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Lost Family

作者: 丹善人

 メアリー・ミランダ女史と言えば、ジャーナリストとしての評判が高いが、一方で例のロビンソン博士親子との親密な関係から、彼らのスポークスマンとしても名高い。先年起きたロビンソン一家に関する事件……父親アランと息子ビリーの妻エミリーの謎の死亡事件。及びビリーと孫ビリーJrの失踪……について警察当局もビリーを必死に捜索するも、その行方は以前と知られていない。はたしてビリーとその息子は事件に巻き込まれて消息を絶ったのか、はたまた一部週刊誌で騒がれたようにビリーが犯人で逃走中なのか。

 もちろんメアリー女史も関係者として捜査協力を要請されたが、彼女自身何も事実を知らないとして数年が経過した。そんな中、10年間の沈黙を破ってメアリー女史から発表された内容はまさに驚くべき物であり、これを事実とするか、あるいは女史の創作なのか、この件について女史は、判断は読んだ人に任せると述べている。女史が持っていたとされる証拠品は、すべてを闇に葬り去りたいとする意向からすでに焼却されたという。このことが証拠隠滅にあたるのかが問われたが、たとえこれが警察の手に渡ったとしても、事件の証拠品とされることはおそらくありえないこととして扱われるものになるであろう。

 しかし、ここに発表された「事実」は一大センセーショナルな物になることは間違いない。そしてロビンソン博士たちの偉業が少しも損なわれることもなく、ましてその偉業の裏付けとなることも間違いないだろう。この意図の元、メアリー女史の協力を得て、その事件の全貌をここに明らかにしたい。


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 私が彼ら親子に遭遇したのはまさに運命と言ってもいいでしょう。それは忘れもしない、私がハイスクール2年生の夏の夜のことでした。あの日は天気も良くて雨が降るような気候ではありませんでした。

 突然の爆発音は雷が鳴ったというよりかは、ジェット機が墜落したと言っても良いほどでした。家の裏の広々とした空き地から突然爆発音が聞こえ、私たち家族は皆飛び出しました。そして焼けこげる地面のそばにあの親子が倒れていたのです。地面は焼けているだけで何も残骸はありませんでした。ええ、まったく何もなかったのです。彼ら親子だけ突然地上に現れたように。

 とっさに親子だと信じ込んでいましたが、本当にそうだったのかわかりません。早とちりかもしれません。父親らしき人は背広姿で、息子らしき少年はなぜかパジャマ姿でした。後にわかったことでしたが、専門的な鑑定では親子であることは間違いないようなのでほっとしました。何しろ警察や病院に、親子が倒れていると連絡したのは私ですから。最初から誰もがそう信じて行動しましたが、もし誘拐事件などだったらどうなっていたのか。


 最初に思ったのはUFOが墜落したのかと。地面に激突してその宇宙物質は爆発と同時に消滅したのではないかと。でもそれはあり得ないと言うことは後にわかりました。ちょうどあの日、ほど遠くない小学校で星空観測が行われていて、UFOを目撃した人は誰もいませんでしたし、天体観測所でも何も変わった物は観測されていないことがわかっています。私は当時ジャーナリスト志望でマスコミ研究会に所属していて、そういった所にもよく顔を出していたのですぐにわかりました。


 もちろん彼らが宇宙人でないこともはっきりしています。すぐに大学病院に運ばれ手当と共に身元確認やその他の検査が行われましたが、彼らは完璧な英語がしゃべれました。しかし身元を確認する物はあの写真以外一つもありませんでした。彼ら自身爆発のショックからか記憶をすべて失っていました。全国的に行方不明者の照会も行われましたがとうとうわからずじまい。まさに天から突然降ってきた親子としかいいようがありませんでした。

 唯一あったのが父親の背広のポケットから出てきた親子3人の写真で、裏に「ビリー3歳の誕生日に撮る。アラン」と書かれていました。そして背広にはロビンソンと縫い込みがありました。名前の特定ができるのはこれだけでした。写真に写っていた母親らしき女性は特定できませんでした。我が家の家系の顔に似ていると申し出てきた家族もいましたが、このような年頃の女性はそこにはいませんでした。自分の名前の記憶さえわからない彼らに対して、父親をアラン・ロビンソン、息子をビリー・ロビンソンと呼びました。その名前に対して二人とも抵抗は見せず、慣れ親しんだような感じがすると言っていたので以後そう呼ぶようになりました。しかしこの地上に漂流してきた親子がロビンソン一家というのも皮肉なものです。


 私は最初の関わりもあって彼らが入院していた病院にちょくちょく顔を見せました。警戒心の強かった彼らも私にだけはリラックスするようになりました。特に母親がいないビリーにとっては私は母親替わりのように思えたのでしょうか、すぐに彼と親しくなりました。手元に残されていた母親の写真と私の雰囲気が似ていることもあったからかもしれません。もっともよけいな事で母親を思い出させるようなことをしたくない、私と母親を混同させたくないと言うアランの思いで、母親の写真をビリーに見せることはありませんでした。

