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きさらぎ国奇譚  作者: 如月ざくろ
エデン編
19/64

2

「え、どうして……?」

「僕は今上帝の従兄弟です。僕が青華に捕まれば、国が動きます。さすがに」

「……なるほど」


 晴可が帝室の方であるという事実が、凛は上手く飲み込めず、きょとんとした表情のままとりあえず頷いた。

 目の前にいる彼が、今上帝である籠目錦織の従兄弟。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずとは言うが、それでも彼が如月国にとって重要な人物であることは間違いないだろう。


「でも、だったら、伏見さんは余計に駄目でしょう」

「国にとって重要であり、替えが効く人が適任なんです」


 国の機関を今すぐに動かすには、いわゆる一般人では駄目なのは分かる。

 悲しいかな、ある程度立場のある人物であれば、すぐに国の機関を動かすことができる。妖がひと月、ずっと苦しんできた誘拐事件に終止符を打つのに、まさに“丁度いい”のだ。


「伏見さんに替えが効きますか? 帝室の方でしょう」

「替えは効きますよ。祝福の花は一人しかいないけど、帝室の男子は僕だけではありません」

「それでいて、晴可さんは凛と同じくらい国にとって重要……」


 ずっと黙っていた魁星が、晴可の説明に付け足しをした。


「そういうことです。ですから、僕が適任です。なに、心配は要りません。手回しはしています」

「……分かりました。その提案を飲みます。どうしたら良いですか」


 あれだけ噛み付こうとしていた魁星が、晴可に指示を仰いでいる。

 いよいよ凛は晴可の提案に乗るしかないと思った。凛と魁星は口を閉じ、晴可の指示を待つ。


「僕は凛のふりをして、旧みずかね製薬研究所へ出向き、捕まります。魁星くんは如月国宮内庁へ連絡を入れてください。陛下にはこのことを伝えているので、話が通じているはずです」


 随分と準備がよい。晴可はもともとこの方法で友人である大河を助けようとしていたのだろう。

 捕まる時は、凛が傍にいるからどうにかなるかもしれないけれど、連れて行かれてしまったら晴可が凛ではないということはすぐに分かってしまうだろう。もし晴可が凛ではなく、さらに籠目織春であるということが分かってしまったら。どういうめに遭わされるか分からない。

