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後編

 藤堂が驚いてそちらを見ると息を荒げた高瀬が立っていた。

 「っごめん! 少し、待って、くれる?」

 高瀬は肩を大きく上下しながら途切れ途切れに言葉を発した。藤堂が小さく頷くとほっとした表情で手を離す。

 息を整えるように高瀬はその場で両手を膝に当てて何度か深呼吸を繰り返した。

 「あの……」

 藤堂はヘッドホンを首にかけつつ、ためらいがちに高瀬に小声で話しかけた。

 その声に顔を上げた高瀬や眉を寄せて言いづらそうに口を開いた。

 「さっき、佐藤から連絡があって。それで探してて……」

 目を伏せた高瀬は両手を固く握りしめた。

 「いや、ごめん。そうじゃなくて」

 高瀬は拳を緩めるとゆっくりと顔を上げる。

 高瀬の真剣な目が藤堂を射抜いた。

 「あの、さ。えっと、用事があるのにごめん。でも、校門……や、玄関まででいいから一緒に帰っていい? その、今すぐ行かないといけないんじゃなければ、だけど」

 いつもより早口に、しかし恐る恐る伺うように高瀬は慎重に言葉を続けた。

 藤堂が口ごもると高瀬の顔が曇った。

 「俺と一緒にいること自体が、嫌、かな」

 「そ、そんなことない。ただ、……その」

 藤堂の右手の指がヘッドホンから伸びるコードをいじる。左手がヘッドホンを握りしめると、耳当てがぎちりと微かに音を立てた。

 「……じゃあ、藤堂さんは好きな曲でも聴いててよ。無理に話さなくていいし、ただ横で歩くだけ。それだけでも」

 藤堂は無言で小さく首肯した。

 逡巡しつつ藤堂はヘッドホンを元に戻す。そっと横目で高瀬を窺うと、まっすぐな視線とぶつかった。

 思わず目を逸らしてプレイリストを眺めるものの、藤堂の指は戸惑うばかりだった。

 いっそのこと、こっそり音量を下げてしまえばいいだろうか。

 焦りで適当に曲を選ぼうとした瞬間。飛び込んできた「4分33秒」のジャケット画。

 藤堂はとっさにその曲をタップすると高瀬の方を仰ぎ、軽く頷いた。

 頷き返した高瀬の視線が少し下がった。藤堂の手元付近を見たようだった。

 藤堂の右側に高瀬が立つ。行こう、というかのように高瀬が前を指で示すと、二人は無言のまま連れたって歩き始めた。

 ヘッドホンから流れる静寂。

 いつもより一歩分だけ離れた二人の距離。

 さぁっと二人の間を風が通る。

 ふわり、と制汗剤と汗の混じった匂いが藤堂の鼻に届いた。

 部活終わりの高瀬からは、いつも制汗剤の香りだけがしていたことに藤堂は気づく。

 足裏に感じる床の硬さ。自身の心臓の鼓動。窓に映る二人の姿。

 普段なら気にもとめないそれらが、やけに藤堂の意識を捕らえた。

 ふと、横を歩く高瀬が何かをつぶやいた。

 藤堂がちらりと横目で高瀬を見上げると、ぱちりと目があった。

 びくり、と藤堂の肩が揺れる。

 あ、と高瀬の口が少し動いた。

 何か言いたいのだろうか。

 藤堂がヘッドホンを外そうと手をやると、接触を探知して外音取り込み機能が入った。

 高瀬は、そのままでいいよ、と言って――クリアな声が耳に入った――首を振った。高瀬はヘッドホンをかける身振りをすると、前を指差して再び歩くように促す。

 二人の足元できゅっと床が鳴った。

 先ほどよりも明瞭になった周囲の音を藤堂の耳が拾い始める。

 最終下校を告げる廊下に響くチャイム。離れた場所で響く生徒の笑い声と下校を促す教師の掛け声。大きな返事とともにばたばたと足音が遠ざかっていく。

 じわりと浮かんだ汗が藤堂の首筋を伝った。再び風が吹いて藤堂の髪を躍らせる。

 汗臭くないだろうか。

 藤堂はもう半歩分、距離を取ろうとした。

 「ごめん」

 ぽつり、と高瀬が零す。

 遣る瀬なさを滲ませた声だった。

 藤堂がこっそりと右側を見上げると、背筋をピンと伸ばして高瀬は前を見つめていた。

 「佐藤が、さっきクラスで色々と話があったって」

 教室での会話が知られているのか。

 藤堂は思わず眉をしかめる。

 同時に、高瀬の独白を盗み聞きしている状況に焦りを覚えた。

 「……心配もあるけど、それ以上に俺が一緒に帰りたくて送りたいって言ったのに」

 藤堂は聞こえていることを正直に白状しようと口を開きかける。しかし、続く高瀬の言葉に言い出すタイミングを掴み損ねた。

 「勉強を教えてくれって頼んだり、休み時間に話しかけたり……受け入れてくれる藤堂さんの優しさに甘えてたんだ」

 高瀬の苦しげな声と告げられた言葉。

 違うのに、と藤堂は反射的に思った。

 「困るとかそんなわけない。それなのに、俺のせいで嫌な思いさせて……ごめん」

 悲しみと悔しさの溢れた声に、藤堂は小さく左右に首を振る。

 「俺は」

 聞こえていると言えない心苦しさ。それでも何かを言いたくて言葉を探す藤堂の耳に芯の通った声が届いた。

 「藤堂さんのいいところ、いっぱいあるって知ってる」

 ノートの文字から伝わる丁寧さと几帳面さ。図書館の迷子にしゃがんで声をかける優しさ。荷物を持った妊婦さんをチラチラ見て、緊張しているのに声をかける一生懸命さ。

 ポロポロと降ってくる高瀬の言葉に藤堂は息を呑んだ。

 「可愛いところも、たくさん知ってる」

 甘いものを食べてキラキラと輝く目。綺麗に整えられた爪や普段と違う髪型を褒めたときの真っ赤な頬。勉強を教えてくれる声の柔らかさ。好きな曲を語るときにこぼれる笑顔。何でもない俺の話にコロコロと笑う声。

