新井白石「くわしいことはよくわからない」私「せやな」
感想欄にてご教示いただいた「貴人を木、賤人を草」という青人草の語源説、調べました。
『古史通』『倭訓栞』に載っているらしいと……
『古史通』は江戸中期の儒学者・新井白石の著書です。
『古史通』読みました。国会図書館デジタルコレクションで読めます。
しかし!しかしですよ!
くずし字なのです!
がんばって解読しましたが、間違っているかもしれません。
どなたか、古文書を読むのが得意な方、国会図書館デジタルコレクションの『古史通 一巻』の47コマめを見て私の解読が間違っていないか確認していただけないでしょうか?
古史通 国会図書館デジタルコレクション
子之一木とは私記によるに上古には貴人をば木にたとへし故に一柱一木などいふ賤人をば草にたとへし故に青人草などいふこと見えたり
《引用おわり》
「子之一木」とは何のこっちゃ?
これは古事記にある一節です(愛我那邇妹命乎、謂易子之一木乎)
火の神を生んだときにイザナミは火傷をおって死んでしまいます。古事記にはそのとき夫であるイザナギが「大切な妻をたった一つの木にかえてしまった」と嘆いたとあります。「一つの木」とは火の神のことを指します。
日本書紀では木という字はなく唯一児とあります。火の神はイザナギとイザナミの子ですから、日本書紀の方が意味がわかりやすいですね。
なぜ、古事記では「木」となっているのか。
不思議ですよね。
日本書紀の注釈書「私記」ではこれを「古い時代は神や貴人を木にたとえ、賤人を草にたとえたのだ、よって人民を青人草と言うのだ」と解釈しているのです。
「私記」とはどんな書物でしょうか。
官人向けに『日本書紀』の講義が行なわれ、その講義内容が記された書物です。
第一回の講義は『日本書紀』が成立した翌年(養老五年721)、第二回目は弘仁三年(812)です。それから三十年ごとに行われ全部で七回ありました。
『新訂増補 国史大系 八巻』に「私記」と「釈日本紀」が収録されているので図書館で確認してきましたが、「私記」には白石が引用した「貴人を木、賤人を草」はありませんでした。
が、「釈日本紀」に「私記」からの引用として載っていました。
「私記」は散逸してしまっている部分がかなりあります。しかし、鎌倉時代に成立したとされる『釈日本紀』によってその散逸してしまった部分を知ることができるのです。「釈日本紀」は従来の日本書紀研究を集大成したもので「私記」から多数引用しており、そのおかげで散逸した部分も伝わっているのです。
(ただし、現代の研究者のなかには『釈日本木』に引用された「日本木私記」を「そのまま平安時代前期のものとして見ることは無防備すぎる」(神野志隆光氏・2009)とする意見もあるようです。 斉藤英喜氏『古事記はいかに読まれてきたか〈神話〉の変貌』p172より)
散逸してしまった部分に「貴人を木、賤人を草」は記されていたのでしょうか?
ちょっとその辺詳しくはわからないのですが…
新井白石は「私記」そのものから引用したのではなく、「釈日本紀」にある「私記」の引用部分を引用したのかもしれませんね(孫引きですね)。
第何回の講義のときのものを引用したのかは不明です。
斉藤英喜『古事記はいかに読まれてきたか <神話>の変貌』吉川弘文館
p174
……平安時代の前期、宮廷のなかで『日本書紀』の研究・講義=「日本紀講」が盛んに行なわれていたことは、一般に知られていないだろう。そしてその講義の場で、『古事記』がけっこう重要視されていたことも……。
(中略)
p177
……大学寮に所属する中国の明経、紀伝の専門儒者集団によって行われていたのである。それは『日本書紀』という書物そのものが『史記』や『漢書』などの中国史書をモデルとして編纂されたことと通じていた。ちなみに神話と深い関わりをもつ宮廷祭祀の担い手たる神祇官の人びとは日本紀講には関係していない。
(中略)
中国の儒学、歴史学の専門家たちが日本紀講の博士を務めることから、その講義は儒学による注釈や教説は中心と思われるかもしれない。しかし「日本紀私記」に記された講義の内容の大半は、漢字で書かれている『日本書紀』の言葉をどうヤマト言葉で読むか、という説明が多くを占めている。
(中略)
「古語」や「和語」の典拠とされるのが『古事記』であった。
《引用おわり》
「古史通」ではおとなしく「私記」を引用し紹介していた新井白石先生。しかし『東雅』では「私記」の見解に疑問を呈しています。
『東雅』も国会図書館デジタルコレクションで読めます!これは「古史通」と違って翻刻してあるものなので楽に読める!国会図書館さんマジ感謝!
