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築に付いて行ってもそうしなくても、どちらにせよ危ないことに違いないのであれば、まだ築に付いて行く方がましな気がする。少し距離を取って後ろを付いて歩くことにした。
あのもやの正体は何なのか。この青年は誰なのか。幽霊が見えるようになったのは、祖母の死と関係があるのか。分からないことばかりで混乱する。
それらの答えを知っているのは、もしかしたら彼なのだろうか。
「光彦さん、凛さんをお連れしました」
「良かった、ありがとうございます」
自宅の前には見知らぬ車が停まっていて、見知らぬ大人も数人いる。
築が言っていた通り、彼は父と顔見知りであるようだった。
「凛さんは妖が見えていたようです。これ以上はもう異能を抑えられないでしょう」
「やはり、そうですか」
父は苦しそうな表情をして、母は既に泣いていた。
何が起きているのか分からない。父は戸惑う凛のもとにやって来て、両肩に手を乗せた。
「凛、やっぱり見えていたんだね。気付かなくてすまない」
「え……?」
「見えるんだろう。妖が」
父はあれが何だか知っているのか。凛は驚きで言葉が出なかった。
「とにかく、話は中でしよう」
両親が先に家の中へ入り、続いて凛、そして最後に築が続く。
築の同僚らしき中年の男性が付いて来たが、もう一人の同僚は車内で待機していることになったようだった。
リビングで両親と凛、築、そして中年の男性が向かい合う。何とも言えない緊張感が漂っていて、とてつもなく居心地が悪かった。
「では、あらためまして、私たちは如月国宮内庁職員です。私は澄田築と申します」
「同じく、佐武と申します」
「まずはかをるさんのこと、お悔やみ申し上げます」
築と佐武は深々と頭を下げた。
すっと築が息を吸い込んだ。その空気の揺れで、緊張感が伝わって来るようだった。
「それで、凛さんのことですが、単刀直入に申し上げます。如月国に来ていただきたい。このままこちらにいることは、非常に危険だと思います」
「それはかをるがいなくなって、凛の異能を抑えられなくなったからですか」
「そうですね。これから凛さんの異能を巡って、争いが起きるでしょう」
父と築が話していることの意味が全く分からない。
混乱と不安で戸惑った表情をしていることに、父がようやく気が付いてくれた。
「私の異能って何? あのもやは何なの」
タイミングは今しかないと思った。思ったよりもずっと大きな声が出てしまったが、それを気にしている余裕はなかった。
「凛には他の人にない力がある」
「どういうこと? 幽霊が見えるからってこと?」
父は左右に首を振った。
「その力は誰もが羨むもので、使い方によっては死者蘇生も、天地開闢すら叶う。そういう異能が凛にはあるんだ。それを巡って争いが起こることを心配して、今までおばあちゃんが抑えてくれていたんだが……」
「何それ……」
凛はただの高校生である。そんな力があるなんて、すぐに信じられるわけがない。
けれど両親も築も、佐武も冗談を言っているようには見えない。それに黒いもやのこともある。この世界には思っていたよりも、知らないことがたくさんあるのかもしれない。
「僕たちの祖先は如月国の出身なんだ。それも、女性に強い異能が引き継がれる家系らしい」
「だから、お父さんには異能がないの?」
「僕に異能があれば、凛の異能を抑えるために使ったよ」
きっと祖母がそうしてくれたように、父もしてくれていた。異能さえあれば。
祖母は凛を中心として波乱が起こることを見越して、彼女の異能を抑えてくれていたのだ。祖母が守っていたことに、ずっと気が付かずのうのうと暮らしていたのだ。本来ならば、もっと早い段階でこうなっていたのだろう。
「私はこれから、どうすればいいの」
驚くほどに力のない掠れた声しか出なかった。
「凛さんは如月国に来て頂きます」
凛の声を全て飲み込むような、あまりにもはっきりとした声だった。凛はずっと父の方へ向いていた視線を、築の方へ向ける。築は真っ直ぐに凛を見ていた。何故だか少しだけ悲しそうに見えた。
もう一度、父と母の方へ視線を向ける。二人は堪えきれず泣いていた。
なるほど、もう如月国へ行くしかないのか。そうしないと凛を巡って、凛だけではなく両親も友人も争いの中に巻き込んでしまうのだろう。
「一人で行くんですか」
「如月国は異能を持つものしか渡れません」
「此処にいても、両親は安全なんですか」
祖母を失い、さらに両親までいなくなってしまったら、きっともう立ち直れない。
築が深く頷く。
「それは確実に保証します」
どうしたら良いのか分からない。何が正しくて何が間違っているのか、自分では判断が出来ない。
このままここにいたら、また妖に襲われるかも知れないけれど、如月国という訳の分からないところに行くのも不安だった。どっちを選ぶのが正しいのか、今ここで決めなければいけないのか。
「どうしたら良いのか、分からない。どうしよう」
鼻の奥がツンとして、涙がこみあげて来る。
両親の方へ視線を向ける。父はしばらく眉間にシワを寄せて黙っていたが、意を決したように凛へ向き直る。
「高校を卒業したら、如月国へ行きなさい」
どこかでそう言われる気はしていた。
今は二月の末だ。高校の卒業式まで一週間もない。
すぐに返事の出来ない凛を見て、父は悲しそうに笑った。
「僕に異能があれば良かったんだけど。一人で行かせることになってしまって、すまない」
父を責める気持ちが全くなかったかと言われれば、それは嘘だ。
まだ十八歳なのにどうしてだとか、何で私がだとか、この会話の中で両親をほんのちょっとだけ恨んだ。けれどそれはどうしようもないことで、女性にのみ引き継がれる異能を凛が引き継いでしまった。それだけのことだ。
そんなどうしようもないことを、どうにもならないことを、父に謝らせてしまったことを凛はとてつもなく恥ずかしく思った。
父は悪くない。母も悪くない。むしろ祖母が今まで守ってくれていたことに感謝すべきだ。しかし何て言ったらいいのか分からなくて、黙ったまま首を左右に振った。
この状況を打破するために、凛が出来る選択はひとつしかないのだ。
どんなに嫌だと思っても、そうするしかない。
「如月国に行きます」
何とか絞り出した声で、それだけ伝える。
父は悲しそうな表情のまま頷いて、築の方へ顔を向けた。
「凛をよろしくお願いいたします」
「勿論、お嬢さんのことは大切にお預かり致します」
築はにこりとするでもなく、父に続いて頭を下げた。