 高瀬が重ねる言葉に藤堂の胸はきゅうと締め付けられて息苦しさすら感じるほどだった。

 あっという間に藤堂の全身は火照り、目がじわりと潤む。進む足が遅くなり、少しずつ二人の距離が開いていく。

 一歩先の高瀬が、くるりと振り向いた。

 「だから」

 互いに立ち止まり、視線が絡む。

 藤堂の両手が高瀬の手に包み込まれた。

 「藤堂さん」

 熱のこもった眼差しが藤堂を見据える。

 胸の鼓動がうるさいほど激しく響いた。

 瞬間。藤堂の両耳に大音量の曲が流れ込み、周囲の音を一瞬にして掻き消した。

 「――――」

 今、高瀬は何と言ってくれたのだろうか。

 心のこもった温かさに満ちていたはずの言葉は、藤堂の耳に届くことなく宙に消えた。

 照れ臭そうにはにかんだ高瀬がそっと手を離す。遠のいていく温もりを追うように、藤堂の両手から熱が引いていった。

 冷えた指先で首元にヘッドホンを下ろす。耳当てからシャカシャカと軽快な音が漏れた。

 「た、たかせくん」

 動揺のあまり舌足らずな呼びかけになった。

 「ご、ごめんなさい。今、何を言ってくれたの? 曲、が流れてて」

 その続きは藤堂の口の中に消えていった。

 不思議そうに首を傾けた高瀬は、しかし耳当てから漏れる音に気付いたのだろう。

 あ、と声を漏らすと頬を赤く染めた。

 「っその! ご、めん。急に手を握って」

 吃りながら謝ると、高瀬は片手を前に突き出し、反対の手で口元を覆った。

 「あの、ちょっと待って」

 高瀬は息を吸うと、深く長く息を吐いた。

 顔を紅潮させたまま体を元に戻すと、高瀬は真摯な目で再度、藤堂の名前を呼ぶ。

 その眼差しがちくりと藤堂の胸を刺した。

 「っあの! 待って」

 口をついて出た藤堂の言葉に、高瀬の顔がさっと青ざめた。

 藤堂は自身のふがいなさに下唇を噛んだ。

 人気者の高瀬に臆していた自分こそが、高瀬の言動に甘えていたのだ。それなのに、さらに甘えるのか。それは、違うだろう。

 藤堂は微かに震える両手で首からヘッドホンを下ろす。すがるようそれを握りしめた。

 「私もっ」

 か細くかすれた声がもどかしい。

 藤堂はこくりと唾を飲み込み口を開いた。

 「高瀬君のいいところ、いっぱい知ってる」

 道に迷っている人にためらいもなく声をかける勇気と優しさ。昼休みにも自主練する部活にひたむきな姿勢。友達や部活の仲間について嬉しそうに話すところ。

 積み重なる言葉に高瀬の目元が赤らんだ。

 その表情に藤堂は気持ちを奮い立たせる。

 「か、かっこいいところだって」

 集中して問題を解く真剣な顔。何度もボールを打って硬く分厚くなった手。美味しそうにご飯をほおばるときの笑顔。部活での出来事を楽しそうにイキイキと話す声。

 言葉を尽くすと藤堂はほっと息を吐き、ゆっくりと吸い込んだ。

 「あのね、高瀬君。私、高瀬君のこと」

 「――待って」

 わずかに震える藤堂の声を高瀬が遮った。

 「ごめん」

 藤堂は息を呑んだ。

 高瀬はぱっと片手で口元を覆い隠す。

 「藤堂さん、可愛すぎて困る……」

 耳の先まで赤くして高瀬は唸るような声で言葉を漏らした。

 「でも」

 高瀬は軽く息を吐き姿勢を正すと、真剣な眼差しで藤堂を見つめてきた。

