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1mm  作者: 押野桜
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大学1年生、初夏

『よう、浅羽。会えないか?うん、うん分かってる、だけど…』


新入生という肩書が少し取れてきた、大学1年生の初夏。

高校時代をマラソンに捧げた浅羽は、迷いなく岡山の強豪校と定評のある大学を選んだ。

ライバル校の陸上部の部長を務めていた宇梶が同級生でチームメイトとなったのにはびっくりしたが、なじみの顔があるのはうれしい偶然である。


「浅羽、早かったな。さっきの電話、誰からだ?」


大学の理学部棟、人がいなくなった教室で宇梶が授業プリントをていねいにファイルにとじながら聞いてきた。


「宗谷だよ。」

「仲良いな。」

「そうでもねぇよ。卒業してから初めての電話だからな。」


そうなのか?

と、何気なく授業プリントから顔を上げた宇梶が目を見張る。


「何で泣いているんだ?」

「俺が昔宗谷に振られたからじゃねぇ?」


言い捨てて涙をぐいっとぬぐい、授業プリントをトトン、と簡単にまとめてクリアファイルに入れ、バッグに放り込む。

この教授の授業分かりやすいけど90分授業の6限はさすがにキツイなぁ、暗くなっちまったけどちょっと部室行こうぜ、陸上部は10時までだろ、と、言いながら浅羽は立ちあがった。


浅羽と宗谷がつきあったのは高校のほんの短い間だった。


「女にだらしない宗谷と一途すぎる浅羽は続くはずがないと思っていた」


とは、後に部長・大橋が副部長・新田にだけ語ったことである。

浅羽は何度か泣いて何度か許し、しかし心が持たなかった。

もともとムラがあったレースの戦績にも模試の成績にも悪く響いて、浅羽はそれでも一緒にいたいと思ったものの、部長、大橋からの


「宗谷はレースでも成績を残しているし、大学合格圏内に確実にいる。浅羽だけ浪人してもいいのか?」


という一言で少し冷め、そしてその直後に街で家庭教師の女子大生と腕を組み歩く宗谷を見かけ、浅羽は宗谷に殴りかかった。

参考書を買いにつき合っていた大橋が止めなければオオゴトになっていたはずである。

そして二人は別れた。

別れた後の浅羽は何かに取りつかれた様に勉強し、志望校に合格した。

大学生になったら合コン三昧か彼女とラブラブもいいなと思っていたのに結局毎日グラウンドを走っている。

大会では宗谷と会うことになる、それでもいいか、いや、本当は会いたいからマラソンを続けているのではないか、自分はバカだ思う浅羽である。


学期の初めにシラバスの読み方が分からず授業の選び方に手こずり、部活の先輩に単位の取りやすい授業を教えてもらって履修登録したことと、同じ長距離を選択したことから宇梶と浅羽は同じ講義がけっこうある。

授業も部活もずっと一緒で人見知りの浅羽でもさすがに宇梶に慣れてきた。

他の人には言えない宗谷の事を、ポロッと漏らしてしまったのもそのせいだ。

口の軽くない信頼できる男だと思う。良い友人になれるのではないか。

部のメンバーにも少しずつなじんで、学部の顔見知りもできてきた。


大学生活はまあ順調だ。女っ気がないのが玉にキズだけど。

そんな日々に宗谷の電話はやってきたのだ。


浅羽の涙は教室を出る前にすぐ止まった。仏頂面はいつもの事である。

何事もなかったようにストレッチなどした後グラウンドで走り込み汗を流した。


「毎週6限は面倒臭いなぁ。でもあの講義必修なんだよな。早く終わってくんねえかな。」

「しかしあの教授のフィールドワークは面白いぞ。ボーリング、俺も立ち合ってみたい。」

「地層に棒刺して地質調査するヤツか。でも宇梶アメリカまで行く金あんの?」


隣りで聞いていた先輩が、国から助成金が出るからタダで行けるぞ、と言ってくる。


「マジか!行きたい!」


と、1年が盛り上がる。


「海外に行きたいんだったら、学会のお供や実験の補助で半導体とか原子力も行かせてくれるぞ。ただし教授に気に入られないと行けねぇけどな。去年俺の先輩がべガスに寄ってすってんてんになって帰ってきた。」


俺はバイオでヨーロッパに行った、と、農学部の先輩も言ってくる。

理系は金があっていいな、と文系がすねると、バッカ実学だけだよ、数学科なんて国内の学会しか行ったことねぇし、クラスに男三八人女一人で、その女も先輩に取られてどうやってセックスすんだよ、女を紹介しろ文学部!お前バカか、女三六人に男4人の恐怖を知らねぇだろ、俺はどんなに職に困っても女子校の教師にはならない!