 行動経験その他からビリーは5歳だろうと判断されました。父親のアランは最後まで年齢は特定できませんでした。学生時代のことや当時流行っていたことなど、いろいろな角度からの調査も行われたのですが、年齢を特定するどの内容にも反応しませんでした。まるで彼らが現れたその時以前の世界のことは何もしらないかのようでした。逆に年齢的に存在することがありえないような、つまり世界史やアメリカ建国の頃の話などは、学校で教わる程度の内容はしっかり知っています。それも教科書に加わった最新の研究内容は知っていました。教科書内容が書き換えられた頃のことを覚えているのなら習った年代を特定できるのですが、まるで今習ったかのように思えたり、あるいはその時代にいたのかと。そんなことはありえないでしょう。事実、彼らが来ていた服はファッション的にも古い物ではありませんでした。


 知識と言えば驚かされたのが、アランが持つ科学知識でした。検査をしたのが大学病院でしたが、その大学でさえ最新の科学知識を彼はすでに常識として持っていました。おそらく彼はどこかの大学の研究者だったのかもしれません。ある国の紛争に巻き込まれて逃亡してきたのかと大学では考えられました。その国では秘密裏の研究が行われてきて、彼らの存在も逃亡したことも一切が秘密にされたのかとも。

 彼らはただちに生活の糧を得ました。この大学に迎え入れられたのです。同時にビリーの知能検査も行われ、かなり高い天才児の知能があることがわかり、特別な教育課程に入れられることも決まりました。ただ一般人とかけ離れた世界におかれてしまうと偏った人格が形成されることもあったので、私との関わりも強くなりました。ビリーは私以外の人とはなかなかなつかなかったこともありましたから。もちろん後には普通の社会人として成長してきましたが。私もジャーナリスト志望でしたからいろいろ記録も残しましたし、いろんな場所にビリーを連れ出したりもしてその成長記録も得ました。これらのことが後にロビンソン博士の発表に大いに役立った物と思われます。


 アランの加入は大学の研究チームにとって画期的な物でした。彼の持つ科学知識と能力はずば抜けていて、つねに驚かされるばかりだったと言います。私はあまり深く科学知識を持たないのでどのくらい素晴らしいのかよくわかりませんでしたが、その後の彼が成し遂げた研究の成果は皆さんがよくご存じです。いくつもの発明と特許を取り、莫大な財産を持ったアランは、自分たち親子のための家と研究所を建てました。あの土地、彼らが最初に発見された土地を購入し、自分たちの家にしたのでした。私の家に近いこともあって、私にとっても実に都合の良いことでした。セキュリティーも完璧にしましたが、私を家族同様に扱ってくれて、家族だけが持てるキーを私にもくださいました。


 私が大学を出て雑誌社に就職した後は、ジャーナリストとしてのつきあいも始まりました。私に科学知識があまりないので私との単独インタビューは難しかったのですが、私を通してでないとインタビューには答えないとアランが強く言うので、いつも科学専門の記者と一緒にインタビューを行いました。アランにとっても私はビリーの母親、つまりアランの妻に雰囲気が似ていて落ち着けると言うこともあったのかもしれません。

 もちろん私に対しての中傷は多かったです。私が彼らを独占するようにし向けているのだと。そんなことで一時彼らの担当をはずされたこともあったのですが、ご承知のようにその時期のアランのインタビュー記事は悲惨な物になっていました。あてつけでもなんでもなく、アランは私がいないことでパニックになってしまって何をしゃべっているのか支離滅裂でした。女性でないといけないのかと、科学に強い女性記者とかが訪れたときもありましたが、それでも無駄でした。私がインタビューに関わらない2年間は雑誌記事だけでなく、大学での研究でも散々だったようです。そんなわけで皆から請われて復帰することになりました。もう誰も私のことを中傷しませんでした。私がいないとアランはまったくマスコミに出られないことがよくわかり、私がいないと科学雑誌は記事を組めないと知ったからです。


 当時いろんなゴシップが流れたこともありました。私とアランができているというような。はっきり言ってそれはありませんでした。もちろんアランと接する機会が一番多かった女性は研究チームの人を除いては私が一番でしたが、私にそういう気はありませんでした。彼と再婚することはナイアガラの滝に飛び込む以上に冒険です。アランの妻に私が似ているからというのは私にとってあまり気分良いものではありませんし。何より私には科学知識があまりなく、彼を家庭で支えることなどできるはずもありませんでした。私の両親も最初から釘を刺していました。彼らと親しくなるのは大いに結構だが、「どちらとも」結婚しないようにと。正直笑いましたね。アランとは年齢的にも結婚はありえるかもしれませんが、私が親しかったのはむしろビリーとでしたから。しかし彼は推定10歳以上年下で、彼は私を母親替わりに慕っていましたがそれ以上ではありませんでした。私も息子というと言い過ぎですが年の離れた弟のような気もしていました。

 そんなこともあって、私は仕事でコンビを組むことが多かった科学記者のトニーと結婚し退職しました。もっともアランのスポークスマンとしての仕事は続けないといけないので、フリー・ジャーナリストの肩書きでその後も仕事は続けましたが。


 やがて娘が生まれて幸せな家庭を築いてはいたのですが、時代は私を放っておいてはくれませんでした。あの宇宙工学を根本的に変えてしまうアランの研究成果が発表された時でした。世間の科学誌は一斉に特集記事を出し、一般雑誌も記事を組むようになり、私が頻繁に呼び出されることになりました。アランとその頃には大学に入ったばかりながら研究に加わりだしたビリーも申し訳なく思い、私がいなくてもインタビューに応じようと努力をしてくれましたが、まどまともに対応できていたビリーに質問攻めがくるようになって体調を崩してしまい、結局私の出番がまた増えました。

