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外では晴可の呼んだ援軍が到着したのだろう。庭先で停車するような音がした後、男たちの怒鳴り声や、もみ合っているような音が聞こえた。魁星もなんとなく状況を理解したのか、立ち上がろうとしていた。
けれどこんなにボロボロな彼のことを、このまま行かせるわけにはいかない。そもそもよろけていて、まともに歩くことすら出来ていないのだ。
「魁星は座っててよ。こんなになってるのに、動かない方がいいでしょ」
「いや、でも、状況を説明しないと……」
「必要なら私が行くから。お願いだから」
こんなにボロボロになっているのに、もしこれ以上無茶をしたら、魁星はいなくなってしまうんじゃないか。そんな風に思ってしまうくらいには、凛にとって今日一日の出来事は今までにないくらい重たかった。
凛の必死の眼差しと言葉を受けて、魁星は驚いたような顔をした。
本気で心配をしているとひと目で分かるような、あまりにも真剣な表情をしていたからだ。
「分かった。俺は大人しくしてる」
魁星の返事に、凛は心底ホッとした。
「魁星はいつもこんな気持ちだったんだね。すごく心配で生きた心地がしなかったよ」
いつも心配している魁星と、心配させている凛の立場がまるきり逆になっている。凛はほろほろと涙をこぼしながら笑った。
「俺の気持ちが分かっただろ」
魁星は勝ち誇ったような顔をした。
怪我だらけではあるが、これだけ喋れているのだから命に別状はないだろう。凛はようやく安心して、大きくため息をついた。涙は止まっていた。
「魁星、凛っ!」
静まり返った部屋に飛び込んできたのは築だった。
今までの彼からは聞いたことのないくらいの大声と、いつもの無表情からは想像できないくらいの必死の形相に、凛は驚いた顔のまま固まってしまった。
魁星は明らかに暴行を受けボロボロであったし、凛は凛で怪我こそないが心身ともに疲労困憊と言った様子だ。命は無事だが、まるきり無事とも言えない。
「無事なのか……?」
見た目からは判断できず、築は心配そうな表情のまま問い掛ける。
「俺は平気。凛は怪我してないよな?」
魁星の問い掛けに、凛は頷いた。
「良かった……」
築の声はか細く、震えていた。心の底から安心したような一言だった。
無表情で言葉も少なくて、何を考えているのか分からない。そんなイメージだった築であったが、こんなにも動揺している。心配を掛けてしまった申し訳なさで、凛は小さくなった。
「勝手な行動をしてごめんなさい。それに、魁星を巻き込んで、怪我をさせて、」
いつだか、築に注意をされたことを思い出して、小さな声で謝罪する。
築にとって何よりも大切な、たった一人の家族である魁星のことを、これほどの危険に晒してしまった。運が良かっただけで、殺されてしまってもおかしくなかった。何しろ、今回の相手は青華であり、無関係とは言っていたが藤原希世史もその場にいたのだ。
「いや、こういうことをしようとしていたのは、陛下に聞いて知っていたから。俺もお前たちを危険に晒してしまった。すまない」
そう言えば、晴可は錦織に話を通していると言っていた。築もまた如月国宮内庁職員であるから、そこから話を聞いていたのだろう。
「もっと、早く助けに来ていれば」
「十分だよ。助けに来てくれて、ありがとう」
凛からしてみれば、築が心を病む必要などひとつもないのに、こんなにも心を乱している。それが申し訳なくて、ますます胸がきゅうと痛んだ。
築は十分早く助けに来てくれた。それにここに来ることを決めたのは、凛自身である。
「念のため、病院には連れて行く」
「魁星は行った方がいいね」
「凛もだ。車に乗りなさい」
全く怪我などしてないのに、行く必要があるだろうか。そんな風に思いながら床から立ち上がった。その瞬間、凛は強い立ち眩みを覚えた。異能酔いかもしれないと、もう一度その場にしゃがみ込む。
少し休めば大丈夫なはずだ。何度か深呼吸を繰り返し、もう一度立ち上がろうとした。
ぐわんぐわんと頭を揺さぶられるような眩暈感と、激しい頭痛に嘔吐しそうなほどの気持ち悪さ。それに加えて、全身がぎしぎしと激しく痛む。
「凛?」
凛の異変に気付いた築が、慌てて身体を支える。築にもたれ掛かりながら、ずるずるとその場に崩れ落ちてしまった。
「どうした? 凛!」
築が凛の顔を覗き込んだ。名前を呼ばれ、凛も薄く瞳を開いた。目の前に築の顔が見える。しかし目の前が霞んで来て、段々と意識が遠くなる。
「気持ち悪くて……」
「目を閉じろ。ゆっくり深呼吸をして」
築の声に従って、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。段々と楽になって気がする。
「もう、大丈夫だ」
優しい築の声に、落ち着きを取り戻して来るのが分かる。
今の今まで大丈夫だったのに、どうして今更これほど強い異能酔いの症状が出るのか。
あまりの具合の悪さに、凛はその場で身動きが取れなくなってしまった。浅い呼吸を繰り返し、何とか気持ちを落ち着かせようとしてみるが、全く効果はなかった。
しかしもうどうにもならなくて、遠くなる意識の中で、凛を心配する魁星と築の声が遠くに聞こえた。