東雅巻之五
人倫第五
民タミ
舊事紀には。民の字讀てヒトグサといひ。亦讀てヲホムダカラといひ。蒼生の字讀てアヲヒトクサといふ。日本紀これによられたり。古事記には。人草の字を用ひ。青人草など用ひたり。ヒトクサとは猶天之益人などいふが如くに。此語が式の祝詞に見ゆ。民生の蕃庶なるをいふに似たり。ヲホダカラとは。民をもて國の大寶とするの義なるべし。
元々億兆百性黔首黔庶等の如き。皆々讀で。ヲホダカラといふと見えたり。
そのアヲヒトグサといひし如きは。自ら蒼生といふ義に相合ひたりける也。私記には。古事記日本新抄等を引きて。蓋古以貴人。喩於木。故謂神及貴人為一柱一木。以賤人。喩於草。故謂天下人民為青人草也。と見えたり。されど葦原中國には。多有道速振荒振國神。復磐根木株草之垣葉。猶能言語などいふ事もあれば。上古の時。神及び貴人を木に比せしとのみも云ふべからず。
雑また種等の字。舊讀てクサといふ。民をよびてクサといひしは。雑種の謂なりしも知るべからず。亦青人草といひし事。後の俗にも青侍青女房などいふが如き。その青といふは。賤人の称と見えけり。これ古の遺言に出しなるべし。青といふをもて。賤称とするの義。つまびらかならず。
《引用おわり》
「私記」には「貴人を木にたとえて一柱一木と言い、賤人を草にたとえる。だから人民のことを青人草と言う」と書いてあるけど、葦原中国平定の説明のところでは「葦原中国はチハヤフルアラフルクニツ神がいて、そして草木がもの言う状態だった」と書いてあるではないか。古い時代に神や貴人を木にたとえたというのは必ずしも言えないのではないか?
というようなことを言っています。
……て、あってる?
間違ってない?
最後のところ、「古い時代、神や貴人を木と同じにした場合ばかりではない」の方がいい?
それとも「木にたとえられたのは神や貴人だけではない」と訳した方がいい?
う、わ、わからない。
……とにかく! 新井白石は「私記」の見解に疑問をもっていることは確かということで!
そして、「種」「雑」を「クサ」と読むことから「民」を「クサ」ということは「様々な」「いろいろな」という意味かもしれない、と新井白石は考察しています。
え、私と同じこと言ってない?私すごくない?
……すみません。
しかし、その次の文で私は「白石先生!それ違くない?」と叫びます。
亦青人草といひし事。後の俗にも青侍青女房などいふが如き。その青といふは。賤人の称と見えけり。これ古の遺言に出しなるべし。青といふをもて。賤称とするの義。
「青」は賤称の意味があるというのです。
ええ?三浦佑之氏は「青は褒め言葉」と言っていたぞ……!
「青侍」を広辞苑でひくと
①(青色の袍を着たからいう)公卿の家に仕えた侍。
②官位の低い若侍。
とあります。「青侍」は『太平記』にも出てきます。
「青女房」は広辞苑には
年若く物馴れない、官位の低い女官
とあります。この言葉も『太平記』にあります。『太平記』の頭注には「新入りの若い女房」とあったような気がしますが…また図書館で確認します(^_^;)
うーん、「青」は「若い」という意味じゃないのかな。
たしかに経験の浅い若輩を「青いやつだ」なんて言って揶揄したりするので「賤称」なのかな?
しかし、新井白石先生は重要なことを最後にいっています!
「つまびらかならず」
くわしいことはわからないよ、と言っています。
わからないものはわからないというスタンス、好感がもてます。
ここで重要なのは、新井白石の時代(江戸中期)には「青人草」「民草」の語源がすでに「わからない」ものになっていたことではないでしょうか?
ここからは私の仮説なのですが、「私記」が書かれた時代にはもうすでに「青人草」の語源がわからなくなっていたのではないかと思うのです。
「日本書紀」の講義に参加した官人(生徒)がわからない言葉だから、先生もわざわざ解釈を披露したのではないのかな……
そしてその解釈も、もしかしたら「つまびらかならず」だったのではないかと……
あくまで素人の仮説ですからね(^_^;)
ちょっと、本題とずれますが、「青」について興味深いことが書いてあった本があったのでご紹介します。
保立道久『かぐや姫と王権神話 「竹取物語」・天皇・火山神話』洋泉社
p25
……「竹珠を繋に貫き垂」れた装身具は、御統といった(中略)
物忌に入った女性は、それを何重にも手や首に巻いて垂らす風習があった(玉岡兼治)。新しく切った齋竹から作った青々とした竹珠の御統の呪力は特別のものだったのであろう。この時代の勾玉・管玉の色調が、緑色がかった青に限定されているのは(広瀬和雄)、そのためであった可能性が高い。
《引用おわり》
※御統
竹珠(竹を輪切りにした管玉)に糸を通してネックレスのようにした装身具のこと
万葉集に御統を身に着けて物忌をする手弱女(女性)のことを詠んだ歌があるそうです。
「青」には特別な力があったと古代には考えられていたのでしょう。
ということで「青人草」の「青」も賤称の意味ではないということで!
……と、私は思いたい!
長くなりましたね(^_^;)
『倭訓栞』についても書きたかったのですが、それは次回ということで。
感想欄にて私は「本朝水滸伝にも賤人を草に……と書いてある」と言いましたが、ごめんなさい。本朝水滸伝では「草」ではなく「小枝」としていました。ごめんなさい。
今回、史料の引用部分で漢文調になっている文章の一二点やレ点は省略しました。めんどくさ…じゃなくて横書きでどうやって打ち込めばいいかわからなかったので、まあ、だいたいの意味は伝わるだろうしいいか…と判断しました。
追記
新井白石の文章をもう一度読み直してみたら、白石は疑問を呈していたのではなく、「木を貴人や神以外にもたとえている例もあるよ」というニュアンスで言っているのかな?と思うようになりました。
うー、わからない。間違えてたらごめんなさい。