第3話 何やら不穏な空気じゃ!
転移局のマーシュから紹介された住居は、六畳二間の日本式アパート。
じゃが、固定電話や手すり、入浴補助用具も完備しており、三人で暮らすにはちと狭いこと以外の不満はない。
アパートの住人も日本からの転移者が多く、その大半が介護や医療従事者らしい。
つまり、野球やロックといった娯楽のためにアメリカ人が呼ばれたように、最近のリバーシは介護や医療のために日本人を呼んでおるのじゃろう。
政治的に意図された計画なのか、それとも気まぐれな光がたまたまそうしておるのか……?
結論としては、リバーシはするめと蛍だけが欲しかったのに、運悪くワシも光に乗せてしもうたのじゃな。
「イカヨちゃん、あたしと蛍で少し話したんだけど、あたし達しばらくリバーシで生活してみようと思う。イカヨちゃんが日本に帰れるように力は貸すけど、あたし達は元の暮らしに、あまり未練ないから……」
するめはそう切り出し、蛍とともに自分達の過去を話し始めた。
するめの両親は暴走族から峠の走り屋になった、典型的なヤンキー夫婦。
クルマに命をかける余りに安月給もつぎ込み、するめが高校を中退せざるを得なくなるほどに家庭は困窮しておった。
そんな両親を見限って自立したするめじゃったが、学歴のない彼女が目指せる正規職員はたかが知れておる。
セクハラ客をボコって水商売はクビになり、たまたま介護の仕事が長続きしていただけじゃという。
一方蛍は、幼い頃から野球の才能を発揮し、地元の強豪校に特待生入学。
小柄ではあるものの、その守備力とスピードを買われて一年生から公式戦に出場しておった。
じゃが、甲子園出場をかけた地区大会決勝。
守備固め要員として期待されていた蛍は痛恨のエラーをしてしまい、チームはサヨナラ負け。十年ぶりに甲子園出場を逃してしまったらしい。
コーチや先輩からいじめに遭って野球部を退部した蛍じゃったが、特待生で入学していただけに、野球をやめるイコール、高校を中退せざるを得なかったのじゃろう……。
「ウチの地元では、僕は未だに悪い有名人なんです。二年間引きこもっている僕に、隣の県にいる親戚が介護学校を紹介してくれたので、それ以来地元には帰っていません。でも、このリバーシ世界なら、今日みたいにまた楽しく野球が出来るんですよ!」
今日、野球をしていた時の蛍の笑顔は、確かにワシの知る最高の笑顔じゃった。
今の日本は金のある年寄りには優しいが、一度レールから外れた若者には厳しいと思う。
「イカヨちゃん、日本に帰った時は、あたしと蛍が異世界でも頑張っているとみんなに伝えて! 信じてくれるかどうかは分からないけど」
ベテランの介護士にはない正直な魅力で、ワシとはすぐに仲良くなったするめと蛍。
『イカトリオ』もじきに解散かと思うと、何だか寂しいわい。
翌日、気持ちの落ち着かないワシらは、早速マーシュに紹介してもらった多機能型事業所で働いてみることにした。
ワシは生活援助金をもらう代わりにボランティアを務め、元漁師の嫁として料理の腕を振るっておる。
ワシのイカ料理……いや、シルフィーナ料理は絶品じゃぞ!