 そんなことでトニーとの間に亀裂が入り出したことをマスコミのせいにするつもりはありません。私の中にロビンソン親子を独占したいという思いがなかったかと言えば嘘になるかもしれませんが、私にしか心を開けなくしてしまったことの責任の一端は私にもあると思っています。トニーと離婚することになったのは自業自得でした。その後荒れたトニーが事故で亡くなったことを知ったときは彼に申し訳ない気持ちで一杯でした。トニーのためにも、もう二度と誰とも再婚しないと誓いました。


 父親のいない娘のジニーはひまがあるとビリーに遊んでもらいました。ビリーもジニーをまるで自分の娘のように可愛がってくれました。私と違ってジニーは科学が好きでした。もちろんビリーの才能とは比べものにならないほどですが、彼女が後に理科の教師になったのは彼の影響だと思っています。

 私も東洋の諺で門前の小僧習わぬ経を読むなどというように苦手であってもそれなりの科学の知識もできていたので、子ども向けの科学読み物を書いたりしてやってきました。もちろんその頃にはビリーの手伝いがあってできたことですが。いけないとは思いつつもどうしてもビリーを独占しようという思いがあったのかもしれません。しかしビリーはしっかり独り立ちしていました。

 もう40歳の声が近づこうとした頃でしたがビリーは同僚の若い女性を見初めて結婚しました。もっともその相手エミリーは、どことなく雰囲気が私に似ているような気がしたので本当に独り立ちしたのかどうか疑われますが。結婚の話を知ってジニーは泣き明かしました。私には思いも寄らないことでしたが、ジニーは本気でビリーと一緒になりたかったようでした。昔、私の親がビリーとも結婚しないように言ったことを思い出しました。私にとってはあり得ないことでしたが、ジニーを見ていると考えられなくもないことだったのです。もちろん結婚式にはジニーも出席して精一杯の祝福をしていました。相手の女性がまったく違った人でなく、私たちと似たような雰囲気だったのがよかったのかもしれません。


 この結婚式の時、実は私には奇妙な思いがありました。今思えばその思いの元を知ることができるのですが、何か心に引っかかるものがありました。そしてふと父親のアランを見るとその様子もどこかおかしかったです。まるで忘れてしまった自分の結婚式のことを思い出しかけているかのような。それも痛みを覚えるようなそんな表情をしていました。

 アランの過去の記憶は結局戻りませんでした。しかし息子の結婚式が記憶を呼び戻すきっかけになっているのではないか、そんな気がその時はしました。でも本当は違ったのです。アランがそこで見ていたのは、息子の結婚式ではなく、まさに自分の結婚式だったからです。そのことにもっと早く気がついていればあの悲劇は起こらなかったかもしれません。この時には誰もアランの記憶を戻そうということはやめてしまっていました。ロビンソン一家にとって重要なのは現在を生きることであって失われた過去を追い求めることではないと結論づけてしまっていました。


 ビリー夫妻はアランと同居しました。もちろん広い豪邸で研究所も兼ねているのですから。アランの研究はこの頃にはほとんどビリーが引き継ぐようになっていました。この頃からです、アランの様子が徐々におかしくなりだすのは。最初は初めて女性の家族が出来たという珍しさからだろうと思っていましたが、アランがけっこうよくエミリーに話しかけます。私以外の女性にアランがうち解けるのはエミリーが初めてでした。それ自体はむしろ良い傾向であって私がとやかく言うことではありませんが。

 しかし1年後に夫妻に息子が誕生したときからあきらかに事情が変わってきます。夫妻は息子の名前を「C」で始まる名前にするつもりでしたが、アランは孫の名前を「ビリーjr」と付けるように強固に主張しました。事実アランが初めて孫と対面したときから彼は孫を「ビリー」と呼んで周囲を混乱させました。老い先短い祖父のたった一つの願いをビリーは聞き入れました。


 ジュニアが3歳くらいになった頃でしょうか、突然アランは引退を表明しました。事実かなり老いが入っていて、この頃におそらくアランは70歳か80歳くらいになっているのではないかと思われました。

 そしてアランは、自分の名前を息子に譲ると表明しました。この世界で「アラン・ロビンソン」の名前は偉大な科学者としてネームバリューを得ていました。もちろんビリーの名前も高かったのですが、自分の名前をそっくり譲る、引退した自分はシニアと名乗ると言い出しました。

 さすがにその申し出をビリーは辞退しましたが、アランは勝手にすべての手続きを変えてしまいました。アランはシニアになってもアランのままでいいでしょうが、困るのはビリーの方です。世間に勝手に公表してしまったので、公式的には彼はアランと呼ばれ、私的な場所では依然ビリーと呼ばれます。アランに言わせれば、ビリーと言う名前は孫が受け継いでいるからいいじゃないかと言うのですが。私もこのまま文章を続けると混乱を招くので、依然ビリーはビリーのままで表記していこうと思います。


 ビリーが結婚してから私が彼らに関わる機会はぐっと減りました。アランがインタビューに出ることもなくなり、ビリーにはエミリーがいるので十分でした。もっともジュニアのお守りとかはよくやっていましたが。

