10 バナタージュ公国の争乱
パトリシア達が部屋から去った後、アスクの緊張の糸が解けて大きく深呼吸をした。
「お疲れ様でした。アスク様」
そう言ってエネラはアスクの前に新しい紅茶を注ぐ。
パトリシアは話の内容が大き過ぎて、用意された紅茶には手を出さなかった。
出された紅茶を一気に飲み干して落ち着く。
本当ならゆっくりと味わって飲みたかったが、今はとにかく喉が乾いていた。
「さて、計画通りに動くかな」
「動くと思われます。密偵からの報告ではいつ暴発してもおかしくない状況だと」
「そうか。ならばさっさと魔物の掃討を終わらせるか」
「はい」
アスクは第三軍と第二軍に直接指示を出す。
それを受けてまるで一つの芸術の様に、魔物連合軍を翻弄し包囲殲滅して行く。
アスクの的確な指示と、それを実行に移す力量を持った軍がいればこの程度の事は造作もない事である。
攻め寄せて来た魔物連合軍を殲滅した後、魔物の本拠地に攻め込む。
上空から鷲獅子隊による偵察を行い、既に本拠地の位置は割り出している。
道中の安全は偵察部隊を広範囲に送り込み、安全を図る。
そして漸く全ての作戦行動が終わり、部隊が帰還してから数日後、バナタージュ公国で動きがあった。
遂に第一公子フランシスと第二公子ニコライの間で、刃傷沙汰が発生する。
フランシスとニコライはそれぞれ北と南の領地に戻り次第、兵を挙げたとアルクに報告される。
更に北のジョサイア王国では軍の動員が開始され、南のノーザンポーク連合王国では部隊の一部が、バナタージュ公国との国境地帯に増員された。
ジョサイア王国の狙いは豊かな穀倉地帯であり、ノーザンポーク連合王国の狙いは仇敵であるリンギール人民連邦に対する戦力と言った所である。
この報告はまだパトリシアには伝わっていない様である。
今は伝兵が必死にこちらに届ける為に向かっている所である。
因みにこの数日間、パトリシア達は歓待を受けていた。
バナタージュ公国は内陸国である為に、滅多に魚は食べれない。
食べるとしても川魚であり海魚は例え貴族と言えども、食べる事はなかった。
しかしローゼンハルド王国は海に面した国であり、長期保存の方法も確立している為に海の幸が豊富であった。
自国では食べたことの無い様々な食材に、パトリシア達は日々驚きの連続であった。
更に都市の見学も許していたので、色々と違う仕組みに驚いていた。
閑話休題。
「ふむ、いつでも動けるように西部方面軍には伝えておいてくれ」
「畏まりました」
現在主に軍は南部方面軍と西部方面軍に分かれている。
西部は対人類を想定しており、南部は対魔物を想定した編成になっている。
勿論方面軍以外にも軍はいるが、基本的にはこの二つの軍を主軸に作戦行動を考えている。
そして一週間後に漸く伝来がパトリシアの元に届く。
すぐに帰国しようとしたが、現在バナタージュ公国に戻るのは非常に危険な状況であり、この地に留まるようにと公王である父からの手紙もあった。
アスク宛の手紙もあった。
それは要約すると迷惑をかけるが、どうか娘の安全を頼みたい。と言う内容であった。
これに対してアスクは了承した。
現在公王は自身の傘下の貴族たちと共に、首都にて防衛行動に入っていた。
首都は北と南に挟まれている為に、危険な状況に変わりはなかった。
今はまだ他国から介入は無いが、時が経てば流れ込んで来る事は目に見えていた。
アスクはパトリシアと会談を行う事にした。
「現在貴女の祖国は大変な状況になっていると聞いた」
「はい。事実です」
「良ければ手を貸そうか?ただしそれにはパトリシア嬢。貴女が立ち上がり公王となる事を宣言し、第一公子フランシスと第二公子ニコライを討つ事を宣言してもらう。その見返りに我が国は全力で貴女をサポートしよう」
この提案を受け入れると、実質的にバナタージュ公国はローゼンハルド王国の属国になる事と同義であった。
だが、それは兄二人のどちらかが勝ったとしてもそれがジョサイア王国かノーザンポーク連合王国のどちらかになるかだけである。
