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次の日も、その次の日も、延々と魁星は思い悩んでいた。何をしていても何を話していても、どこかでずっと上の空だった。
かの“祝福の花”は帝に対する祝福であり、その花は禍の王を封じるためのピースとして、生まれながらにして帝の花嫁になることが決められている。つまり凛は“祝福の花”であると判明した時点で、今上帝である錦織か東宮である織春、もしくは帝室の誰かと結婚することが決まっていたわけだ。
魁星は確かに凛を守りたいと思った。しかし守りたいと思った理由は、彼女を嫁に出すためじゃない。認めるまでに右往左往したが灯った恋心の為だった。恋心を隠す。彼女に邪な気持ちは抱かない。何のかんのと言っていたけれど、とどのつまりはこれだけだった。凛に恋をしていたのだ。
この結論に辿り着いては、どうにかならぬものかと何度も思案した。まさに堂々巡りである。
けれど魁星は理解している。これは叶わない、叶うことを許されない恋だ。
凛は――祝福の花は、いずれ帝室のものとなる。帝室の花となって帝に祝福を与える。そして日本国に仇をなす禍の王を封じるための力となるのだ。これは神代の頃から何千年も繰り返し行われた、いわば神事だった。
「魁星、本当にどうしたの。ここのところずっとおかしいよ」
ずっとぼんやりとしている魁星に、凛は怪訝な視線を向ける。
「そうかな。……まだみずかね製薬のことを引きずってるのかも」
「そっか。そうだよね。ハッピーエンドって訳にはいかなかったし」
凛は納得してくれたらしい。まるきり嘘ではないだけに、少しだけ罪悪感を覚えた。
「あ、織春さんだ」
「えっ……」
「織春さん! こんにちは」
魁星が何かを言うよりも早く、凛は先を歩く織春に声を掛けてしまった。魁星にはまだ織春と対峙する覚悟が出来ていなかった。
織春はまるで話しかけられることに気が付いていたかのように、落ち着いた様子でゆっくりと振り返った。
「こんにちは。凛、魁星くん」
「講義は終わりですか。お時間があれば異能のことでお聞きしたいことがあるのですが」
凛の声がいくらか弾んでいるように聞こえたのは、表情が明るく瞳が輝いているように見えたのは、魁星が織春のことを意識し過ぎているからかもしれない。
「すみません。今日は魁星くんと約束をしているんです。そうですよね、魁星くん」
きっと織春は魁星の表情を見て、すぐに何かを察したのだろう。魁星が如月国の本当の歴史に触れてしまったことを察したのだ。
「そうでした。忘れていました」
魁星も織春に聞きたいことは山のようにある。織春の機転に乗らせてもらうことにした。
「そういうことですので、少し魁星くんをお借りしてもよろしいですか」
「それは勿論構いませんけど……。じゃあ、魁星、私は食堂で待ってるね」
凛は違和感を覚えているようだった。けれどそれ以上は何も言わなかった。
魁星は微かに笑みを浮かべて無言で頷く。
凛の後ろ姿を見えなくなったとき、織春はようやく口を開いた。
「知ってしまったんですね」
その一言を聞いて、魁星は悔しいのか悲しいのかよく分からない感情に苛まれた。
当たり前だが、織春はずっと知っていたのだ。
いずれ“祝福の花”――百軒凛は、帝室に嫁ぐべき女性であるということを知っていたのだ。
「凛には、いつ伝えるんですか」
「築さんは何て仰っているんですか」
「何も。当主ではないのだから、これ以上は首を突っ込むなと」
織春の表情は変わらない。いつもの穏やかな笑みを浮かべている。
「僕も同じ意見です」
「これ以上は、何も見るな聞くなと言うのですか」
「そうです。――……と言いたいところですが、僕が知っていることだけ話しましょう」
織春の籠目結びの耳飾りが揺れる。翡翠が煌めいた。籠目文様には、古くから魔除けや結界の意味があるという。そして翡翠もまた、古より神々を祀る祭具として利用されていることから、翡翠には神秘的で強力な力が宿っており、魔除けや幸運の印とされている。
左耳に付けている籠目結びと翡翠の耳飾りは、彼のお守りなのだろうか。
廊下に織春の静かな声が響く。
「禍の王とそれに抗う力を持つ帝室の男子、そして祝福の花はある因果律によって同時期に如月国へ生れ落ちるそうです。そしてそこには必ずかの時の魔術師も居合わせる」
如月国では不思議なことが当たり前に存在する。だから訳の分からない因果律が、何らかの理由で存在すること自体は納得出来る。
「そして如月国では、禍の王を封じることが出来なかったという記録はありません」
禍の王が復活し、帝が封じる。歴史書に書かれているのはそれだけだ。
「そういえば、……そうですね。でもそれは帝の権威を裏付ける歴史書ですから、不都合な歴史は消されているのではないですか」
「それも一理ありますね。これは僕の考えであり裏付けがあるというわけではないのですが、禍の王を帝が封じるということは、ある種の儀式なのではないかと思っています」
「儀式ですか?」
魁星は全く意味が分からなかった。
禍の王を封印するのは、その名の通り禍の王が日本国に禍を与えるからだ。四百年前に有栖川理花がその命を賭して禍の王を封じたのは、日本国を守るためだったはずだ。
しかし禍の王が日本国や如月国にどんな影響を与えたのか、どんな“禍”を引き起こしたのかは全く書かれていない。妖が禍の王に影響され狂暴化したという事例はあるが、それまでだ。
「復活した禍の王を、時の帝が祝福の花と共に封印する。そういう儀式だったとしたら……」
「それは何の為に……」
「あくまで、僕の想像です。実際に封印する姿を見たことがある人は、誰も生きていませんしね。……時の魔術師以外は」
伝説を信じるのであれば、時の魔術師――藤原希世史は、四百年前も、その前も、織春の言う“儀式”を見て来ている。
「何だかんだと言いましたが、現状、僕に出来ることは何もありません」
「でも東宮である織春さんなら」
織春は微笑んだまま首を左右に振る。そして静かな声でたった一言、「いいえ」と呟いた。