 そしてジュニアが5歳になった頃あの悲劇が起こります。その1週間前くらいのことです。ビリーの家族が出かけている間に私はアランに呼び出されました。最初は昔話の相手をしていたのですが、その頃にはほとんどベッドに寝ていることが多く、老い先短いアランは私に遺書を残すと言い出しました。笑い飛ばした私ですが、アランは思いも寄らない方法で私に渡したい物があるから、10年後の何月何日にこの家の「跡」に来て欲しいと言いました。もうかなりぼけているんでしょうか、この家が無くなるはずもないのに。

 このことを私はその日まですっかり忘れていました。だから警察にもこのことは言いませんでした。言えば私までぼけだしたと思われるのが関の山ですから。まさか本当にその当日にロビンソン家の「跡」に私宛の荷物が届くなんて思いも寄りませんでした。


 事件はその1週間後に起こりました。


 忘れもしません、夏の日、そうです、ちょうどロビンソン一家がこの地上に出現したのとまったく同じ月日の同じ時間です。

 ロビンソン家で大爆発が起きました。私は娘と一緒にかけつけました。家は吹き飛んでいます。それはひどい様でした。現状をとどめる物は何もありません。そう、まるでジェット機が家に落ちてきたようなそんな感じでした。私と娘は泣き叫びながら家の跡を探しました。警察もやってきて、焼け跡からアランとエミリーの死体を発見しましたが、ビリーとジュニアはとうとう見つかりませんでした。

 検死の結果、どうやら二人は焼ける前に死んでいたらしいということでした。しかし死体損壊がひどいので十分は確認できません。事情徴収で私も知っていることは全部話しました。アランの様子がおかしくなってきたことも包み隠さず話しました。警察ではビリーが父と妻を殺して息子を連れて逃亡した可能性もあり、あるいはビリーと息子だけが出かけている間にアランとエミリーの間に何かが起きて殺し合いになり時限装置で爆発が起きたのか、はたまた第三者が侵入してきてアランとエミリーを殺した後ビリーとジュニアを誘拐したという3つの可能性を調べていました。いずれにしても行方不明のビリーとジュニアを探すことが先決です。もちろんまだ5歳のジュニアが事件の全貌を認識しているはずもありませんが。


 結局何の手がかりも得られないまま10年の日々が過ぎていきました。私ももう彼らのことは忘れかけていました。

 そんな夜のこと、なんとなく寝つかれなくて窓の外のロビンソン家「跡」をながめていたら、突然明るい光が家跡を照らし出したのです。思い出しました。今日が「あの日」だったのです。私はいそいで彼らの家跡に行きました。そこに荷物を発見しました。誰がそこに置いたのか2つの段ボール箱がそこにありました。もちろんそんなものはこれまでありませんでした。箱の表には私宛とありました。一つはしっかりした文字で、一つはよれよれの文字で。

 何の根拠もありませんが私には理解できました。一つはアランから私宛の物、もう一つはビリーから私宛のものだと。10年前に死んだり行方不明になった人から品物が届くなんて常識では考えられませんが、常識を越えた不思議な科学の世界に関わってきた私には、彼らが常識を越える能力があることを疑いもしませんでした。


 段ボールの中に入っていたのは彼らの日記でした。当時ジャーナリスト志望だった私は、幼かったビリーに日記をつけ続けるように言いました。たとえとぎれとぎれでも意味があるからと。アランも日記を書いていました。その二人の日記が私に送られていたのです。

 アランの日記は私と出会った、あの出現場面から描かれていました。ビリーの日記は当然文字が書けるようになってからのことから始まっていましたが、ビリーの記録の最後が知りたくて日記の最後を探しました。

 そしてそこを読み始めたとき、私は実に奇妙なことに気がつきました。あわててアランの日記の最初の方を読み比べたのですが、二人の筆跡がまったく同じだったのです。ビリーが消失する頃の文字と、アランが出現した時の文字が奇妙に一致するのです。まるで時間軸を折り曲げてつなぎ合わせたかのように二つの日記がつながるのです。


 私は日記を読み返そうと、無意識にアランの日記の最後の方を手に取りました。そのとき、日記に挟まれていたあるものが落ちました。古ぼけた写真です。忘れもしない、アランが出現したときに唯一ポケットに入っていたあの写真です。裏にはあの「ビリー3歳の誕生日に撮る。アラン」という言葉が、もう消えかかってはいましたがはっきり読み取れました。

 それを見たとき愕然としました。そしておそらく事件の全貌を理解しました。私がときどき感じていた奇妙な感覚、そして彼らが私だけになついた理由、結婚式での出来事、すべてがつながりました。そこに写っていたのはアランとその妻と息子のビリーのはずでしたが、それはどう見てもビリーとエミリーとジュニアでした。私は大きな勘違いをしていたのでは。そんな思いがし始め、二人の日記をしっかり読んでいきました。内容が重なる部分については二つを並べて見比べました。特にアランとエミリーが亡くなり、ビリーとジュニアが消失したことを記した部分については何度も読み返しました。それは怖ろしい事実でした。


