⒊ 朝食の席
「はぁ。やっぱり夢じゃないのよね」
私は違和感を感じたあの日から自分の部屋で療養の日々を過ごしていた。
右足はまだ痛むが、松葉杖をつきながらであれば何とか歩けるようになっていた。
「お嬢様、お目覚めですか?」
カーテンを開ける音がして、侍女のマリアが声をかけながらベッドの天蓋を開けた。
眩しい朝日が差し込み、目を細める。
「おはようございます。グレースお嬢様」
「……」
マリアは歳として15、6の栗毛色の髪をした可愛らしい少女だが、歳の割りにしっかりとしていることからずっと大人びえて見えた。
実際、仕事ぶりもテキパキとこなし、愛嬌もあることから伯爵家の娘専属の侍女を受け持っている。
先日、部屋の中で倒れている私を介抱してくれたのも彼女だった。
「お嬢様、起き上がれますか? 顔を洗いましょう」
マリアは私の背中を支えて体を起こし、水の入った洗面器を前に置いた。
通常であればベッドから出て顔を洗うのだが、まだ足が痛いため、ベッドの中で身支度を行なっている。
私は言われるまま顔を洗い、用意してもらったフカフカのタオルで顔を拭く。
「足の痛みはどうですか?」
「……少しは良いかしら」
「良かったですわ。――どうします? 今日も朝食はベッドに運びましょうか?」
「……そうね。……いえ、やっぱり食堂で取るわ」
「まぁ!」
私がそう言うと、マリアは驚いた顔をしたのち、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ええ! それがよろしいかと思います! 旦那様もお嬢様の顔を見たら喜びますわ」
――旦那様ね。
少なくとも私が意識を取り戻して数日が経つが、その間一度も顔を見せに来なかった父親だ。
私の顔を見たところで喜ぶもなにもないだろう。
そんな風に思ったが、それは口に出さず、マリアの用意してくれた服に着替えることにした。
――――――
「おお、グレース。足の怪我はいいのかい?」
「ええ、お父様。この通り、動けるようになりましたわ」
慣れない松葉杖をつきながら、何とか食堂に着くと、長いテーブルの奥に既にお父様が朝食を摂っていた。
給仕についていた執事のセドリックが私の姿を見て、傍に控えていた従僕に私を席まで運ぶよう命じる。私は松葉杖をマリアに手渡すと従僕に抱き抱えられて席へと着いた。
席につくと、給仕たちの手によってテーブルに食器が並べられていく。
――本当に何から何までいたせり尽くせりのお嬢様ね。
「……どうした、グレース?」
「いいえ。何でもありませんわ。久しぶりに部屋から出たので何だか緊張して」
「……そうだな。怖かっただろう。だが、お前が無事で何よりだよ」
娘の顔を一目も見に来なかった癖にどの口が言うのだろうか。
私は心配の声をかけるお父様に無言で笑みを見せた。
レトナーク領地を治める伯爵家当主、エドモンド・ローランド。
優雅に朝食を食べる姿でさえも絵になるほど、見目麗しい男だ。
私の祖父に当たる先代の領主が亡くなった後、伯爵家を継ぎ、レトナーク領主となった。
現在37歳。
明るい金色のブロンドの髪を後ろに束ね、グリーンの切長の目は色気があって、それはもう女性に大変モテる。モテすぎて、女癖は最悪。それ故に、私の産みの母親は私が幼い時分に離縁した。
残念ながら私は逃げた母親似なので、父にはあまり似ていない。
ふと、私はテーブルの向かいの空いた席を見て、思い出す。
「お父様、ミラはどうしていますの?」
私の質問に一気に部屋の空気が重くなった。
「ミラ様はお部屋に引き篭もっております」
私の質問に答えたのは父ではなく、執事のセドリックだった。
「そうだ。グレース。お前も顔を見せておあげ。あの子もきっと喜ぶだろう」
「……」
父親の余計な一言に部屋の空気はさらに重くなった。
無理もない。
事故の前から私はミラと仲良くない。
と言うか、私が一方的にミラを嫌っていた。
それは使用人の目にも明らかで、気づいていないのは父親だけである。
「……そうですね。気が向いたら顔を見に行きますわ」
私は澄ました顔を取り繕うと、用意された朝食に手をつけ始めた。