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最初の夜

 



 慰めるように私の髪を撫でる大きな手が心地よくて、私は小さく息をついた。

 体の中に凝っていた悪いなにかが洗い流されて行くようだった。

 ルカ様の硬い手の温かさが、強張っていた体の緊張をほぐしてくれる。

 あたたかくて、優しい手だ。

 多くの敵兵を屠ったかもしれない。人を殺すことの苦しさを、私は知らない。

 でも、国を守ってくれた手だと思う。


「そろそろ休もうか、マリィ」


 手のひらがそっと離れた。

 立ち上がったルカ様が私に手を伸ばして、そのまま抱き上げられる。

 昼間も抱き上げられたけれど、今は昼間よりは薄手の寝衣を着ていて、体温とその体の硬さを、逞しさを、はっきり感じることができる。

 薄暗い室内に、月明かりが差し込んでいる。

 光源の少ない石廟のようなお城では、微かな月の光さえ十分に明るさを感じられた。


「ルカ様。私は……」


 私は本当に、ルカ様の妻になれるのだろうか。

 善意と同情と、ゲオルグお爺様への義理立て。ルカ様が私を救ってくれた理由は、それだけかもしれない。

 娶るというのは建前で、そう言った方がミュンデロット家から私を救い出すには、丁度良かったのかもしれない。それは口実だったのではないだろうか。


「……マリィ、それ以上は言わなくていい」


 ルカ様は首を振った。

 私はルカ様の首に回した手に、きゅっと力を込めた。

 それはまるで、川で溺れている最中に、流れてきた枝にしがみ付いて、救いを求めているような仕草だった。


「私は子供ではありません。ルカ様、穢されて、顔に傷のある女が嫌でなければ……どうか、私をあなたのものに、してくださいませんか……?」


 ――安心したい。

 安心させて欲しい。私を傍に置いてくれるというのなら、どうかこの身を抱いて、温もりを与えて欲しい。


 ルカ様なら、怖くない。

 明るく快活で優しさに満ちた言葉が、ルカ様の全てじゃないことは分かる。

 内に秘められたものは、この静寂が支配する冷たいお城の――黒い棺のような、静謐さ。

 時折見せるそれが、ルカ様の本質であるような気がする。


 それでも、私を撫でる手のひらの優しさは嘘ではない。

 だから、私は――今だけでいいから、全てを忘れられるほどのぬくもりが欲しい。


「傷つけられたばかりのマリィを穢せる程、俺は非道な男じゃないよ。欲望に身を任せて、君を傷つけたくはない」


「ルカ様。私は、大丈夫です……」


「焦らなくていい、急ぐ必要もない。だってこれからはずっと一緒に居るんだよ?」


「……私の大切なものは、……大切にしたいと思ったものは、私の手のひらから簡単に零れ落ちていってしまいます。だから……!」


 じわりと涙が滲んだ。

 メラウが大好きだった。優しい使用人たちが好きだった。

 たった一人の家族だったお母様が、大切だった。

 お爺様の残してくれた書架が、大切だった。


 私を大切にしようとしていてくれた、メルヴィル様の想いが嬉しかった。

 でも――それは簡単に、容易く、奪われてしまった。


 どうしてなのか、何故なのかは分からない。

 簒奪者は、何気ない日常のふりをして、繰り返す毎日の延長のように、私から大切なものを奪っていく。


 失う事は怖い。

 誰かを愛してしまえば、大切だと思ってしまえば、それは私から奪われてしまう。


 ずっとそうだった。いままでも、これからも、ずっとそれが続いていくのだと、奇妙な確信が胸を過る。


 だから奪われる前に、ひと時でいいから、――愛されたい。

 大丈夫だと思いたい。私は愛されても良いのだと、幸せになってもいいのだと――その価値があるのだと、感じたい。


「マリィ。それは、マリィが俺を、大切な人だと思ってくれているという意味?」


「ルカ様は私の恩人で、私を救って、信じてくださった大切な方です。私、何もかもを失って、……こんな姿です。あなたには相応しくないのだと、理解しています。でも……」


「君はミュンデロット家の青い薔薇だよ、マリィ。美しく、賢く、強い人だ。俺にとっては……俺が触れるのが、罪深いと思えるほどに誰よりも綺麗だ」


 ルカ様は私をベッドに降ろしてくださる。

 それから、私の横に座った。手のひらが私の頬に触れる。

 私はその手に自分の手を重ねた。ずっと、触れていて欲しい。

 この場所は、泣きたくなるほど安心することができる。


お読みくださりありがとうございました!

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