今ここに、彼らの日記からの要約をあげさせていただきます。実際にはビリーの日記を先に読み、衝撃を受けた後にアランの日記を読んだのですが、ここではアランの話を先に述べた方が良いと思うのでその順にします。もちろん原文は日記なのでほとんど箇条書きでまとまらない文章になってしまうので、あえてわかりやすくするために私の手を加えて物語風に書き換えました。実際の日記とは形式が異なりますが、内容は日記に書かれたものそのままであることを約束します。


「アランの日記より」……


 ビリーがエミリーと結婚したいと言い出したとき、私は最初信じられなかった。彼はずっとメアリーを慕っていて、彼女と結婚するのは無理だとしても、メアリーの娘のジニーが成人するのを待っているのではないかと思っていたからだ。そのことを本人に聞くと、確かにジニーとは親しくてまるで自分の娘か妹みたいだと思っているが、結婚というとどこか違うという気がずっとしていたという。いわゆる運命的な物を感じないと。

 それがエミリーと出会って、この人こそ運命の人だと直感で思ったという。世間では一目惚れというかもしれないが、そういうのとはまた違った、本当に運命としか表現できないという。私は運命という物を信じないたちだったが、ビリーがエミリーを我が家に連れてきたとき、彼の言った言葉が理解できた。まさしく彼女こそ我が家にふさわしい人だと私も感じたからだ。

 長らく友人であったメアリーには申し訳ないが、メアリーが我が家にいるときと、エミリーが我が家にいるときでは私たちの気持ちが大きく違っていた。エミリーも我が家を気に入ってくれた。彼女はビリーの同僚と言うこともあって、彼の研究をよく理解していたし、私が個人的にやっている研究についても(このことを他人に話すのは彼女が始めてではあったが)すごく関心を持って意見を述べてくれた。まさに我々には理想的な女性だった。後で聞けば、彼女も私たち親子に会ったときに、この人達の家族になるんだという運命的な思いを感じたそうだ。


 このように書くと、私は全面的に二人の結婚に賛成していたかのように思われるが、実は正直に言うと、私の心の中に何か正体のしれない不安のような物もあった。私はそれを息子に対する嫉妬心だと理解していた。だが、二人の結婚式で私の不安は再び大きくなった。何かしれない黒い物、後悔に似たような思いがしてならなかった。何かを畏れる理由などまったくないのはわかっていたけれど。

 エミリーは我が家にすぐにとけ込んでいった。これまで対面的にはメアリーの助けがかかせなかった私たちだったが、身内であるエミリーが替わってくれることはメアリーへの負担がなくなったことで、彼女にこれまでどれだけ重荷を背負わせていたのか肩の荷をおろしたような気分になった。もちろんメアリーと疎遠になるということではなく、これからは本当の友人として接することができるようになったということがただ嬉しかった。


 エミリーは私に対しても優しかった。私の個人的な研究はたまにビリーが手伝ってくれてはいたが、ビリーが忙しいときはエミリーが手伝ってもくれた。そんなうちに、ときどき私は奇妙な思いに取り憑かれるようになった。これまでにもエミリーが私を手伝ってくれていたような、私のそばにいつもいてくれていたような、そんな既視感を感じだしていた。ビリーが彼女を連れてくる前に私は彼女を知っていたのではないか。

 あるとき身の上話などの合間に、以前に私とどこかで会わなかったかと尋ねたこともあったが、ビリーに連れられてやって来た日が初対面だと答えていた。その言葉に嘘は感じられなかった。私たちは二人の身の上話を繰り返し話した物だった。彼女はけっこう興味深く聞いてくれていた。そんな日々を過ごしながらも、何かがどこかで違っている、そんな思いだけがつのっていた。

 そして彼女が身ごもったことを知ってビリーが喜び興奮しているときになぜか私は産まれる子供は男の子だと断定していた。実際に男の子が生まれたとき、初対面の孫に私は無意識に「ビリー」と呼びかけていた。どうしてなのかわからない。でも、この子はビリーなんだと、そんな強い思いを感じた。結局その子は「ビリーjr」ということで落ち着いたが、息子のビリーがいる前ではジュニアと呼んではいたが、孫だけの時にはビリーと呼びかけていた。


 決定的な出来事があったのはジュニアが3歳になったときだった。親子3人の写真を撮ろうとしたとき、エミリーはそれまでの長髪を切ってショートカットにしていた。出来上がった写真を見て私は驚いた。この写真には確かに見覚えがある。この世界に私たちがやってきたとき私が持っていた写真がこのような写真ではなかったのか。

 あのとき、記憶を蘇らせるためもあって、5歳だったビリーに写真を見せたことが一度だけあったが、その後はビリーの目の届かない所にしまっておいた。どこにあるのか急には見つけられないが、あの写真にきわめてよく似ていた。ビリーはそんなことは覚えていなくて、出来上がった写真を写真立てに入れて机の上に飾っていた。

 しかし私はその写真を見るたびに奇妙な思いがわき起こりだし、とうとう仕事の上でも影響を見せ出し始めた。そこで私は、いい機会だからと引退を申し出た。そして同時に思ったのだった。アランという名前を名乗るのは私にはもう終わってしまった。これからは息子がアランと呼ばれるべきなのだと。だから私は息子の承諾を得ないままにすべてを変えてしまった。公式的にはこれから息子がアランと呼ばれるのだと。もっとも息子はそのことをずっと承知はせず、私が彼をアランと呼んでも一切返事をしなかった。だから家の中ではそれからもビリーと呼ばざるを得なくなった。


