悪友たち
「ご報告致します。禍の王の封印に、綻びは見られませんでした」
如月国宮内庁長官が報告をする。今上帝である籠目錦織は静かに頷き、青く輝く瞳を伏せた。
「それは良かった。けれども理花様が封印を施してから、もう四百年以上経ちます。市中の妖も活発だと聞きますから、くれぐれも注視してください」
「承知致しました、陛下」
禍の王の封印に綻びは一切見られず、有栖川理花はその体に禍の王を封じたまま眠っていた。死後、四百年が経ったとは思えないくらいに穏やかに、美しく。
錦織は続けていくつかの報告を受け、会議を終えた。
「申し訳ないが、澄田さんと話がしたい。時間を取って貰えますか」
退室しようとした築が足を止める。他の者が退室し終え、部屋には錦織と築だけになった。
「何か御用ですか、陛下」
「今は陛下として話がしたいわけじゃないよ。分かるだろう? 築」
錦織と築は幼稚舎からの幼馴染だった。二人は今年で二十六になるので、もう二十年以上の付き合いになる。性格はそれほど似ていないし、むしろ正反対と言ってもよいくらいだ。しかしどこか似ている部分が多いのか何となく気が合うのか、長く交友が続いていた。
築は居心地の悪そうな顔をしたが、深くため息をついて頭を掻いた。
「何か相談でもあるのか、錦織」
「いや、何、祝福の花のことだよ。君の所にいるんだろう? 仲良くしてるかなと思って」
錦織の質問の意図が分からず、築はさらに複雑そうな表情になる。その表情を見て、錦織はますます楽しそうに質問を重ねた。
「仲良くやってるって顔じゃないねえ。喧嘩でもした? 君って昔からモテる癖に、女の子の扱いが下手だから」
「うるさい。仲良くするために置いてるわけじゃない」
「有栖川家のためって? 澄田は有栖川の分家だから」
築は若年で両親を失い、澄田の当主となった。
澄田は有栖川の分家である。有栖川家直系の子孫は表に行ったきり、長きに渡り如月国に帰って来なかったので、分家の澄田が有栖川家を守るしかなかった。未成年の凛を当主に据えるわけにはいかないので、今でも築が当主の代行をしている。
一方、錦織は先代の帝が崩御したため、齢二十四歳にして帝位に就いた。
幼馴染の二人は奇しくも若くして親を失い、家業を継いだのであった。そのため双方が双方の立場を理解し、励まし合う関係が長く続いている。
「有栖川のためでもあるし、如月国の、ひいては日本のためだろう」
「その結果を出すためには、仲良くすることも必要だろう?」
錦織は穏やかで優しく、柔らかな雰囲気を持つ男だ。それは帝位に就く前から変わらない。
しかし同時に、冷静で残酷で、知略と人心掌握に長けた男でもあった。
「お前は相変わらずだな。そんなことを言うために呼び止めたのか?」
「祝福の花のことを心配するのは、帝としての務めだと思うけれどね。肝心の保護者が朴念仁だし」
「軟派より良いだろう。それに凛の世話は雪野がやってくれているし、最近は魁星とも仲が良いみたいだから心配しなくていい」
昔から築は、表情に出にくく言葉も少ない男だった。冷たいだの分かりにくいだのと言われているところを、今まで何度も目にしてきたが、錦織にしてみれば彼ほど分かりやすい男はいないと思っている。
今だって錦織に言い負かされ、顔に「うるさい」と書かれているようだった。
「君は損をするタイプだねえ。まあ、ここからが本題なのだけれども」
錦織は飄々とした顔から一転、真面目な顔へ変わる。空気がピリと引き締まり、築も姿勢を正した。
「先日、藤原希世史が現れたかも知れないと、報告があったけど」
「ああ。百貨店の前にいたやつか?」
「百貨店の前にいたのもそうだけど、桃源の方でも目撃情報があったようでね」
如月国の北部にある町、桃源町。桃源町は妖が多く住む町である。田畑や自然なども多く、古き良き田舎の雰囲気を残す町だ。
そんな桃源町の商店街を歩いてるところや、山道を歩いているところを数度目撃された。正確に言えば、藤原希世史がいたと言われたわけではない。ソフト帽に紳士杖を持った、左頬に三連黒子の男を見たと噂が立ったのだ。
「桃源町で? 何のために」
