第2話 リバーシ世界はゴキゲンじゃ!
ワシは槍手イカヨ、七十八歳。
漁師の夫を十五年前に亡くし、左足にガタがきて息子夫婦から心配されたので、週一回のデイサービスでリハビリをしておった。
じゃが、リハビリの最中に謎の光を浴び、地球にそっくりな異世界『リバーシ』に転移してしまう。
不幸中の幸いにして、仲のいいデイサービス職員の『剣先するめ』と『青里蛍』も一緒に転移。
リバーシ転移局の好青年『マーシュ』からサポートを受けたワシら『イカトリオ』の、リバーシ世界生活が始まったのじゃ。
「……何!? リバーシにもロックコンサートとか、プロ野球とかあるの!?」
ロックが流れる転移局の食堂で、リバーシの文明に瞬きが止まらないするめ。
「はい、私の父親の代ですが、アメリカ人が大量に転移し、ベースボールやロックンロールが広まったんです。リバーシの経済成長とあいまって、今や看板産業のひとつですよ」
イヤホンつきマイクを渡されたワシらは、マーシュだけではなく、食堂の職員や道行く人々と難なく会話が出来ている。
太陽電池で充電し、出身地に合わせて各々の言葉を即座に翻訳してくれる、まさにリバーシの必需品じゃな。
「このお寿司、普通に日本で食べるくらい美味しいですよ! これはつまり、日本人が……?」
「はい、そうです。素材の味を活かす食文化というものは、転移してきた日本人の影響が強いでしょうね」
蛍の言うとおり、この寿司は美味い。
地球とは異なる魚介ネタじゃが、どれも馴染みのネタによく似ておる。
「このイカ……ワシにとって愛憎の念が入り混じるネタも、美味いとしか言いようがないわい」
「イカ……? 槍手さん、その生き物はシルフィーナと呼ぶのですが……」
ワシとマーシュのやり取りを聞いて、するめと蛍は爆笑を堪えきれずに吹き出している。
どうやら二人の異世界命名概念にクリティカルヒットしたようじゃ。
「この物語はワシの一人称じゃ。ワシがイカと呼べばイカになる。これで異世界名称問題も解決じゃよ!」
思わず飛び出るメタなギャグに、マーシュは開いた口がふさがらない。
なぜ異世界ものの小説が一人称ばかりなのか、ワシはよく分かったぞよ。
「みなさんの日本での生活を知る限り、介護の仕事を紹介すれば生活には困らないでしょう。槍手さんはご高齢ですので、生活援助金が出ます」
「そいつは助かる。じゃが、ワシは大人しくしているのは苦手じゃ。するめ達の職場が決まれば、ボランティアに参加するぞよ。年寄りの話し相手と、料理くらいなら出来るからのう」
マーシュからは、日本に帰る方法を近いうちに教えてもらうことでワシらも納得した。
彼の姉が、謎の光による転移のメカニズムを研究する科学者グループの一員らしい。
マーシュの礼儀正しさは、代々転移局に関わる家系のプライドみたいなものなのじゃろう。
「……みなさんはデイサービス勤務ということらしいので、ここの多機能型事業所の通所部門はいかがでしょう? 給料を日本円の価値に換算すると、月四十万円相当ですが……」
「嘘!? 日本の職場の倍じゃない! そんなにもらっていいの? まさか税金三倍じゃないわよね?」
日本の介護職とは比較にならない好待遇に、するめも蛍もキモい微笑みを隠せない。
この寿司の値段を日本円に換算してみても、純粋に日本の倍近い生活水準が得られそうじゃな。
「転移した日本人のいる施設に皆さんを紹介しておきます。転移局から北に五分ほど上り、広場を抜けたアパートの一○二号室で、当面暮らして下さい」
「至れり尽くせりだわ! マーシュさん、ありがとうございます!」
ただでさえルックスが良く、人柄も誠実そうなマーシュに、するめも職場では見せない乙女の顔全開じゃ。
彼女も蛍も若くして不幸を背負っておるだけに、このままリバーシに居着いてしまいそうで、ワシはちと不安じゃのう……。
「槍手さん、あなたはご高齢で、片足も不自由です。万が一事故や体調不良があった時は、病院にかかる前にまず私に連絡して下さい。出来るだけの事をしますから……」
ふとした瞬間に、これまでにない真剣な表情を見せたマーシュ。
自分の祖母でもないワシに、なぜそこまで気を遣うのじゃろうか……?