 引退した私は時間が十分でき、自分のライフワークとしている「TM」の研究に没頭することにした。ビリーもエミリーも手伝ってはくれていたが、エミリーを見るたびに私の中でどうしようもならない思いがわき上がってくることを押さえることが出来なくなってしまっていた。そしてそのことがあの出来事につながってしまった。

 ビリーが大学に泊まり込んでいる夜、私はエミリーの寝顔を見に彼女の寝室に忍び込んだ。最初は寝顔を見、側で横たわりたいというそんな思いだけだったが、彼女の顔を見たときに抑えられなくなって彼女にキスをしてしまった。目を覚ました彼女は驚いて激しく抵抗をしてきた。それが逆に私を刺激して彼女を無理矢理押さえ込むことになった。それでもなお嫌がる彼女に私は一つの言葉を投げかけた。

「エミリー、一つだけ教えてくれないか。君の右のお尻にほくろが二つあるんじゃないのか?」

 エミリーは驚いたような顔をして私を見つめた。もちろん私が彼女を裸をのぞき見したことなど一度もない。けれども、彼女を見ていると、服を着ているにも関わらず、その服に包まれた彼女の体がまるで透けてでもいるようにはっきりわかるような気がしていたのだった。

 彼女はもう抵抗をやめていた。私はもう一度唇を合わせると彼女の体を抱きしめた。ほくろは確認しなかったが、私たちは許されない一線を越えてしまった。私は今の世界で女性を抱いたことはなかった。だが彼女の体の感触は私が知っているそれだった。まるで昔から彼女とはこんな関係だったかのような。


 すべてが終わった後冷静になった私は泣いて彼女に謝った。とんでもないことをしてしまったと。死んでお詫びをしたい気持ちだった。実際、今の研究がすべて終われば私は命を絶ってもいいと思っていた。彼女は何も答えなかった。


 翌日、彼女の顔を見るのはつらかったが、彼女はまるで何事もなかったかのように私に接してくれていた。だからビリーが大学から戻ってきても私たちが犯してしまった過ちに気づくことはまったくなかった。私はそれで済んだ物とその時は思っていた。

 しかし数日後、またビリーが帰らない日、私は自分の研究室で一人で研究を続けていたが、真夜中にエミリーが入ってきてコーヒーを持ってきてくれた。彼女と夜に二人きりにはなりたくなかったが、疲れもあって一緒にコーヒーを飲んだ。そして研究に戻ろうとしたとき、エミリーは私の後ろに近づいてきて、最初は肩を揉み出し、そのうちに私に抱きついてきた。私は手を止め、そのままの姿勢でしばらくいたが、彼女の顔が私に近づき唇を合わせた。そして気がつけば私たちはベッドに横たわっていた。

 こうして息子に隠した秘密の出来事が始まった。私は自分の妻の感触を思い出していた。そしてエミリーから後に聞いた話では、最初は驚いたが、私に抱かれながら、なぜかビリーに抱かれているような錯覚を覚えたという。そのことを確かめたくてもう一度抱かれたのだが、やはり間違いではなかった。肉体の衰えこそあるけれど、私の愛し方はビリーとまったく同じ、目を閉じていればどちらに抱かれているのかわからないほどだったという。


 ビリーは研究が忙しく、エミリーにかまう時間が少なくなってしまっている場面が多くなっていた。その寂しさを癒すのにまさにうってつけの相手だったという。しかし聡明な彼女はおそらく私より早く気がついていたのだろう、私が実用化に向けて研究している内容と、自分の体を通して知った事実から、自分の夫と義父とそしておそらく自分の息子が同一人物だと言うことに。だからこれを不貞と読んで良い物なのか。彼女にしてみれば形は違えど同じ一人の男と関係を持っているだけなのだから。そんな割り切り方をしていたのかもしれない。しかし、彼女の中での意識の混乱は小さなことから精神的崩壊を始めていた。日常の中でも時々私とビリーを間違えることが起き出していた。破綻の時が近づきだしていた。どちらかともなく私たちは関係を持つことをやめていた。


 私の研究は最終段階に入っていた。無生物に対しての実験は期間が短い物の成功していた。長期間になっても成功する確信はあった。しかし人体実験については自信がなかった。生物を送る時に必要なエネルギーがこの機械でもつのだろうか。私もビリーも動物アレルギーがあるので個人で研究しているうえでは動物実験ができなかった。あとは自分の体を使って実験する以外にはない。

 そんなことを考えていたときにふいに私は気づいてしまった。それは思い出したのではなくまさに気づいてしまったのだった。自分が実験台になっても体力的に難しい可能性がある。ならばビリーが実験台になるのか。私の研究内容を熟知している彼なら実験台になってくれるだろうがリスクは大きすぎる。そこまで考えて愕然とした。すでに実験は行っているのではないだろうか。そして同時に別の事柄にも気がついた。どうして親子二人だけだったのだろうか?老人と妻はどうしたのだろうか?私の中で何かが音を立てて崩れ始めていた。


