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「話が違うじゃないか」
幸久の声は落ち着いているように聞こえた。しかし耳に当てたスマホを掴んでいる手のひらは、怒りか悲しみか小刻みに震えている。
「残念です。まさか董子様の目覚めてしまうとは。私も予想していなかったことです」
スマホの向こうから聞こえる悟志の声は、申し訳なさそうな響きはあるが非常にわざとらしい。口先ばかりで微塵も申し訳なさを感じさせないものだった。
「まさか。貴方たちが目覚めさせたんだろう。どういう目的なんだ。私との約束を忘れたとは言わせないぞ」
声が怒りで震える。もしかしたら怒りではなくて、恐れかもしれない。これから起こるであろう多くの困難に対する恐れで声が震えているのかもしれない。
幸久は酷いめまいがして、落ち着くために息を深く吐き出した。
「もはや私が董子様のことを目覚めさせたかどうかは問題ではないでしょう。世間では、董子様に危害を加えたのはみずかね製薬だと言われているようですよ。まあ、あれだけ痕跡を残していたらバレてしまうのも仕方ないでしょうが」
スマホの向こうで、悟志はくつくつと喉を鳴らして笑っている。
彼は微塵も幸久の味方ではなかった。そして悟志は幸久の手に負えるような人物ではなかったのだ。
幸久はここに来てようやく己のしでかしたことの大きさに気が付いた。まるで憑き物が落ちたようだった。
どうしてあれほど異能や祝福の花に執着をしていたのか。
これほどの会社を作り上げて財を成して、家庭や会社をはじめ守るものだってたくさんあった。異能や祝福の花は、それらを全て捨ててまで手に入れなければならないものでは全くなかった。それなのに幸久は黄昏派や青華の力を借りて、非合法的な手段を以て、祝福の花を手に入れようとしてしまった。
手のひらから幸福が零れ落ちていく。幸久や、幸久の父や、同志であった仲間たちと共に築き上げて来た全てを、今、失おうとしている。
しでかしたことの大きさに絶望する。後悔も懺悔も、全て今更だ。
「ですからもう私たちに関わらない方が良いのでは? 黄昏派が青華と関係しているのは公然の秘密です。ですが、みずかね製薬の社長がマフィアと関わっているのは外聞が悪いでしょう?」
「……全く今更だな」
幸久は怒りに任せて電話を切った。
今となっては悟志が何者であったのか分からない。本当に黄昏派の議員秘書だったのか、それとも青華の一味であったのか。それとも他の何かだったのか。いまさら彼が何者だったのか分かったとしても、もう何の意味もない。
頭が真っ白になってしまい、これからどうしていいのかすら分からなくなる。呆然としたまま頭を抱えていると社長室の扉が開いた。
「父さん、とんでもないことをしてくれましたね」
社長室に入って来たのは、氷室家の長男である棗だった。
怒りを押し殺しているような。それら全てを飲み込んだ上での呆れたような表情にも見えた。
「棗……」
「単刀直入に聞きます。全て父さんがしたことですか。董子さんに呪いをかけ凛さんを颯太朗と結婚させようとしたこと、これは父さんがしたことですか」
確実に父親である幸久がしたことだと分かっていた。状況証拠も物的証拠もある。言い逃れは難しい。
けれど棗にとって幸久は父親なのだ。何かの間違いなのではないかと、僅かに期待してしまっていた。
「ああ。私がしたことだ」
棗は苦しげに唇を噛み締め、俯いた。
「異能を移植する実験に手を貸して、その恩恵として他者を眠らせる異能を手に入れた。そしてその異能を使って凛様に呪いを掛けて眠らせようとした」
「それで凛さんを……祝福の花を手に入れようとした?」
「その通りだ」
異能を移植する実験に手を貸して、幸久は眠りの異能を手に入れた。そして自社の看板商品であるBeatriceのリップスティックNo.6の永遠の淑女に呪いを付与した。それを凛と董子にプレゼントして、結果、董子が呪われてしまったわけだ。
当初の計画では、祝福の花である凛に呪いを掛けて、幸久が呪いを解き、恩を売るつもりだったのだろう。
計画はずさんで、あまりにも愚かだ。
「あなたの断罪は一旦置いておくにしても、僕たちは社員を守らねばなりません。ここでみずかね製薬を終わらせるわけにはいかないんですよ」
「ああ、……それは勿論だ」
「鳳家のご当主である辰巳さんが僕と会いたいと言ってくれています。貴方の代わりに謝罪を伝えて来るつもりです」
董子に危害を加えた幸久は、直接鳳家に謝罪には行けない。
父親の犯した罪を息子に背負わせてしまう。全く情けないことだ。
「……ああ。本当にすまない」
か細い返事を聞いた棗は、社長に進言をする部下の顔から息子の顔へと表情を変えた。
「父さんはどうして異能が欲しかったの?」
「それは……」
異能以外のものは全て手に入れたから、最後のピースとして異能が欲しかった?
如月国でステイタスとされている異能が欲しかった?
全部、違う。理由のひとつではあったかも知れないが、それは全てではない。
「これは私のエゴだが、……異能があれば棗と颯太朗がより幸せになれると思った」
ぽろりと口許から出て来た言葉は、幸久の父親としてのエゴだった。
そしてかつて異能に憧れた少年のエゴだった。
「金も地位も、そして異能も、与えられる全てをお前たちにあげたかった。そうすればお前たちがもっと幸せに暮らして行けると……」
「俺と颯太朗が欲しかったのは異能じゃないよ。異能がなくても幸せに暮らせるという親の言葉だ。父さんは異能がなくても成功しているじゃないか。それで良かったのに……」
棗の言葉が心の深いところに刺さる。最初はこれからの幸福のためだと思っていたはずなのに、全て間違っていた。
窓の外では、雨が降り始めていた。