この施設には裕福な利用者が多いらしく、症状の重い年寄りも気持ちに余裕があって扱いやすい。
加えて、日本の介護施設と比べて職員の頭数が多く、するめや蛍は初日のテスト業務を難なくこなしておった。
「この仕事に日本人が来てくれると助かるわ! あなた達は正式採用です! リバーシに慣れたらもう、日本では暮らせなくなるわよ!」
「やった〜! ありがとうございます!」
事業所の所長は中村さんといい、彼女も日本からの転移者。
この世界に来た当初はやはり困惑していたものの、今では日本に夫を残してきたことにも未練はないという。
古い世代のワシはその割り切りを理解しがたいが、色々と事情のある他人の家庭に口は出せんわな。
「中村所長、転移局のラリー・グレイ様がお見えです。至急応接室へ」
「……やっぱり来たわね……。あなた達、また明日よろしくね!」
移転局からの来客に、露骨な嫌悪感を示す中村所長。
その様子が気になるワシらは、来客の顔を拝むため、施設から出るふりをして彼女の背後をこっそり尾行する。
「イカヨちゃん! あの男……!?」
するめが息を殺して見つめる男は、昨日ワシに無礼な振る舞いをしたあの男じゃった。
年齢は三十代後半くらいに見えるが、似合わぬ無精ひげが貫禄よりも野蛮な印象を与えておる。
「……この施設に寝たきりのジジイがいるだろう。確かクラウンとかいう転移者だ。奴の息子の会社に不渡りが出て、政府への寄付金が支払えなくなった。生産性がなく、家族が金も出せない老人に価値はない。クラウンを『公的施設』に連行するぞ」
ワシは槍手イカヨ四十八の老害技のひとつ、『壁すら乗り越える骨伝導地獄耳』を駆使して、男の会話を盗み聞き。
どうやらあのグレイとやら、利用者のサービス内容低下の通告に来たようじゃな。
「グレイ様、お待ち下さい! クラウン様は余命一年ほどの終末期なのです。うちの事業所にはまだ余裕がありますから、寄付金は納めます。今いる寝たきりの利用者様はうちで看取らせて下さい!」
「フン、前の担当者にはその手が使えたのだな。だが俺は容赦しない。後先短い老人や、働くことも出来ない障がい者が生き延びたいのなら、自ら政府に金を納めろ。政府はその金を若い世代の補助に還元する。これがリバーシの繁栄を支えているのだ」
二人のやり取りから推測するに、『公的施設』とやらに入れられた高齢者や障がい者は粗末な扱いを受けるようじゃ。
確かに世の繁栄には若者の幸せが重要じゃが、ワシは単純に高齢者として、この方針には納得が行かんぞよ。
「一週間だけ待ってやる。お前達が寝たきり老人をかくまうつもりなら、この事業所を通所介護だけのデイサービス施設に縮小させるまでだ。今いる従業員の何人をクビにするのかな?」
暮らしやすい世界だと思っていたリバーシじゃが、その陰で高齢者や障がい者が犠牲になっておったのか……。
グレイが初対面からワシの足を気にしていたのも、『公的施設』に動けない年寄りをぶち込めば、その数に応じて奴が出世するからなのじゃろうな。
「ちょっとあんた! それでも人間なの? 介護する側が身銭切るって言ってんじゃない! 利用者のことを何も知らないあんたに、人の価値を決める資格はないわ!」
しばらく隠れて中村さんから詳しく事情を訊くつもりじゃったが、我慢出来ないするめが応接室に乱入してしもうた。
じゃが、若い衆にこれだけの熱さがあると、古い世代のワシは嬉しい。
蛍も納得していない様子じゃし、グレイに再会と行くか。
「グレイとやら、また会ったのう! ワシは槍手イカヨ、見て分かる通り杖つきの高齢者じゃ! じゃが、いくらリバーシの繁栄のためとはいえ、そのルールとおぬしの態度はあんまりではないか? 理由を詳しく聞かせてくれ!」
するめと蛍を左右に従え、啖呵を切るワシはまるで時代劇のヒーローじゃ。
とはいえ、ワシはこれでも大手銀行と漁師の経験がある。
頭も身体も、いざという時の度胸はすわっておるわい。
「ほう、お前達ここにいたのか? だが、あいにく説明している暇はない。また甘ちゃんのマーシュにでも訊くんだな」
グレイは悪びれる様子もなく、傍若無人な振る舞いを続けておる。
転移局ではそれなりの地位を得ているのじゃろうが、だからといってこの態度が許される理由にはならないはずなのじゃが……。
「俺の親父は財務大臣で、ちゃんと選挙で議員になっている。多数決で敗れた奴らに文句を言う資格はないんだ。悔しかったら大臣になってリバーシを変えてみろ」
嫌味な捨てゼリフを残し、施設から立ち去るグレイ。
最後に親の自慢とは、まったく絵に描いたような小物じゃのう。
「……あなた達、聞いていたのね。ごめんなさい、これがリバーシの現実なの。私も含めて、みんな自分の幸せに目が眩んでしまったのよ……」
自分を責めてうずくまる中村さんを横目に、ワシらは結局、マーシュに説明を頼むしかなかった。