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きさらぎ国奇譚  作者: 如月ざくろ
みずかね製薬編
54/62

5

 開闢大学医学部附属病院のエントランスで凛と別れた後、魁星は宣言通りカフェで時間を潰すことした。

 コーヒーを購入したのは良いが席が空いておらず、きょろりと店内を見回す。入口からは死角になっていた場所だったので入って来た時には気が付かなかったが、ソフト帽を被った紳士がこちらを見ていた。


「こんにちは。相席でも宜しければ、こちらにどうぞ」


 喧噪の中でも良く響く声だ。耳心地の良い声のはずなのに何故か恐ろしくて堪らない。

 左の頬に三つ並んだ黒子を持つ長身痩躯の紳士。何度も時空を渡り様々な出来事の節目に現れ、禍の王を目覚めさせようとする、――時の魔術師。

 藤原希世史だと本能的に理解した。

 バッグからスマホを取り出して、誰かに助けを求めようとした。それを目ざとく見つけた希世史はふと笑う。


「二人でお話でもしませんか。私もあまりおおごとにしたくはないのです」


 それは提案ではなく、脅迫だった。柔らかな口調なのに威圧感がある。

 魁星は大人しくスマホを仕舞い、希世史の前に腰掛けた。


桃花とうかの姫君はお友達のお見舞いに行っているのだったね」

「桃花の姫君? 凛のことですか」

「ええ。私は有栖川という苗字も祝福の花と言う呼び名もあまり好きではないのです。凛という名前は好ましいですが、私が呼ぶのは烏滸がましいでしょう」


 希世史は長い足を組み替えた。


「貴方は、どうして此処に」


 訪ねたいことはたくさんあった。けれど上手く言葉が出て来ない。


「おや。私が病院に掛かっていたらおかしいですか」


 からかうような希世史の言葉に、魁星は下唇を噛み締めた。何か反撃の言葉でも言ってやりたいと思ったが、魁星には希世史に立ち向かうだけの力がなかった。

 凛は今、ひとりで董子の病室にいる。穏便に済ますためには極力彼のことを刺激しないようにやり過ごすことが良いと思ったのだ。


「おかしくはないですね。お大事にしてください」

「ありがとう。でも、その言葉を桃花の姫君にも言って貰いたいな」


 愛しい恋人のことを思い浮かべているかのような、恍惚とした甘ったるい声だった。

 魁星は思わずその場に立ち上がる。


「凛には会わせません。凛に手を出すつもりならば、俺は」


 魁星は必死だった。もしも彼が攻撃を仕掛けて来るのであれば、負けてしまうとしても立ち向かう覚悟だった。

 しかし希世史はまるで仔猫の威嚇を見ているかのような穏やかさで笑う。


「桃花の姫君に危害は加えませんよ。私は貴方と同じです。ただあの姫君のことが愛おしいのです。恋い慕う相手にどうして酷いことができましょうか」

「凛のことが好きって……」


 魁星が知る限り、希世史は凛に一度しか会ったことがない。どこに好きになるきっかけがあったというのだろう。祝福の花と言う立場の彼女が好きなのだろうか。それとも魁星の知り得ないところで何かきっかけでもあったのだろうか。


「ええ、私は彼女を愛しています。ですから、私たちは仲間ですね」

「仲間なんかじゃない。俺の凛への想いと、貴方のそれは違うものだ。話はそれだけですか。それならば俺は帰ります」


 今すぐ凛のもとへ行かなければ。魁星は席を立った。


「同じ人を愛するもの同士、ひとつ助言をさしあげましょう」

「必要ありません」

「桃花の姫君に関することです」


 凛のことだと言われれば魁星は聞くしかない。立ち去ろうとした足を止めた。


「祝福の花を守りたいと言うのであれば、もっとそれについて学ぶべきでしょうね」

「どういう意味ですか」

「そもそも何故あの異能を“祝福”と呼ぶのか知っていますか。明らかにおかしいでしょう。陛下の異能は表と裏を分けるから“境界”、私の異能は時を渡ると言われているから“時渡り”と名付けられているのに、何故あの異能は“祝福”なのでしょう?」


 言われてみれば、他者の異能を借りることが出来る異能を“祝福”と呼ぶのは違和感がある。ずっとそういう名前で呼ばれていたから、そういうものだと思っていた。


「誰に対する“祝福”? 桃花の姫君に対する“祝福”でしょうか。だとしたら今までこの異能を手にしていた祝福の花たちは、とても“祝福”されていたとは思えませんが」


 歴代の祝福の花たちは、禍の王を封じる聖女としての役割を果たしている。先代の聖女である有栖川ありすがわ理花りかはその命で以てかの王を封じた。


「それは貴方のせいでしょう。禍の王が復活しなければ彼女たちはもっと自由だった」

「私が禍の王を目覚めさせたから、彼女たちが苦しんでいるとでも?」

「他にないでしょう」


 吐き捨てるような魁星の言葉に希世史は肩を竦める。


「やはり君は、桃花の姫君を守るにはあまりにも無知だ」


 魁星は如月国の歴史や異能、祝福の花について全てを知っているわけではない。

 けれど凛を守りたいという思いに嘘はない。全てを無条件で信じるわけではないが、自分に足りないところが明確になるというのであれば敵からでも情報を得たい。

 恐れや怒り、悲しみなどさまざまな感情で震える唇を軽く噛んだ。そして恐れを感じさせないように真っ直ぐに希世史へ視線を向けた。


「それはどういう意味ですか」

「如月国の歴史について調べると良いでしょう。新しく気付くことがあるかもしれません」


 希世史は席を立つ。ソフト帽を被りなおし、紳士杖を手に取った。彼は凛のもとへ行くつもりかも知れない。警戒するように身構えた。そんな魁星の様子を希世史は笑う。


「それではごきげんよう」


 魁星は立ち尽くしたまま、しばらくその場を動けなかった。

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