「さあ、理由は分は分からないな。それと、これは藤原希世史と関係があるかは分からないことだけれど、近頃、桃源の辺りで妖が誘拐されているらしいね」
桃源町の辺りにある妖たちの集落から、何者かが妖を誘するという事件が起きていた。
妖の持つ羽や爪などの希少性から、昔からたびたび乱獲し密輸を行うということは起きていた。珍しい異能を持つ個体を監禁し、利用するという人間もいる。
現在では捕まえることも売買することも許されていない。如月国では妖は妖独自の自治を持っているとして、妖の持つ爪や羽などは彼らとの取引によって手に入れること、妖の領域は侵さないことなどを定めた条例が制定されている。
しかし、それを守らない人間がいることも、また事実であった。
「最近は減って来ていたと思うけど、まだそういう奴らがいるのか。どうする? またガサを入れるのか」
「それがどうやら、売られてはいないらしいんだよね。消えているんだよ」
「消えてるってどういうことなんだ?」
錦織は如月国の地図を取り出し、築に見えるように広げる。
如月国の北部を指さし、その指を滑らせて説明を続けた。
「桃源町から誘拐された妖が売られるルートはだいたい決まってるんだけど、どこにもいないんだ。ここひと月で十人以上誘拐されているが、一人も見つかっていない。ひとかけらも」
「売るために攫っているわけではないとしたら、何のために」
「それが分からないんだ。藤原希世史が関係あるのかも分からない」
桃源町で度々目撃されている藤原希世史の存在。ここひと月の間で妖が十人以上誘拐されているが、その行き先が全くつかめないでいること。
与えられた情報をもとに、築も考えてみるが答えは見つからない。
「この件については、……織春に捜査してもらっている」
織春は錦織の従兄弟である。
先代の帝であった錦織の父親と、その弟であった織春の父親。双方の話し合いの末、五百年に一度起きる藤原希世史の出現に備え、織春の父親は庶民として息子を育てることにした。
帝室内と帝室外双方から、如月国を守るという目的だったという。
国民には、錦織には織春という名前の従兄弟がおり、庶民として育てられているとだけ知らされていた。しかし彼の個人情報については、全く知らされていなかった。
「織春殿下は一人で大丈夫なのか?」
「君の弟が手伝ってくれれば、安心なのだけどね」
織春がどういう名前を使ってどこに住んでいて、どうやって生活をしているのか、築には知らされていない。築が知っていることは他の国民と同じ情報までで、錦織には織春という名前の従兄弟がいるということだけだ。
けれどここで、錦織がこの話題を出して来るということは、築の弟である魁星に手伝って欲しいことがあるという意味なのだと、築は理解した。
「魁星に出来ることがあるなら、使ってくれ」
「ありがとう。魁星はきっと織春の力になってくれるだろう」
錦織と織春が何をしようとしているのか築には分からない。
けれど孤独な闘いをしている若き帝とその弟の、力になりたいと思った。それはきっと魁星も同じはずだと、築は理解していた。
「まあ、何にせよ、築は凛を頼むよ。彼女には役割がある」
「お前に言われなくても分かってる。もう帰って良いか。錦織も仕事しろよ」
つっけんどんな築の物言いに、錦織は肩を竦める。
先ほどまでの真剣な表情が嘘のように、錦織はへらりと笑った。
「はいはい、築もお仕事頑張ってね」
築は錦織に背を向けて部屋を去って行った。
凛の異能が解放されてから、こうも藤原希世史の目的が続く。
藤原希世史が現れてから起きることは決まっている。禍の王の封印を解いて何をしたいのかは分からない。ただ藤原希世史は、禍の王の封印が解くことに執着をしている。
しかし禍の王の封印を解くと言うことは、妖を錯乱させ、如月国と日本国を混乱に陥れるということ。それは帝としても、いち国民としても許すことは出来ない。
それに妖を誘拐して、何かを企んでいる存在。
数千、数百年も続く人間と妖の関係性。ようやく今、お互いにとってちょうどよいところを見つけることが出来てきているのに、それを脅かされることは如月国の均衡を脅かすことに繋がってしまう。こちらも放っておくことはできない。
「さて、どうしたものか」
錦織は五百年に一度の重責を感じていた。