……以上の会話は各自本気で筋トレしながら、ランニングマシーンを走りながら行われるのである。

体力あるなあ、と、話す余裕のなくなってきた浅羽が考えていると


「浅羽は女が好きだけど男にもてるタイプだろう?」


と、急にある先輩が言ってきた。

は?と、答えに困っていると、先輩は勝手に話しだす。


「俺の元彼女の家のマンガにあったんだけどさ、ほら、日本でドラマ化して、韓国でも映画化したケーキ屋の話。」

「……知らないッス。」

「それに魔性のゲイってのが出てくるんだよ。そいつは全然意識してないのに周りの男が勝手にそいつのこと好きになって、刃傷沙汰とか起こすんだけど、外見は全然違うけど、ちょっと、浅羽に雰囲気が似てる。いつも誰か探してるような、良い匂いしそうな感じとか。」

「なんスかそれ、俺からは汗と野郎の匂いしかしねえすよ。」


浅羽は顔の汗をぐいっとぬぐう。


「それだったら高校の後輩にちっちゃくて女顔のスゲェフェロモンのヤツいましたよ。走り始めると人相変わるけど、男にも女にもめっちゃモテましたよー。」

「そいつでいい、今度紹介しろ。俺彼女と別れたばっかでスゲェさびしいんだよ。」


ヤです、と、話を打ち切ってさらに速度を上げる。

自分はそんなに探している様子なのだろうか。

窓の外に丸い月が見えた。

宗谷も今頃同じ月を見ながら走っているのだろうか。

みぞおちの辺りがキュウと痛んだ。


運動部というのは、どうしてこう飲み会が激しいのか。

うんざりと浅羽は思う。

週末金曜日の夜に時々安い居酒屋で飲み会が開かれる。

浅羽は赤くはなるが結構強い方である。宇梶はもっと強いらしく、顔色すら変わらない。

かわいくねぇ1年だな、と、一升瓶が2本回ってきた。


「二人でダービーしろ。」


どちらが早く飲み干すのか勝負しろというのである。一人1本である。

さすがに吐くんじゃねぇの?!と思いながらヤケで二人立ち上がる。

違法であるが、黙認されている。イッキはいけないという風潮よりも先輩は絶対なのだ。

パパパン!と皆が手を鳴らす。

コールと共に焼酎瓶を口に入れ、浅羽の方がわずかに早く飲み干し、口元をぬぐいながら、


「エイドリア~ン!」


と、叫んだ。

いつもの自分と違う、と思った瞬間に体がバランスを失った。

ガシャン、と、居酒屋のちゃちな作りのテーブルが揺れて、酒の入ったジョッキが足元に転がる。

地面に倒れ込もうとしたところを先輩に救われた。


「外の空気吸ってこよう、浅羽。」

「すっ、スンマセン……。」


心臓がバクバクして体中が熱い、立っていられない。

これが酔うという事か、よく考えたらここまで飲んだことがない。

自分は今、生れて初めて泥酔しているのである。

先輩に抱かれながら、ああ、このヒト宗谷より体がなってねぇな、キャリア長いって言っていたけど、本気でレギュラーになりたいならもっと鍛えた方が良いのに、と、妙に冷静な事を考える。

こんな風に誰かと密着するのも久しぶり……。


「……!」


唇を無理やりふさがれ、舌を入れられた。

力が入らない。心臓がバクバクいう。

腹の中で食べたばかりの鶏の唐揚げが喉元に逆流してくる感じがたまらなく不快だ。


「どっかホテル行こうぜ。俺の部屋でも良いし。」


つき放そうとする腕に力が入らない。

別に誰ともセックスしたくないわけじゃないけど部活の先輩はまずいだろう。

宗谷の時みたいに居心地が悪いのはもうご免だ。それにとにかく気持ち悪い。

ただ股間をけり上げれば良い。けれど膝が上がらない。

どうしよう、どうすれば……!


