35. ハインツ②
ハインツが案内したのは、書類机と応接セットが置かれただけのシンプルな部屋だった。どうやら、商談用で使う部屋らしい。
「さて、領地運営について学びたいとのことですが」
応接セットのソファに向かい合って腰掛けると、ハインツは早速話を切り出した。
「ええ。そうよ。セドリックから許可も貰っているわ」
「しかし、旦那様や奥様には隠れて勉強されていると伺っておりますが、正式な次期当主になるつもりではないのですか?」
「次期当主を目指すつもりよ。……でも、それをお父様たちに言わないのは、反対されるのが目に見えているからよ。特にパトリシアは、自分の子供であるルイに次期伯爵家当主の座を継がせる気満々ですもの。今ここで、私が勉強をしていると聞いたら妨害されちゃうわ。だから貴方も黙っていてちょうだい」
「……なるほど。それは面倒な」
小さく嘆息したハインツに、私は眉を吊り上げた。
「何? 貴方も女は黙って嫁いで、男の後ろに隠れて補佐をしていろという考えかしら?」
「いいえ。私はそこまで口出しをする権利はございません。才能のある者であれば、それが男だろうが女だろうが関係ありません。私は先代の残してくれたこの領地を守りたいだけですから」
それは意外な言葉だった。
どうやら彼は相当お祖父様を慕っていたらしい。
「随分とお祖父様贔屓なのね。貴方、セドリックよりもずっと若いけれど、どういう経緯で伯爵家に仕えているの?」
興味の沸いた私はハインツに訊ねた。
「私がまだ子供の頃の話です。農家の三男坊で、勉強は好きだけど金がなく、学校にも通えず、将来に希望も持てずに腐っていた私を先代様が拾って下さいましてね」
「お祖父様が?」
「ええ。町の学校へ通わせて下さり、卒業後は王都の商会にも推薦していただき、たくさん勉強させて下さいました。王都で数年働き、旦那様の元で会計士として戻って来た時はこれで長年の恩義を返せると喜んだものです。先代様には感謝しきれないほどの御恩を感じているのですよ」
あら、いい話じゃない。
お祖父様が人望に厚く、領民から慕われているのは知っていたけれど、屋敷の人間以外の口から具体的なエピソードを聞いたのはこれが初めてだ。
お祖父様って本当に善人だったのね。
「先代様は本当に人柄も良く、優秀で、自分の領地のことを常に考える素晴らしいお方でした」
ハインツは祖父様のことを思い返すかのように陶酔とした目で遠くを見上げる。
しかし、その次の瞬間には肩を落とすと、深々としたため息を吐いた。
「……唯一、残念だったのは、御子息の教育を間違えたところですね」
あー。
「先代様が甘やかしてしまったばかりに、あのどうしようもない旦那様が当主を継ぐこととなって。せめて後、数年、先代様が生きておられたら、もっと厳しく教育をしたものの……」
それ普通娘に言っちゃう? と思ったものの、そのどうしようもない御子息の娘として、なんだか申し訳ない気分になった。
お父様があんなので、ゴメンなさいね。
しかし、セドリックからもなんとなく聞いてはいるが、そこまで言うほどなのだろうか?
「そんなにお父様の経営ってダメなの?」
「………………………………………………………………」
ハインツの長い沈黙に全ての答えが詰まっている気がした。
「……もういいわ。――薄々気付いていたけれど、遊びと女の事しか考えていないお父様だものね。はぁ、我が父親ながら苦労をかけるわね」
「――お嬢様はどうですかね」
ドキリとする低い声に顔を上げると、ハインツは鋭い目で私を見つめていた。
その、人を探るような目に私は思わず気圧される。
「……どういう意味かしら?」
「以前、私が聞いていた噂ですと、他人に些かの興味を持たれず、我儘に暮らしているご令嬢とお聞きしておりました」
「――っ」
「何やら最近は心を入れ替え、まるで別人かのように勉学に励んでいるようですが、それがどこまで続くやら」
「なんですって!」
ハインツは身を乗り出す私の前に手を突き出して、「話の途中です」と、私を制止させる。
そして恐ろしく冷淡な声で続けた。
「セドリックからお嬢様の教育に手を貸して欲しいと頼まれましたが、私はやる気のない人間には手を貸す暇はございません。そこで、まずお嬢様には本当に領地運営に関わる資格があるかテストしたいと思います」
「……随分と上からの物言いね」
「私が気に食わないなら切っていただいても結構ですよ」
ハインツは冷静な目で私を静かに見据えた。
「……」
私はじっとハインツの目を睨む。
そして、沸き上がる血の気を抑え込みながら、ゆっくりとソファに座り直した。
マリアにも再三、すぐに怒りやすいところが私の短所だと言われている。
恐らくハインツもそれを調べた上で、こんな物言いをしているのだろう。
さっきから、わざと私を挑発して試しているのだ。
今、ここでそれに乗るわけにはいかない。
「いいえ。受けて立つわ。どんなテストかしら?」
気を取り直して私が言うと、ハインツは何故か黙り込み、さっきとは違う、どこか興味深そうな目でじっと見つめてきた。
「何よ?」
「いえ。その目つき、本当に先代様にそっくりと思いまして」
――またか。
そんなに私って眼力強いかしら?
あんな猛禽類のような怖さを持っているのかな?
私が微妙な表情を浮かべていると、ハインツは口の端を僅かに弛めた。
「では、テストの内容を申しましょうか」
ハインツの言葉に私は背筋を伸ばす。
「先程、村人達にお嬢様は面白い話をされておりましたね。新しい品種の話でしたか」
「あ、あれは、本か何かで読んだものを適当に言っただけよ。上手くいくかも分からない戯言みたいなものだから、忘れてくれる?」
「そうですか? でも少なからず発想は良いかと思います。今、我々が抱えているのはそういった突拍子のない考えが必要なのです」
「と、言うと……?」
「村人やセドリックから聞いているかと思いますが、昨今のレトナーク産ワインの出荷数は芳しくありません」
「さっき村長さん達がお父様と話していたやつね」
「ええ。村人達も頭を悩ませているのです。このままでは我が領地は衰退していくことになるでしょう。なのに、旦那様はどうにかなるの楽観視ばかりで具体的な解決案も対策も出さず、のらりくらり……」
「……ハインツ。お父様のことは今は置いておきましょう」
顔が険しくなっていくハインツを制止して、無理矢理話の先を促した。
「失礼しました。……そこで、お嬢様にも何か打開策を考えていただきたいと思います。ワインに関することでなくとも結構です。これという案があれば提出していただきたいのです」
「随分と大まかな内容ね。ワイン産業でなくてもいいの?」
「領地の運営回復に繋がることであればなんでも。お嬢様は農村について素人でありますから」
「その通りね。ーーわかったわ。もし、私の案が使えそうなら、正式に私にも領地経営に携わる権利をいただけるのかしら?」
「ええ。勿論です。……そうですね、期日は半月後と致しましょうか。ちょうどその頃、伯爵家にお邪魔する用がございますので」
「いいわ」
私はその内容に承諾する。
「では、お嬢様と働ける日を楽しみにしております」
最後の最後でハインツはニッコリと笑みを浮かべた。
しかし、その目はどう見ても笑っていない。
どうせ無理だろうがとりあえず、お手並み拝見と暗に言われているのだ。
本当にもう最後までこの男はーー
分かったわよ! 受けて立とうじゃない!
こうなったら、あっと驚くアイディアを出して認めさせてやるんだからね!




