2
午前中の講義を二コマ終え、隣に座っていた魁星は大きく伸びをした。
「帰り、百貨店に寄ってもいい?」
築も魁星も、凛が一人で行動することを良しとしなかった。
凛の異能を狙うものがいるからだとか、狂暴化した妖に襲われるかもしれないからだとか、理由は色々とある。凛もその理由には納得していたし、守って貰えることについては有難かった。
けれど今は、それが鬱陶しい。
私じゃなくて、私の持っている異能が大切なんでしょう。そういう卑屈な気持ちが何度も襲ってきて、凛は酷く疲れていた。
次の日もその次の日も、魁星は凛の傍についていた。
魁星は名家澄田の次男であり、眉目秀麗にして頭脳明晰、スポーツ万能の明るくて優しい男である。故人である父も、現当主の兄も、如月国宮内庁職員であり、経歴にも家柄にも一点の曇りもない。
そのような人であるから、魁星は大層な人気者であった。
そうなると凛の立場を面白くないという人も少なくはない。
「魁星くんも大変だよね。お守をしなくちゃいけないんだもん」
「お姫様にでもなったつもりなんでしょ」
魁星がいないタイミングを狙って、仲間内で話すふりをしながら悪く言われることもあった。初めて言われたときは、本当にこんなにくだらないことをする人がいるのかと驚いたものだ。普段の凛であればふざけるなと言い返すこともやぶさかではないが、凛は如月国へ来てから疲れやすく、気分の塞ぎ込みも酷くなっていた。
ちらりと二人の方を見る。いつだか、董子のことを美人だと言っていた人たちだった。
視線が合ってしまい、気まずい。二人は目配せをしてくすくすと笑っている。
「何かご用事ですかあ?」
凛には言い返す元気もなかった。
「いいえ、何も……」
凛が言い返して来たら怒るだろうに、言い返して来ないのも、それはそれで不満らしい。
空気が、心が、気持ちが、チクチクする。
他者の悪意は苦しい。一人の孤独は痛い。心が不安に浸食されて、このまま暗い何処かに落ちていきそうだ。
凛は机に突っ伏した。
「凛? どうした」
教室に戻って来た魁星が、凛の頭に手のひらを乗せる。
悪口を言っていた女の子たちが、余分なことを言うなとでも言うような視線を向けて来る。言われなくても言うつもりはない。
「今日の午後は何もないでしょ? 食堂で昼食って帰ろうぜ」
「いや、……食欲ないから良いや」
開闢大学の学食は安くて美味しい。けれどちっともお腹が空いていない。そもそも凛は今の気分では魁星と楽しく食事なんて、とても出来そうになかった。
魁星はバックパックを背負い立ち上がる。
「そ? じゃ、俺も帰る、」
「魁星、ちょっと時間良い? 話ある」
教室の外を見ると、こちらに向かって手を振っている青年が見えた。センターパートに緩くパーマの掛かった茶髪を持った、背の高い男性だ。薄茶色の瞳がこちらを見ている。
「すみません。凛の具合が悪いみたいなんで、今日は……」
「ん? あ……、どーも」
「凛、この人は二年の氷室颯太朗さん。みずかね製薬の会長の息子の人」
近づいて来た颯太朗に頭を下げる。
「はじめまして、百軒凛です」
颯太朗は、どこか気だるげな雰囲気の青年であった。
まさか本社が如月国にあるとは知らなかったが、みずかね製薬は表でも有名な製薬会社である。薬品の研究開発は勿論、化粧品から健康食品など多岐に渡る分野で、人類の健康や美容に貢献する会社である。
「ん……じゃあ、後で電話するよ」
「いや、魁星、私は平気だから。保健室寄って行くし」
今は一緒に帰りたくない。誰とも話をしたくない。凛の気持ちはぐちゃぐちゃだった。
視線を感じてふと横を向くと、董子とその友人がこちらを見ている。何かを話しているように見える。今すぐここを立ち去りたい。
「分かったよ。じゃあ、保健室行ったら食堂で待ってて。一緒に帰ろう」
「分かった。連絡する」
ようやく落としどころを見つけ、魁星は颯太朗と共に教室を出て行った。
二人が出て行ってから数分待ってから、凛も荷物を纏め始める。保健室に行くつもりはなかった。当然、魁星を待っているつもりもない。
魁星は如月国に来てから何かにつけて凛と一緒に行動をしていた。一人で大学まで行くことも許さなかったし、買い物などに出掛ける時も付いて来た。最初は迷子になることや妖と遭遇することを心配しているのかとも思ったが、もしかしたら、一人で表に帰ることを心配しているのかもしれない。
理花に変わる封印の器として、如月国に留めておきたいと思っているのかもしれない。
凛の思考はどんどんマイナスの方へ駆けていく。絶対的に凛を守ってくれていた両親も、祖母も、ここにはいない。来られない。
凛は教室を出て、真っ直ぐ校門の方へ歩いてく。門を出て直ぐのところに電停があったはずだ。しかし校門を出ても電停が見当たらない。出る門を間違えたようだ。
「あー……どっちだったっけ……」
辺りを見回して電停を探す。見当たらない。
とりあえず家のほうに向かって歩いて行くことにした。大学から家までもそれほど距離はないはずだ。まだお昼過ぎであるし、歩いて帰っても良いかも知れない。
ぼんやりしながら道なりに歩いて行く。色々考えなければならないことがあるはずなのに、何も考えられない。
大学から離れると、あれほど騒がしかったのが嘘のように途端静かになった。
住宅街に差し掛かり、人の気配がなくなる。するとそれを見計らっていたかのように、あれが現れた。