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凛は慌てたように付け足した。
「でも私、異能を使えたことがないんだよ。出来るか分からない」
晴可に教わったときも、激しい眩暈がして結局異能を使えなかったのだ。
今まで、一度だって異能を使えたことはない。それなのに今、急に使えるようになるとは思えなかった。
「大丈夫だ。今から言う通りにしてくれ」
「う、うん……」
「まずは目を閉じろ」
言われた通りに目を閉じる。
「俺のことだけ考えろ。そして強く異能を使いたいと願え」
深く深呼吸をする。そして壁の向こうにいるはずの妖のことを考える。
大河はどんな人なんだろう。凛にとって妖は黒いもやだった。けれども彼は蛟の妖で、あの八岐大蛇の子孫。すごく蛇っぽいのだろうか。それとも蛇そのものだったりして。
その大河の異能を借りる。そして壁を壊す。
瞼の裏側、暗闇の中に光が見えて来た。光を掴むために必死に手を伸ばす。やはり激しい眩暈がして来てしまった。
でもこの間よりも光が近くにある。もう少しで届きそうだ。指先が光に触れる。必死に腕を伸ばして、掴んだ。
「届いた……っ!」
「そのまま壁を殴れ」
光を掴んだ勢いのまま、壁を思い切り殴る。まるで発泡スチロールでも殴ったかのような軽さで、呆気なく壁が崩れて行った。
崩れた壁の向こう側に、男がいた。
「……大河?」
「ああ」
赤黒い釣り目に、輝くような象牙色の肌を持つ長身の男だった。ゆるくパーマのかかった短い白髪を右側は耳に掛け、前髪は左に流している。
蛟の妖と知らなければ、髪色や瞳の色は派手であるが、ぱっと見て体格のよい普通の大学生だと思っただろう。服装もパーカーにジーンズというラフな姿である。
「そのまま、俺の首輪を壊せるか」
形の良い唇の向こうには、尖った犬歯がちらりと見える。
おそらくこの首輪が異能を使えなくしているのだろう。
「やってみる。もっとこっちに来て」
凛は大河に付けられた首輪を掴み、思い切り左右に引っ張った。バキリと音を立てて、呆気なく壊れる。
激しい息切れと眩暈がして、凛は床に膝をついた。
「ごめん、私、立てない……」
「こっからは俺がやる」
凛はいとも簡単に俵担ぎされてしまった。
「え、あ、ありがとう……」
「ああ。あんた足遅そうだし、担いだ方が何かといいだろ」
大河は凛を担いだまま、扉を破壊して廊下へ飛び出す。
廊下には古びた電球が揺れているだけで、光源が心もとない。薄暗い廊下を階段の方へ歩いて行く。
「ねえ、ここに伏見さんも来ているはずなんだけど」
「晴可が?」
「うん、私と同じように捕まってるんじゃないかな。それに他にも妖が捕まってるんだよね? どこにいるの?」
大河はぐっと押し黙る。
壁を破壊したときに出した物音で気付いたのだろう。慌てた様子で階段を下って来る足音がする。しかも一人ではない。少なくとも三人、四人くらいはいそうな足音だ。
大河は担いでいた凛を下ろした。
「隠れてろ」
大河は迎え撃つつもりだ。凛は言われた通り、彼の背後に隠れる。
階段を下り廊下を走ってきた男たちを、大河は次から次へとなぎ倒していく。息を乱したようすもなく、あっという間に積みあがって行く男たちの山に、凛は呆気に取られてしまった。
「すごいね……」
「あんまりのんびりしてらんねえぞ。次が来る」
大河はもう一度、凛を担ぎ上げようと手を伸ばす。しかし驚きのお陰か、眩暈は大分良くなっていたので凛は断った。
これからどうすべきか考える。
彼らが戻ってこないことに気付いたら、間もなく仲間たちがここに様子を見に来てしまうだろう。晴可と魁星も自由に動けるとは思えない。
おそらく今、自由に動けているのは凛と大河だけだ。だとすればこのまま青華と戦うのは難しい。援軍を呼ぶべきだ。
「一度、逃げよう」
凛の真剣な眼差しを見て、大河は頷いた。
「分かった」
なぎ倒した男たちの山を越え、静かに階段を上がって行く。
幸い、階段の先には誰もいなかった。ゆっくりと階段を昇って行く。階段を上り切ったところにも誰もいなかった。それどころか、しんとしていて物音もしない。
「誰もいないね……」
「気配はしねえけど、気を抜くな」
大河の言葉に、凛は静かに頷いた。
玄関の方へゆっくりと歩いて行く。ドキドキと胸が痛いくらいに脈打っている。もう少しでここから出られるというときに、外から誰かが近づいて来るのが分かった。
物陰に隠れる前に、外からやって来た何者かに声を掛けられてしまった。
「おや、随分暴れたようだね」
悪戯っ子に話し掛けるかのような、楽しそうな声だった。
ソフト帽に紳士杖を持った、長身瘦躯の男。
目を凝らしてみても、逆光のせいか顔が良く見えない。凛の視点からは鼻先から口許までしか見えないが、色白で薄い唇の色男であった。
「はじめまして。君が凛だね? 会いたかったよ」
低く甘く掠れるような、柔らかな声だった。声質なのか話し方なのか、色気があって背筋の辺りがゾワリとする。
「貴方は……誰ですか……」
恐ろしくて声が震える。凛は彼が誰なのか知っている。ひと目で、彼が誰なのか本能的に分かってしまったのだ。
薄い唇が笑みを作る。
「私は、藤原希世史。貴方に会うために、時を渡って来たのです」




