日本人にとって草ってなんだったんだろう
現代人にとっては「草」(植物)は勝手に生えてきて勝手に枯れるものでしかありませんが、昔の日本人にとっては「草」は大事な資源でした。
盛本昌広『草と木が語る日本の中世』岩波書店2012年
↑この本を読むと、日本人にとって草は重要なものだったということがわかります。
(少し惜しいなぁと思うのは「中世」に限定しているところですね。古代から近代までを網羅しているものってないのかな……)
布を染めるための「染料」や病気のときに飲む「薬草」など、「草」「木」が原料でした。
茅葺きの材料になるのも「草」ですね。
また、生活に欠かせない牛馬のエサになるのも「草」です。
とくに馬のエサは武士にとっては重要です。「草」は軍事的に見ても必要不可欠なものだったのです。
そしてその「草」がよく生える土地を確保するのは死活問題だったようです。
なんとその土地の所有をめぐって鎌倉武士と農民の間で争いになり裁判が行なわれたという事例もあるそうです。
農民にとっても「草」は重要なものだったのです。
(wikipediaの「草刈り」の項目が面白い。wikipediaは信用ならないものもあるので、軽い参考程度に読んでみてください)
現代人にとっての「草」と昔の人にとっての「草」は価値が違うということですね。
「民草」という字面を見て、現代人は「草だなんて!侮蔑的!」と反射的に思ってしまうかもしれませんが、そうではないのです。
草が生い茂る場所というのは、好い土地だったのです。
それは「民の繁栄」のイメージにつながっていたのではないかと私は思います。「民の草葉」という言葉を使った歌は「天皇の治世」を称えている歌だったり、民衆の繁栄を詠っている歌が多いです。
ここまで、中世日本に重要な資源としての「草」について述べましたが、
「草」には「荒廃」の象徴としてのイメージもあったことも述べておきます。
「荒野」という語が史料に出てくるらしいのですが、その「荒野」とは以前に何らかの理由で放棄された土地で再開発の対象とされていました。その「荒野」の象徴が「荊棘」と「猪鹿」だったそうです。p46より
また空き家などに、蓬や葎が生えるということは、「荒廃」の象徴だったとのこと。
『伊勢物語』に「葎の生えた家のちょっとした隙に鬼が集まる」という意味の歌があるそうです。ちょっと怖いですね。(葎生いて荒れたる宿のうれたきはかりにも鬼のすだくなりけり)
「草」は「荒廃」と「繁栄」のイメージを合わせもつものだったのかもしれませんね。
これもまた現代人とは感覚が違うと思います。荒廃の象徴としての「草」は「畏怖」の対象でもあったのかもしれません。「草」は貴重な資源であると同時に人知の及ばないところもある。自然とどのように対峙してきたのか。私たち日本人が「草」と共にどう生きてきたか知れるような気がします。
中世には「草」は大事な資源でしたが、その資源をとりつくして植生を破壊してしまったところもあるようです。そのため山林の伐採や草の採取を規制したり、山林の育成のために「山守職」という役職が設けられたそうです。