遠距離恋愛
「バーカ、指輪なんかいらねぇよ!飲み会?合コン?勝手に行けよ!いちいち許可なんかいらねえの!お前は幼稚園児か!」
遠距離恋愛は寂しい、毎晩すぐに抱きあえた寮生活の高校時代とは違う。
それでも毎日宗谷は電話を寄こした。今までになくマメだった。
「今?今日も宇梶の部屋だよ。浮気?するかバーカ!今ドラマがおもしれぇところだからじゃあな!いってらっしゃい!」
最初分からなかった話の筋も、二人で見続けているうちに面白くなって、今やすっかりファンである。
二人とも主演の清純派女優より、脇役のグラビア出身の女優の方をひいきにしている。
胸がな、尻もな、と二人で言いあう。
午前1時を迎えそうだが、今日はレポートを書かねばならない。
「実験……お前、上手かったらしいな。手先が器用だと有利だとは聞いていたが。」
「だけど自分が何してるのか全然分かってなかったぜ。レポート何書けばいいんだ?」
「お前の分も去年の先輩のレポートを借りた。理系のレポートは書式が決まっているから、慣れれば卒論までこれでいけるそうだ。実験が成功するかどうかには器用さが重要らしいから、お前上手くすると研究者になれるぞ。」
「研究者ー?!現実味がねぇよ!決めた!俺は本当に大学卒業したら整体の学校行きなおして、どっかのチームに何とかして就職するわ。」
「それならスポーツ工学の研究室を選択して、ダブルスクールで整体の学校に行け。お前は自分が思っているより優秀だ。新卒ならチームに就職できる確率も給料も違ってくるからな。」
お前、しっかりしてるよな、と言いながら浅羽はコーラを飲んだ。
宇梶はバニラアイスのふたを取って、冷やしすぎた、ガチガチだ、とつぶやく。
溶けてきたらひと口くれよ、と言った浅羽に、そのつもりでバニラを選んだ、と宇梶が答える。
「……お前、前から思ってたけど優しいなぁ」
「そうじゃない、俺にコーラをくれと言っているんだ」
「ハハハ、お前にもコーラの良さが分かってきたかよ?」
「コーラフロートはもとから好物だ」
ドラマが終わったのでユーチューブでBGMを流し始める。
「俺、最近吉本芸人とそれ以外が分かるようになっちまったよ……」
「俺もだ。この英単語、なんだ?辞書にないけど」
「ググる……ああ、やっぱ専門用語だ。吉本芸人は時々鼻につくけど、団体芸の美があるよな」
「でも、俺はゴッドタンのキス我慢の方が好きだ。アメトーークとどっちが上か……」
「いや、比べるモンじゃないだろ?そもそも同じ土俵にいネェし」
「ところで先輩によると東京ポッド許可局っていうのが面白いらしい」
「どこの局?」
「早朝ラジオ……それスペルが間違っている。あの教授そういうとこ細かいぞ」
こういう話は勉強中の方が盛り上がる。
時計の針はそろそろと深夜3時を指し、レポートはどうにかこうにか形になって、浅羽は教授にメールを送信した。
その直後、見計らったように浅羽の携帯が鳴る。
「スマホ持つのもめんどくせえ……。スピーカーにしていいか?どうせ向こうは酔っ払いだ」
いい、ただしノロケ厳禁だ、と許可を取ると浅羽は通話を始める。
「こ、こんばんは……!」
かわいい、女の子の声が聞こえて来て二人でぎょっとした。
「あ、浅羽、さん?あれ、これ通じてますか?」
「……通じてるよ」
「え、男?間違った?」
わたわたと慌てる様子が可憐だ。
「いや、俺が浅羽だし、正しいよ」
優しい声を出したくなる子だな、と、浅羽は思う。
「えっと、私、宗谷さんのことが入学してからずっと好きで、今日、飲み会っていうか、合コンで宗谷さんをお持ち帰り、しました!処女だったけど、えっちなことも、しました!宗谷さんは今、終わって、シャワーを浴びてます!浅羽さんって人が本命だって、大事にしたい人なんだって言われたけど、宗谷さんの近くにいるのは私だし、また抱いてくれるって言ったし、絶対、私、勝ちます!」
……現地妻に、勝利宣言を、されたよ!
