鳴く蝉よりも
凛は夢を見ていた。
さらりとした長い黒髪に、輝く青い瞳を持った儚げな美少女が、家の庭先に一人で立っている。伏せた睫毛の長さに桜色の爪先、どこを取っても美しさに隙がない。
彼女のもとに歩いて来たのは、紺色の着物に羽織りを着た青年だ。こちらに背を向けているので、顔は良く見えない。
「待たせてすまない」
「いいえ、お呼びたてして申し訳ありません」
「それで話って?」
早速本題に入ろうとする男の言葉で、少女の表情が緊張で強張る。
しかしこのままではいられない。少女は意を決し口を開いた。
「私は、……と、……することになりました」
少女の言葉に、青年は目を見開いた。
「嘘だろう、理花。どうして」
青年は少女を理花と呼んだ。理花といえば、四百年前に禍の王をその体に封じた、かの有名な如月国の聖女である。
おそらく、これは理花の夢だ。
「私には祝福の異能が宿っているようです。ですから……と結婚を……です」
「そんなの、私との約束はどうする」
「でも、……私は……」
肝心なところが所々よく聞こえない。祝福の異能が宿っているから、結婚をどうするというのだろう。
異能“祝福”の話題となれば、凛だって無関係ではない。凛は理花の言葉が聞きたくて、必死に聞き耳を立てる。けれどやはり肝心な部分が良く聞こえない。
「私は、あなたを……」
青年が理花の手を取る。口調から愛おしさがにじみ出ているようだ。
「お慕いしています」
*
桃源町で起きた事件の後、凛は三日三晩うなされた。
四十度を超える発熱に全身痛、呼吸困難感などあらゆる全身症状。時折、目を覚ましても意識が朦朧として、まともに会話すらも出来なかった。
ようやく熱が下がり、まともに起き上がれるようになったころには、既に三日が経過していた。
「ここは……?」
「……凛? ……気が付いた……?」
優しく手を握られている。凛の手を握っているのは魁星だった。
あまりにも不安そうな声を出すので、大丈夫だと伝えるために手を握り返した。
「ここは病院だよ。開闢大学医学部附属病院」
開闢大学医学部附属病院は、如月国で一番大きな病院である。
なんとか目を開いて、視線だけで辺りを見回してみる。どうやらここは病院の個室のようだ。左腕には点滴の針が刺さっており、鼻には酸素を投与するための管がついていた。
右側では魁星が椅子に腰かけ、ぎゅっと凛の手を握りしめている。
喉が張り付いて声が出ない。何度か咳払いをして、どうにか声を絞り出す。
「私……、喉が……」
やはり喉がカラカラで声が出ない。一度水を飲むために起き上がろうとした。それに気づいた魁星が背中を支えてくれたので、なんとか起き上がることが出来た。
魁星が冷蔵庫からペットボトルに入った水を持って来る。それを吸い飲みに移してくれたので、数口、水を口に含んだ。
ようやく声が出せそうだ。
「あの後、どうなったの……。魁星は大丈夫なの。それに、伏見さんも。あと……」
「落ち着きなよ。後で説明するから。でもその前に、看護師さん呼んで来る」
魁星は病室から出て行った。あれからどうなったのか今すぐ聞きたかったが、何とか飲み込み、先に診察を受けることにした。
直ぐに看護師の女性と医師らしき男性がやって来た。一通りの診察を受ける。
「酷い異能酔いでした。おそらく、ご自身のキャパシティを越えた異能を行使したことによるものでしょう」
ようやく“祝福”を使えるようになったと思ったのに、また異能酔いになってしまった。
凛が異能を使いこなすには、まだまだ先が長そうである。
「あと二、三日は、入院を続け貰って、問題がなければ退院になります」
「分かりました。ありがとうございます」
大きな問題がなさそうで、凛はホッとした。
診察が終わり、医師たちが病室から出て行く。病室で魁星と二人きりになった瞬間に、凛は早速問い掛けた。
「魁星、あの後どうなったか聞いても良い?」
「分かった。俺の知ってることでよければ話すよ」
ようやくあの事件の後、どうなったのか聞ける。魁星の話はこうだった。
虹村宅にいた青華の男たちと、旧みずかね製薬研究所で倒れていた青華の男たちは無事に逮捕された。しかし藤原希世史は当然見つからず、今回の事件への関与についても確固たる証拠が掴めなかった。
晴可と大河は病院で診察を受けたが、特に問題はなかったという。魁星は全身のいたるところに打撲痕と擦過傷が確認されたが、命に関わる怪我はないということで入院まではしなかった。
魁星が教えて貰えたのはここまでだ。
エデンがマフィアである青華から金銭の融資を受けていたことに対する懲罰がどうなったのか、今回の事件における首謀者が誰だったのかについては、ただの一般人である魁星たちには知らされるはずもない。
「誘拐された妖はどうなったの。見つかったんだよね?」
「一応、見つかったけれど、……」
言い淀む魁星に、嫌な予感がした。
「まさか……」
「いや、生きてるよ。生きてるんだけど、彼らは恐らく実験をされていたんだと思う」
含みのある魁星の言葉に、凛は最悪の想像をしてしまっていた。けれどそういう訳ではなかったようだ。一旦はホッとしたものの、実験という言葉の持つ恐ろしさに震える。