 その日の夢は異常だった。私が殺される夢だった。


 実際には少し違っている。「私」はビリーだった。手には血にまみれた花瓶を持っていた。私であるはずのアランが頭から血を流して事切れていた。放心状態の「私」は「父」の部屋を出て寝室に戻った。そして妻の体を床に降ろし、首に巻き付いているロープをほどき泣き叫んでいた。これからどうすればいいのかわからない。「私」は一人「父」の研究室に入った。そこに置かれているのは「父」が研究している「TM」である。その機械の目盛りには10年後のある日の日付が示されていた。「父」の研究はほぼ完成しているようだった。

 これから自分は警察に捕まるのだろうか。幼い「息子」はどうなってしまうのだろうか。一つの考えが浮かんだ。消えてしまえばいいのだ。警察の手が絶対に届かない所に。父の研究が役に立つ。「私」は自分の身元がわかるものをすべて抜き出した。どこの誰とも判らないようにすれば生き延びられるのだ。

 ただ一つ、愛する妻だけは置き去りにしがたかった。替わりに3人で写っている写真をポケットに押し込み、眠っている息子を抱き上げたまま「父」の機械に乗り込んだ。目盛りは適当に合わせた。作動ボタンを押したとき、部屋の電気が消え、火花が飛び散った。まだ機械は未完成なのかもしれない。「私」はあせっていた。いろいろボタンを押しまくると突然機械は激しく揺れ、大きな爆発音と共に「私」の意識は飛んでしまっていた。最後に意識に残ったのは、崩れゆく我が家と、そこから見えるはずのない二人の死体だった。


 これを正夢と言うのだろうか。あるいは自分の意識の中に眠っていた記憶が夢の形で現れたのだろうか。悲劇的な終わりは近づいているような気がした。


 ジュニアの5歳の誕生日を迎えたとき、私は感無量だった。どうやっても知ることのできなかった私の誕生日が確定できたのだ。そして同時に「あの日」が近づいていることもわかった。それはおそらく10日後の出来事に違いない。いろいろ思い悩んで、私は一人でもこの事実を伝え残さないといけないと思い出した。該当者は一人。私たちのことを一番理解してくれていたメアリー・ミランダ以外にいない。わたしは自分の日記をすべて段ボールに入れ、彼女に送るようにした。今手渡すとおそらく彼女は混乱するだろう。このことはどうしても止められない出来事なのだ。すべてが終わった後に届くようにするのが一番だと思った。夢が助けになった。10年後の日付を覚えている。それは決められたことなのだ。


 日記を片付けているときに「あの写真」が見つかった。一つだけどうしても確認しておきたいことがあった。息子の家族3人が出かけている留守を狙って、私は写真立てに治められている写真を取り出して、裏にメモを書いた。「ビリー3歳の誕生日に撮る。アラン」と。

 そして持ってきた古い写真と比べてみた。異なっているのは写真の古さだけだった。裏に書かれた文字は、まるでコピーをしたかのようにまったく同じ場所に同じ筆跡で書かれていた。

 写真を元に戻すと部屋に戻り、私の持っている写真を日記にはさんで一緒に送ることにした。聡明なメアリーならこの写真ですべてを理解してくれるだろう。そんな期待を込めて。


…………


 アランの日記はここで途切れていました。後は先に書きましたように、アランは私を呼び出して、日記を「TM」を使って私宛に送ったことを伝えました。もちろんその時には「TM」なるものの存在を知りもしませんでしたが。

 この後何が起きたのか。それはビリーの日記から知ることができます。少しだけ遡ったところから記録をまとめてみましょう。アランの時と同じく、文体などは変えていることをご承知下さい。



「ビリーの日記より」……


 エミリーが父と不倫をしていることを知ったときは衝撃だった。

 その日は大学での仕事が予定と違って泊まり込む必要がなくなって、夜には家に帰ることができた日だった。エミリーは眠りに入ったばかりのようでうつらうつらしていた。そんな妻が愛おしくなり、服を脱ぐと妻に覆い被さった。意識がうつろな妻はそれでも私を受け入れてくれたのだが、妻がもらした一言は私を凍り付かせた。エミリーは私の名前ではなく、父の名前を呼んだのだった。


 もちろん公式には私はアランと呼ばれている。しかし家では決してそう呼ばれることはない。幼い息子を除いて家族のみんなが私をビリーと呼ぶ。だから妻が私の名前をベッドで呼び間違えることなどあり得ないことなのだ。私はエミリーをたたき起こして問いただした。私が告げる言葉にエミリーは最初は驚愕し、その後は泣き崩れて必死に私に謝った。妻を追い出してもよかった。しかし彼女を愛する気持ちがそれに勝っていた。正直、この期間私は仕事が忙しく、妻をかまってやれないことが多すぎた。そんな心の隙間に魔の手が忍び込んでしまったのだ。非の一端は私にもある。エミリーは二度とこんな事はしないから許して欲しいと何度も何度も願った。私は何も言わなかった。


 考えてみれば父は一人の女性とも関わらずに私を育ててくれた。メアリーと結婚すればと薦めたこともあったが、それはメアリーに可愛そうだと受け入れてはくれなかった。私にすればメアリーが母でいてくれたならどんなに幸せだったかと思うことが多かったのだが、父の言い分ももっともだと思ってあきらめてはいた。エミリーと結婚したときも、心の内では父にとっても良い結果を生むのではないかという期待もあったことは事実だ。しかしここまでとは思わなかったが。正直、エミリーの中に記憶にもない母の匂いを感じることは多い。それは同時に、父にとっては自分の妻の匂いなのかもしれない。そう思うとエミリーは犠牲者だったのかもしれない。私と父の二人に仕えるしもべのように。

