時の魔術師
青華の男に連れられて、旧みずかね製薬研究所の中に入ると、埃臭さが鼻についた。
正面玄関に入ってすぐのところに広々とした玄関ホールが広がっており、そこから少し入ったところに受け付けがある。しばらく奥へと進んでいくと、地下へ伸びる階段があった。
電気が切れているところが多いせいか、薄暗くて階段の奥の方は良く見えない。全てを飲み込む暗闇が恐ろしい。
凛はここに来て、ようやく強い恐怖を覚えた。階段を下って、その先には何があるのだろう。足が震えて進めない。呼吸が浅くなり、息が上手く出来なかった。
「え、……歩けな……」
足が震えて歩けない凛を、男は軽々と抱え上げた。指先が震える。あまりにも恐ろしくて声も出なかった。
震えている凛のことなど物ともせず、いわゆるお姫様抱っこの姿で階段を下って行く。
これから何が待ち受けるのか、全く想像もできない。最悪の想像をしてしまう。恐怖心から自然と涙が零れ落ちて、自分の力では止めることが出来なかった。
「泣かないでくれよ。酷いことをしているみたいじゃないか」
こんな状況で泣くなとは、あまりにも無茶なことを言う。
それに酷いことは十分にされている。言い返す元気もないので、唇を噛み締めて堪える。
そのまま凛は、窓のない六畳ほどの部屋まで連れて来られた。部屋の中にはトイレと、ペットボトルに入った水、乾パン、ベッドが置いてある。ベッドの隣には小さな棚があり、その上には埃が積もっていた。
まさに監禁をするための部屋と言ったところか。
凛はそっとベッドに降ろされた。
「これから、私はどうなるんですか……」
震える声を落ち着かせて、言葉を絞り出す。
「ここで大人しくしていれば、酷いことはしない」
荷物を全て奪われ、部屋に押し込まれてしまった。外から鍵が掛かる音がする。
どんどんネガティブな想像ばかりが膨らんでいって、何をしてもすべてが無駄なような気持ちになってしまう。誰かが助けてくれるまで、誰かがどうにかしてくれるまで、ここにいるしかないのかも知れない。
だって、大人しくしていれば酷いことはしないと言われているんだから。
でも、魁星は?
「魁星は……どうなったんだろう……」
ここまで無理矢理連れて来た魁星のことが頭を過る。
あれだけの人数に襲われて無事でいるとは思えない。けれど凛が魁星を助けに行ったとして、何かの役に立つだろうか。結果は分からない。やってみないと、どちらが良いのかは分からない。
けれど今どうしたいのかは分かる。魁星を助けに行きたい。大人しくここで待っているよりも、そうしたいと思う。
助けに行って足手まといになる可能性が高いのは、凛自身よく分かっていた。
でも何か助ける方法があるとすれば。
「でも、まずはここから出ないと……」
部屋から出なければ、助ける以前の問題だ。
どうやってここから出たら良いのか考えながら、部屋の中を歩き回る。窓はなく、あるのは出入り口だけ。
壁を叩いてみる。
「誰かいませんか!」
返事はない。さらに強く壁を叩く。やはり返事はない。
反対の壁を叩く。
「誰か!」
壁に耳を付けて、返事を確認する。
「あまり騒ぐな」
壁の向こうから返事が聞こえた。低く響く、男の声だった。
「私は、百軒凛と言います。貴方はどなたですか」
しばらく沈黙が続いた。
「俺は、……虹村、大河。妖だ」
「えっ! 伏見さんのお友達ですよね。探していたんですよ。伏見さんもすごく心配していて。帰りましょう」
まさかこんなに近くに、お目当ての相手がいるとは思わなかった。
興奮気味に話しかけるも、大河は凛とは対照的に随分と落ち着いていた。
「どうやって帰るんだ? ここからは出られない」
「それは……そうかもしれないけど……」
壁を壊して出るなんて無理だろうし、窓もないとなると確かに脱出は出来ないだろう。
けれどどうにか出来る方法があるのではないかと思ったのだ。例えば、藤原希世史が来た瞬間に飛び出すとか。そんな、どうにかする方法があったら良いと思っていたのだけど、頭から否定されては希望も持てなくなってしまう。
「俺には異能を制御する首輪を着けられているが、あんたはどうなんだ」
「私にはそんなものはないけど、……そもそも異能が使えないし」
凛に異能を行使する力がないと分かっているから、その辺りの警戒は緩かったのだろう。
その通りだ。凛は異能が使えない。
「はあ? あんた有栖川凛だろ? 異能も使えないのか。理花は祝福の他にも異能を持っていたって聞いてるけど」
「勝手に期待だけされても、期待に辿り着くまでの道を教えてくれなきゃ、私にはどうにもできないよ」
勝手に期待されて勝手に如月国に連れて来られ、落胆されて。こんな異能、他の誰かに譲渡出来るなら今すぐしている。聖女になんかなりたくない。なりたくないけど、もしならなきゃいけないのならば、自分の望む未来を選びたい。
出来ることなら期待には応えたいのだ。
「ごめん、言い過ぎた」
「え?」
「そりゃ、教えなきゃ出来ないよな」
素直に謝られ、拍子抜けする。
「分かった。俺の力を貸すから、壁を壊せ」
「壁を、……壊す?」
「俺は八岐大蛇の子孫で、蛟の妖だ。そのくらいの力はある」
妖ならそのくらは出来るのかも知れない。しかし大河にそれが出来たとしても、そもそも凛は異能が使えないのだ。彼の力を借りることが出来ない。