「あっ! 草野球やってますよ!」
学生時代は野球部に所属していたらしい蛍が、懐かしい現場を前に瞳を輝かせておる。
慌ただしく過ぎた異世界初日は、もう日が暮れかけておった。
日本と何ら変わらない美しい夕焼けをバックに、リバーシで盛んな野球に打ち込む住民達。
子どもや学生ばかりではなく、作業着姿の大人も混じっていることから、労働環境も悪くない世界なのじゃな。
この世界と日本を往復出来る方法があれば、ここで暮らしてもよいのじゃが……。
カキーン!
爽快な打撃音とともに、広場からワシらの元に野球ボールが転がってくる。
草野球でこの飛距離なら、ランニングホームランも狙える長打コースじゃろう。
「お〜い、そこの人! ボールこっちに投げ返してくれ!」
作業着越しにも腹が出ているのがわかる、中年外野手が息を切らせながらの懇願。
ワシとするめが視線を送るまでもなく、蛍はボールを掴んでホームベース目がけて全力投球していた。
「んんっ!? ア、アウト〜!」
プロ顔負けのレーザービームがキャッチャーミットに難なく収まり、審判も驚愕のアウトコール。
デイサービスのレクリエーションでは特に運動センスを見せていなかった蛍が、ワシらも含めて周囲の度肝を抜いたのじゃ。
「……す、すげえ! あんた何者だよ!? ちょっとウチのチームの助っ人になってくれ! あと二回だけだからさ!」
「えっ……? 槍手さん、するめさん、どうしましょう……?」
こちらを振り返る蛍じゃったが、あれだけのプレーを見せられて、ワシもするめも見捨てて帰るわけにはいかんじゃろう。
異世界交流、大いに結構!
「すみません、少しだけ待って下さい!」
いじめで引きこもっていた過去の重さからか、仕事中もどこか自信なさげじゃった蛍。
じゃが、蛍の真面目さと一生懸命さはワシらが一番よく分かっておる。
思いっきり自分をアピールするがよい。
「そこのカノジョ! 君、地球からの転移者なんだろ? 色々不安なことがあったら俺達に訊いてくれよな!」
転移局から尾行してきたのか、するめの周りにはいかにもナンパな二人の男が集まっていた。
日本人離れしたスタイルと、栗色に脱色したロングヘアは軽そうなキャラに見えるらしく、彼女には時折悪い虫がたかりよる。
「う〜ん、悪いけどお断りするわ。あたし、こう見えて男の理想は結構高いのよ」
竹を割ったように痛快な、するめのリアクション。
彼女は貧乏経験から玉の輿願望が強いが、遊ぶ金があってもチャラい男は嫌いな強者なのじゃ。
「いいじゃん! そこのばあちゃんは家に届けてやるよ、タクシー代出してやるからさ!」
ナンパ男達は、すかさず金持ちアピールにワシを利用する。
じゃが、男の手がするめの身体に触れた瞬間、彼女のヤンキー魂が燃え上がった。
「舐めんじゃないわよ……はああぁぁっ!」
するめは目にも止まらぬ早業でナンパ男の腕を捻り上げ、悲鳴を上げる男の背中に拳を振り降ろす。
予期せぬ激痛に背中を丸め、咳き込むナンパ男の腹に膝蹴りを喰らわせて上体を起こし、とどめの肘打ちを顔面にキメる。
え!? そこまでやる!? の必殺技コンボじゃ。
「ひえぇ〜! ごめんなさ〜い!」
ダメージを喰らったナンパ男は半泣きで、相方の男は揺れまくるするめの胸をガン見してそれなりに満足して退却した。
カキーン!
沈む夕陽を背に仁王立ちするするめと、草野球でホームランをブチかます蛍。
今日から始まる異世界生活で、若い介護士コンビは自らの地位を確立するための『武勇伝』を、早くも築き上げたようじゃ……。