そうなればローゼンハルド王国が敵に回る可能性もある。
圧倒的な力を見た今、ローゼンハルド王国と敵対するのは得策では無い。
「わかりました。私パトリシア・フォン・タージュは公王を目指す事を此処に宣言致します」
「承知した。ローゼンハルド王国は貴女を全力でサポートする事を此処に誓おう!」
すぐにこの知らせはバナタージュ公国に伝えられる。
現在第一公子フランシスの軍勢は1万8千であり、近いうちに複数の傭兵団が合流し2万3千になる予定であり、合流次第南下を開始する予定であった。
一方第二公子ニコライはその潤沢な資金を使用して既に他国の傭兵団も多数合流しており3万の数に膨れ上がっていた。
そして公王の元には1万程度の兵力しか存在しなかった。
その三陣営にパトリシアの決起の情報が入る。
パトリシア派閥であった中小貴族は呼応するように兵を挙げるかと思われたが、彼らも困惑しているようでまだ動きはない。
それに表立って介入はしていないが、マナスィール王国とシャフラン共和国の者達が傭兵としてフランシスとニコライの陣営に紛れ込んでいる。
そんな報告とは別に北の半島国家であるホーリーライト聖王国にまで遂に船が辿り着いたと報告が入る。
ホーリーライト聖王国は統一聖教の総本山がある国である。
統一聖教は簡単に言うと、全ての人類は協力し生き抜いて行こう。と言った宗教であり、そこから分派した西方聖教と東方聖教が存在する。
西方聖教は統一聖教の教えに加えて実力者を優遇する様な教えであり、実力主義の国家を誕生させた。
元々西方聖教を興したきっかけは西方の国々は魔物の領域と接しており、日夜魔物と命をかけた生存競争を繰り広げて来ており、自然と強者を歓迎する下地が出来ていたのである。
一方の東方の国々は、あまり魔物と接しておらず人族の国家も多い事から、人族以外を亜人として下に見る者達が多く、その中に過激な集団が誕生し人族こそ至高の存在と声高に主張し、亜人排斥を行い出したのがきっかけである。
その為に東方聖教は人族以外の国家は容認しておらず、東方聖教の教徒以外からは蛇蝎の如く嫌われている。
閑話休題。
ホーリーライト聖王国は統一聖教の総本山がある影響か、ホーリーライト人は熱心な統一聖教の教徒が数多く存在し、他国を受け入れてくれる。
その為に新たな国家であるローゼンハルド王国の船も受け入れてはくれた。
先ず、ローゼンハルド王国が送ったのは商船であり偵察隊である。
陸路からも向かわせる事は考えたが、陸路は海路の倍の時間と費用が掛かり、更には現在バナタージュ公国では内戦が起こりマナスィール王国とは国交は全くない(ホーリーライト聖王国も全くない)状況である。
その為に海路を選択したのである。
ホーリーライト聖王国に向かわせたのは、統一聖教の総本山があるからである。
聖戦を発動されでもしたら、統一聖教の信者全てを敵に回す事になり非常に面倒になるからである。
その為に早めに接触しておき、警戒心を削ぐのが狙いである。
それにもう一つの狙いは、過去にホーリーライト聖王国は異世界から勇者を召喚した国である。
来栖侑を召喚した神と同じ神かはわからないが、神が手助けしたのは間違いない。
侑を召喚した神は暫くは眠りにつくと言っていたが、念の為にその辺りも調べる必要がある。
「さてと、ではホーリーライト聖王国の方は予定通りに進めておくように」
「はい。畏まりました」
エネラに後は任せてこちらはバナタージュ公国の方に専念する。
現在パトリシアは連れて来た信頼出来る臣下達と共に、会議室の一室でこれからの動きについて議論を交わしていた。
特に有効な手立ては見つからず、取り敢えず首都にいる公王を助ける事を第一目標に設定した。
その後の対応はフランシスとニコライの動きにより臨機応変に動く予定である。
現在オベロンには常駐の第五軍3万の他に、第六軍3万、第七軍3万の計9万の軍勢が待機しており、いつでもバナタージュ公国に向けて出発可能な体制を整えていた。
そしてそろそろアスクは動く事にした。