 だからエミリーは許すことにした。私さえそれでよければまた幸せな家庭が築けるのだ。しかし父に対してはわだかまりがどうしても残ってしまう。この日から私は父と顔を合わせることが無くなってしまった。だから父がどういう健康状態にいたのかもさえ知らなかったと言える。もう少し話し合っていさえすればあの悲劇は回避できたのに。


 それは私が夜遅くに帰宅した時のことだった。

 寝室にエミリーはいなかった。なんとなく嫌な予感がして父の部屋に入ると、ベッドに横たわった父に覆い被さるようにしてエミリーが口づけをしていた。


 逆上した私がそこにいた。


 私はエミリーを父から引き離して突き飛ばし、父をつかんで揺さぶった。一体どういうことなんだ。父は苦しそうな顔を私に向け、何かを言いたそうな顔をしながら、大きく目を開いたまま動かなくなった。

 その時になって私は気づいた。ベッドの上に薬が飛び散り、コップが横たわり、入っていたと思われる水がシーツをぬらしているのを。私は勘違いをしていたのだ。おそらく夜中に急に具合の悪くなった父はエミリーを呼び出し、薬をくれるように頼んだのだろう。しかし父はもう一人で薬を飲めないくらいに弱っていた。それほどまでに体調が悪いと言うことをまったく知らなかった。心優しいエミリーはおそらく口移しで薬を飲ませようとしたのだ。私が見たのはまさにその瞬間だったのだろう。父は結局薬を飲めなかった。私が飲まさせなかったのだ。そして私に強いショックを与えられた父は息を引き取ってしまった。私が殺してしまったのだ。


 大きな後悔と共に、エミリーにも謝らないといけないことに気がついた。振り向くと彼女は座り込んだままだった。私が近づいて声を掛けようとしても何の反応も示さなかった。その時になって気がついた。私が彼女を突き飛ばしたとき、部屋の壁の角に頭を思い切り打ちつけた彼女は打ち所が悪く、そのまま死んでしまったのだった。事の重大さに私は思いきり泣くことしかできなかった。


 どうして良いのかまるでわからず、私はふらふらと父の研究室に迷い込んだ。そこには父のライフワークである「TM」が置かれていた。目盛りは10年後のある日付が記されていた。警察を呼ぶのか、それより病院が先だろうか。どちらにしてももう取り返しがつかない。私はどうなってもよい、しかし息子はどうなるのだろうか。私の頭は混乱していた。逃げるしかない。しかも誰も追って来られない場所に。しかし、それを行うにしても、ここで起きた事実だけは誰かに伝えたかった。伝える相手は一人しかいない。


 そう思ったとき、突然目盛りの意味に気がついた。確信があった。私は父の部屋に戻り、それらを探した。目的の物はやはり見つからなかった。父も同じ事を考えたのだ。自分が私に殺されるかもしれない。だからその前にすべてを告げておこうと。

 さすがに親子だと思った。私も同じ事を行おうと思う。段ボール箱はすでにあった。父が必要としたときに準備して置いた物の余りなのだろう。私も今書いている日記を除いてすべてを詰め込んだ。これから行おうとすることだけを書いてこの日記も詰める予定だ。この後、この箱をあなたに送る。日付はおそらく父と同じ日付に。あなたは驚くだろう。メアリー、卑怯で臆病な私を許して欲しい。こんな男に育てた覚えはないと言われそうだが。私は息子を連れてここから逃げ出す。誰も来られない場所に。


…………


 ビリーの日記はここで終わっています。もちろんあの日の前の事柄は多く記されていますが、公にすることではないでしょう。何しろ私のことがたくさん出てきて気恥ずかしくて見せられないものばかりですから。


 二人の記録が少し異なるのが気にはなりますが、どちらが事実なのか、あるいはどちらとも嘘なのか、それは誰にもわかりません。今更それを調べて欲しくはありません。ただ、悲惨な事件がロビンソン一家に起きたこと、そしてそれがほとんど運命と呼ばざるを得ない状況で起きたことを皆さんに知って欲しかったのです。

 もっと早くにこのことに気がついていればこの事件は防ぐことができたのかどうか。おそらくできなかったと思います。彼が研究していた「TM」は自然の摂理を破る物です。自然はそれが存在することを許さなかったのかもしれません。

 私の人生のほとんどに大きく関わったこの一家のことを忘れはしません。しかし私でさえ見えない大きな力によって選ばれ動かされたのかもしれません。彼らのことを思うとき、私も小さな存在なんだと思います。このような悲しい出来事が二度と起こらないように願う者です。


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 メアリー・ミランダ女史は今も精力的にジャーナリストの仕事を続けている。ロビンソン親子が彼女に残した記録はすでに焼却したと彼女が言うのでそういうことにしておこう。詮索してもしかたのないことだから。

 彼女は旅の紀行を書くと称して世界中を旅行しているが、あるいはロビンソン家族のような存在を追い求めているのかもしれない。先祖も子孫もなく、特定の時代だけに存在することを許された、失われた家系、「Lost Family」を追い求めて。


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