 「俺から言わせてほしい」

 静かな揺るぎない声だった。

 藤堂の胸の奥からじりじりと温かいものが込み上げてくる。

 「好きです。俺と付き合ってください」

 ころり、と熱は雫となって藤堂の頬を滑り落ちていった。

 「っはい……!」

 鼻をすんすんと鳴らす藤堂を前に、高瀬は笑顔を弾けさせた。

 「少しはかっこつけられたかな? さっき、ズルいことしちゃったから」

 高瀬は眉を下げてはにかみながら言った。

 藤堂はゆっくりと首をかしげる。

 「ズルいって……?」

 「その、藤堂さんが……曲を聴いてるときに。色々話しちゃったこと、かな」

 「曲? あ……」

 藤堂は曲を聴いている体で図らずも高瀬の言葉を聞いてしまっていたこと思い出した。

 黙っていた自分の方がむしろズルい、と藤堂が考えているうちに、ふと疑問がよぎった。

 もしかして、高瀬は4分33秒という曲を知っているのではないだろうか。

 藤堂が高瀬のいいところやかっこいいところを伝えたとき。高瀬の言葉を返すような藤堂の言葉に、高瀬は照れているようでも驚いてはいない様子だった。

 先ほど、曲を選んだ際に高瀬は藤堂のスマートフォンの画面を見ていなかったか。

 高瀬の独り言にしてはやや大きかった声。

 告白が――おそらく、だが――曲で聞こえなかったと言ったときの高瀬の反応。

 小さな違和感が積み重なる。

 「高瀬君。4分33秒って曲、知ってる?」

 高瀬はパチリと一度瞬いた。

 「……知ってるよ。静かな曲、でしょ? 初めての日直のときに教えてくれたやつ」

 「そ、うだね……よく覚えてたね」

 「ん~……好きな子のことは知りたくなるもんじゃない?」

 丸く柔らかい声で高瀬はふんわりと笑った。

 「聴いたことは……っ」

 温かな熱が藤堂の右手を包み込んできた。

 つい、藤堂はその続きを飲み込んだ。

 「ね、玄関まで手を繋いでもいい?」

 高瀬は揶揄うような目で指を絡めてきた。

 「……用事、なくなったから。その、いつものところまで一緒に帰れるよ」

 藤堂はささやいて手をそっと握り返した。

 そのまま二人は無言で歩き出した。

 茜色の雲に薄く紫が重なり始める。

 藤堂が右手の温もりに慣れてきたその時。

 「あのさ」

 突然の声に藤堂の手がびくりと震えた。

 逃げる藤堂の手を高瀬の手が優しく握る。

 「聴いたことはないんだけど、色々なアーティストの4分33秒を集めたトリビュートアルバムがあるの知ってる?」

 高瀬は藤堂の手を何度か軽く握りしめながら声を弾ませた。

 「えっ。そんなアルバムがあるの?」

 藤堂が高瀬を咄嗟に見上げると、優しい目がそこにあった。

 二人の足が自然と止まる。

 無言のまま、互いの視線が柔らかく絡んだ。

 「「……今度、一緒に聴く?」」

 二人の声が重なり、一拍の沈黙が流れる。

 どちらからともなく小さく笑い出した。

 頬を寄せて囁き合いながら一歩を踏み出す。

 きゅっと大小の足音が同時に床を鳴らした。

 二つの足音はふいに重なり、またズレる。

 次第に音が重なる回数が増え、いつしか同じテンポが刻まれていた。

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