の裏へと向かう。
「姉様この結婚をとても不安がっていたの…でもまさかそんな、飛び降りるなんて…」
そして飛び降りた森の中を探すが、ベアトリスの遺体は見つからず…となればあとは私がお父様に…
「ヒッ!………なにこれ…」
人が集まりどよめく中レアナの顔は引き攣る。
裏へと向かうと地面は真っ赤に染まり、そこから引きずられた跡のような脆い線が森の方へと続いていた。
「ベアトリス嬢が!…狼に引きずられて行った!」
予想だにしない展開にドクドクと脈を打ちながら止まっていたレアナの頭の中に、そう叫ぶベンジャミンの声が響く。
「狼ですって!?なぜこんなところに…助けに行かないと!」
「いや、すぐに追いかけたが間に合わなかった。それに俺が見た時にはもう飛び降りた衝撃で…ベアトリス嬢の息は…」
ベンジャミンの顔は徐々に暗く下がって行く…
「そんな、まさか!…嘘よ…」
「………」
「………ッ!」
「レアナ嬢!どこへ…」
レアナはすぐに父の元へと走った。これは元々その予定ではあったが、彼女の顔は酷く歪みポロポロと涙が頬を伝う。こんなことは予定にはない。
なぜ?なぜあんなにも血が…そんなはずはないわ。失敗するなんてそんなこと、今まで一度もなかったのに。それにこんなところに狼だなんて…
レアナの頭の中にぐるぐると色んな感情が駆け巡る。
そして…
「お父様!私が…私が姉様の代わりに辺境伯の元へ行きます!」
父に代わりを申し出たレアナは、二度とこんなことが起きないようにと、嫁ぐその日まで、監視付きで部屋に閉じ込められたのだった。
「あぁ、姉様っ…ごめんなさい。私があんな提案をしたばっかりに…」
レアナは部屋にいる間ずっと姉のことを想い泣いていた。
そして久々に屋敷から出たあの日…
「ギヨン男爵家より参りました、レアナ・ギヨンと申します。不束者ではございますがよろしくお願い致します」
レアナは何度もたった一人で練習したセリフと完璧なカテーシーを、見知らぬ土地に降り立った瞬間に披露したのだ。