「グアッ!」


先輩が吹っ飛んだ。


「大丈夫か、浅羽。」


こいつの体、スゲェ鍛えてあるなぁ。


「貸しができちまったな、宇梶……。」

「こんなのは貸しに入らない。」

「ちょ、どいてくれ……。」


宇梶の腕をほどいて浅羽は道路わきの植え込みに滝のように吐いた。


「男に迫られるとは災難だな。」

「いやぁ、別に平気だぜ。俺、童貞だけど処女じゃねぇし。」


そ、そうか、と、少し動じながら宇梶はウーロン茶のペットボトルを差し出した。

浅羽は口をすすぎ、ああ、スッキリしたあ、と、小さく言う。


「浅羽、一人で帰れるか?」

「分かんねェけど多分大丈夫。」

「こういう場合は大丈夫という奴の方が危ないと聞いたことがある。家に着いた後、急性アルコール中毒になる可能性もあるし、俺の家に来るか?」


低い良い声だ、と思った。

宗谷とは違うけれど、好きな声だ。


「じゃあ、ありがたく世話になるか。礼は体で払おうかなあ。」


冗談めかして言ったつもりだったのに、宇梶はまじめな顔で、


「お前はいい奴だ。自分を安売りするな。」


がしっと肩を抱く。


「俺の部屋は少し遠いが歩こう、飲み会代を2人分払ったからタクシー代がない。」


と言った宇梶に


「フラフラして歩けねぇ……おんぶしろよ。」


と、浅羽はわざと足をもつれさせ、


「おんぶは重いんじゃ……浅羽軽いな!どこに筋肉ついてるんだ?」

「宇梶の背中は熱いなぁ。」

「お前も熱いよ。二人とも一升を一気で飲んだんだぞ。酔ったんだよ。」


宗谷とは違う、だけど好きな感じの体臭をかぎながら、


(実は全部吐いちゃったからもう全然苦しくないんだよね……)


と、空を見上げた。

月は高い場所に小さく輝いていた。

みぞおちは痛まなかった。


***


目が覚めるといつもと違う天井が見えた。頭がにぶく痛む。


(人生初、二日酔い……そうか、部活の飲み会か。)


体が重くて動かない。

するすると昨日の記憶がよみがえる。

クッソ先輩アイツ最低だったナァ。


「シャンプーをしながら、目を閉じたまま、シャワーも出せない♪」


低い歌声が小さく聞こえてくる。

パフュームか。


「けれど、そのうち慣れてくるでしょ♪」


宇梶が歌っているのだ、と分かった瞬間「ブハッ!」と、吹き出してしまった。

ベッドを譲ってくれたのだと思い出した。

クイックルワイパーを動かしながら宇梶は振りむき、

それを見た浅羽は何だか愉快になって、ぶはははは、とただただ笑った。


「何かおかしいか?とりあえず水を飲め。食べに出てもいいが食欲はあるか?味噌汁ならあるぞ、レトルトだけど。」


何とか笑いを止めてコップを受け取る。

「水が美味いねぇ。」

「オフクロも引っ越しの時水が美味いのにびっくりしていた。地下水で、水道代も安いぞ。」

「そう意味じゃなくってな……お前酒は何ともないのか?」

「水を大量に飲んで寝て、朝風呂に入って更に味噌汁を飲んだ。うちは親戚が集まった時あれより飲むからな。」


元気が出たら風呂に入れ、酒が抜けるぞ、と言った後、宇梶はパフュームメドレーを歌いながら1DKのフローリングを拭き終わってクイックルワイパーを片付け、コロコロでマットレスのほこりを取り出す。

主婦か。


「動きたくねぇんだけど、しばらくここで寝てていいか?イヤ、眠くはないんだけど。」

「それなら駅伝の録画でも見るか?」

「良いねえ。」


ベッドから見やすいようにテレビの位置が調整してある。

コロコロも終わったらしい宇梶がベッドに上がっていいか聞いてから浅羽の隣りに座った。

午後から部活だな、と時計を見る。


「陸上漬けだナァ……。」

「幸せだろう。」


 あと四年たったら社畜だもんナァ、と何の気なしにつぶやくと、


「プロは目指さないのか?」

「プロ?!お前と違って俺は戦績もないんだよ。院に行こうにも一般教養の授業にすらイマイチついていけてないし、運で入った大学だからな!試験前はよろしくね!あーでも学校教師の資格を取ってどこかの学校の陸上部のコーチをするか、卒業してから整体の学校に通い直してチームに入るのはアリかもなぁー。一生陸上やっていたいよな。」


ああ、と宇梶が応え、しばらく無言でテレビの画面に見入る。


「……こいつ前回とフォーム変えてきたな。」

「タイムは縮んだのか?慣れるまで一時的には順位下がりそうだが。どうだろう。」

「部活の誰か変更前と最新のデータ持ってねぇのかなぁ。」

「待て、自動録画でHDの中にあるかもしれんが、買ったばかりだから操作が分からん。」


二人でリモコンをのぞき込んで、ああでもないこうでもないとボタンをさわる。

距離が、近い。

そわそわする。楽しい。

結局月曜の朝まで浅羽はだらだらと宇梶の家に泊まった。

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