 凛は恐怖で体が震えた。

 それでも大河を助けたいと、妖を助けたいというのならば。


「僕は、凛と魁星くんはここに隠れていてください。如月国宮内庁への連絡を頼みます」

「分かりました。必ず連絡をします」


 晴可は極めて落ち着いた表情まま、部屋から出て行く。

 女装をするでもなし変装をするでもなし、いつもの彼のままで出かけて行った。まるで近くのコンビニにでも出かけて行くような気安さだった。

 ここから旧みずかね製薬研究所には、三十分もしないうちに着くだろう。魁星が如月国宮内庁へ連絡をするべきタイミングはその辺りだろう。


「凛は座ってな。疲れただろ?」


 魁星は周囲を警戒して立ったままだ。魁星が座るつもりがないのに、自分だけが座ることは出来ない。凛は壁に背中を預けた。


「疲れよりも、何だか悲しい気持ちが強いかなあ」

「悲しい?」

「妖の立場だとか晴可の立場だとか、己自身の立場だとか。色んな思想や義務とかそんなものが重く圧し掛かって来て……」


 凛は気持ちが疲弊しきっていた。


「凛、すみません」


 外から晴可の声が聞こえて来る。


「え、伏見さん?」

「凛? ちょっと出て来られますか」


 何か忘れ物だろうか。凛は壁から背中を離し、玄関先に向かおうとした。

 しかし魁星が凛の腕を掴んで阻止する。その表情は真剣だった。


「待って、おかしい。俺が見て来る」

「おかしいって……。伏見さんでしょ?」

「でも、何かが変だ」


 魁星が玄関へ向かう。凛はその後ろ姿へ視線を向けていた。ぼんやりとしていたのがいけなかった。


「こんにちは、お嬢さん」


 玄関先ではない、凛の耳元のすぐ近くで温い吐息を感じた。ぞわりと首の裏の方が鳥肌立つ。男性の声だが、晴可の声ではない。

 突然後ろから腕を掴まれ、思いっきり引っ張られた。体勢が崩れ、背後へ倒れるようによろけた。

 悲鳴を上げようにも口許を大きな手のひらでふさがれ、声は出せなかった。


「静かにね」


 背後から強く腰を抱かれ、身動ぎも出来ない。何とか視線を向けると、いかにも小物と言ったチンピラ風の男が笑顔でこちらを見ている。


「凛……っ」


 声の方へ視線を向ける。物音に気付いて玄関から戻って来た魁星が、目を見開いた。すぐに右手を伸ばして、開いていた手のひらをぐっと握りしめる。そして握った手のひらから人差し指を伸ばし、凛を抱きしめている男を指さした。何度か見たことのある、異能を使うときのモーションだ。


「おっと。変なことはしない方が良いと思うけどね。俺はこの子を殺したって良いんだぜ」


 男は涼しい顔で凛に刃物を突き付けた。

 魁星は異能を使おうとしていた手を、力なく下ろした。

 凛は男の腕から抜け出そうと藻掻く。片手であるし、そんなに強く抱きしめられているような感じはしないのに、全くびくともしない。


「懸命だね。お嬢さんをお借りするよ」

「……青華か」


 いつの間にやら、わらわらと人が集まって来ていた。

 集まって来ているのは町民ではなくて、おそらくは男の仲間たちだ。上海マフィアの流れを汲むという青華の構成員だろう。只者ではない雰囲気が漂っている。


「乱暴なまねはしたくないんだけど」

「ならば、凛を返せ」

「勿論返しますとも。ことが終わればね」


 青華の人たちがじりじりと近づいて来る。

 もう口はふさがれていないのに、凛は緊張で中々声が出なかった。ばくばくと脈打つ心臓を抑えて、なんとか声を絞り出す。


「あの、」

「うん? どうかした?」


 やっていることは恐ろしい癖に、声は驚くほど優しい。凛はますます恐ろしくなった。


「私は抵抗するつもりはありません」

「度胸があるね」


 嬉しそうな男の声に、凛はごくりと生唾を飲み込む。


「だから、魁星には」

「約束しよう。俺はお嬢さんに嘘はつかないよ」


 恐ろしくないわけではなかった。むしろものすごく怖くて堪らない。指先が震える。

 けれどここで守りに入り、魁星と晴可が犠牲になってしまったとしたら、その方がずっと恐ろしいと思ったのだ。どうしようもない。


「凛! 絶対に駄目だ!」

「駄目だよね。分かってるんだけど、こうしかないと思って」


 一周回って、凛は段々落ち着いて来てしまった。

 そもそも凛にとっては、如月国に来て聖女のような扱いをされている時点で、大慌てしているような状況なのだ。ここまで来たら、最早何でも同じような気がしていた。

 気持ちを落ち着けようと、深く深呼吸をする。


「そういうことならば行こうか、お嬢さん」


 男は刃物を仕舞い、凛の腰に腕を回した。

 後ろから凛の名前を呼ぶ声がする。振り返ろうとすると、男が声を掛けて来た。


「随分、落ち着いているんだね」

「いえ……」


 心臓が飛び出そうなくらいドキドキとしている。

 晴可と魁星のことが心配なのは勿論そうなのだが、凛自身がどうされてしまうのかということも心配だった。

 彼らの目的が凛の異能である以上、殺されたりはしないだろうとは思うが、殺さない限りは痛めつけられる可能性は十分に考えられる。


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。お嬢さんを傷付けたりはしないから」


 もう一度、後ろを振り返る。魁星が凛のことを見ていた。視線が合う。泣きそうな表情をしている。

 勝手な行動をしないと約束したばかりだったのに、またこうなってしまった。

 晴可の力になりたいからと言って無理矢理に魁星を連れて来て、案の定、青華に捕まってしまった。魁星に迷惑を掛けてしまった。

 魁星は築に怒られてしまうだろうか。祝福の異能を、青華に取られてしまったと。

 大丈夫だと知りたかった。伝えたかった。声が出なかった。行くしかなかった。

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