室町時代から「たみくさ」使われていました。「君子の徳は風」についても調べました。
図書館に行って古語辞典を見てきました。
以前、『応仁別記』に「民草」という言葉があることから16世紀以降に使われ始めた言葉じゃないかなぁと仮説をたてましたが、もうチョットさかのぼれそうだとわかりました。
岩波の古語辞典でひいたら室町時代の文献から用例を載せているではありませんか!
応仁別記以外にもあるということは、十五世紀以降に使われ始めたと言っちゃってもいいんじゃないでしょうか?
岩波古語辞典 補訂版
たみくさ【民草】
民。人民。
「―ゆたけく、家の内富栄えにぎはしく」<伽・伊香物語>。
「―とは百姓と書くなり。百姓の事なり」<宗祇袖下>
《引用おわり》
伊香物語の作者は不明ですが、宗祇袖下は宗祇という人が書いた連歌書のようです。広辞苑によると宗祇は1421~1502年に生きた人だそうです。
次に角川の古語大辞典をみてみました。すげーデカい辞書です。
ちょっと、角川さんの「民草」は他の辞書と毛色が違う気がします。
角川古語大辞典
たみくさ【民草】名 人民。民を、至るところの地にある草になぞらえていう語。
『論語・顔淵』に「君子之徳風、小人之徳草」とあるのによる。
「百姓タミクサ」〔書言字考〕
「山城の柏野の民草を撫子の如く愛しければ、徳風になびかぬ者もなかりけり」〔応仁別記〕
《引用おわり》
角川さんは「至るところの地にある草になぞらえていう語」という他の辞書とはちょっと違うエッセンスが混ざってません?
ちなみに広辞苑で「民草」をひくとこうなってます↓
民のふえるさまを草にたとえていう語。たみ。人民。青人草。胆大小心録「心を殊にかなへたらんには、いやしき―たりとも、よき歌よむべし」
《引用おわり》
なんか、若干ニュアンスが違うような気がするのは私だけでしょうか?
色んな辞書をくらべるのも面白いですね。
角川古語辞典は論語の「君子之徳風、小人之徳草」による、としています。(これが「民草」の由来・語源だとするのは私は疑問に思っているのですが、その話はまた今度)
どういう意味なんだろうと気になって『論語』を読んでみました。
金谷治訳注『論語』岩波文庫 昭和三十七年に出版したものを平成十三年に改版
p238
季康子、政を孔子に問いて曰わく、如し無道を殺して以て有道に就かば、如何。
孔子対えて曰く、子、政を為すに、焉んぞ殺を用いん。
子、善を欲すれば、民善ならん。
君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。
草、これに風を上うれば、必らず偃す。
金谷さんの訳
季康子が政治のことを孔子にたずねていった、「もし道にはずれた者を殺して道を守る者をつくり上げるようにしたら、どうでしょうか。」孔子は答えていわれた、「あなた、政治をなさるのに、どうして殺す必要があるのです。あなたが善くなろうとされるなら、人民も善くなります。君子の徳は風ですし、小人の徳は草です。草は風にあたれば必ずなびきます。」
全文を読むと、角川古語辞典の「民草」の項目から受ける印象とちょっと違いますね。角川さんの方だけを読むとなんだかちょっと「人民」を見下しているような印象ですが、「論語」の方を読むと人民を見下して言っているのではなく、為政者のあるべき姿について話している感じですね。
それと、私としては見逃せない箇所が金谷さん訳の『論語』にありました。
金谷さんは「百姓」を訳して「民草」を使っているのです。
p395
百姓有過、在予一人
百姓過ち有らば予れ一人に在らん
民草にあやまちがあれば、責めはわが身の上にある
《引用おわり》
尭曰第二十の一節です。
武王のセリフです。民草のためによい政治をおこなうという決意でしょうか?
金谷さんが「百姓」を「民草」に訳したのはただ単に「人々」「人民」という意味で訳したのだと思います。
前後の文からして「農業に従事する人」という意味ではなく「百姓=人民・多くの人々」という意味です。
やはり「民草」は侮蔑的蔑称ではなく「人々」「人民」を意味する言葉だと思います。
次回は感想欄でご教示いただいた「貴人を木、賤人を草にたとえる」という語源説について調べたことを書きます。
読んでいただければ嬉しいです(*^_^*)
書いた後に冷静になって角川古語辞典の「民草」を読んでみたら、そんなに言うほどネガティブな感じでもなかった(笑)
私は基本的に「民草」は蔑称じゃないことを証明したくて調べているので、ちょっと敏感になりすぎているのかも(^_^;)
「客観的」に考えることは大事ですね、気を付けます。