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きさらぎ国奇譚  作者: 如月ざくろ
エデン編
21/64

2

 凛は慌てたように付け足した。


「でも私、異能を使えたことがないんだよ。出来るか分からない」


 晴可に教わったときも、激しい眩暈がして結局異能を使えなかったのだ。

 今まで、一度だって異能を使えたことはない。それなのに今、急に使えるようになるとは思えなかった。


「大丈夫だ。今から言う通りにしてくれ」

「う、うん……」

「まずは目を閉じろ」


 言われた通りに目を閉じる。


「俺のことだけ考えろ。そして強く異能を使いたいと願え」


 深く深呼吸をする。そして壁の向こうにいるはずの妖のことを考える。

 大河はどんな人なんだろう。凛にとって妖は黒いもやだった。けれども彼は蛟の妖で、あの八岐大蛇の子孫。すごく蛇っぽいのだろうか。それとも蛇そのものだったりして。

 その大河の異能を借りる。そして壁を壊す。

 瞼の裏側、暗闇の中に光が見えて来た。光を掴むために必死に手を伸ばす。やはり激しい眩暈がして来てしまった。

 でもこの間よりも光が近くにある。もう少しで届きそうだ。指先が光に触れる。必死に腕を伸ばして、掴んだ。


「届いた……っ!」

「そのまま壁を殴れ」


 光を掴んだ勢いのまま、壁を思い切り殴る。まるで発泡スチロールでも殴ったかのような軽さで、呆気なく壁が崩れて行った。

 崩れた壁の向こう側に、男がいた。


「……大河?」

「ああ」


 赤黒い釣り目に、輝くような象牙色の肌を持つ長身の男だった。ゆるくパーマのかかった短い白髪を右側は耳に掛け、前髪は左に流している。

 蛟の妖と知らなければ、髪色や瞳の色は派手であるが、ぱっと見て体格のよい普通の大学生だと思っただろう。服装もパーカーにジーンズというラフな姿である。


「そのまま、俺の首輪を壊せるか」


 形の良い唇の向こうには、尖った犬歯がちらりと見える。

 おそらくこの首輪が異能を使えなくしているのだろう。


「やってみる。もっとこっちに来て」


 凛は大河に付けられた首輪を掴み、思い切り左右に引っ張った。バキリと音を立てて、呆気なく壊れる。

 激しい息切れと眩暈がして、凛は床に膝をついた。


「ごめん、私、立てない……」

「こっからは俺がやる」


 凛はいとも簡単に俵担ぎされてしまった。


「え、あ、ありがとう……」

「ああ。あんた足遅そうだし、担いだ方が何かといいだろ」


 大河は凛を担いだまま、扉を破壊して廊下へ飛び出す。

 廊下には古びた電球が揺れているだけで、光源が心もとない。薄暗い廊下を階段の方へ歩いて行く。


「ねえ、ここに伏見さんも来ているはずなんだけど」

「晴可が?」

「うん、私と同じように捕まってるんじゃないかな。それに他にも妖が捕まってるんだよね? どこにいるの?」


 大河はぐっと押し黙る。

 壁を破壊したときに出した物音で気付いたのだろう。慌てた様子で階段を下って来る足音がする。しかも一人ではない。少なくとも三人、四人くらいはいそうな足音だ。

 大河は担いでいた凛を下ろした。


「隠れてろ」


 大河は迎え撃つつもりだ。凛は言われた通り、彼の背後に隠れる。

 階段を下り廊下を走ってきた男たちを、大河は次から次へとなぎ倒していく。息を乱したようすもなく、あっという間に積みあがって行く男たちの山に、凛は呆気に取られてしまった。


「すごいね……」

「あんまりのんびりしてらんねえぞ。次が来る」


 大河はもう一度、凛を担ぎ上げようと手を伸ばす。しかし驚きのお陰か、眩暈は大分良くなっていたので凛は断った。

 これからどうすべきか考える。

 彼らが戻ってこないことに気付いたら、間もなく仲間たちがここに様子を見に来てしまうだろう。晴可と魁星も自由に動けるとは思えない。

おそらく今、自由に動けているのは凛と大河だけだ。だとすればこのまま青華と戦うのは難しい。援軍を呼ぶべきだ。


「一度、逃げよう」


 凛の真剣な眼差しを見て、大河は頷いた。


「分かった」


 なぎ倒した男たちの山を越え、静かに階段を上がって行く。

 幸い、階段の先には誰もいなかった。ゆっくりと階段を昇って行く。階段を上り切ったところにも誰もいなかった。それどころか、しんとしていて物音もしない。


「誰もいないね……」

「気配はしねえけど、気を抜くな」


 大河の言葉に、凛は静かに頷いた。

 玄関の方へゆっくりと歩いて行く。ドキドキと胸が痛いくらいに脈打っている。もう少しでここから出られるというときに、外から誰かが近づいて来るのが分かった。

 物陰に隠れる前に、外からやって来た何者かに声を掛けられてしまった。


「おや、随分暴れたようだね」


 悪戯っ子に話し掛けるかのような、楽しそうな声だった。

 ソフト帽に紳士杖を持った、長身瘦躯の男。

 目を凝らしてみても、逆光のせいか顔が良く見えない。凛の視点からは鼻先から口許までしか見えないが、色白で薄い唇の色男であった。


「はじめまして。君が凛だね? 会いたかったよ」


 低く甘く掠れるような、柔らかな声だった。声質なのか話し方なのか、色気があって背筋の辺りがゾワリとする。


「貴方は……誰ですか……」


 恐ろしくて声が震える。凛は彼が誰なのか知っている。ひと目で、彼が誰なのか本能的に分かってしまったのだ。

 薄い唇が笑みを作る。


「私は、藤原希世史。貴方に会うために、時を渡って来たのです」

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