疲れて感覚がマヒしているのか、冷静につっこみたくなる。
「ええと……後で、宗谷に電話しろって、言って」
じゃあね、と、なぜだか最後まで優しい声を出してしまった。
向こうの方がテンパっていたからか。
宇梶がコーラを渡してきた。
「……まずはこれを飲め」
ペットボトルのコーラが手から滑り落ちた。自分が震えているのに気づく。
ちがう、優しい声を出したのは冷静だったからじゃない、動揺し過ぎていたからだ。
そうや、宗谷宗谷宗谷宗也宗谷……!
殴ってやりたい、ボコボコにしてやりたい、走れなくしてやろうか、まただ、信頼する俺がバカか、畜生……!
「浅羽」
冷静な声だ。
目の焦点がふっと定まった。
宇梶が落ちたコーラを拾って、また差し出していたのが見えた。
「まずはこれを飲め」
ぎしぎし、浅羽の手がぎこちなく動いて、
それでもコーラをひと口飲めば、シュワっと甘みが口に広がる。
「炭酸、抜けてる」
「……その言葉が出るなら大丈夫だな。スマホはスピーカーにしておけ、俺も話す」
それからスマホがまた鳴るまでの30分は永遠だった。
宇梶も浅羽も部活明けで、レポート明けで、明日は1限必修講義からで、久しぶりにつけたテレビはお笑いから深夜アニメに移った。
パステルカラーの髪の女の子のオープニングテーマに、
「あれ?この曲、後輩が歌っていたやつだ」
と、宇梶が言ったのに、反応できなかった。
(……コメントが思い浮かびませんよお)
不謹慎ですまんな、と宇梶が謝り、いや、余裕なくてごめんね、と浅羽が無表情でかえして、約10分後にスマホは鳴った。
スピーカーの音が割れている。声が大きい。宗谷が慌てているのだ。
「誤解だ、あさ」
「宇梶だ。浅羽と浮気した」
ハァ?!と、浅羽は言葉を失う。
「浅羽は浮気だが俺は本気だ。浅羽にはおいおい本気になってもらおうと思っている。以上だ。二人とも明日1限が必修だからもう寝る。そちらもあまり夜更かしするな」
宇梶は浅羽のスマホを取り上げ、ブツッと通話を終了させた。
「すまんな、スマホを没収する」
宇梶は浅羽のスマホの電源を切った。
「な、何やって……」
「最初にお前の話を聞いた時思った」
浅羽のスマホを自分のバッグの中に入れながら宇梶は言った。
「その恋はナシだ。お前には持ち切れないし、身を滅ぼす」
「だからって何で」
「このままだと宗谷はまた来る。そしてくり返すと思う。人生もそうだが、学生時代には限りがある。今後の数十年をきめるのはこの4年だ。前に進め、浅」
進路の決め方から恋愛問題まで。
宇梶は大人で正しい、と浅羽は思った。
「泣かせてすまない」
……ああ、自分は泣いているのだ。
頭をなでる手のあたたかい感覚がありがたかった。
宇梶はベッドを譲ろうとしたが浅羽は断った。
なんだかんだもめて、二人とも床に寝た。
「かたいな」
と言った浅羽に宇梶は
「かたいな」
と返した。
お互い背を向けて眠りについた。
浅羽はタオルを頭にかぶり、声を殺して泣いた。
一人じゃなくて良かった、こんな夜を越えるのに一人は暗くて長すぎる。
泣きながら浅羽はいつの間にか眠りにすいこまれた。